第1部 昭和三十一年 【観音寺市】

文字数 4,460文字

清美は息子の腕がしっかりと腰に巻き付いているのを確かめ、背負子にした布袋の重みに呻きながら坂道を自転車で登っている。
さっき三架橋を渡った時は明るかった空が急に薄暗くなってきた。
 「雨が来る前にお家に帰ろうね」
自分を励ますように後ろに声をかけて、立ち漕ぎに切り替える。
財田川から吹いてくる風も少し強まって、潮の匂いも強くなってきた。
 「今晩はマグロのフレーク食べる、台風きよるけん」
後ろの荷台で息子が独り言をつぶやく。
風邪をひいたらバナナ、台風の時はマグロフレーク、息子のお楽しみのひとつだ。

この坂道を登りきったところは松の老木が這いつくばる切り通し、その先には左手に中学校、我が家がその先右側ににポツンと見えてくる。
そこから細い道がブドウ畑に沿って海に届いている、そう 海のすぐそばにある我が家。
息子を水着に着替えさせてそのまま歩いて海に行く、途中でブドウを貰って食べ、砂浜でマテ貝を釣って晩のおかずにする、辺鄙なりにいいところも多い。
中学校の放課後も終わると、このあたりは急に静かになる、農家の煙草乾燥小屋が近くにあるくらいで、用心が悪いと心配してくれる人もいるけど、夫は警官だからいざというときには頼もしい。

その頼もしい夫を清美はいつも「駐在さん」と呼ぶ、それは結婚する前もそのあとも変わらない。
去年、その駐在さんは本署の刑事課に転勤になったのだけど相変わらず「駐在さん」と呼ぶ清美だ。
夫は頑固で筋が通らないことは絶対に譲らない。
結婚前に松茸泥棒を捕まえたとき、威嚇のために拳銃を空に向けて撃ったことがある。
本人も泥棒もその音に腰を抜かしたらしいが、無事泥棒はお縄になった。
余談になるが終戦直後の警官の拳銃はアメリカ軍供出ののコルト45という大型拳銃だった。
その武勇伝に、山の持ち主からは大いに感謝されたが、上司からは厳しく叱責された。
「拳銃使用は身の危険を感じたときだけにしろ」というお咎めだった。
駐在さんは、それ以来実弾を抜いた拳銃を持ってパトロールした、ケースが空というわけにはいかなかったからだ。
それ以来義務となっている射撃訓練も避けて、刑事課に転勤後も拳銃をつけることはしないでいる。
緊急配備、張り込み、旅舎検の時も丸腰で通している。
「撃てない拳銃など意味ない、邪魔だ」
そんな強情ぶりを評して署内では、
「県警で拳銃を持たないのは本部長とあいつだけ」と冷やかされているが気にする様子はない。
ところで、
駐在所というのは警察官が家族で住むことで地域密着安全サービスを果たす仕組みになっている。
お米の炊き方も知らない箱入り娘の清美だったが、結婚後いきなり「駐在の奥さん」になった。
最初何もできない清美は悪戦苦闘した。
そこはよくしたもので近所の世話好きのおばさんたちが毎日、朝から晩まで手取り足取り駐在夫人を助けてくれた。
出産のときだけは実家に帰ったが、乳飲み子を抱えて駐在所に戻ると、今度はベテランのママたちが手ぐすね引いて待っていた。
おむつ交換、お風呂の入れ方、離乳食の作り方まで教わった。
古い石積みアーチ式ダムが近くにある山の中の淋しい駐在所だったが、清美にとっては大家族と一緒に生活しているようで、楽しかったし、いろいろと主婦の勉強ができた。
でも、一年前駐在さんが本署に転勤になって街中に引っ越してきたとき、ほっとしたことも嘘ではなかった。

坂のてっぺんからはペダルから足を離して惰性でゆっくりとくだっていく。
右手奥に見える小高い丘陵地にそびえ立つ微研の大きなビルディングには夕刻になると灯りが点灯する、それはしかし人を寄せ付けない警戒の灯りでもある。

その丘のふもとにある我が家、
今日は台風が来るというので中学生も早々と帰宅したのだろう、いつもは微研につながる砂丘で蟻地獄を探したり、滑り降りたりふざけたりする彼らの姿も見えない。
この砂山は微研の土地だけど、家の周りは自由に使ってもいいことになっている。
昨年は大きな向日葵をたくさん植えた、駐在さんは植物を育てるのが趣味だ。
子どものためには落花生を栽培してくれた、お菓子などは贅沢品だったので、揚げた落花生に砂糖をまぶしたおやつは子供に好評だった。

清美が駐在所の一種プライベートな時間のない生活から独立して手に入れた「小さなお家」は二軒長屋で共用の台所とお風呂が家屋の真ん中にあって境になっている。隣さんといつも接してはいるが、これが今のマイスイートホームだ。

実家はずっと内陸部、自転車で四十分ほど離れている。
夫とは実家で知り合ってそこで戀愛したようなものだった、駐在所からの安全確認という名目で夫と話をし始めたのは戦争が終わって2年目の頃、清美が二十歳になったばかりだった。
駐在さんはガリガリに痩せていたけどなかなかの男前、地元の男の子にはない洒落た雰囲気に惹かれた。
それは東京で勉強していたことや、小さい頃は満州・中国で生活していたからだろうと思った。
だから、初夏の爽やかな日曜日、突然村長さんから縁談を持ち込まれたときは驚くこともなく、素直に承諾したのは清美にも予感のようなものがあったからだ、何よりも駐在さんは清美の好みのタイプだったのは言うまでもない。
 
結婚式も長男の出産も実家だったし、駐在所は家族で住むことが決まりになっていたものの受け持ち管内のたくさんの人々といつもつながっていた。
誰にも邪魔されない家族団らんの生活がようやく実現したのだ。
しかし、
市内には信じられないくらい空き家物件はなかった、倉庫の一画、つぶれた病院の病室、とても子供を育てる環境ではなかった。
「どこぞええとこないの?」
「留置場は今ガラ空きやけど・・」

そんな時、市から紹介されたのが微研の所有する納屋を改造した2軒長屋だった。
微研の広い敷地である丘のふもとに建てられたものでもともとは職員のためだったが、職員住宅が新しく丘の上に完成したので、貸しに出されたというわけだ。
微研としては行政との良好な関係を維持する意図もあってこの物件を市に斡旋委託した。
お隣の郷田さんも市の職員、そして警官もそうだが公務員の給料はこれまた信じられないほどの薄給だ。
行政と企業の持ちつ持たれつのおかげで、
清美は念願の自分のお家を手に入れた。

「贅沢言ったらきりがない、うちはこれで満足や、いつか一軒家を作るときはお父ちゃんに頼むから安くできるし、もう少し我慢我慢」
 
息子の良民を幼稚園に迎えに行った帰りに、缶詰を買ったりしたので今日は自転車がいつもより重たい。台風十二号が四国に接近しているので非常食としてマグロのフレーク缶を子供にせがまれた。台風が来ると缶詰を買う習いになったのはいつのころからだろう。
ひとり息子なので夫婦二人で甘やかせている。
「それで台風が怖くなくなるのならええか」
早くご飯を炊いてお握りにしておこう、いつ停電になってしまうかもしれない。
自分も子どものように台風にワクワクしているのがなんだか可笑しかった。

長屋の入り口、二軒を分けるように家のちょうど真ん中についている硝子格子の戸を引き開けると、「ガラッガラッ」と漫画の吹き出しのような音がする。

「帰ったで、雨ふんじょるで もう」
郷田さんは台所で晩御飯を作っている。
「さきにつこうてるで、わるいな」
「いや、なんちゃかまんきに」
「茄子の煮物 良かったら食べるな?」
「今日は缶詰開けるけん、ちょっとだけでええから つか」
毎度の夕餉の支度風景だけど、やはり台風の話になってしまう、
「今晩泊りやろ、駐在さん」
「そうや うちは仕事やからね」
台風接近の夜、警察官が徹夜で署に待機するのはいつものことである。
「市役所はでんでもええの?」
郷田家の旦那さんは市役所の窓口業務、台風襲来には関係ないらしい。
夜遅くになって風が一段とと強くなる、長屋の両横に作られた便所の脇の大きく育った栴檀、
その大きな幹がが軋んでいるのが聞こえる。
「倒れてきたら怖いな、便所がつぶれるなぁ」
子どもに話しかけてみたが、
隣の良民はマグロのフレークをお腹いっぱい食べて満足そうな寝息を立てている。
清美は、降り出した雨の音に合わせるように三か月前のことを思い出していた。

「香川正一さんのご子息の家族から頂戴するわけにはいきません」
六月の家賃を収めに大家である「微研」に行った時のことだった。
いつも家賃をうけとってくれるのは施設管理課の主任さんだったが、その日はもう一人、若いけどちょっと賢そうな方が一緒にいた。
もらった名刺には、
「所長・主任研究員 天野理一」とあった。

「香川さんのおかげで日本に戻れたのですから、気になさらずお持ち帰りください」
「微研」とは大阪大学微生物研究所。
その時は訳が分からず家賃を持ち帰ったが、夫からは叱られた。
「俺の立場もある、戻してこい」
「微研が家賃をいらんわけないし、あの所長さんが代わりに払ってくれるんかなあ?」
「どっちにしても、あとで問題になると ふうが悪いし」
「ねぇ、お義父さんは何をそんなにええことしたん、駐在さんは知っとるの?」
「満州ではいろいろあったらしいからな、オヤジは」

香川正一は夫の父親、満州の会社に勤めていたということは清美も聞いていたが、
本人の正一が当時のことは一切語らないので詳しいことは知らない、夫ですら聞かされたことはないらしい。
結婚した時、義父は六〇歳前だったにもかかわらず仕事もなく隠居暮らしだった。
その暮らしはというと兄が住む実家の古ぼけた蔵に居候、いつも浴衣、冬はそれに丹前を着込むだけの着た切り雀、火鉢で醤油豆を煮込みながら暖を取る姿や、近所の吸い殻を貰ってきてキセルで吸っている恰好からは、満州で羽振りが良かったという噂は清美には信じられなかった。 
そんなこともあって、今回の家賃返還騒動ははまさに青天の霹靂だった。
夫の職業上の問題になってはいけないと思い清美は翌月それでも七月分も微研に収めに行った
すると、
次の日微研の小遣いさんが長屋にやってきて、「所長がこれをお返ししますとのことです」
家賃を置いていく。
「ところで、天野さんはお若い所長さんですね」
小遣いさんは、毎度の質問だと言わんばかりに得意げにおしえてくれる。
「いえね、自分なんかにはわからん話ですが、スペイン風邪を治す、すごい方法を研究しているんだそうです、いつかはノーベル賞だって皆言っています」
清美はノーベル賞がなんだか知らなかったが
「それはすごいですね~」
自分のへたくそなお愛想に呆れながらも
・・・・でも家賃を払ってもらう理由にはならんな・・・
と胸の中でつぶやいた。
それ以来同じことの繰り返しが続いている。
六月からこっち、家賃がぐるぐると清美と微研で行ったり来たりしているのだった。
台風が行ってしまったら、また家賃を持っていくつもりだが、ホントに面倒くさいことになったものだ。

「まぁ ええか、いつか先のマイホーム資金の足しにしておこうかな、
月に一度はマグロフレークも買おうかな、
台風が来んでもマグロフレークくらい食べようね、おチビちゃん」









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