第5部 昭和二十年  【佐世保市】

文字数 3,156文字

東太は信じられない思いでいっぱいだ、
まさか佐世保で林君に会えるとは思いもしなかった。
でも目の前に懐かしい顔があり、あの大きな声が聞こえる。
「トウちゃんに会えると思ってたよ」
林君は食パンの大きな塊をちぎって東太に渡す。
「元町のパンよりうまいじゃないか、海軍はやはりパンとカレーだね、
 将校には週一回ビフテキが出るとも聞いてたが、ありゃ嘘なのか僕には出ない、
 もう日本には牛もいないのか」
二人は佐世保第二海兵団を見下ろす弓張岳中腹の松の下で昼飯を取りながら、三年間溜まった出来事を報告し合っている。

いま東太は西海砲台25糎単装高角砲の弾装手として空襲に備える日々だ、今年一月に着任している。
昭和十六年の太平洋戦争開戦の後、高田馬場の下宿を出て香川県に戻った、それでも戦争の早期終結を期待して受験勉強をコツコツと続けていたが、
昭和十八年十月「在学徴集延期臨時特例」によって徴兵延期特例が撤廃され、文科系の大学生は十月~十一月中に徴兵検査を受けること、丙種以上のものは十二月までに入隊する措置が取られた、いわゆる学徒動員だ。
東太はその年の四月に高松で徴兵検査を受け乙種合格、翌昭和十九年五月に召集された。
早稲田に入学していても、していなくても結局は赤紙が来ることを身にしみて感じた東太だった。一人一人の想いなど無視され抵抗することもできない時代になっていた。
入隊までの二年間、それでも家族と過ごせたことはありがたかった、
父の助言に今は感謝していた。
入隊したのは海軍佐世保海兵団,戦況悪化の影響で新兵教育はわずか2か月のみ、そのあと千葉館山の海軍砲術学校で対空教育を受けた。
もはや日本海軍には乗船する艦船もなく、教育は対空砲撃と水際戦闘訓練に限られていた。

訓練中にも東京湾上空をB29爆撃機が空襲のため上空を往来する。そこを地上から対空砲撃するのだが敵機には全く届かない、東太は夜空を見つめて悔しい思いを我慢するだけだった。
明けて昭和二十年一月、現在の佐世保海兵団に戻って対空高角砲の装弾手に着任、上等水兵に昇進していた。

そんな折、海兵団病院に上官への差し入れを持参して立ち寄っところ、林君に会ったのだ。
思わず口にしたのは、
「何をしよんじゃ? 徴兵猶予はどないした?」
医学部学生は戦況悪化の今でも卒業まで徴兵が無い稀な立場であることくらい東太も知っていた。
「自分は大学を辞めて衛生兵に志願したのさ、 また大学に戻ることなどいつでもできるしね、
 でも士官待遇になるとは思わなかったな」
たかだか三年間の医学習得だが、今海軍は人材が払底していた。
海軍にとって帝大医学生は渡りに船の幸運だったに違いない。
「本当は大和に乗船したいと思ってね、志願した時もそう申告したのだが、残念ながら
 間に合わなかったようだな」
戦艦大和はひと月前に徳之島沖にて撃沈されたことは知る人ぞ知る海軍の極秘情報だった。
「だから、今は参謀殿の水虫の治療さ」

林君は軍医尉官見習で少尉待遇だった。
「せっかくだから再会を記念して、写真を撮ろうよ」
相変らずフットワークの軽い林君だ、
「郵便局向かいの写真屋を知ってるか、これからちゃんと正装して撮ってもらおう、見合い写真にもなるし、案外生き残りのお守りになるかもしれない」
セーラー服姿の写真もいい記念かもしれない、ちょうど上等水兵になったばかりだし、東太は林君の提案に乗った。
写真屋を出たのは六月二十日の夕刻、久しぶりの休暇だった、東太は帰営後そのまま高角砲座当直に入った。

明日写真がようやく出来上がる、一週間もの時間がかかるのは軍人の申し込みが増えたのにもかかわらず、写真材料が不足しているからだ。
その六月二十八日、
しとしと降っていた梅雨の雨が激しくなった真夜中前、B29が襲ってきた、
大雨、寝入りばな、油断、間隙を突かれた格好で市内はあっという間に悲惨な火災地獄になる。
西海を臨む高台からの高角砲はB29にまるで届かない、悔しさに涙で曇った東太の目にめらめらと燃え上がる佐世保の街並みが、まるで花火のように見える。
グラマン戦闘機は高角砲陣地を二、三度偵察した後、東太たちを馬鹿にしたように無視して執拗に無防備の市街を地上攻撃している。
東太は無傷だった。
不思議なことに軍港施設はほとんど爆撃対象にならなかった、おそらくは戦後の接収使用計画が出来上がっていたのかもしれない。
「戦争は負けだな、終わりだな」
独り言は胸の中に収めた。

「俺たちの被害は写真だけか」
一週間前に撮った制服姿の写真のことを林君は言っている。
林君も海兵団の宿舎にいたので無事だった。
多数の市民が死傷している一方で頼みの綱の海兵団病院は空襲で早々と焼失してしまった。
海軍の医療班が市内に散開して治療体制を支援した、林君は三日三晩郵便局のあった地点の救護テントに泊まり込んだという。
その近くの写真館も跡形もなく消えた、あの写真とともに。
焼けてしまった写真を惜しむふりをする林君だが、彼の眼の奥には地獄の底を見つめた哀しみが潜んでいるようだった、
「自分も林のような眼をしているのか?」
世保市はほとんどが消失してしまった。

八月十五日、
天皇陛下の終戦の詔勅を当直中の高角砲陣地で知らされる、
「やっぱりな」という気持ちで空を仰ぐ、真っ青な夏空が目に入る、何日も空を見ながら気づいていなかった青さだった。
蝉の声も聞こえている、B29の爆音ばかり気にしていて蝉の声もすっかり忘れていた。いや、蝉もこの夏は鳴くのを遠慮していたのかもしれない。
学徒動員の将校たちも東太と同様に、何かを悟ったように静かだが、古参の下士官、特に志願兵は悲しみと憤りで錯乱の一歩手前になっている。
ひとりの志願兵軍曹が皇居に向かって自刃した。
彼が流した血に周りの者は不意を突かれ、
止めようとする者、それを止める者で騒然となる、
そして理不尽な死を目の当たりにして将兵は徐々に落ち着を取り戻してくる。
「生き残った、もう殺されることはない」
東太の思いは、その場全員の思いだ。
明日からどうするか、それは途方もなく甘美で贅沢な問いかけになる。

一週間かけて海軍は解散手続きを済ませる。
東太にも除隊通知が出て伍長に昇進した。
そして現地解散だという。
給与代わりに海軍毛布を2枚持って行くことが許される。ハンモックに敷いて寝るあの毛布だ。
佐世保から四国に立ち寄る機帆船に便乗して故郷に帰ることにする、高松も空襲で破壊されたという情報は入っているが、そこしか戻る場所はない。
出発の朝、林君が別れの挨拶に来た、両肩に
毛布を担いでいる。
「これはトウちゃんへの餞別だ、ろくなもんではないが取っといてくれ」
「いいのかい、これは結構いい値で売れるけど」
「俺をなんだと思ってる、独立国家台湾のエリート医師の卵だぞ、毛布なんか毎日新品の
 ものを使ってやる」
ポツダム中尉になった林君は、終戦の日、大いに荒れ狂った、兵団軍医からこれからは台湾医学の発展に尽くすように諭されたからだ。
「自分は日本男児であります」
そういって男泣きに泣いたという話が伝わっていた。

「いつ台湾に帰るんかい?」
「俺は医学の勉強に東京に戻る、東大には連合軍が推薦してくれるに決まっているし、
 そんなもの無くても試験には受かるさ。
 今度は基礎医学を研究したいと思ってる、平和な時代にはぴったりだろう?
 できれば台湾の医学研究の礎になりたいんだ。
 俺は日本軍国主義から解放された可哀そうな植民地人だからね、
 トウちゃんなんかより偉いんだそうだ・・」

林君の言葉が最後は嗚咽に変る。
林君の涙をみたのはそういえばこれが初めてだ。
『神様しかできないことがあるなら、
 それ以外のことは何でも人間に許される、 その意志と情熱があれば』

東太は戦争で学んだ、
そして大きく変わった。
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