エピローグ 昭和九十五年(【海老名市】

文字数 1,791文字

秋の長雨もようやく終わって、抜けるような青空が広がる久しぶりの日本晴れ。
東太はデイ・サービスのお風呂上り、ケア・センターのソファにもたれ掛かってうつらうつらしている。
この時間がお気に入りになっている、
といっても週に二回まめまめしい介護職のお姉さんたちに会えるからではない。

ここケア・センターにいると大昔のことが思い出されるし父母、妻、友人たちともお話ができるからだ。
いま息子と一緒に住んでいる部屋には彼らは現れない、おそらく隣の仏間が邪魔しているに違いないと東太は思っている。
今日もいろいろな思い出が・・・

佐世保から復員した時の高松の焼け野原の様子、
農地解放で残った荒れ地を開墾した失敗や蔵の中の宝物を売り飛ばして
柳澤の祖母に叱られたこと、
闇屋をやっていて警察に捕まりそうになって逃げたこと、
電信柱に貼ってあった募集広告を見て警察官に応募したこと、
駐在所で清美に巡り逢ったこと、
警察内部ではいつも孤高だったこと、
定年前に一年奮起してイタリアンレストランを開いたこと、
古い話ばかり思い出す。
それでいて昨日のことは覚えていない、覚えていないのではなく、何も起こっていないからなんだろう。


「香川さん、そろそろ起きてください、お昼にしましょ」と青山チーフの声がかかる。

さっきから今朝新聞で見たものが気になって仕方がないが、それが何かを考えていたところを邪魔されてちょっと気分を悪くする。
「今朝のニュースは何だったかね?」
「大ニュースでしたよ! 今朝の一面はノーベル賞をまた日本人が獲ったことでしたよ。
 ここのところオリンピックのことばかりでウンザリしてましたからね」

そうだ、その日本人の名前が気になったのだった。
いや違う、その受賞者の父親の名前をどこかで聞いたことがあるのだった。
受賞者の名前は「天野正一」で父親が「天野理一」だった。
その天野理一をどこかで聞いたことがあるのだがさっぱり見当もつかないでいる。
今朝のおかずですら覚えていないのだから、こりゃ無理だな。

新聞には、
「快挙 父息子、親子で同じウィルス研究を継承した結果の悲願のノーベル賞」
と報道されていた。
アマノリイチ・・・どこで会ったのか?
まさか昔自分が扱った事件の関係者ではないと思うが…
せっかくのセンターご自慢の美味しいお昼ご飯もそんなことばかり考えているものだから、味もよくわからない。
・・・・・
(清美)駐在さん、私が一度伝えただけの名前をよく覚えてましたね
(東太)清美か?俺はどこでその名前を聞いたんかの?
(清美)ほら、あの微研の所長さんですよ、家賃を払ってくれた
(康隆)よく覚えていたもんだな 馬の骨さん
(東太)そうか、あの方の息子さんがノーベル賞か
(林)トウちゃん、実はその理一君とは研究仲間なんだよ東大の、世間は狭いね、
   あっ奥様、突然ファミリートークに入り込んで失礼しました
(正一)理一君も立派に息子を育てたものだ、息子に正一と名づけるとはこれまた律儀だな
(東太)父さんの終戦秘話に関係あるの?
(正一)話せば長いが、要点は日本の科学研究長期計画のことだ 
(東太)相変わらず、さっぱりわからんよ
(林)俺はなんとなく想像できるけど
(清美)お義父さんがその理一さんを助けたんでしょ?どうやってですか
(正一)そんな古い話はもう忘れた、戦争が終わって七十五年、S資金は役に立ったのかな?
(東太)エスシキン?初めて聞きますよ、一度ちゃんとお話ししてくださいね
(正一)今言えることは、高価な石ころと生身の日本人が厚木に戻ってきた。
    でも金より人だったのか、結局は。
    大勢の仲間を死なせたが家族だけは無事に帰すことに力を尽くした、そこに仏様の 
    御心があったとはなあ、俺は間違っていなかった
(吉本)いやいや 高価な石ころもちゃんと役立ったよ、僕は一粒もつまみ食いはしてない
    からね、もっとも人は毎日食ってたけど
(正一)まあ、詳しいことはこちらに来たらゆっくり話してやるよ、東太
(清美)でも急ぐことはないですよ駐在さん、良民のとこで長生きしてくださいね

・・・・・

「あらあら、香川さんお昼食べながらコックリしてる、風邪ひきますよー」

令和二年、昭和九十五年、
東太はそれより二年長く生きている。

    完

参考にさせていただいた資料
「幻の国策会社東洋拓殖」 大河内一雄
「国策会社東洋拓殖の終焉」大河内一雄  

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