場所の力

文字数 1,217文字

 独歩の言葉を思い起こしながら、三つの公園を取り巻く風景を振り返って見ると、そこには、いまにも東京に飲み込まれそうな地域にあって、必死に武蔵野を守り続けようとする、武蔵野を愛する人々の誇りと情熱が見えてくる。
 池の中やその周囲に設けられた神社や祠、人々が集まるように仕掛けられた魅力的な施設の数々などにもそうした思いが表現されているように、私には思われる。

 誰が見ているかなど意識になく、神社に立ち寄った帰りに鳥居で一礼した女性の自然な行為は、それが地域の人々による日常的なものと想像させる。地域にそれを促す力が働いているからだろう。もちろん強制されたわけではない。
 その力を信仰と呼ぶには大袈裟な感じがある。
 水辺の自然と暮らしを古くから守ってきているもの、それは地域の人々にとって水辺を鎮守する神に象徴されるのだろうが、生活世界における実態は、人と人のつながりと関係性の相互作用によって生まれる、もう少し緩やかで柔軟な力のように思われる。
 神社が祈りを捧げる場所として人々の中に定着し、そこで平穏無事な日常への感謝や祈りを捧げることが習慣化するということは、ひとりひとりが生活を律し、自然の脅威や不幸な出来事に出会うことのないよう身構えを持つことにつながるだろう。
 その日常的な身構えが、地域の誰もが親しんでいるものを大切にしていきたいという願いにもなる。
 場所の変化を受け入れながら、古くからの自然、伝統、文化などをできる限り守り育てていくことが、人々に自然な形で受容され、ひとりひとりをつなぐ心の作用として働いているもの、それは人々に共有された場所が生みだす力のひとつ、いわば郷土愛だ。
 ひとりひとりの郷土愛が地域を守る実践力となって行動に作用し、その結果、地域がひとりひとりを守るように作用する。ひとりひとりの思いは多様で、決してひとつに結集するような強い力にはならないが、作用する方向を整えながら緩やかに地域を変化させていくのだろう。

 空間としての景観を具体的に守っているのは都市計画のように思われるが、それ以前に、地域の人と人、自然、ものとのつながりと関係性の相互作用が強く働いていなければ、武蔵野という場所は残らない。内田秀五郎をはじめとする地域の人々が井萩土地区画整理を進め、風致地区の保全に導いたのも郷土愛であり、これが都市化が進む地域の風景を守り、地域の魅力となって人々を潤している。

 地域の魅力を生むもの、それは日常生活における人と人や自然とのつながりと関係性の相互作用であって、そこから小さな物語がいくつも生まれ、それがさらに地域の豊かさや魅力、そして郷土愛を育んでいくのだ。
 放っておくとめまぐるしく移り変わっていってしまう景観の中で、人々にある郷土愛が「文化財」を残し、それがまた人々をつなぎ郷土愛を育みながら、大都会でも田舎でもない、郷土という場所をつくっていく。それが武蔵野という場所の力なのだろう。
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