第14話

文字数 3,627文字

 バタンと勢い良く扉が開き、遊女を数名引きずるようにして、若い男が肩で息をしながらそこに立っている。
 バタバタと走り寄る音がしたと思えば、ようやく警備担当の屈強な下衆が姿を現し、若い男を取り押さえにかかった。
 扉は開け放たれたまま。てんやわんやの大騒ぎの様子に、ミラルディのこめかみはピクピクと震える。

「お前たち、静かにおし!」

 ミラルディの怒りを含んだ甲高い声があたりにこだまし、全員の動きが止まった。

「そこの男、こちらへおいで」

 ミラルディが手招きをすると、下衆に取り押さえられていた若い男が立ち上がり、多少憮然とした面持ちでタジエナの隣に並ぶ。

「ほお」

 ウィメルという男は、ただ黙っていても笑ったように見えてしまう顔立ちなのだが、近づいてくる若い男の顔を確認した彼の唇には、はっきりとした笑みが浮かんでいた。

「おまえは確かルルヌイのウォルセフだったね」

 ウォルセフは膝をつき、深く頭を下げてから、ウィメルを見上げた。まだ息が整っていないらしく、数度大きく深呼吸をする。

「はい、ウィメルさんには、昨日もお目にかかりました」

 ウィメルは町の有力者で作る評議委員にも名を連ねており、ルルヌイの子のリーダーであるウォルセフとは、会議などで顔を合わせることが度々あったのだ。

「そのルルヌイの子のリーダーであるおまえが、なにゆえ昼日中の中洲にいるのだ? 今頃は渡し舟を漕いでいる時間だろう?」

 ウィメルは興味深げに身を乗り出した。その目に怒りの色はなく、どちらかというと、事の成り行きに対する好奇心のほうが勝っているらしい。
 特別室の扉は大きく開かれたままで、その向こうには人だかりが出来ていた。遊女や下衆ばかりではなく、子どもたちの姿まである。
 ウォルセフは、もうひとつ深呼吸をした。
 乱れていた呼吸も、少しずつ落ち着いてきたようだ。

「私は、イオネツの無実の証人としてここへやってきたのです」

 ウォルセフは居住まいを正し、ウィメルを見つめながら、背後の人だかりにまで聞こえるほどのはっきりとした声で言った。


 一方、イオネツはまったく外の状況を知ることのないまま、冷たい地下牢で、抱えた膝に顔を埋めていた。

 小さな明り窓が天井近くに一つあるだけの地下牢は、昼間であっても薄暗い。
 静寂の中で、イオネツはハッとしたように顔を上げた。
 イオネツの視線は、自分と外を隔てている木製の格子、そしてその隙間からうっすらと光の差し込む地下への入り口、それから見ることのできない上層へと移っていく。
 見張りの男は、そんなイオネツの様子に怪訝な表情を浮かべたが、おとなしく、座ったままでいるイオネツに、首を傾げながらも声をかけてくることはなかった。
 けれどイオネツは、上層の空気が揺らぐのを感じて、立ち上がる。
 見張りの男は、急なイオネツの動きにぎょっとしたように体を揺らし、素早くイオネツのいる牢の中を覗き込んできた。
 と、上層から階段を降りてくる規則的な足音が聞こえてきて、見張りはイオネツから視線を外すと、階段の先を見上げた。
 イオネツは、知らず知らずに牢の格子を手できつく握りしめていた。
 さきほどから、地下へ流れ込んでくる空気の中に、『あの人』の匂いが、うっすらと混ざり込んでいるのを感じていたのだ。
 清浄な青く透明な気配。
 母以外でこれほどはっきりと感じ取れることのできる気を持つ人物は、彼以外にない。

 ルルヌイ川の渡守。ルルヌイの子――ウォルセフ。

 ドキドキと、心臓が騒ぎ始める。
 自分の周囲にふわふわと存在する自然霊ナトギ様の気配も、どことなく落ち着かない様子だった。
 きっと、何かが起ころうとしている。
 イオネツがじいっと見つめる地下への出入り口から、大きな体格の男がぬっと現れた。ミラルディからもっともあつい信頼を受ける下衆、ボノノワであった。
 彼は艶麗館で働く下衆の取りまとめ役でもある。姿を現したボノノワに、見張りの男はペコペコと頭を下げる。

「ウォルセフが……来たんだね」

 格子を隔ててすぐ目の前に立ったボノノワにイオネツが言ったが、返事はなかった。
 ボノノワは黙ってイオネツを見下ろしている。
 ミラルディのボディガードも務めるボノノワは背も高く、筋肉で盛り上がった胸板がちょうどイオネツの目の高さにあった。
 黙って立つボノノワの後ろから、扉を開けるため、大きな鍵を手にした見張りがやってくる。
 しんとした石造りの地下室に、ガチャガチャという音が響き、最後にカチリと小気味良い音をたてて、小さな格子の扉が開いた。

「イオネツ、ついて来い」

 そう一言だけ発すると、ボノノワは踵を返して階段の方へと歩いていく。
 イオネツは、腰をかがめながら牢を出ると、ボノノワの後に続いた。
 地下の部屋を出てすぐの急な階段を見上げる。
 上階から差し込む光に、イオネツは思わず目を細めた。
 ボノノワの後に続いて辿り着いた先は、艶麗館別館の第二層にある大広間、風雅の間であった。
 風雅の間への扉をボノノワが開けると、そこには艶麗館の住人たちがぎゅっと一塊になって入口付近に固まっていた。荷改めの時のように、館の使用人全員が、この広間に集められているようだった。
 イオネツが姿を現したのを見ると、固まっていた人たちの塊が左右に分かれて、一本の道ができる。
 その道の先の上座に、椅子に腰を掛ける一人の人物がみえた。
 ヴェイア硝子店の主人、ウィメル=エシャル=ヴェイア=エル=ヴェイアである。彼は、金の細工を施された革張りのゆったりとした椅子に腰を掛け、肘掛けに身体を預けるようにして、部屋へと入ってきたイオネツをじっと見つめていた。
 ウィメルに向かい合うようにして、床に座るウォルセフの背中も見える。
 その二人をちょうど横から眺めるような位置に、艶麗館の女主人ミラルディと母タジエナが座していた。
 イオネツはボノノワに背中を押され、皆の見守る中をゆっくりと歩きはじめた。
 そして、ついにウィメルの前まで進み出ると、ウォルセフの隣に腰を下ろした。

 痛いほどの視線を感じながらも周囲を見回すと、集まる人々の中に、テノッサやモニエルといった子どもたちの姿を見つけた。彼らはキョロキョロと落ち着きのない様子で、お互いに目配せをしたり、つつきあったりしていた。
 それからイオネツは、隣に座るウォルセフを、横目で盗み見た。
 ウォルセフは目の前のウィメルに視線を向けたまま、こちらを見ようとはしなかった。けれど彼からは、前と変わらず澄んだ香りがして、イオネツはふと笑顔になってしまいそうになる。
 そして最後にミラルディと母のタジエナに目を移す。
 ミラルディはいつもと変わらない厳しい表情だったが、タジエナはイオネツと目が合うと、小さな笑顔を作ってくれた。母からは、ほんわりと優しい花の香が漂ってくる。
 母とウォルセフ、二つの香りが、そっと自分に寄り添ってくれているように感じて、イオネツは目の前のウィメルをしっかりと見上げた。

「イオネツ、ご挨拶をおし」

 ミラルディの声がした。
 ウィメルは豪華な椅子にゆったりと腰を掛けている。

 ――王様みたいだ。

 と、イオネツは思った。
 このマスカダインの地には 王様がいない。けれども、遠い国にいる王様というのは、目の前のウィメルのような人なのではないだろうか。
 イオネツは、ウィメルの手をついた。

「ウィメル様、今日はわたくしのために、わざわざのお運び、ありがとうございます。わたくしは、艶麗館、タジエナ・ジュンランの息子、イオネツにございます」

 以前から教えられていたとおりの台詞を口にすると、イオネツはいっそう深く頭を下げた。その様子を見届けたミラルディが再び口を開く。

「イオネツの無実の証人が現れた。いまここで、申し開きを行う。今回はロワンザのヴェイア硝子店のウィメル様が立ち会ってくださることになっている。では証人であるルルヌイの子、ウォルセフ」

 ずっと前を向いていたウォルセフが一度わずかにイオネツを振り返った。ほんのわずかに視線があったが、ウォルセフは何の表情も表さぬまま、すぐに前を向いてしまった。

「わたしは、ルルヌイの子のウォルセフと申します。証言いたします。二日前の晩、わたしはイオネツと一緒におりました。イオネツに会った時、ちょうどフドの時イオの刻(午後八時頃)を告げる鐘の音が聞こえました。そしてしばらくすると、雨が降り始めました。わたしは朝まで、ナトギの祠でイオネツとともに雨を避けながら過ごしました。これを、わたし、ルルヌイの子ウォルセフの名にかけて、ここに証言します」

 はっきりとした声が、広間の中に響いた。
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