第17話 閑話 後片付け その二

文字数 14,270文字

 あの件が収まって、二週間ほどだから、無理はない。
 セイは、その場に立ち尽くしたまま、何とかそう納得しようとしていた。
 報酬を手渡すために訪れたのは、とある国の大使館だ。
 待ち合わせた男たちは、自分が来たことに気付いているのか分からない状況で、言い争っていた。
 二組の血縁者同士の男四人だ。
 一組目は、分かる。
 男の一人はこの国の重鎮のとの話を固めるために、とどまっている中華の大企業の従業員だ。
「言っとくが、オレは、許してねえからな」
 その男の息子がそう切り出したことが、争いの発端だ。
 あの地を後にして、送迎バスから降りた時迎えてくれたのは、金田始と、この国の有権者だったのだが、その隣にいた男を見て、皆が仰天した。
 細身の女と、気弱そうな男の子供を守るように立つ背高な男は、トレアとうり二つだったのだ、
「双子だったのか」
 冷静にジムが言ったが、当のトレアは苦笑して答えた。
「いや、向こうが本物だ」
 何を言いだすと怪訝な顔をする小柄な男の前で、トレアは軽く伸びをし向こうのトレアに手を振った。
 振られた男の方も頭を下げ、子供に何か話しかけている。
 すると顔を上げた子供が、笑顔で走り寄って来た。
 これに、ぎょっとして思わず声を上げたのは、ジムだ。
「こらっ、そんなに走ったら……」
「父さんっっ」
 言い終わる前に、ジムの足にしがみ付いた子供は、嬉しそうに呼びかけた。
「お帰りっ。お仕事終わった?」
 答える父は、呆然としている。
「あ、ああ。その……まあ、終わった」
「やった、おうちに帰れるんだね」
 飛び跳ねる子供を見下ろし、ジムは何故か戸惑っている。
 その横から、女の隣に立つトレアに歩み寄ったうり二つの男が、頭を下げて言った。
「ご協力感謝します」
「いえ、こちらこそ、何かとお世話になりました」
 逆に礼を言って頭を下げたトレアの前で自分の頭を攫み、鬘を外す。
「なっ……」
 その後振り返った顔を見て、コウが思わず声を上げた。
「親父っ?」
 赤毛の男は、ヒスイの乗る自動車が姿を見せる前に話しを進め、コウに詰め寄る機会を与えずに姿を消した。
 まだ捜査協力をしていると言う名目でここに残っている、日本の警察関係者の一人のコウが、父親のコウヒとばったり会ってしまったのは不自然ではないが、何もこの日でなくてもいいのではとセイは思ったりする。
 もう一組は、もっと不自然だ。
 表面上の仕事の取引は終わっているはずの金田始と、呼び出しにこの地で応じたその弟のレイジだ。
 こちらは戻ってこないレイジに業を煮やした始が、再びこの地に戻ったと言うところらしい。
 この地には、日本では少なくなったある雑草が、普通に道端に生えているそうだ。
 その雑草の何かの成分が、人間の体内のある細胞を、癌細胞に打ち勝つように鍛え上げる働きがあると判明したのだそうだ。
 その研究に没頭してしまったレイジは、後継問題も兄に丸投げしてしまったと言う事のようだ。
 セイは親子の確執にも、兄弟の確執にも興味はない。
 興味があるのは、これが終わってからようやく獲得できる、睡眠時間だけだ。
 流石に薬の効果は消え、痛みは最大限になっている。
 そして、眠気の方も最大限だ。
 本能に従って今すぐ眠りにつきたい気分なのに、二組の家族はそれを許してくれない。
 セイは盛大に溜息を吐き、やや大袈裟な仕草で携帯電話を取り出した。
 画面を見ずにある番号を呼び出し、相手が出るのを待つ。
「……もしもし、蓮か?」
 これも、聞こえる声での呼びかけだ。
「すまないが、これから……」
「こらっ、待てっっ」
 すごい勢いで電話をひったくり、その勢いのまま電話の通話を切ったのは、先程までコウと言い争っていたコウヒだ。
「返してください。これ以上、私がここにいるのは時間の無駄でしょう。蓮と代わりますから」
「ここまで来てるのに、それはないでしょうっ?」
 始も、血相を変えて詰め寄った。
「こちらの話を、進めさせてくれないなら、仕方ないだろう? 一度あの人に、目玉が飛び出そうな拳を食らえ。あの人はすごいぞ。絶妙な加減で、目玉が飛び出ない勢いで殴るんだ」
「知っとるわい。お前、オレが何年、蓮と生活してたと思ってんだっ?」
 無感情な言い分に、コウヒが反論する。
 次いで青ざめた始も言った。
「オレだって知ってますよっ、あの短期間に、何度どつかれたと、思ってるんですかっ」
 二人の言い分に、若者は笑顔を浮かべた。
 一瞬、見惚れるような笑みだが、妙に怖い。
「なら、早くこちらの用事をさせてくれますか? 私は、早く眠りたい」
 そんなセイの様子に、すごすごと身を引いた二人に、その二人の息子と弟は内心驚きながら、若者を傍に迎える。
「今日は、どう言った御用で?」
 レイジの問いに、若者はあっさりと答えた。
「報酬を払いに」
「え?」
 思わず目を見開いたレイジが、つい問いかけた。
「リヨウさんは、まだ請求されてないって言ってましたけど?」
「ああ、まだしてない。請求しようにも、まだ清算が終わってないからな」
 それでなぜ報酬を払えるのかと、二人が顔を見合わせているが、それ以上詳しく話さずに茶封筒を二人の前にそれぞれ差し出した。
「レイジ君の方は本来の雇い主から出るんだろうけど、結構世話になったからな。気持ち程度の金額だが、受け取って欲しい」
 受け取った二人がその厚みに目を剝いている。
「……千円札の束じゃ、ないですよね」
 そうでも文句はないが、コウは困ったように言った。
「あんた、裏のやばい人じゃないですよね? それだと、受け取るのは警察関係者としては、まずいんですけど」
「そうやばい人間ではないつもりだけど」
「そうですか? リヨウさんにああいう事を頼まれる時点で、やばいんじゃあ?」
 レイジの言葉に、セイは首を傾げた。
「あいつに頼まれたのは、君の護衛だけだぞ」
「は?」
「土下座までされたら、流石に追い返せないだろ」
 驚くレイジと封筒の中の厚みをじっくりと堪能しているコウを残し、セイは立ち上がって静かになった男たちの方へ目を向けた。
「コウヒさん、シュウの居場所は?」
「……行くのか?」
「行くしかないでしょう。それとも、連れて来てくれますか?」
 そう言う気づかいをしてくれたのかと思ったが、男は頭を掻きながら答えた。
「もれなく伯母上が付いてくるぞ。それプラス親父が」
 顔を顰めた若者に、天井を仰ぎながらコウヒは言った。
「だが、本社に行くのは勧められねえな。お前にとってあそこは鬼門、火に入っていく夏の虫みたくなっちまうのを、黙って見てるしかねえのも忍びねえ」
 顔を沈ませての言い分にも、セイは顔を顰めたままだ。
「黙ったまま笑いをかみ殺すんですね、いい性格で結構な事です」
 コウヒの義理の父が起こした会社は、薬を材料から作成し成分を研究し、実験まで終わらせて世に出す薬物を主に扱う所で、足を踏み入れたくない場所だ。
 本当はそれこそ、その系列に強い者を担当にしたかったが、あっさり断られたのだった。
 自ら火に飛び込む行為をするしかないと内心覚悟を決めたセイに、男はにやりと笑って声をかけた。
「だから、忍びねえって言ってるの位は、信じろっての。これだけは本音なんだからな」
 言いながら、顎である方向を指し示した。
 その人の悪い笑顔が、振り向きたくない気持ちを生むが、そう言う訳にもいかない。
「わあ、来てるっ、本当にあの子だあ」
 ゆるゆるの声がフロア中に響き、音もなく近づいた女がいた。
「何日ぶり? もう会えないかと思った。嬉しいっ」
 振り向いたセイに、小柄な女が思いっきり抱き着いた。
 黒髪の長い髪を、高い位置で束ねたその女は、小柄ではあるがその顔立ちは整った、最近美人に見慣れ始めていたコウやレイジから見ても、思わずハッとする美女だ。
 誰だろうかと首を傾げる二人の前で、セイは疲れた声で女に答える。
「お久しぶりです。随分お元気になられたんですね」
 丁寧過ぎる物言いに、女は一瞬きょとんとしてから我に返った。
 暗に、余計な事を口に滑らせるな、と言っている若者に合わせ、女は笑顔を見せた。
「お陰様で。すっごく世話になったものね。あのキツネさんにも、改めてお礼が言いたいな」
 芝居がかったセリフだが、それでよかった。
「……お前が、係わってたのか。道理で発見されたと言う場所の割に、昔の儘の姉上だったはずだ」
 低い落ち着いた声が、女が駆け寄った方向から投げられた。
 もう顔を上げないわけにもいかず、セイは何とか笑いながら挨拶した。
「ご無沙汰しています」
「ああ。あの国を離れての仕事は、珍しいな。それに、こちらの仕事と被るのも、滅多にない」
「ええ」
 顔を上げた先にいたのは、大柄な男だった。
 姉と同じ黒い髪を短く刈り込んだ、活動的でスポーツ万能な男のイメージが、会社のパンフレットでの写真でも印象的に写り、イケメンな社長として、雑誌にも取り上げられることが多い。
 しかしそれは、外見だけの話だと、身内もセイもよく知っていた。
 男の隣に、もう一人女がいた。
 それが、目当てのシュウだと認め、コウが気楽に手を振る。
 ぎこちなく手を振り返し、セイに抱き着いたまま振り返る女シュウレイに、目で問いかけた。
「行っといで。でも、余計な事は、言っちゃだめだよ」
 ゆるゆると笑いながら頷かれ、シュウは男に頭を下げて歩き出した。
「いつの間にあんな女、部屋に入れてたんだ、姉上」
「私もね、少しは出来る女になったのよ」
 何故か胸を張る女を引きはがし、若者は再びコウたちの方へと向かった。
 同じように茶封筒をシュウに差し出し、それで終わりと立ち上がる。
「あ、あのっ……」
 思わず声をかける女を見下ろしその続きを待つと、シュウは躊躇いながら尋ねた。
「あの、本当に、これ、貰っても?」
「ああ。当然の報酬だろ」
「でも、私っ……」
 言いかける女を遮るように、セイはその傍に近づいた。
 身を寄せて声を潜める。
「口止め料。そう思って受け取ってくれ。あの人が、君の代わりにあんな場所にいたと知れたら、あの社長がどういう行動をとるか……頼む」
 真剣な言葉に、シュウは半分の事情も分からず頷いていた。
「ただの金持ちなのか、悪徳なことしてるのか。どっちだろうな」
 その一連の行動を見ていたコウが、しみじみを呟いた。
 今は背を向けている若者を見ながら、レイジも言う。
「ここまでの大金をぽんと出せるんですから、只のお金持ちって訳でもなさそうですよね」
 それから、シュウに声をかけた。
「丁度良かった。実は、渡したいものがあったんです。ほら、シュウさんあのホテルで、一度も部屋から出て来てくれなかったから」
 明るい口調で言いながら、レイジは鞄から白い紙袋を取り出した。
「今日はあなたも待ち合わせ場所に来ると思って、持って来たんです」
「な、何?」
 嬉しそうに話す男に引きながら問うと、レイジはあっさりと答えた。
「実験中の薬です」
「……レイジ、いい加減に……」
 目を見開いたシュウの目の前で始が怒鳴りかかった時、軽い警戒音が響いた。
 目覚まし時計のアラームのベル音に似たそれは、コウヒが持つ携帯電話から発せられている。
「返してもらっても?」
 セイが手を差し出して受け取り、電話に出る。
 その様子を、コウヒは呆れた顔で見やった。
「……お前、マナーモードにするとか、気遣いねえのか?」
 それに答えず、若者はまず電話の相手の話を聞き、頷いた。
「そうか、分かった。これから行く。ご苦労さんだったな」
 短く答えて相手を労い、すぐに電話を切った後、セイは傍で文句を発した男を見上げた。
「仕事上それはやってますよ。今日は連絡待ちの電話があったし、何よりそれで嫌な人との話を中断させる事が出来る」
「……お前、正直すぎるのは、相手を傷つけると、何度言えば分かるんだっっ」
 大柄な男が、言葉を失くして固まっているのを見て、慌ててコウヒが怒鳴る。
「誰も、セキレイさんのこととは言ってませんよ」
 セイは平然と答えた。
「必要以上に付きまとわれてるわけじゃないですから、別に何とも思っていないです」
「いや、それもひどくない?」
 思わずシュウレイも呟いてしまう程に、あっさりとした言葉だった。
「私が嫌なのは、あなた方の会社であって、勤めている人たちじゃないです。それは間違わないで欲しいんですけど」
「……やはり、そうか。自分の得意分野を駆使して、会社を立ち上げるなんて、オレもどうかしていたっ。よし、こうなったら……」
「親父、早まるなっ、そんなことしたら、何十万人従業員が路頭に迷うと思ってるんだっっ」
 言い過ぎたか、と立ち尽くすセイの前で取り乱した大の男を、その義理の息子が必死で宥めている。
 眠すぎて本音が隠せなかったのは悪かったが、この程度でここまで荒れられるのは、意外だった。
 このセキレイと言う男、カスミの息子らしく外見は頑丈で、恐らくは滅多に命の危険にさらされることはない。
 だがその反面、これがカスミの息子か? と言う程に精神面が軟弱で、ちょっとしたことでこの通りだ。
 取り乱すのは百歩譲って、可愛いところがあると思うが、その取り乱し方が尋常じゃない。
「こうなったら、従業員とその家族もろとも、会社を壊滅させよう」
 それは確かに、路頭に迷う従業員は出ない方法だが、別な迷い方して成仏しない人が出そうだな。
 黙ったまま考え、セイは突然始まった喧騒に目を見張っている男三人と、急に取り乱した社長に驚くシュウを振り返り、手招きした。
「早くここは退散した方がいい。後は、側近の方々に任せた方が、解決は早いから」
 コウヒもシュウレイも、自分たちに構う暇はなくなっている。
 逃げるなら、今の内だった。

 闇の中で、カスミが唸る声が何度も聞こえた。
 それが、自分を目覚めさせようとしての苦悩の声だと知ったのは、随分先の話だ。
 ある時、カスミが唸っている所に、別な誰かが来たようだった。
「苦戦、しているようだな」
「おや」
 真面目な声が、意外そうな声を孕む。
「珍しい、ここまで出て来られるとは。何か御用ですか?」
 答える声は、固い。
「うむ、分けて貰いたいものが、あるのだが」
「ますます珍しい。何を、分けましょうか?」
 尋ねる声に答えず、固い声は自分を見下ろしたようだ。
「ここまで、うまく繋げたと言うのに、全くの木偶人形か。何の記憶も残らん物から、そんなものを作って、どうする気だ?」
「そんなはずは、ないのですよ」
 真面目な声が、溜息を吐いて説明した。
「これは、シノギ叔父の喧嘩仲間の幼馴染で、相当の手練れだったのです。女房との約束を、早く果たしたいと言うのに、意識も記憶も、残っているようなのに、動いてくれません」
「手練れと言う事は、あれだ、今の世で、いわゆる武士と言うものの先端ということだろう。潔く、死んだなら死んだで、さっぱりと諦めたのではないか?」
 固い声の言い分に、カスミはまた溜息を吐いた。
 それを見ながら、固い声の人物は笑ったようだ。
「珍しいな。煮詰まった顔をしているぞ」
「下手に意識を詰め込むと、逆に得体の知れぬ生き物として、この世を荒らすかもしれません。ここまで時をかけてその結末では……」
「……」
 カスミを黙って見つめた男が、固い声で切り出した。
「シノギの喧嘩仲間、とやらの形見の品を、少し貰いたいのだ」
 顔を上げた男に、固い声の男はゆっくりと説明する。
「お前が当主として残るなら、気にしなかったが、ヒスイが引き受けて縛られるとはな。あれをあの爺共から守ろうと、お前たちを他の女共に産ませたと言うのに」
「あなたが、あの爺共のお相手をしているのですから、ヒスイは気楽なものでしょう」
 真面目な声が笑うが、固い方は固いままだ。
「ロンの娘が、男を連れて来て、ヒスイに紹介したそうだ。あの子の心配は、爺共が、養い子の婿に無理難題を押し付けないかと、言う事らしい。このままでは、ヒスイが、今の私のようなことをしかねないのだ」
「成程。あなたが企むことは分かりました。血縁者でない者をぶつけて、あの爺共を、葬る気ですね?」
「ただ、血縁でないだけでは意味がない。シノギのように、私の血縁と言うだけで、攻撃を躊躇うようでは、困る」
 意図がはっきりとしたと、カスミは頷いたが小さく笑って尋ねた。
「ですが、ミヅキのこれは、最も呪いがこびりついた部分です。呪印付きの右腕ですよ。これを基にして、あれを一から作っては、また同じような危機が訪れるだけです。叔父上が、困りますよ」
「何、上手くいったら、あいつが姿を見せない場所に預ける。心配するな」
 カスミは丸ごとその形見を、父親に差し出した。
 それは、男の意外そうな声でも分かった。
「いいのか?」
「ええ。どうせ、持っていても意味がない。全部差し上げます」
「そうか……」
 固い声が、柔らかく笑った。
 戸惑うカスミの前で、何かをやっているようだ、と思った途端何かを頭からかぶって、自分は覚醒した。
 視界が開け、映ったのは見知らぬ男が自分の体に何かを掲げ、何かの液を滴らせている姿だった。
「これくらいなら、死人の身にどんな呪いがかかっていようが影響ない。足りなかったのは、動くことに必要な血肉だ。動くようになったからには、己で食えるようにもなる。これで貸はない事にしろ」
 そう言い残して、その男は立ち去ったのだが、カサネは今も不思議だった。
「ミヅキを作る、と言う事は、やはりただ者ではなかったのだろうが、はて、あんなものでどうやって作るのであろうか?」
 カスミにも、尋ねてみたことがある。
 自分の時は、死んだ場所に残った遺骨や肉片、その他をかき集めて繋ぎ合わせたと聞いた。
 ミヅキの形見の品は、ただ一部、右腕のみで後は他の者に分けられたか、荼毘に付されたかでほとんど残っていないそうだ。
 ならどうやってと、首を傾げるカサネに、カスミは答えた。
「あの一部の中の、肉のみをまず集めて形にし、骨も人の方に合わせながら作り替えます。記憶はそこまで深くはないでしょうが、ミヅキのあれは、良く働いた部位ですから、意志は残っているでしょう。それをより合わせて一人の人間を作り出すのです。勿論、出来た人間は、あなたよりも小さい子供並みの大きさでしょうが」
 説明されても、よく分からなかった。
 それから、自由に体が動けるようになると、カサネは山に放たれた。
 そこで出会った親子に拾われ、戦人と出会い、主君を持った。
 マリーの眠る墓の背後の大木に背を預けて、そんなことを思い出していたのには、訳がある。
 カスミに助けられた恩を返そうと、その孫の安否を気にするようにしていたのだ。
 結果、二人いたその孫たちは、カサネの元で仕えることになり、死ぬその直前まで、世話をされたのはこちらとなってしまったのだった。
 申し訳ないと思いながらも、寿命を全うして満足したのだが、今まだこんな所にいる。
 そして、内心困っていた。
 困る理由は、マリーの墓の前にいる若者だ。
 あの件が解決に傾いたころ、カサネはここから遠く離れた場所の、ある草原で立ち尽くしていた。
 数年前は、裕福層の別宅があったと、言う場所だ。
 今はその面影はなく、荒れた大地が広がっているだけだ。
 その場に立ち尽くし、肩を落とす。
 遺骨の一つは残っていそうだが、もう一つの場所のそれも、持ち主の残留念は、風化してしまっていた。
 遺骨を拾って、あの墓に葬ってやろうにも、あの肉体は、すでに壊れてしまい触る事が出来ない。
 せめて、残った想いだけでも捕まえて、あの墓まで、持っていこうと思っていたのだが……。
「何もしてやれぬ、か」
 不甲斐ないものだと、カサネが自嘲した時、その肩を気楽に叩くものがあった。
 ぎょっとして振り返ると、その反応に驚いたのか、目を丸くした若者の顔があった。
 眼鏡のないその顔は、完璧に整ったものだ。
 金髪の若者は、無感情な声音で言った。
「良くここが分かりましたね。何も残っていないのに」
「お主こそ、何故ここが分かった? それに、何故に探したのだ?」
 報酬云々の話があったから、探されるとは思っていたが、自分では、もう受け取ることも出来ない。
「金と言うのは、結構便利ですよ。ご存知ですか?」
 脈絡がありそうで、なさそうな切り返しだ。
 戸惑いながら、カサネが答える。
「まあ、そうだな。金があれば、たまに、非常識な事でもやってのけられることが、あるな」
「そうです。だから、受け取ってもらおうと思って、来ました」
 草原へと再び顔をめぐらせる男に、セイは言った。
「残った想い、とやらは持っていけなくても、金で人を動かして、遺骨を供養することは出来ますよ」
 思わず若者を見直すカサネに、セイは口元を緩めた。
「この報酬で、人を雇ってここにある遺骨を見つけ出して、供養する。それでも余るようなら、その時に使い道を考えればいいです。足りなくても心配しないでください。最近、持っている金銭が増えすぎて使い道に困っているんです」
 立ち合いもすると請け負われ、受け入れたのだが……。
 後日、その作業を始める人員に交じって現れたのは、レンの方だった。
 手伝いと称して、トレアとジムも一緒だ。
 時々ティナも差し入れに来る、妙な作業場と化した。
 そして今日が、最終作業の日となった。
 陰で様子を見守るカサネの前で、作業員が遺骨を無人の墓に納骨する。
 その墓も、新しく立派になっていた。
 レンが日本式の拝み方で手を合わせ、ジムとトレアはこの国の宗教の拝み方で死者を悼む。  
 ティナも自分なりの拝み方で死者に祈りをささげると、若者は礼を言った。
「助かった。話し合いは問題ないんだが、もろもろの契約書の文字が全然分からねえ」
「それに懲りたなら、少しは読み書きも、勉強してください」
 トレアが軽口を叩くと、今度は頭を下げた。
「オレ、最初だけしかいなかったのに、あんなに報酬戴いてしまって、逆に申し訳ないと言うか……」
「あの馬鹿を送り込んで来た、くそ野郎が悪いんであって、あんたに落ち度はねえだろ。あのホテルでの物々しさを見れば、あんたが戻って、気を配ってなかったら、ジムのガキもあんたの女房も、今頃どうなってたか分からねえ」
「日本の会社の方が、結構取り繕ってくれていましたけど、確かに。あの人の部下にも、他国の者の手を借りるのを反対してた方が、数人いましたし」
 へらりと笑う男に、ジムは真顔で頭を下げた。
「……それには、感謝している。だが……」
 じろりと見上げ言う。
「このまま、お前を雇っておけとはあの人、何を考えているんだ?」
「いいじゃないか」
「良くない。これからまだ費用はかさむのに、部下など養えるかっ」
 そんな主張に、トレアが呆れ顔になった。
「お前な、だから、稼ぐんだろうが。稼いで余裕を持たせながら、子供も養う。それをやってこそ、大人の仕事人って奴だ」
 仕事と子育ての両立を完璧に出来るなら、世の中もう少し平和だろうな、などど考える蓮に、ティナが話しかけた。
「私は、そろそろ仕事に戻ります」
「ああ、こんな所にまで、わざわざ悪かったな」
「いいえ。この方の幽霊さんには、お世話になりましたから」
 ティナには、こまごまとした仕事が、舞い込み始めている。
「病気療養で休業していたんですけど、もう我慢したくなくて」
 生きるのも病に侵されて死ぬのも、好きな仕事を続けながらなら充分だと、開き直ったようだ。
「それに……」
「効いてんのか? レイジさんの実験薬?」
「はい」
 いい笑顔だった。
 ティナが姿を消してから、トレアとジムも挨拶してこの場を去り、小柄な若者だけが墓の前に残った。
「……終わりぐらいは、礼を言いに出てきてくれても、バチは当たらないんじゃないですか?」
 レンの呼びかけは、明らかにカサネに向けたものだった。
 恐る恐る木の陰から覗くと、若者の目と目が合った。
「……しばらく見ぬうちに、大きくなったのではないか?」
 その為、カサネは気づかなかった。
 あの建物が、崩壊する場面を、目撃するまで。
「成長しても、まだまだ未熟なんですよ。だから、あんな不始末をしちまった」
「だが、我々を逃がす時間は、取ったではないか。昔ならば、一瞬であの有様であったろう?」
 近づいてくる、和服姿の男を見つめながら、蓮は小さく笑った。
 いつもの不敵な笑いではない、気の抜けた笑いだ。
 そんな返しが出来る人は、限られている。
「マジかよ。あんた、本当にそんな姿で、化け出てたのか。もしかして、死んだすぐか?」
「まあ、すぐの方だったな」
 気の抜けた笑いのまま、蓮は顔を掌で覆う。
「供養をしてくれていただろうから、その件は済まなんだな」
「何の、心残りが、あったんだ?」
 当然の問いに、男は真面目な顔で頷いた。
「それだ、確かにお前たちや、家臣であった者たちの事は気がかりだったが、それは、誰だってそんなものだろう? よっぽどの、思い入れの気がかりなのかと考えてもみたが、全く思い当たらぬのだ」
 改まった顔を上げ、若者に問いかけた。
「私は、どんな、心残りがあったのだろうな?」
「……オレに、訊くか」
 思わず言ってから、蓮はゆっくりと答えた。
「正室の、その後が気がかりだと、生前は、よく口にされておりましたが、今はどうなのですか?」
「……それかのう。だが、あの女子の事だ、私が死んだと知らされても、そこまで衝撃は受けぬだろう。ああいう、異質な娘だったからな」
 頷いて、若者は眉を寄せた。
「消息を探したのですが、あの国にはもういないのか、影も形もありませんでした。あのように目立つ容姿の女子なら、どこに住んでも目立つはずです」
「あれは、妙な所で頑固であったからの。髪を黒くするのすら、拒んでおった」
 流石に、年齢と共にその頑固さが消えて、人に紛れたのか異国へと離れたのか。
 病弱ではあったが、行動力はあったから、どういう動きをしても、不思議ではない女だった。
「それが、化け出た理由かは、怪しいのう。全く別な原因にも、心当たりがある事だしな」
「……あんたが、作り出された人間だから、ですか?」
「うむ。だが、それが原因ならば、まず年を重ねられたことが、不思議でならぬのだ」
 深く考え込むカサネを見やりながら、蓮は何とも不思議な感覚を味わっていた。
 普通、幽霊の類は、こうも明るくない。
 妖怪の類が、係わっている霊類でも、ここまで話すものはいなかった。
 恨み言を繰り返し、説得など無意味だ。
 大概がその場に残った、死んだ生き物の心残りが、一つの形になっただけのものだからだ。
 ましてや、こんなに自分の事を覚えていて、自分の意志で、自国より遠く離れたこんな土地に来てしまう霊など、少なくても蓮は初めて見た。
 取りあえず、懐かしむのはその位にして、仕事の後始末の話をする。
「この女の人の姉夫婦とその子供の遺骨を見つけて、今日、供養が終わった。残りの金で、立派な墓石も誂えてみた。それでも、余っちまったんだが、残った報酬はどうする?」
「……ユズの娘の、遺品は、見つかったか?」
 静かに問われ、若者も静かに頷く。
「そうか。なら、その娘を、あの地に行かせた者どもは?」
「……見つかった」
 答えた蓮が、不敵に笑いながら続けた。
「本物のシュウが、所属していた事務所も、同じ経営者だったらしい。だから、一気に片が付く方に、持っていくんじゃねえかな」
「あの、ヒスイとやらの、親族の方々がか?」
 その問いには、何故か笑いながら首を傾げた。
「どうだろうな、どちらが早いかは、調べてた若造次第だな」
「?」
 意味不明だが、その説明を詳しくしてくれそうもない。
 気を取り直して、カサネは報酬の残りの消化法を考えた。
「それなら、後はこれしか残っておらぬな。この女子の夢を果たせる人材の育成に、力を注いでいる事業への、寄進だな」
「分かりました。良心的な所を選んで、不自然でない額を送ります」
「頼むぞ」
 仕事の用も終わり、話も途切れてしまった。
「まあ、積もる話があるって、間柄でもないからな」
「ですね」
 ここで別れることにしようと、二人は頷き合ったが、その時ふとカサネは思い出した。
「お前、凪沙(なぎさ)の後は、情を交わした女子は、いなかったのか?」
 顔を顰めて振り返る若者に構わず、男は言う。
「子を孕んだまま死んだのは、あの女子のことなのか? あれまで話として書き出すとは、相変わらずだの、カスミ殿は」
「……あいつとは違いますよ。近いですけどね。ただ、そいつは、身ごもってはいなかった。理由もあの時話した通りです」
 嫌な事を思い出したと、顔を顰めたままの蓮に、男は重ねて問いかけた。
「その女子は、どんな女子だったのだ?」
「今、凪沙と近いと言ったでしょう? あいつの、腹違いの妹です」
「……」
 目を見開く男に、首を傾げながら説明する。
「凪沙のガキとは、あれからも、つかず離れずの間柄だったんで、そいつを通じて知り合ったんです」
「その子とは、葵坊の事か?」
「お存知の通り、凪沙は身ごもってたガキを、産み落とせませんでしたからね」
 軽く答えているが、今だからこそ、だ。
 それでも、少しまくし立てるように話してしまう蓮は、顔を上げて男の変化に気付いた。
「……? どうしたんですか、今更、そんな話を持ち出した上に……」
 妙に厳しい顔つきになったカサネは、若者に確認した。
「つまり、その女子は、鬼の子であったのだな?」
「え、ええ」
「……首以外なら、いくら斬られても、みるみるうちに傷が治っていた、か?」
 そんな確認は、今更だった。
「凪沙を知っていたのですから、あなたも、知っているでしょう?」
「そうか。そういう事か。だから、あの時……」
 台本の中のこの話をした時、廊下の奥で、一瞬怒気を発した者がいた。
 その時は、女に騙されたと言う思いでの怒りかと思ったが、あの若者にしては生々しすぎる気がしていた。
 この理由なら、何故か納得できた。
「どうしたんですか?」
 顔に出ていたらしく、蓮が問いかけるが、話す訳にもいかない。
「何でもない。お前も、女運がない様だの。ま、成長しきればいい方向に行くかもしれんが」
「……」
 気休めに出した話題に、今度は蓮の顔が変化した。
 複雑怪奇な表情で、苦し気に答える。
「いい方向に行けばいいですが、どちらにしても、無理のような気がしてるんですよ」
「何故だ? 中々、精悍な顔つきになったと思うが」
 黙り込んだ若者の顔を覗きこみ、ある可能性に気付いた。
「お前もしや、一方的に好いた女子が、いるのか?」
 弾かれたように顔を上げた蓮が、男の顔を見てぎょっとした。
「どのような女子なのだ? 名前は?」
 子供を、からかう時の顔だ。
「あんたが、知らねえ奴ですよっ」
 振り払う勢いで言ったが、それで引いてくれる人ではないのは、昔からよく知っていた。
 更に問い詰めようとするカサネを止めたのは、一本の電話連絡だった。
 辛うじて電波のあるそこで、携帯電話が受信を継げたのだ。
 男を振り払って電話に出ると、待っていた報告だった。
「……そうか、分かった、すぐに向かう」
 電話を切った蓮は、いつもの調子を取り戻していた。
「それでは、用事が入ったので、オレはこれで」
 不敵な笑顔を見返し、残念そうにカサネも頷いた。
「世話になったな。縁があったらまた会おう」
「はい」
 頭を下げて去っていく蓮の後姿を見送りながら、カサネは難しい顔で唸った。
 本当に数百年ぶりに、祖国に戻る決意を、するべき時かもしれない。

 数日ぶりにあったセイは、その現場の真ん中で良に告げた。
「ここの片づけをお願いしたいのが、まず一つ、だ」
 その背後で、エンが良を見つけて、笑顔で手を振って来るが、その掌は赤く染まっていた。
 ついでに、その現場も真っ赤っかだ。
 鉄じみた匂いも、強烈だ。
 立ち尽くしたまま、見ていたらしい若い男も、胃からせり上げて来るものを必死で抑えているようだ。
「無理すんなよ」
 言いながら、蓮がセイの隣でその男に声を掛けながら、刀の血糊を拭いている。
「……まず、訊きたいんだが、これは、何があったんだ?」
「訊きたいのか?」
「訊くしかないだろうっ? お前、何でこんなことをっ?」
 ようやく知れた、例の場所へ率先して女優を送り込んでいた事務所の大元の、犯罪組織の親玉の屋敷だ。
 出た埃を元に逮捕した後、こちらの国に連行予定だったと言うのに、来た時にはその姿は見る影もなかった。
「犯罪組織と言う割に、張り合いはなかったですね」
 無表情の大男が、固い声音で感想を述べた。
 「来夢」のマスターに似た姿かたちの、大男だ。
 細身のナイフの血糊を丁寧に落としながらの感想に、エンが苦笑している。
「仕方ないだろう、あんな画策して、金儲けするしか考えられない連中だぞ、強いはずがない」
 気楽な連中を背後に立つセイは、良の問いに答えた。
「色々理由はあるけど、最大の理由は蓮の願いかな」
「出し抜かれたくなかったんだよ、他の奴らに」
 凌が、東に頼まれて行方を追っていた。
 だが、出来ればユズの恨みは、自分が晴らしてやりたかったのだ。
「……それだけの理由かっ? お前ら、多少は分別があると、思っていたのにっ」
「代わりに、報酬は、一銭も要求しない」
「そんなの、引き換えになるかっ」
 喚く男に、珍しく困ったように考え込み、セイは首を傾げて持ち掛けた。
「これが代償になるか、分からないけど……」
「何だっ?」
「あの現場近くのある土地を、購入したんだ、勢いで」
 切り出してその土地の購入額を告げると、良は目を剝いた。
「おい、そんな大きな土地を、一括で購入したのか、お前。いくら溜め込んでたんだっ?」
「溜め込むだけで、使う機会がなかったんだよ。で、提案なんだけど……」
「貰う。その土地、これから価値が上がる。研究所の一つも作りたい」
 話があっさり通り、ここの後始末も、押し付けることに成功した。
「楽できて、良かった」
 表情を緩めて言うセイは、移動時間に熟睡していたため、完全に元気だ。
 山積みだった問題は、残るところ一つだ。
「……伊織」
 屋敷を後にし、一息つける場所へ移動した時、若者は、一人同行させていた男に声をかけた。
 振り返る塚本伊織に、通例通りの茶封筒を渡す。
「この件での報酬も入れて置いた。国に戻らないのも、操を娶って、一族に離縁宣言して、遠くで暮らすのも、君次第だ。自由にしろ」
「ですけど、それだと、家を継ぐ者が……」
「いらないよ」
 思いつめた考えを、セイはあっさりと切り捨てた。
「さっき見たのは、私が昔率いていた者たちがやっていた活動の、ごく一部だ。嬉々として、こんなことをする集団でもある。塚本の家は、もう犯罪と戦う方の家柄になっているはずだ。そろそろ、家ごと離れるのが得策だよ。それにはまず、後を継ぐ者から代わってもらわないと」
「……」
「掟の方は、きちんと今の当主から説明してもらえ。その上で、どうするのか決めればいい。さっきの現場を思い出しながら、な」
 古谷の一族は、昔からセイのいる集団の本質を知った上で、生活上の緩い所の手助けをしてくれていた。
 だが、塚本家は違う。
 本質が全て暴かれる前に、暴かれて時には抜け出せなくて苦しむことがないように、今引き離す必要がある。
 後は、先代達に、セイ自身が冷たく接することが出来るかが、今後の課題だった。
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