第18話 閑話 話の真実 上

文字数 10,274文字

 開けていない土地に入ったのは、里心、だった。
 いや、そうなのだろうと考えたのは周りであって、カスミ本人ではない。
 最愛の妻を失い、暗く打ちひしがれていた従弟に、気晴らしにどこかの一族を滅ぼさないかと切り出したのはロンで、男は行先を決めただけだ。
 生まれた土地であり、妻と初めて会ったところでもあるその土地は、まだまだようやく統率が取れた国が、出来始めたばかりだ。
 初めに腰を落ち着けた南の国で、親族が殆どのその群れは、ある拾い物をした。
 兄弟に見える、美しい二人の男だ。
 一人は十代半ばの若者だが、もう一人はまだ幼い子供で、土地争いで捨てられた地で見つけ、連れて来られた。
 拾うと決めたのもカスミで、意外に思ったものだったが、理由を聞いて得心した。
 子供の方は、カスミの妻がこの地に置いて出た、息子だったのだ。
 つまりは、カスミの娘二人の、父親違いの兄と言う事だ。
 若者の方は、カスミの妻の甥っ子で、弟子でもあったらしいと聞いた。
葉月(はづき)殿は、国では守護を仰せつかっていたと聞く。その弟子ともなれば、相当使える奴なんだろうな」
「何事もなければ、そうなんでしょうね」
 (しのぎ)の期待に満ちた言葉に、ロンは裏切る返事をするしかない。
 この若者、先の土地争いで、殿を務めて王を逃がしたらしい。
 力尽きて、倒れている所を拾われた若者は、目覚めると目を開かなくなっていた。
「あれでは、剣を持つことはおろか、生きてゆけるかも分かりません」
 今は客分として接しているが、いずれは身の振り方を、考えてもらわねばならない。
 だが、そうなると、子供の意志の方は無視するしか、なくなる。
 カスミは、口には出さないが、妻の忘れ形見の子供を、引き取りたがっている。
 若者は殆ど何も話さないが、子供を大切にしているのは傍目にも分かり、子供も懐いている。
「無理はないな、鏡月(きょうげつ)と言ったか、あの子供、何故か母親にそっくりだ」
 不思議なものだと、凌は思う。
 カスミと葉月の間にできた娘、ランとユウは全く似ない双子だ。
 ランは男勝りで、身を守る術を教えている凌も、これが男ならばもう少ししごいて、自分を超える弟子にしたいと思える娘だ。
 ユウの方は、会う人間を笑顔で魅了する綺麗な娘だが、葉月とは違う顔立ちの美少女だ。
 二人は、どちらかというと、カスミの方の血筋が出たのだろう。
 母親の面影を持つ鏡月を気にかけ、連れていきたいと考えるのは、夫としてはあり得る考え方だ。
「カスミちゃんが、というよりも、ランちゃんたちが、母親の面影を目で追ってるだけじゃないですか?」
 やんわりと言うロンに、凌はつい顔を顰めた。
「おい、その言葉遣い続ける気なのなら、せめてオレと二人の時は、止めろ。不自然過ぎて、鳥肌が立つ」
「いつもやっていないと、慣れないでしょう? 我慢してくださいな」
「我慢できないから、言っているんだっ」  
 最近ロンは、父親になった。
 相手は、カスミの姉で、ロンにとっても従妹に当たる琥珀(こはく)だ。
 琥珀は体が弱く、家の安全な部屋の中で生活している時間が長く、久し振りに会った兄弟たち以外の男に、好意を持ってしまったのだ。
 ロンの方は、カスミの娘たちが気になって、余り居つかなかった実家に寄り付き始めていたのだが、一緒に寄り付いていた凌が二人の逢瀬に気付いたのは、随分後だった。
 監視が甘かったと頭を抱える男に、兄のクリスは言ったものだ。
「監視されれば、嫌でも燃え上がるから、仕方がない事だったな」
 子供まで出来たのであれば、二人を認めないわけにはいかない。
 だが、自分たちの家には、いくつかの問題があった。
 その内の一つは、凌とロンの勘当、だった。
 身内たちには暗黙の了解で、実家に出入りする自分たちを、見ないふりしている者が多いが、これは知らなかったでは済まない事案だった。
 そこで、カスミの妻の死から四十九日を過ぎた後、クリスと琥珀母娘を残して、そこを後にすることにしたのだった。
「まあ、兄貴の事だから、しれっととんでもない作り話を触れ回って、お前の名を伏せることには、成功しているだろう」
「ですから、あたしも、女には興味ありませんと、強調しておかないと」
「……だから、その考え方が、分からんのだが」
 元々、ロンも自分も、色事にはそれほど興味がない。
 それを知っている親族や、偶に会う友人たちは、揶揄っては来るが色目を使ってくると言う程でもない。
 むしろ、今更の男に興味ありますの主張の方が、周りの者を驚愕させているのに、勘の鋭いはずの男が、気づいていない。
 カスミに絡んであっさり乗ってこられ、逆に逃げ出す様は見ている分には面白いが、いつまで続けるのかと心配してしまう。
「……願掛けと思って、温かく見守っててください」
「……まあ、嫌になったら、いつでもやめていいからな」
 妙に、意固地になっている甥っ子には、そう言ってやるしかない。
「で、憂さ晴らし出来る一族は、見つかったのか?」
 この話は、もう少し落ち着いてからと切り上げ、代わりに凌が切り出したのは、この地に入った本来の目的の件だった。
 打ち沈んだカスミの憂さ晴らしに、適当な一族を殲滅する。
 死んだ妻似の少年を拾えた時に、あの甥っ子の気持ちは少し落ち着いたようだが、一緒に出て来たもう一人の甥っ子の気は、晴れてはいまい。
 クリスの一番上の息子は、一番自由を縛られた立場だ。
 今回、久し振りに家を出て行動を共にしていて、出来るものならしっかりと憂さ晴らしさせてやりたい。
「探してはいます。一つ、気になる一族はあるんですけど、聞いた話よりやりにくい所で」
 今、周囲の顔見知りに話を通して、詳しく調べている最中だと言う。
「手ごたえのある奴らなら、いいんだがな」
 そういう事は、自分が係わるものではないと、凌は軽く返して立ち上がった。
 最近、骨のある相手と出会わないせいか、体が鈍っているように感じる。
 そろそろ、夜が明ける。
 甥っ子を捕まえて、修業と称して憂さ晴らしさせてもらおう。

 鏡月は、一人っ子で、親にも捨てられたと聞いて育った。
 従兄の水月(みづき)が、そんなはっきりと、言い切ったわけではない。
 周りがそう囃し立て、よく殴り合いの喧嘩になっていたのだ。
 その度に、間に割って入った水月は、鏡月に言い聞かせた。
 勿論、従弟を殴った者たちに、何倍もの借りを返した後だ。
「お前の母上は、お前の命だけは助けたいと願い、その願いを聞き入れてくれた男の元へと嫁いだ。決して、お前を捨てたわけではない」
 短いながらも、信じるに足りる言葉だと、そう思っていたのだが……。
 その日の朝、森の散策中にばったり会った男は、母親が嫁いだ男の兄に当たると紹介された、火のような髪色の大男だった。
 確か、ヒスイと呼ばれていたと思い出した鏡月が、挨拶を口にする前に男の方が口走った。
「葉月の隠し子か。良い朝……」
 挨拶を続けようとしたヒスイの顔に、少年はついつい、拳を叩きこんでしまった。
 我を忘れてのその動きに、鏡月は舌打ちする。
「くそっ。石を握るのを、忘れてたぜっ」
 壊れる程脆くはないが、殴った拳もじんじんと痛んでいる。
「この……っ、突然、何をしやがるっ?」
 まともに顔面に入れたのに、直ぐに起き上がったヒスイは、当然ながら文句を投げた。
 が、鏡月の怒りは、その上をいっていた。
「うるせえっ、誰が、隠し子だっ? 乳のみ子の前で、母親奪って行った奴らが、何を勝手なことを言ってんだっ」
「覚えてねえくせに、知った風な口きくんじゃねえよ。葉月は、自分から嫁いできたんだぜ。うちの身内には、お前の事は全く漏れてねえんだ。隠し子で充分だろうが」
 男の方も吐き捨て、意地悪く笑って見せた。
 どんよりと睨む少年の目が、更に据わった。
 やる気かと身構える男と、今にも飛び掛かろうとする少年の間に、緊張感の感じられない気配で、割り込んだ者がいる。
「お前ら、朝っぱらから、何を騒いでるんだ?」
 呆れ切った顔で声をかける男は、ヒスイと同じくらいの大男だった。
 ごつい印象のヒスイとは違い、銀色の髪色と色白で整った顔立ちのせいか、威圧感はあまり感じない。
 確か、シノギ、と妙な名前を名乗っていたと思い出している鏡月の前で、凌は別な方向を見て声をかけた。
「お前も、見ていたのなら、止めろ」
 その方向を見て、初めてそこにもう一人の人影があるのに気づいた。
 その匂いと姿を確かめ、鏡月は思わず背筋を伸ばす。
 緊張する少年を見返し、森の中から現れた男は、真面目に答えた。
「子供同士の喧嘩に、大人が口出しするのも、どうかと思いまして」
「なっ、誰が子供だっ」
「お前に、決まってるだろう。ヒスイ、子供相手に、何を本気で、張り合おうとしてるんだ」
 つい言い返す男に釘を刺し、凌は再びもう一人の男を見る。
「どちらが誤解か、お前が良く知っているんだろう? 話してやったらどうだ?」
「ご冗談を」
 葉月を娶り、二人の子に恵まれた男は、真面目な顔のまま言い切った。
「どれが本当のところであれ、話す私が虚しくなります。当人はすでに、故人なのですから」
 ヒスイが空を仰ぎ、鏡月は思わず、母親の再嫁した相手を見つめた。
「ん? どうした? 見惚れられる程、見目には自信がないのだが」
「……これくらいは、教えてくれよ。母親は、どうして、死んだんだ?」
 若くして嫁ぎ、子とともに里に戻った葉月が、再びカスミに嫁いだのは、そう昔の話ではない。
 体も丈夫で、長寿の家系だったはずの叔母の死に、水月も驚きを隠し切れなかったようだった。
 鏡月も不思議に思っていた事だったが、カスミは首を振った。
「それは、もう水月に話した。二度も話すには、私にも気力が足りない」
「ミズ兄に、話したのか……」
 少年の顔が、素直に歪んだ。
 疲れ果てて倒れた従兄が起きた後、カスミは妻のその後を簡単に話した。
 鏡月の母の死を聞いて、子供である自分よりも衝撃を受けたようで、元気もない。
 昔から知っている若者が大人しい今、見知らぬ人ばかりのここは、とても居心地が悪い。
 早くここを離れたいのに、これではいつその望みが叶うか、分かったものではない。
「何で、話しちまうんだよ」
 つい文句が出た少年に、カスミは真面目に答えた。
「水月本人が、知りたがったのでな、致し方あるまい」
「お前ら、これから二人で生きてく気か? あいつがあんなじゃ、無理だろ」
 ヒスイが言い捨てるように言うが、その音は意外に優しい。
「お前、女みてえで成長も途中だし、一緒にいる奴が戦えねえんじゃあ、お前を守れねえだろ?」
「……オレだって、喧嘩ぐらいはできる」
 男から顔を逸らしながら力なく言い、何とかこの状況から逃れようと、逃げ道を探す。
 男三人に囲まれているのは、そろそろ限界だ。
 その様子に、気付いているはずのカスミは、気づかぬ振りで立ち尽くしている。
 青白くなった鏡月の顔に気付き、ヒスイが目を見張った。
「ん? どうした? 具合でも悪いのか?」
「……何でもない、ミズ兄のとこに、戻る」
 一気に不快感が押し寄せ、少年は不自然なのを承知で言い、踵を返した。
「おい、どうした?」
 歩き出そうとしてふらついた体を、凌が慌てて支える。
 思わず振り払おうとして、別な違和感に気付いた。
 膝をついて、心配そうに顔を覗きこむ大男を、鏡月はまじまじと見つめる。
 見た事のない、綺麗な目の色だ。
 つい見惚れた少年の額に、凌は真顔で掌を当てる。
「? 熱はないな」
 その手が触れた時に我に返り、鏡月は飛び下がった。
「叔父上、その子には、余り触れないでやって下さい」
 そこまで見守っていたカスミが、ようやく口を開いた。
「どうやら、あの一族の後継ぎとしての性質が、幼い頃より出ていたようです」
「葉月殿の、一族の後継ぎ、か? あれは滅多に、真性は出ないと聞いたが」
「ええ、何代か振り、のようです」
 答えた男は少年を見、初めて薄っすらと笑った。
 何か不味い事を知られた気がして、鏡月は挨拶もそこそこに、走り出してしまった。
「叔父上は、流石ですね」
 取り残された二人の大男が、訳も分からず顔を見合わせる中、カスミが真面目な顔に戻って言った。
「あの子は性質のあおりで、少し敏感な所があります。男が多い私たちの元に残す心配を、水月がしなくても済みそうです」
 二人が、同時にカスミを見た。
「お、おい、あいつ、鏡月を残していくって、言ってんのか?」
「そこまでは、まだ決めていないようですが、私が引き取る件には、本人を説得出来たらと、頷いてくれました」
「それが一番、難しそうだぞ。要は、男ばかりのむさ苦しい所が、嫌いなんだろう? うちは殆ど、女子供がいないからな」
 目指す物がものだけに、偶に集う友人も男ばかりだ。
 ただ一人、妙齢の女はいるが、あれは別な意味で暑苦しい。
「玄人の狐に目をつけられたら、流石に可哀そうだろう」
「ですから、あなたが守ると請け負って、説得願えますか?」
 なんて無茶を、と呆れる凌に、カスミはやんわりと笑いかけた。
 何か良からぬ事を考えている時に浮かぶ、気遣っているように見える笑顔だ。
「強い弟子を育てたいと、常々言っていたではありませんか。あれは、強くなりますよ。あなたとは違う強さの方でしょうが、きっと満足できるはずです」
「……」
 何を企んでいるのかと、つい目を細めてしまったが、凌も初めてまともにあの少年に会って、そう感じたのは否定できなかった。
「水月ってのは、もう起きてるのか?」
 頭を掻きながら尋ねる叔父に、カスミは笑顔のまま頷いた。
「なら、初対面の挨拶も兼ねて、話してみるか」
 甥っ子の書いた筋書き通りに動くのも癪だが、興味のあったもう一人の客人に会うべく、鏡月が走り去った方角へと歩き出した。

 床に伏した者がいる割に、周りは賑やかだった。
 今、一緒にいる子供たちが全員そこに集い、思い思いに遊んでいたのだ。
 ユウが嬉しそうに話しかける相手は、凌よりかなり小さな若者だ。
 ようやく十代の域を抜けたばかりに見える、黒々とした髪を持つ美青年だ。
 整った顔立ちは、話程落ち込んでいるようには見えないが、話しかける娘に頷く顔は笑顔を浮かべない。
 細身の木の鞘で包まれた、剣を抱えて座る若者が、足音に気付いたのか振り返った。
 瞼を閉じたその顔を見返し、凌がゆっくりと声をかける。
「少しは、元気になったのか?」
 初対面にしてはおかしな挨拶だったが、若者は少し考えて答えた。
「起き上がれるくらいには、回復した。あんたは?」
「ああ、すまん。名乗っていなかったな。カスミの叔父に当たる、凌だ」
「ああ、あんたが……」
 顔を上げたまま頷き、若者は薄っすらと笑った。
 その陰に隠れて、腰かけていた鏡月が、小さく身を縮めた。
「水月、だ。カスミの旦那の細君とは、叔母甥の間柄だった。こちらの都合で、世話をかけてしまっていて、申し訳ない」
「気にするな。まさか、ガキが伸び伸びと遊べる場が、ここにできているとは、思わなかった」
 笑いながら答え、凌は内心ほっとした。
 人が全く入らないこの辺りは、子供が遊ぶには死と隣り合わせの場所だ。
 だから朝、散策と称して辺りを見て回るのを、日課にしている大人が多い。
 夜は、交代で見張りも立てているのだが、中々子供たちを安心させることは出来なかった。
「守られるのも、遊びとして入るのか?」
 水月は木の枝の切れ端で打ち合っている、二人の子供の方へ顔を向けて笑った。
「そう言う役立ち方でもできたのなら、良かったと思っておこうか」
 ユウの隣で見上げ、無邪気に笑う少女に笑い返しながら、凌は尋ねた。
「気が早いかもしれんが、訊いておきたくて来た。お前さん、回復したら、どうする気だ?」
「どう?」
「カスミとしては、葉月殿の忘れ形見を、お前さんに任せたくない様だ」
 顔を強張らせて見上げる少年に笑いかけ、水月は頷いた。
「そのようだな。そう考えるのなら、初めからこの子も一緒に、連れて行ってくれていれば良かったのだとは、文句を言ったのだが」
「子連れで娶っては、話がややこしくなりそうだったんだろう。だが、その通りだな。あの頃は、お前さんも、まだ小さかったんだろう?」
「ああ」
 十年の年月が過ぎ、水月は二十の年を越えた。
 幼かった水月は、自分を含めた子供たちを助けるために動く叔母を、止める術がなかった。
「……オレの心は、決まっているが、鏡月の望み次第だ」
「オレはっ」
 思わず話に割って入った鏡月が、二人に注目されて再び首を竦めた。
「お、オレは、ミズ兄と一緒に行く」
「駄目っ」
 ユウが、ぶんぶんと首を振った。
 六歳を越えた少女は、今のところ父に似ることなく、素直に育っている。
 姉のランも、話を聞きつけて、喚いた。
「一緒に、ここにいればいいよっ。オレたちが守るしっ」
 枝を手にしたまま、ランと同年の少年が、無言で何度も頷く。
 この国で、しばらく前に拾った二人の子供は、抜けるよう白い肌と髪を持つ、愛らしい双子だ。
 ここまで白く、眼の色まで紅い人間は珍しく、その為か、ある無人となった村で閉じ込められ、餓死寸前となっていた。
 敬われていたのか、恐れられていたのか、どちらにしても最後は捨てていかれてしまった子供たちは、中々心を開いてくれなかったのだが、水月には妙に懐いているように見える。
 どんな手を使ったかと訊きたい気分だが、訊いても無駄だろうとも思う。
 こういう奴は、無意識に人が出来ない事を、やってのけるものだ。
 無口な少年ジュラの妹のジュリも、ユウの体越しに心配そうに、水月を見上げた。
 若者は、自嘲気味に笑い、呟く。
「こんな小さいのに守られてばかりでは、居心地が悪い」
「だったら、早く元気になって、戦えるようになってくれよっ。そして、オレに、今度こそ、剣を教えてくれ」
 水月は、笑いに苦いものを混じらせた。
「……今は、何かを考えるのも、億劫な気分だ。すまないが、あんたへの答えは、もう少し待ってくれないか?」
「……」
 顔を、凌の方へ向けて頼む若者を見返し、男は目を細めた。
 ゆっくりと頷き、答える。
「こちらこそ、先走り過ぎて、悪かった。詫びと言うより、オレ自身がそうしたいと思ったんだが、一ついいか?」
「何だ?」
 首を傾げる水月から、その奥で自分を見上げる少年を見た。
「その子、オレに預けてくれないか?」
「あ?」
 思わず、乱暴な返しをしたのは、鏡月だ。
「何、訳の分かんねえことを……」
「分からんことは、ないだろう。お前さん、剣を学びたいんだろう? なら、何もそいつだけが、剣の使い手じゃないぞ。自慢じゃないが、オレも相当、使える」
 少年の目が、疑いの色を帯びた。
 失礼だなと思いつつも、その目の色の薄さに、不思議な感覚を覚える。
 そんな二人を見比べ、ランが嬉しそうに頷いた。
「それがいいよっ、ねえ、キョウ兄、シノギ叔父さん、でっかい熊を、素手で殴り殺せるんだよ」
「素手? 剣が使えねえんじゃあ、お呼びじゃねえんだけど」
「大丈夫だよっ、オレも、叔父さんに教えてもらってるんだ」
 傍で、ジュラも無言で頷く。
 困ったように水月を見上げると、若者も鏡月を見下ろした。
「どうする? どちらにしても、これから先、お前を守り切れるか、オレも自信がない。お前自身が、身を守る術を持ってくれるのなら、少しは安心だ」
「……」
「あのな、体がでかくても、剣が優れている者は、いるものだ」
 まだ疑っている少年に、若者はゆっくりと言って聞かせた。
「何も、小回り出来るだけが、強さを作る訳じゃないからな」
 唸った鏡月は、渋々だが頷いた。
「考えてみる」
「そうか」
 凌はほっとして頷いた。
 ついつい顔を緩めて、笑みをこぼす。
「前向きに、考えてみてくれ。遊んでるところ、邪魔したな」
 それに笑いかえしながら、水月が答えた。
「いや、色々面白い事に気付いた分、楽しめた。時々は、あんたも遊びに来てくれ」
「ああ、そうする」
 頷いた男が背を向けて立ち去るのを見送り、鏡月が大きな溜息を吐いた。
 見目のいい男が二人笑い合う図は、子供たちを固まらせてしまうのに、十分な衝撃だった。
「中々、面白い男が揃っているな」
 水月が呟き、従弟の様子を伺う。
 妙に大人しい少年は、まだ男の去った方を見ているようだ。
 今後の事を、鏡月は本気で、考えなければならない。
 だが、長く考える暇はなくなった。
 突如、心を決める出来事が、起こったのだ。

 その話を持って来たのは、唯一の女だった。
 女狐のその女は、遠い親戚筋に当たる狐が生んだ、ある子供の事を話題に乗せた。
「子供を産んだと聞いて、見舞いに行った時には、確かに三人いたのよ。なのに、今日見に行ったら、一人減ってた」
 人形を取れる狐同士が、馴れ合い行き来することは、あまりない。
 だが、女にはそうしたいと思える、事情があった。
「いなくなった子、妙に白いのよ」
 その時まだ乳飲み子だったその子は、肌の色が異様に白く、目も青い女の子だった。
 そう言う子供は体が弱く、上手く育たない。
 だが、上手く養えば、逆に神聖な狐に育つ。
 いなくなった理由には、何となく心当たりがある。
 自然界では、弱い子供を見捨てざるを得ないのだ。
 だが、その子の母親は、曲がりなりにも妖狐の一人で、捨てようと考えると言う事は、それこそ力不足な狐と思われても、仕方がない話だった。
「その子は、どうしたんだ?」
 凌の問いに、女は悩まし気に唸って答えた。
「連れ去られたって」
「誰に?」
「近くに住まってる、猫又の村の奴に」
 珍しい色合いの子供は、目を付けられやすいが、これはおかしな話だ。
「猫が、狐に目をつけるか? 確かに、似てはいるが」
「その猫又たちは、人間と良く接しているらしいのよ。だから、珍しい色の子は、いいもので取引できるでしょ?」
「飯のタネにされたってことか。じゃあ、その子はもう……」
 溜息を吐く凌に答え、女は眉を寄せた。
「残念だわ。もし、あの人が養いきれそうもなかったら、私が育ててみたかったのに」
 そんな話をしたのは数か月前で、その出来事は五六年前だったと聞いた。
 そして今夜、ロンが拾い集めて来た一族の情報が、どうやらその猫又の一族のものらしい。
 しかも、意外な事実があった。
「その一族の、ある家族の中に、珍しい者がいるようです」
 様々な柄の猫又の中で、毛並みも変わった家族がいた。
 長毛の黒猫の家族だ。
 この家族を筆頭に、妙に大人しく暮らしている一族で、出稼ぎから戻って来た若者が独り立ちするのを、一族全員で盛大に祝ったりするさまが、見て取れた。
 その家族も、長男らしき若者が無事帰還したのを喜び、祭りで楽しく過ごしていたのだが、その家族の中にただ一人、白髪の娘がいたと言う。
「しかも、その子、猫じゃなかったんです」
 狐、だったのだと言う。
 黒猫一家の末っ子らしい少年の後について、嬉しそうに祭りを楽しんでいた。
「ほう、歩けるほどに、育っていたのか。その白狐が?」
 カスミが、感心した声を上げた。
「そうなの、雑に養ったら、あんなに元気には育たないわ。大切に育ててもらっているのよ、きっと」
「なのに、襲うのは、その家族を筆頭にした、猫の一族か? お前、後ろめたいとは、思わねえのか?」
 顔を歪めてのヒスイの問いに、ロンは何でもないように答えた。
「コトちゃんの知り合いがね、取り戻したいって、切に願ってるんですって」
 その場の全員が、妙な空気になった。
 寿(ことほぎ)と、凌に名付けられた狐が、苦笑して頷いた。
「言いたいことは分かります。私も、あの村の話を聞いて、思いましたもの。あの人、体の弱い子を育てきれないで、猫の一族の村の近くの山に、捨てたんじゃないかと。本当は、殺してくれることを、願ってたんじゃないでしょうか」
「で、立派に育ってると知った途端、その業績を猫にとられるのが、惜しくなったか?」
 呆れ果てた空気の中、ロンだけは淡々と話す。
「手ごたえは充分にあるはず。どこから崩すかを、まずは考えてみましょ」
 余りに淡々と話を進める男に、凌が目を細めて尋ねた。
「お前らしくないぞ。その程度の情報で、そこに目を付けたのか?」
 見返したロンは、躊躇ってから答えた。
「ここは、父が雇っていたあの猫の一族の、一つです」
 叔父が目を見開いた。
「確かか?」
「はい」
 唸った男に、ロンはきっぱりと言い切った。
「根絶やしにしたいんです。例え、あいつと係わりがなく、誠実な暮らしをしているとしても」
 係わりがないなら、この襲撃は八つ当たりだ。
 だが、それを責める言葉は、出てこなかった。
 死んだロンの父の姿を得た、あの猫が裏切った事を、凌は知っている。
 すでに奴はこの世にいないが、ここの猫たちは、主を手ひどく裏切る一族ではないかも知れないが、一族全てを、この世から抹殺したいと甥っ子が考えてしまうのは、無理がなかった。
「あの猫の一族は、代々主の死後の姿を得る約束の代わりに、その身の守護を買って出る。つまり、簡単に抹殺させてはくれないだろう」
「下手な恨みも、残しちゃいけねえな。つまり……」
 女や子供たちも、皆殺し、だ。
「良かったな。今は子守がいるから、子供たちを連れて行かなくても、安心して動ける」
 ヒスイが、わざとらしく明るい声で言い、そのままロンに尋ねた。
「いつにする?」
 話を進めるうちに、後ろめたさが消えていく。
 襲撃は明日の、新月の夜に決まった。
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