第15話

文字数 8,097文字

 外で建物を見つめていた東が、突然崩れ始めたそれを見ながら、息を詰めた。
 思わず近づこうとする男を、オキが止める。
「……やめとけ。あんたの出る幕じゃない」
「あの子を、見殺しにしろ、って言うの?」
 どう考えても、異常な崩壊の仕方だった。
「そうは言っていない。と言うより、あいつらで無理なら、お手上げだ」
「何がよ」
「ここを目にして、大きく広がる可能性がある、ってことだ。まあ、そこまでになったことはないから、本当の所は、不明だがな」
 意味が分からないと、一同がざわめく中、マリーが目を見張ったまま、固まっていた。
「だ、大丈夫ですか?」
 その表情は、戸惑いを貼り付けたまま、気遣うアンを見返した。
「……」
「ま、マリー?」
 黙ったまま首を振り、女は再び建物があったあたりを、見つめている。
 色々な感情が入り混じったこの場に、複数の車が到着した。
 出てきたのは、どこかの国の武装した団体だ。
 思わず身構えた役者たちの前で、レイジが気の抜けた声を出した。
「リヨウさん」
「……何事だ、これは? 証拠が……」
 金髪の男が帽子を取りながら、建物の方を見た。
 その顔は、うんざりとしたものになっている。
「勘弁してくださいよ。あんたらが関わると、こういう事態になるから、首突っ込んでほしくないんだっ」
 じろりとにらんだ先には、疲れた顔のヒスイがいる。
「どうせ、カスミの旦那が、やり過ぎたんでしょ? あの人、どこですかっ?」
「ああ……あの中だ」
 ようやく言った答えは、予想通りのものである。
「今回も、経費が最大限にかかってしまう。その上、行方知れずで退場って、やりすぎだっ」
 嘆きながらも、男は連れてきた部下たちを、てきぱきと動かす。
「あなたたち、姉さんを見殺しにしたわねっ、許さないんだからっ」
 ローラが、血走った目で役者たちを睨む。
 言い訳はあるが、見殺しにしたのは事実なので、黙っている役者たちに代わり、ヒスイが疲れた声で言った。
「あのですね、ローラ。オレには、年が離れた、腹違いの弟がいるんですが……」
 突然の身の上話に、女が興味を持つ様子はないが、それでも男は続ける。
「見た感じは真面目で、ごく普通なんですが、暇つぶしの為なら、老若男女問わず化けて、楽しむような奴です」
「だから何よっ」
「ですから、あのあなたの姉は、うちの弟だったんですよ」
「はあっ?」
 思わず間抜けな声を発したのは、聞くともなしに聞いていた、カインだ。
「どういう事だっ?」
「この仕事を、オレに膳立てしたのは、弟のカスミで、あの女は、偽物だったってことだ」
 赤毛の男の言葉に、東が苦笑して呟いた。
「ちょっと、特等席過ぎる役柄よねえ」
「本物は、あの人が、隠してるのかっ?」
 血相を変えたカインの問いかけに、ヒスイと東は、複雑な表情で顔を見合わせた。
「それねえ……」
「ああ。あのな、カスミの奴、一つだけ、本物とすり替わる時に、何故かこだわっていることがあるんだよ」
 言いにくそうな男に代わり、色黒の男が続けた。
「人に化けさせる時もなんだけど、必ずその本人が、鬼籍に入っていることを条件にしているのよ。勿論、自分で手を下すんじゃないのよ。その上で、まずはその人と、悶着があった者を貶めて遊ぶ」
「……う、そだ」
「ああ、ここに匂いはない? だったら、水場があった時だったのね。昔は、地下で飼われていたのは、哺乳類じゃなかったのよ。この人の先代が飼っていたのは大型の、爬虫類」
 そう昔の話ではない。
 この建物を所有していた、財閥の先代当主は、数年前に病死と報じられた。
「その爬虫類は、確か鞄か何かの材料に、売り払っているな。肉はどうしたか知らないが。だから、残念ながら……」
 座り込んだカインにも無反応のまま、ローラは呆然と宙を見つめた。
 そんな女に、良は静かに告げた。
「ちなみに、あんたの事を、我々に初めに漏らしたのは、あんたの所の取締役だ」
 目を剝いて凝視する、ローラを見返して、男はにこやかに言った。
「あんたは、不治の病で、他界したことにするらしい。名前は、こちらで用意してやる。だから、安心して、我が国で裁かれろ」
 そうして言い切った後、男は何か言いたげなコウを見た。
「日本の警察とは、これから話し合います。あなたも、色々言いたいことがあるでしょうから、その席でぜひ」
「あ、ああ。ちなみに、あんたらの国は、どこですか?」
 警察関係者に見えない良と、その部下たちに、コウは不信感を抱いているが、話し合いの場を設けると言う申し出は助かる。
 良はそんな男の問いを曖昧に流し、再び建物の方へ目を向けた。
 カスミがここまで事を大きくしてしまったのなら、あそこで解決を急いでくれている者が、いるだろう。
 後は、暫く待つだけだった。
 
 砕けたコンクリートの粉を、瞬時に固めて盾にして、セイと己の身の安全を確保したヒビキは、小さな声で呟いた。
「やはり、勘違いじゃねえ、レンの奴……」
「ああ」
 その盾が、崩されないように内側から支え続けながら、セイも呟く。
 その声は、二人とも嫌そうだ。
「成長してる」
「おかしいと思ってたんだ、会う度に声が聞こえる位置が、上がってやがった。声が低くなるのも、時間の問題だぜ」
「久しぶりに会った時、一瞬、目がおかしくなったかと思った。目線が、妙に高くなってる。何でこんなに急速に、成長を始めてるんだ?」
 何が、原因なのか。
 そんなことは、今問題ではない。
 問題なのは……。
「これ以上、成長されたら、もう抑えきれない」
 実際、レンが意識を飛ばしてから、爆発するまでの間隔が、短くなっていた。
「しばらくの間は、自分で抑えていた。前は、そんな余裕すらなかったから、それも成長したお蔭、と言える。しかし、だ」
「成長が、(まじな)いを消す足掛かりだと言うのは、間違いないが、どの位から、消えるのかが分からない、か」
 今回どうにかしても、次にこうなった時に、対処可能なのか判断できず、二人は顔を顰めていた。
 レンの母親は、薬師だったという。
 その家系は、今現在も続いているのならば古いが、既にない。
 国のはずれの村で、住民が出尽くしてしまったのも原因だが、代々受け継がれた呪いが、多くの幼い子供の命を奪ったせいだ。
 薬を作るには最適だったその土地を、別な集落の者と争っていた過去が、その呪いを作り上げた。
 夜襲で火を放つのを得意としていたその敵対者たちも今は滅びたが、レンが生まれた頃はまだ存在していた。
 コウヒにも、その呪いは掛けられていたはずだが、既にその気配はない。
 ある一定の年齢に達する頃には、心の安定と共に消える類の呪いだからだと、コウヒは義理の父親に説明されたと言っていた。
 舌打ちして、ヒビキは、立ち尽くすレンに顔を向けた。
 その奥にいたはずの女は、消えている。
「……あいつ、わざとこの場に残ってやがったな。演技の一環と思い込んで、気にせずいたが、あいつ、レンの目の前で、タバコを吸いやがった」
「大人しすぎると、警戒していたのに」
 だが、カスミも、あれを予想していたとは、思わない。
 ヒスイが最後までレンに気付かず、銃を向けるなど。
 呪いの類は、思い込みも多少含まれる。
 レンの場合は、それに気づくか否かで、呪いが発動するか否かが変わる。
 意図した、断髪行為。
 自分が行う場合でも、他人が行う場合でも、それが発動源となる。
 今回の場合……。
「銃弾が、髪を僅かに焼き切ってたんだろうな。それしか、思い当たらねえ」
 だから、レン自身も気づくのが遅れた。
 気づかなければ良かったのにとは、遅すぎる上に、無駄な文句だ。
 呪いが発動すると、僅かな火の熱や光にさえ警戒し、攻撃する。
 今回のように、火を使う者と、その周囲を満遍なく。
 そうなると、まずは動かなくなるまで、待つしかない。
 敵が一人もいなくなったと、レンが納得するまで。
「証拠は、地下だから、まあ心配ないだろう。起こせなかったら、どうする?」
「オレらだけ、逃げる選択肢は、ねえんだろ?」
「あんたに、一緒に死んでくれとは、流石に、頼めない」
 軽口なのか本音なのか分からない言葉に、ヒビキは小さく笑った。
「それは、物理的にも難しいが、お前の、盾になってやる位なら、出来るぜ」
 レンを見ると、何も遮るものが無くなったその場で立ち尽くし、空を見上げていた。
「普通、男の方が、その役だろうに。すまないな」
 セイも微笑みながら返し、支えていた盾を、強く握りしめる。
「オレが、こんな格好してても、お前の方が、何倍も女じみて見えるんだ。違和感ねえよ」
 にんまりとした女を、思わず睨みながら、若者は握りしめていた盾を、放り投げた。
 それはすぐに形を崩し、砂ぼこりとなって周囲を目くらましする。
 レンは、立ち尽くしまま周囲に顔をめぐらし、無表情の目を、ある一点に向けた。
 体当たりするように、女が飛び掛かるが、若者の体に触れることなく、崩れ落ちていく。
 次いで姿を見せた若者を、体ごと振り返ったレンは、突然、足元から生えた手に足首を攫まれ、無言のまま引き倒された。
「……そろそろ、起きろ、レン」
 セイは言いながら、レンが顔を上げる余裕を与えず、容赦ない勢いで、その頭を踏みつけた。 

 その場に出てきたのは、セイ一人だけだった。
「何があったのっ?」
 すぐに寄って来る東に、短く答える。
「予想外の事故、だ」
 それで話を切り上げる気の若者を、更に問い詰めようとする男に構わず、隣に来たオキに、声をかけた。
「ヒビキに、何か着るものを頼む」
「……派手に、やったんだな」
 男は、そう呆れて言っただけで、すぐに姿を晦ます。
 それを見送って、今度は、良へと目を向けた。
「証拠になりそうなものは、一応地下に移動させておいた。万が一に備えて」
 ここまでの万が一は、予想していなかったが、問題なかった。
「こんなもので、良かったか?」
「ああ、充分だ」
 頷いた良に頷き返し、セイは大事なことを告げた。
「報酬の交渉は、後日改めてさせてもらう」
「……ああ。覚悟は出来てるぞ。お前の事だ、こいつらの出演料も、搾り取る気だろう? いいだろう、その代わり、ちゃんと、計算してくれよっ」
 顔を引き攣らせながらもそう言い捨て、作業を開始すべく、部下たちの方へと戻っていく。
「……私は、レンほど吝嗇家じゃないんだが」 
 小首をかしげて呟いた時、ようやくレンとヒビキが近づいて来た。
 ヒビキの方は、何故か先程と着ている物が違い、レンの方は、右肩の痛みを忘れて頭をさすっている。
「レン、肩は? 大丈夫なのかっ?」
「……」
 飛びついてきた、ヒスイを見上げるレンの目は、恐ろしく冷たい。
「あんたは痛くないのか? 銃弾は肩の骨を砕くと、結構、頭に響く痛みがあるんだよ」
「え、撃たれたんですかっ。診せて下さいっ」
 その目にたじろぎ、それ以上近づけなくなった男の代わりに、次いで反応したレイジが、身を乗り出した。
「弾をほじくり出してから、診てくれ。このまま手当てされても、色々厄介だから」
「ほ、ほじくりって……」
 耳を疑った男の前で、セイが手渡した苦無を使って、レンは簡単に、銃弾をほじくり出してしまった。
 医者の卵として、どこから指摘して怒ればいいのか分からず、震えているレイジに、レンは平然と声をかけている。
「報酬の方は、年末までに全員に届けに行くから、連絡先は、出来るだけ変えないでくれ」
 成り行きに、ついて行っていない役者たちに、セイはそう笑顔で言ってから、ふと気づいた。
 後ろを振り返り、僅かに顔を顰める。
「……すまなかった」
 突然、真面目に頭を下げる若者に、我に返ったコウが慌てた顔で手を振った。
「お、おい、何を謝ってるんだよ。建物はああだが、全員、無事だっただろ?」
「そ、そうですよ。こちらが、礼を言うならまだしも……」
 次いで、我に返ったサラも、頭を上げるように促すと、セイは顔を上げながら言った。
「確かに、あんたたちは全員無事だが……他の物は、全然無事じゃない。このままじゃあ、この国を出る事はおろか、この地を、立ち去る足すら見つけられない」
 言われて、気づいた。
 パスポートも、持って来た金銭も、さっきまであった、建物の中だ。
 何度見直しても、その影は見えない。
「……今更なんだが」
 ジムが、気の抜けた声で、問いかけた。
「さっきまであった、我々が利用していた宿泊施設は、どこに消えたんだ? 我々の、私物はっ?」
「……すまねえっ」
 思い当たったヒビキも、勢いよく頭を下げた。
「そうだ、すっかり忘れてたぜ。人だけ助けても、ここから離れられねえんじゃあ、胸張れねえじゃねえかっ」
「つ、爪が甘い……のか?」
 命の危機からすると、些細な事だ。
 だが、面倒な手続きをする羽目になりそうなこの現状は、有難くない。
 怒っていいのか許せばいいのかと、地元出身の男たちが顔を見合わせ、トレアが言った。
「そこの人たちに、通信機械を借りて、知り合いに相談してみます」
「ついでに、女房が無事かも、訊いて見ろ」
 良を見つけて歩き出す背に、ジムが声を投げたが、聞こえなかったのか返事はない。
「ま、あいつの家は、この国じゃあ有志だからな、何とかなるだろ」
「……首都の空港に、送ってやる位は、出来るぞ」
 ヒスイの申し出に、ヒビキは即答した。
「当たりめえだ。下らん画策に乗りやがって。何なら囮になれ。こいつらを不法出国させる」
「いや、それは、ちょっと……」
 現役の刑事と元刑事の妻が苦笑し、刑事の方が口を挟んだ。
「事情を話して、どうにかしますから、そう言う法に触る解決法は、勘弁願います」
 そんなコウを凝視し、ひっそりとため息をついた者がいる。
「偽名だったのね。どうしてかしら。写真見ても、全く思い当たらなかったわ」
 それに、疑問が目白押しの状況になっている。
 その疑問の、大部分の答えを知るはずのセイは、そんな東の呟きも、聞き流した。
「迎えのバスをよこしてくれるそうだ」
 トレアが、良と共に戻って来た。
 その後ろから、何やら重そうな物を抱えた男が続く。
「おい、これは、どうする気だ?」
 呆れたように良が指し示す物は、地面に下ろされた砂袋だ。
 人ひとり分の体重くらいは、優にありそうな分量だ。
「ああそれ、置いててくれても、よかったんだが。後で、処理加工する予定でいたんだ」
 セイが笑顔で答えると、その傍でヒビキが溜息を吐く。
「中々骨が折れる作業だったぜ。ふわふわ逃げ回りやがって」
「あらかた集めたと思うけど、今回は、どうするんだ?」
 レンも少し表情を緩めて尋ね、それにセイが答える前に、良が言った。
「ここでその作業するなら、こちらの邪魔に、ならないやり方にしろよ」
「分かってる。だから、あんたのこの地での協力者を、紹介してくれ。田畑に使える土と、何かの種が欲しい」
 若者が言うと、その意を理解した身近な者たちが、それぞれの反応をした。
「それで、どの位大人しくしてるか、だな」
「流石に、おしまいじゃねえのか?」
「いやあ、分からないぞ。この人の事だから」
 ヒビキとレンが気楽に言い合い、ヒスイは唖然として、砂袋を見下ろしている。
「……ほんと、こいつは、化け物だな」
 メルが、かがみこんで砂袋をつつきながらしみじみと言い、東は苦笑して答えた。
「それは、世の化け物にも、失礼なんじゃないかしら」
 頼まれた良は、呆れた顔のまま、頭に浮かんだ言葉を口にする。
「食い物にならない種は、こっちじゃあ手に入るか、分からないぞ。下手に食える物じゃあ、心配だ」
 奇妙な議論は、その後迎えのバスが来るまで続き、映画撮影と偽った場に参加した一同は、無事にその地を後にしたのだった。

 喫茶「舞」に、一人の若者が訪れたのは、それから一月ほどたった昼下がりだった。
 用件に入る前に飲み物を注文し、報告と称して、一連の話を簡単に話してくれた。
 カスミの、軽い尻拭いを請け負うことの多いマスターは、話が終わると、溜息を吐いて感想を述べた。
「なるほど、そうでしたか。だから……」
 先ほども、顔を出していたカスミを思い浮かべながら、水谷葉太は、しみじみと言った。
「この店を出してから、毎日一度は、顔を見せてくれる旦那が、一週間ほど、顔を見せなかったんですね」
 カップから目を上げたセイが、カウンター越しの男を、見上げた。
「一週間で、顔を出してるのか」
 僅かに、うんざりとした顔になった若者は、盛大にぼやいた。
「今回は、よく土と肥料を混ぜて、それに苗を植えて、それこそ方々の国の山奥に別々に植えて来たのに……」
「徹底してますね」
 初めは一々驚いていたが、今では平然と返す葉太に、セイは真顔で声を潜めた。
「前から、そうなんじゃないかと、疑ってたんだけど、あいつ、妖怪かなんかなんじゃ、ないのか?」
「……今更、そんなことを、言いますか」
 呆れた男は、思わず返した。
「オレは、あなたも含めた、旦那の周囲の方々は、絶対そうだと、昔から確信してましたよ」
「何を、馬鹿な事を、言ってるんだ」
 若者は、真剣に反論した。
「私は、首を斬られたら、死ぬ自信がある」
「それは、オレだって。自信満々ですよ」
 大体、あの人を、妖怪の方々と一括りにするのは、余りにも失礼である。
 だが、敬う身としては、それ以上の存在に心当たりがなく、神ではないと、当のカスミからは釘を刺されているので、そう揶揄するしかない。
「取りあえず、各自に報酬は引き渡したし、何とか落ち着いたんで、これを返しがてらに報告に来たんだ」
 カウンターに置かれたのは、白い布で包まれた何かだ。
「すまなかったな。永く借りてしまって」
「スペアはありますよ。良ければ、差し上げてもいい位でした」
 そう言いながらも、セイが姿を見せた時、その予備の眼鏡を外していた男は、手を伸ばして返却品を受け取った。
「度数があるように見せた、伊達眼鏡なんて、あったんだな」
 貸し出しを申し出た時も、セイはそんなことを言って、感心していた。
 若者が、あの時言った「口封じ」とは、こちらの企みを敢て聞かせ、逆に取り込む方法だった。
 配下を取り込むことで警告を発し、一時的に、カスミを引かせようとしたその行為は、セイが表情を貼り付けた時、一気にその効力を増してしまった。
「……変な虫は、付かなかったようで、何よりです」
 カスミは何故か、どんなに楽しんでいる事でも、セイが出てくると陰に隠れていく。
 そして、今回のように、とんでもない役回りで登場して、怒りを煽るのだ。
 カスミは、気に入った相手を怒らせて、楽しむ傾向がある。
 それだけ、あの男が、この若者を気に入っていると知る葉太は、せめて浮かべる笑顔が、質の悪い虫を引き付けない様にと、伊達眼鏡を貸し出したのだった。
「一応、草太の方からは、障りない程度の事情は聞いてたんですが、巧も、世話になってたそうですね」
「その分、こき使ったから、貸し借りで言うと、こちらの借りが多いよ」
「……」
 その草太が言うには、逮捕するはずの容疑者たちは、とある国に取られたらしい。
「悔しがってましたが、日本の法律じゃあ、刑の執行までが長いでしょ? それまで、税金をそいつらに使うのは、どうなんだと、突っ込まれたらしいです。その国なら、刑の執行までの人権を、そいつらから奪った上で、それ相応の因果を含める事が、出来るらしいんです。国の法も、それぞれですね」
「あの国の刑事責任者は、犯罪者に対する良心が、微塵もない奴だからな」
 相槌を打ちながら、セイは、残ったコーヒーを飲みほした。
「病持ちの女優さん方、ちゃんと治療できそうなんですか?」
「治療を考えるかどうかは、本人次第だろ。こちらとしては、それが出来る金額を、渡したつもりだ。後は、知らないよ」
 素っ気ない言い分は余りに冷たいが、葉太は頷いただけだ。
 そう言い切る今の時点で、この若者は、多くの事を陰で働きかけていたはずだと、今迄の伝え聞く実績で、察せられるからだ。
 いずれ、そのうちの誰かが、世界的な俳優として、活躍するかもしれない。
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