第15話 芋焼酎

文字数 2,238文字

 芋焼酎は名前の通り、サツマイモを原料とした焼酎だ。本場はもちろん旧薩摩藩領であった九州南部。
 芋焼酎の作り方は他の焼酎と基本的には同じ、2次仕込みと呼ばれる方法が用いられている。まず米麹で1次もろみを作り、そこに蒸したサツマイモを投入して2次もろみを作る。これを蒸留すれば芋焼酎の出来上がりだ。

 今日の芋焼酎のほとんどは「黄金千貫」という品種のサツマイモを使って作る。
 一般的なサツマイモと違って黄金千貫は皮がベージュ色で、中身は白い。普通のサツマイモよりも収量が良く、デンプンの含有量が高いという特徴がある。
 糖は少ないのであまり甘くはないが、そのまま食べてもそこそこ美味しいらしい。デンプンが多いので、ジャガイモに似た感じなのだろうか。
 もちろん、黄金千貫以外のサツマイモで作られる銘柄もある。芋の種類によっても焼酎の味はかなり変わるらしく、黄金千貫で作ると重量感があり、白色系の品種ならフローラルな香り、紅芋ならもっと重たい感じで、カロテンが多い橙色系で作れば甘い香りになるとか。

 原料であるサツマイモの栽培が日本で始まったのは18世紀に入ってから。サツマイモは中南米が原産で、そこからスペイン人かポルトガル人がフィリピンへ持ち込み、沖縄経由で日本へと伝わったという。
 もしかするとそれ以前に日本に入ってきていた可能性もあるが、定着して栽培が広まるようになったのは18世紀まで待たなくてはいけなかった。
 時代劇で江戸時代に入る前や、江戸時代でも幕府が出来てから100年経っていない時代設定で、特殊な事情が説明されずにサツマイモが登場した場合、時代考証がきちんとされているかどうか疑いを持った方がいいかもしれない。

 サツマイモは米が育ちにくい水はけの良い土地や痩せた土地でも栽培しやすく、土に埋まっている芋なので台風でダメになる危険も低い。
 サツマイモという名前の由来となった薩摩藩があった九州南部は火山性の土壌が多く、台風の被害にあいやすいので、そうした場所でもよく育つサツマイモは米に変わる貴重な作物として栽培が奨励された。
 米が取れにくい薩摩では、貴重な米を酒造りに回す余裕はあまりない。他の材料でも作れる焼酎がメインになるのは、ある意味必然だったと言える。
 昔の薩摩では各家庭で焼酎を作っており、焼酎をおいしく作れる女性がいいお嫁さんになると言われていたらしい。

 ただ実のところ、サツマイモは麦に比べると酒にするのが難しい材料だ。
 デンプンの含有割合が麦や米の半分以下で、同じ量だけ使っても、作られるアルコールは半分以下にしかならない。蒸すと甘くておいしくなるということは糖分が増えるということで、当然ながら雑菌も増えやすくなる。
 オマケに米に比べると保存性が悪く変質もしやすく、もろみを作るとドロドロしすぎて作業がしにくいなど、かなり欠点が多い。
 また、江戸時代においては芋焼酎を作る際に、清酒を作るのと同じ黄麹菌で米麹を作り、そこに水とサツマイモを一緒にブチ込んで発酵させる「ドンブリ仕込み」という方法が使われていた。だが蒸した芋は糖分が多いので雑菌が増えやすく、酵母がアルコールを作って他の菌を抑制する前に腐ってしまうことも多かった。
 このため大正時代まで、南九州の焼酎は「マズい上に、暑い時期はもろみがすぐ腐る」という悲惨な評価を与えられていた。

 これは本州で使われている物と同じタイプの黄麹(ニホンコウジカビ)が、温暖な南九州の気候と合わなかったことが原因らしい。
 黄麹はデンプンを分解する能力が強いのだが、ライバルとなる他の菌の繁殖を抑制する物質を生成する能力があまり高くない。このため南九州の夏+糖分が多い蒸かし芋という、菌の天国の様な環境下では雑菌の繁殖を抑えきれず、結果としてもろみが腐ってしまうという理屈である。
 
 これに困っていた多くの業者からの相談を受けた大蔵省役人の河内源一郎氏は、九州よりももっと暑いはずの沖縄で、昔から泡盛がちゃんと作れていることに注目した。
 そちらで使われていた黒麹(アワモリコウジカビ)はデンプンの分解能力は黄麹より劣る代わりに、クエン酸を生産する能力を持つ。
 クエン酸はレモンや梅の酸っぱさの元で、殺菌・制菌の作用を持っている。これで暑い沖縄でも雑菌の繁殖を抑えて、安定して酒を造ることができたのだ。ちなみにクエン酸は蒸留の際に揮発するので、酸っぱい味は残らない。
 河内氏は沖縄の黒麹の中から、優れた性質を持つ物を発見して単離・培養することに成功。この「河内黒麹菌」によって鹿児島の焼酎ははるかに優れたものになり、河内氏は近代焼酎の父、麹の神様とまで呼ばれるようになった。
 また河内氏は後に、黒麹の変種である白麹も発見している。黒麹よりも強力な雑菌抑制力を持つ上に、黒くないので蔵が汚れにくいという利点があった。
 ただ、これが発見された時にはすでに河内黒麹が一般流通していたので、白麹が広く出回るようになるのはもっと後になってからだった。

 焼酎の本場である鹿児島では大正時代になるまで、焼酎が作りにくい上に出来た物は味が悪いとまで言われていたとは、かなり意外だと言える。
 この黒麹・白麹の発見に加え、米麹で1次もろみを作る時点で酵母の数を増やしてアルコールを作らせることで、芋を投入する前に他の菌の繁殖を抑える下地を作っておく2次仕込みの手法が開発されたことで、芋焼酎は今日のように一般的な物となったのである。
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