scene(10,Ⅱ);

文字数 2,015文字

 ヘレンとスクラトフは睨みあう。互いにいつでも殴りかかれる姿勢で、じり、じりと迫る一方、一定の距離を保ったまま様子を伺う。

「貴様は……I№.0830777。ニヴェルネ大尉か。人体強制睡眠保管(クリオスリープ)の被験体になった筈ではなかったか?」
「そいつはもう居ないわ。お陰様で()()()()()の」

 ヘレンの言葉にスクラトフは怪訝そうな顔をするだけだ。彼女なりの皮肉だった。だが、その話で何かを思いついたようにスクラトフは笑い、話を続けた。

「そういえば、家族ともども被験体になったのだったな。両親は人体強制睡眠保管(クリオスリープ)明けでも生き返らず、姉は途中で目覚めたが『自殺病』の餌食。そして貴様はここで地面に這いつくばるという訳だ」

 分かりやすい挑発だった。エルドリウムを使って、思念通話を通して過去の登録データか何かを参照したのかもしれない。
 感情的で喧嘩早い。家族が傷つくことが耐えられない。
 確かにこれまでのヘレンであったなら、我慢できずに殴りかかって隙を見せたかもしれない。

「お断りよ。私の死に方は私が決めるわ」

 ヘレンは冷静に切り返した。確かに家族は失ったが、いまはもう1人ではない。スクラトフの方は予想と違う反応があったことに、少し意外そうにした。すると、笑って──過剰な延命処理の代償として、顔表面の皮膚が半崩壊させながら──飛びかかって来た。
 右拳での打撃と見えたが、その手の中に拳銃が握られている。フェイクだ。ヘレンは咄嗟に身を捻って躱したが、腕を銃弾が数発掠めた。拳銃をがっしりと掴んでから、左頬に1発お見舞いした。相変わらず硬質で手ごたえはないが、青痣は広がってスクラトフも不快そうに顔を顰めた。

 するとスクラトフは拳銃を掴んでいる手をさらに上から握りしめ、そこを基点に振り回すようにして、ヘレンの身体を放り投げてきた。軍用種体(ぐんようしゅ)の換装身体であるはずが、いとも簡単に投げ出されてしまう。空中で受け身を取ろうとしている最中、先ほどの拳銃が再びこちらを狙ってきた。
 発砲の瞬間にサティが割って入って、銃弾を斬り伏せる。再び距離が開き、睨みあう形になった。

「ヘレン様、どうしますか? 僕の剣は……信じがたいですが、あの身体に通用しません」
「分かってる。悪いけど支援に回ってくれると助かるわ。左頬、さっきは内部までめり込みそうな感触があった。何度か打ち込めば貫けるかも」

 視線はスクラトフの方を向いたまま、小声でやり取りする。油断はできないが、隙を見つければ可能性はある。



「……うっ、ゲホッ! ゴホッ! はぁ、はぁ……」
 ヘレンとサティの背後、遠方で倒れていたクロエが咳き込んでいた。意識を取り戻したはいいが、さきほど喰らった痛手で腹部が圧迫されて息が苦しかった。吐血も、骨が折れていそうな痛みもある。
 視界がぐらつくのを何とか落ち着かせようとしているうち、先刻は豆粒大で見えていた統合参謀本部内の戦闘が、近くで行われている事に気付く。かなりの距離を飛ばされたらしい。

 周囲には両勢力の兵士や構成員が、死体となって転がっていた。早く終わらせなくては、無駄な人死にが増える。
 下唇を噛んで無理やり意識を保とうとする。さっさと起き上がって戦わなければ。そうやって抗っているうち、ノフィアの構成員の亡骸に目がいく。頭脳部に挿さったディスク。せっかく生き残ったのに、あいつらも飽きないな。戦場だから当然か。
 だがひとつ、脳裏に浮かんだ考えがあった。クロエは軋む身体を引き摺って、ノフィア構成員の亡骸の近くまで這って行く。



 ヘレンは再度仕掛けた。スクラトフの懐まで入り込み、腹部目掛けて拳を放つ。しかし片手で受け止められ、残る方の拳を顔面にもらう。頭が揺らされて、一瞬意識が途切れそうになる。

「ヘレン様!」
 サティは剣を横に倒して両手で持ち、剣先を下に突き刺すようにして、横顔を狙って飛び込んだ。スクラトフに剣刃を掴まえると勢いを殺され、ぎゃりぎゃりと音を立てながら、完全に握りこまれた。すかさず飛んできた蹴りがサティの脇腹に入り、小さな身体が地面に転がった。奪いとった剣には興味がないのか、棄てられて、がらがら、と音を鳴らした。
 その間に何とか気を取り戻したヘレンが、頭を狙って背後から襲い掛かる。

「そう何度も、思い通りにはさせん」

 スクラトフは嘲笑う。振り返りながら身体を捻り、ヘレンの攻撃をひょいと躱す。差し違うようにしてスクラトフの拳がヘレンの腹部に入る。ヘレンは大きく血を吐きながら飛ばされ、どさり、と仰向けの体勢で落ちた。

「ふん……」

 スクラトフは立てないでいる2人を交互に見下ろしてから、ヘレンのもとへ近づこうと足を踏み出す。靴を降ろそうとした位置のすぐ先に、銃弾が1発撃ち込まれた。弾丸が飛んできた方角に目を向けると、クロエが拳銃を構えたまま立っている。

「……オレとも殴り合いしようか、総督サマ?」

 顔の横で中指を立てながら、クロエは意地悪く笑った。
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登場人物紹介

クロエ

丸みのある金髪、薄青の瞳、少し焼けた肌という女性種体換装身体の人物。

見た目に反して、性格はがさつで男っぽい。

空中レース競技「エアライナー」のプロ選手だが、とある理由から【塔】の下層階で活躍している。

上層階を訪れた際に出会ったヘレンと出会い、助けた結果、騒動に巻き込まれていく。

ヘレン

黒髪に赤い瞳を持つ、儚げな女性。

『自殺病』の症状で、まさに【塔】から身を投げようとする瞬間、クロエに助けられる。

つねに意識が朦朧としており、自身の名前も分からない程で、意思疎通も困難。

だがある時から、気が強く破壊的なもう一つの側面を表出させるようになる。

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