scene(1,Ⅲ);

文字数 2,332文字

 クロエは、意識を失ったままの女性の様子をじっと見つめる。珍しい換装身体(パーボディ)だ。
 エルゼノアの住人は、ほとんどが換装身体(パーボディ)という、取り換え可能な身体を使って生活している。人体が顔、脳、上半身の表皮、腕、下半身……といったように合計30か所あまりのパーツとして分類し製造されており、服を纏うように装着して、用途に応じて使い分ける。クロエの今の姿も換装身体によるものだ。
 予め用意されたプリセットから、「高い身長」「美しい女性」といった要望に沿うものを選んで付け替えできる。メイクや髪型・服装といった表面的な要素も、一定の操作をすることで、三次視像(エルグラム)で自由に変更可能である。
 生身の肉体に比べて、便利で頑丈だ。先天的に身体が欠損している人も健常者と同様に生活可能だし、脳や神経の働きに干渉して精神的ダメージから心を守ったりする事もできる。

 換装身体ならば、I№(アイナンバー)という住民ごとに割り振られた個人番号が表示されるので、目の前の相手が換装身体(パーボディ)かどうかの判別もつく。内部階級が上位だともっと詳細な情報が閲覧できるらしいが。
 I№自体は表示されているので換装身体なのだろうが、ノイズが入って詳細が見えない。女性の換装身体はまだ新品に見えるが、プリセットはずいぶん古風だし、赤い瞳のデザインは見たことが無かった。

「オーダーメイドかな?()()は……分かんねぇな。っと……いけね。」

 何故だろう、ついつい見入ってしまう。三次視像で誰でも美しくなれる筈なのに目を惹かれる。とはいえ人が眠っている所を呑気に、しかも無断で観察するなんて無粋だし。そんなことやってる場合じゃない。
 クロエは再度女性を抱えて持ち上げると、不安定によたよたしながらデッキを後にした。





 数刻後、下層階の大規模地下商業街・ロストラ。
クロエは馴染みのバーで酒をちびちび飲みながら、苦い顔を浮かべていた。

「で、そのまま連れ歩いてるってワケかい!?」
 信じられない、という様子のママは、クロエが渋々頷いたので、あんぐりと口を空けたままになってしまった。カウンターに掛けている彼のすぐ隣には、ぼうっとした表情で赤眼の女性が座っている。

《自殺病》は精神疾患と認められてはいるが、実際に()()()場合は、身柄を軍部に差し渡すようにと通達されている。
 軍部所轄の上層階基地には巨大な研究施設があるが、渡したら最期、そこで実験動物扱いになるだろうと専らの噂だ。

 助けたからには責任を持つつもりであったクロエは、彼女を匿おうと連れて歩きつつ、様々なことを尋ねた。ところが、赤眼の女性は会話をする事にも苦労するほど、まともに反応が返ってこなかった。
 名前を聞いても『忘れた』、何があったか聞いても『覚えていない』。ほとんどの時間は放心した様子で黙っているのみだった。《自殺病》は確かに意識が朦朧とするとは聞いているが、これでは目覚めたての幼子のようだ。
困ったクロエは、ひとまず《自殺病》に詳しい人間を捜し歩いていたのだった。

「ふぅん。流石にアタシでも、《自殺病》の事は分からないねェ……。悪いわね。」
 綺麗な眉尻が申し訳なさそうに下がった。ママは若い女性の換装身体を使っているが、声だけは変えておらず、壮齢の感がある。声帯を変えるのはリスクがあるのであまり好まれていない。

「ボスに訊いてみたら?」
 クロエ達が話している横から、カウンターに座っていた別の客が口を挟んだ。痩せていて、くたびれた容貌の中年男性だ。
「少佐、ボスと『自殺病』の話したことあるの?」
「いいや。でも、あの人何でも知ってるじゃん。相手してくれれば、だけど。」
 クロエに少佐、と呼ばれた男性は、疲労と酔いが混ざった血色悪い顔で煙草の煙を吐く。彼はこのバーの常連客で、軍部に所属している身の上ながら、ロストラにも情報を横流ししている人物だ。いわゆる汚職である。

「ベルヌーイさんは、ボスと仲良いからね~。この子(クロエ)が相談して聞いてくれるかどうかよね。」
 バーのママは、顎に手を遣りながら明後日の方向に視線を泳がせた。

 皆に“ボス”と呼称されている人物は、この地下街を取りまとめている存在で、言うならば元締めだ。威厳に溢れた佇まいとカリスマ性で、下層階の住民に慕われもし、恐れられてもいる。
確かにかの首魁であれば、《自殺病》に有効な手を打ってくれる可能性はあった。

「クロエ、俺からボスにひと声掛けておいてやろうか?おめぇの良い頃合いで、ボスの事務所に顔出すといいさ。」
「マジで!少佐~~ありがてぇ!!恩に着るぜ!」
 ベルヌーイ少佐が思わぬ助け船を出してくれ、クロエが飛び上がって喜んだ。だが彼は曲者にふさわしく、含みのある表情でニヤッと笑う。
「タダじゃないぜ。礼は?」
「じゃあ、次期のレースの上席と、その回の宙券(そらけん)は?1000ビルまでね。」
「いいね、じゃそれで。実はさ、前の奥さんに根こそぎ取られて懐が寂しくてよ~!」
 少佐がそう愚痴ると、バーの客たちがからからと笑った。下層階は実質的に軍部から見放されていて、法と政府が存在していない。上層階で生きていけなくなった者も、大罪を犯して逃げ込んだ者もいる。互いに深入りせずに慰めあって、何とか生きている。そんな奴ばかりだ。

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用語解説
換装身体(パーボディ):付け替え可能な肉体。好みの体格や見た目に気軽に変更できる。エルゼノアの9割以上の住民が使用していて、男性種体・女性種体のように複数のモデルがある。
・I№《アイナンバー》:個人識別内部番号。換装身体や各種個人証明書に連携して、見た目が変わっても識別ができる。身分区分があり、上位INo.は下位INo.の身分を目視で確認することができる。
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登場人物紹介

クロエ

丸みのある金髪、薄青の瞳、少し焼けた肌という女性種体換装身体の人物。

見た目に反して、性格はがさつで男っぽい。

空中レース競技「エアライナー」のプロ選手だが、とある理由から【塔】の下層階で活躍している。

上層階を訪れた際に出会ったヘレンと出会い、助けた結果、騒動に巻き込まれていく。

ヘレン

黒髪に赤い瞳を持つ、儚げな女性。

『自殺病』の症状で、まさに【塔】から身を投げようとする瞬間、クロエに助けられる。

つねに意識が朦朧としており、自身の名前も分からない程で、意思疎通も困難。

だがある時から、気が強く破壊的なもう一つの側面を表出させるようになる。

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