第1話

文字数 2,234文字

「いっ、一緒に、はっ、花火大会に行きませんか!?」
「ええよ」

 鵜ノ森さんは高校の同級生だ。クラスは別だが入学間もないころからその名前は知っていた。僕の通う県立十四川高等学校、通称十四高では定期テストの成績上位は名前が張り出されるので、どの科目でも必ず上位にいる鵜ノ森さんの名を僕は必然的に覚えていた。だが、しばらくは校内ですれ違ってもその人が鵜ノ森さんとは気づかなかった。
 その一方で、同学年にとんでもない美少女がいることには入学早々気づいていた。身長は女子では高い方で、肩にストンと落ちる長い黒髪は白い肌とのコントラストがよく映えた。目鼻くっきりとした顔立ちに猫のような大きな瞳と、きりりと釣りあがった眉は好戦的で勝気な印象さえ受けた。長い手足を大きく振って校内を歩く姿は堂々としていて清々しい。その姿を目の当たりにした僕は大名行列に出くわした町人のように土下座せざるを得なかった。
 僕とその美少女との接点は一切無かったが、校内で彼女を見かける度に僕は華やいだ高校生活を送っていると錯覚してしまうのだった。

 その美少女と鵜ノ森さんが同一人物と分かったきっかけは高校野球の県予選だった。鵜ノ森さんはバトン部だったようで、野球部の応援団として駆り出されていたのだ。十四高の野球部は進学校らしくパッとしない成績に終わったが、バトン部の方は校内でことのほか話題になっていた。
「今朝の新聞見た?」
 クラスメイトのその問いかけが時期的に高校野球のことを指していることは予想できた。しかし、僕は高校野球自体にあまり興味を持てずにいたため、いい加減な対応をした。
「でもあの写真はさぁ」
 それでもクラスメイトは話を続けたいようだったので続きを聞いたところ、某新聞―ここでは仮にΦθ(ファイシータ)新聞と呼ぶことにしよう―の県内版に客席の応援団としてわが校のバトン部の写真が掲載されていたという。
「別に応援団の写真が新聞に載っても不思議ではないんちゃう?」
「バトン部のめっちゃ可愛い人が映ってたやつやろ」と別のクラスメイトが話に入ってきた。
「それ、9組の鵜ノ森さんやで」と今度はまた別のクラスメイトが補足した。
 そんなに僕らの会話を盗み聞きしている人がいるのかと思ったが、実際はクラス中が、いや学校中がその話題で持ち切りだったのだ。確かに高校野球で新聞に写真が載り、それが美人だったら話題性は十分だろう。同じ学校の同学年であればなおさらだ。
 そういうわけで僕も帰宅後にΦθ新聞を開き、その鵜ノ森さんという人が校内で見かける例の美少女であることを知った。ついでに言うとその写真はやりすぎなぐらい鵜ノ森さん中心で、他の生徒にはほとんど焦点が合っておらず背景も同然だった。本来の主役である野球部員やバトン部の諸先輩を差し置いて目立ってしまったわけだが、そんなことが無くとも鵜ノ森さんの美貌とその名声は校内で十分知られていたと僕は思う。

 その一方で、僕だ。鵜ノ森さんに続けて紹介すると落差の激しさに悲しくなるほど誇れるものがない。中学の頃はそれなりに勉強ができたので、県内有数の進学である十四高になんとか入学し、地元では「十四高生」という肩書を振りかざしていたが、県内の精鋭が集まるこの学校においては中ぐらいか良くて中の上を維持するのが精いっぱいだ。クラスの自己紹介で「平々凡々地味地味のなんちゃって十四高生です」と謙遜を込めつつ自嘲したところ、うわの空だった担任教師は「せやな」と呟いた。そしてすぐに我に返って「語感はええな」とフォローした。
「この学校で中ぐらいなら善戦しとる方なんちゃう?」
 そう語るのは堀木だ。堀木は同じ中学で部活も軟式テニスで一緒だった。僕も堀木も中学からの惰性で軟式テニスを続けているが、惜しくもレギュラーに入れなかったり、当然のようにレギュラーに入れなかったりの繰り返しだ。堀木とは中学では特別仲が良かったわけではないが、高校で同じようにくすぶりにくすぶりまくった結果、変な連帯感が生まれてしまった。
「それに中学の頃は、勉強も部活もできる奴なんてそんなにおらんと思っとったやろ」
 堀木の言うことを僕なりに解釈すると、勉強の成績も優秀で、部活でも活躍して、なおかつ性格もいい人間は世界にはいない、つまり神話上の存在と信じていた。ただそれは僕らの「世界」があくまで地元中学校の校区という狭いものに限られていた時代の話であって、そんな人物はどの中学にも一人はいて、いざ高校に上がったらそんな人物だけで1クラスほどできてしまうのが現実だということだ。
「そういえばうちの妹がこの前な…」
 堀木が話題を変えたのも聞かずに、僕は鵜ノ森さんもきっとそんな完璧な人物の一人なのだろうと物思いに耽っていた。
「美人やし、勉強もできるしなぁ」
「お前、そんな風に思ってたんか!?」

 このように高校で活躍が期待されているのが鵜ノ森さんであるのに対し、僕はその他大勢の一人なのだが、2年生の夏に僕は思い切って鵜ノ森さんをデートに誘うことにした。駄目でもともと、当たって砕けろ、と開き直れば不思議と勇気が湧いてきた。イメージトレーニングを試みるも、なぜかいいイメージが全く思い浮かばず、一発ノックアウトでリングに横たわるイメージばかり準備できてしまった。
 しかし、その結果は冒頭の通り、ノックアウトのKOではなく、前後ひっくり返ってOKだったのだ。
「ふっ、ふたりで、ですけど」
「ええよ。ところで、なんで敬語なん?」
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