第2話

文字数 2,227文字

 そもそも校内で鵜ノ森さんに関わることのない僕がなぜデートを申し込めたかについては、1年生の秋まで遡る。

 高校に入ってから成績の振るわなさに危機感を覚えた僕は塾に通うことを決意した。
「ついにお前も塾通いか。裏切者め」
 堀木は僕の決意に対し不当な非難をした。ちなみに僕も堀木も中学まで塾通いをしていないし、当時はそれを誇りにしてきたことは否めない。
「ところでどの塾に行くかもう決まったんか」
 僕は候補になっている2つの進学塾を挙げた。一方は大手予備校の系列の高校生専門の進学塾であり、他方は地元密着型だが県内では有名な進学塾で小学生から高校生まで幅広く対応している。
「高校生専門の方がええんちゃう?」
 と堀木は言った。
「なんで?大手やから?」
「いや、中学生コースはうちの妹が通っとるから、お前に会わせたくない」
 堀木は僕が自分の妹を狙っていると疑いをかけており、度々警戒されている。そもそも僕は堀木の妹に会ったことすらないのだが。
「別に塾で会うくらいならええやん」
「いや、お前は絶対何か良からぬことを企んでいる」
「やましいことなんて一切何も企んでなんかいませんよ、義兄さん」
「君に義兄さんと呼ばれる筋合いはない」と言いつつ、じゃれ合いにも飽きたのか「ちなみに何の科目受けんの?」と普通の質問をした。
「まずは英語の個別指導を考えとる」
 当初は集合授業も考えていたのだが、どうしても部活との兼ね合いが難しかった。その点で個別指導は時間の融通が利く。他の科目は夏期講習などの特別講習でカバーできると考えたのだ。
「お前のその性癖も指導してもらえ」

 まずは見学として大手予備校系列の進学塾に体験授業を受けに行った。この塾ももう一方の塾も中心市街地の駅近くという絶好の立地であり、駅から近い十四高に通う僕にとってアクセスの良さに関しては申し分無かった。
 建物は4階建てで周りの建物に比べると小ぶりだが、新しくて清潔感のある校舎だった。季節は秋とはいえ冬も近い時期だったので、ガラス張りのロビーは加湿器か何かで曇っており、外からは覗けなかった。
 中に入ると外観に似合わないほのかに鼻につく刺激臭がした。ロビーに目をやると五、六人の女生徒がテーブルを囲んでカップラーメンを食べていた。赤や黒主体の様々なパッケージのラーメンを回し食いしているところから、辛口ラーメンの試食会でも行っているようだった。つまり窓ガラスが曇っていたのはラーメンの湯気のせいだったわけだ。
 受付の前で戸惑っていると若い女性職員(この塾ではチューターと呼ぶらしい)がやってきて、僕の名前を確認した。
「授業まで少し時間があるので、先に設備の紹介しますね」
 そう言うとチューターは建物の奥の辞書や参考書がぎっしり詰まった本棚を指さした。
「ここは閲覧コーナーです。自由に借りていいんですが、この貸出票に日付と学籍番号、名前を記入してください。返却の際はスタッフに確認のブイサインをもらってくださいね」
 と言って指さした印はどう見てもブイサインではなくチェックマークだった。
 閲覧コーナーには元からある本以外にも卒業生が置いていったらしい問題集や辞書も多くあった。学校で使っているのと同じ参考書の年度違いがあったり、辞書も出版社違いで様々なものがあったりした。
「ところでどんな辞書が好みですか。」とチューターは尋ねた。「ちなみに私はリーダーズが好きです」
「好きな辞書?ジーニアスかなぁ…」
 意外な質問にうろたえつつ、とりあえず使っている辞書の名前を答えた。当たり前だが辞書なんて入学する時に適当に決めた1冊を使い続けているので、他の辞書と比較するとか、ましてや好き嫌いなんて考えたことなんて無い。すると、職員らしい若い男性が通りすがり際に話を聞きつけたのか、僕らのそばまでムーンウォークで後退し、
「僕のおススメはスーパーアンカーだが、実際に使ってたのはプログレッシブだった」
 そう言うとその男は満足そうに階段を上っていった。
 一連の出来事に不安を覚えた僕は、もう一つの候補の塾がまともだったらそっちに行くと誓った。

 チューターに連れられ二階に上ると広めの教室が二つと小さな部屋が一つあった。
「こちらは自習室です」
 自習室は普段の教室のように整然と並んだ机で生徒たちが黙々と勉強していた。当たり前だが色々な学校の生徒が塾に来ているので、着ている制服も様々だった。中には部活から直行したのか、学校名の入ったジャージ姿の生徒もいた。
「自習室は指名打席になっているので、受付で確認してくださいね」
 指名打席は指定席の間違いと思ったがそこは指摘しないでおいた。
 もう一方は個別指導教室で、一つ一つの机は自習室より広く、パーティションで分けられていて生徒同士は干渉しない仕組みになっていた。
「まずは先生にあいさつしましょう」
 そう言ってチューターは個別指導教室の隣の小さな部屋に僕を案内した。その部屋は講師の控室らしく、ベテランらしい女性講師が待機していた。この人は最初の面談の時に会ったので知っている。簡単な挨拶の後、ベテラン講師が僕の担当がもうすぐ来ると言ったので教室の方向を振り返ると、ちょうど授業が終わった生徒が控室に入ってきた。
「鵜ノ森さん」
 思わず僕はその人の名前を口にしてしまった。同じ学校の制服を着ているとは言え、鵜ノ森さんが僕を知るはずがない。しかし彼女は戸惑うことなく返事した。
「マサイ族やったよね」
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