01 家須さんとパン
文字数 1,894文字
昼休みのチャイムが鳴ると、クラスメイトたちが動き出す。
椅子だけ動かしたり、机の向きを変えたりして、気の合う人たちが集まって昼ごはんを食べるのだ。
一方僕は、誰とも距離を近づけることなく今日もひとりで弁当を食べることになる。
すでに四月も半ばをすぎていた。『実践的な高校生活の送り方』という冊子をどこかの機関が用意してくれたら、僕みたいな生徒が出なくて良いのではないか。そんなことを考えながらカバンに手を入れた。
一瞬、嫌な感じがした。
学校指定のカバンの口を大きく開いて、くまなく探したけれども弁当箱は見つからなかった。そして今朝、母の用意した弁当箱に触れた記憶がどこにもないことに、向き合わなければならなかった。いまもリビングのテーブルに残っている弁当箱がありありとイメージできた。
ついでにいえば、財布も忘れていた。
いまのところ、学校に一円も持っていなくてもそれほど困らなかったので、そちらへの意識がルーズになっていたこともある。いま考えれば、それは弁当を忘れたときの保険にもなっていた。物事は、ひとつの面からだけ見てはいけないのだ。
僕は机に突っ伏した。
もはや無駄なカロリーは1キロカロリーもない。
このまま眠ってしまいたかった。しかし空腹により眠気は遠く、ちょっとした刺激に敏感になっていた。たとえば、どこからともなくただよってくる香りをキャッチしやすくなり、ついつい魅力的な料理を思い浮かべてしまう。
鼻をおおうように制服の袖を押しつける。
すると今度は聴覚だ。
豊かな人脈を持つ人たちの会話が聞こえてくる。
中には、弁当を忘れたという人もいた。すると、一品なら、と提供する声があがった。やがてその声は続く人を呼び寄せ、気づけば一人前程度の即席弁当ができあがってしまった、と笑っている。
どうだろう。
彼らに不幸を与えたいとは思わない。かわりにすこし、僕の人生を豊かにする、なにか、をくれないだろうか。一日一回、僕と目があった女の子が微笑みかけてくれるとか。その先の発展を望むわけじゃない。だからどうだろう。
誰に言えばいいのかわからないけれども、よろしくお願いしたい。
腹が鳴った。
たったひとりで腹が鳴るというのは、さみしいことなのだと思い知った。
いっそ、水道の水をがぶ飲みするのはどうか。いや、水で空腹を満たせず、トイレにも行きたくなる、と事態の悪化を招いてしまうだろう。
すでに腹は何度も鳴っていた。
腹に力を入れても、体をすこしねじっても、腹が鳴る。
どうしたらいいのか。
そのとき、肩をたたかれた。
顔をあげる。
ぼさぼさ髪の女子が微笑みながら僕を見ていた。
家須さんだ。
彼女も、僕のように教室という風景にまぎれて生きているタイプだ。しかし、満たされた表情で読書を楽しんでいたり、音楽を聞いていたりしているので、環境を受け入れざるを得ないというより、あえてそうしているようにも見えた。
家須さんは、持っていた透明なビニール袋を僕の前に置いた。
中にはバターロールが一個入っている。
「どうぞ」
家須さんはにこにこしながら言った。
そうしている間にも、僕の腹は鳴った。
「くれるの?」
僕が言うと、家須さんはうなずいた。
「どうぞ」
「あ、どうも」
女子からのプレゼントなど初めてのことである。今後は、女子からプレゼントをもらったことがある男、として生きていってもいいのだ。
「ひとつで足りる?」
家須さんは言った。
「え、ああ、ええと、まあ」
正直にいえばすくないが、注文をつけられるような立場ではない。
そんな僕を見て、家須さんがビニール袋に手をのばす。
手を引っこめる。
バターロールが二つになっていた。
「え?」
なっていた、というのはおかしいだろう。
二つだったというべき。でも、二つだっただろうか?
「もうひとつ?」
家須さんは言って、手をかざす。
三つになった。
「足りる?」
家須さんは言った。
「はい」
僕がうなずくと、家須さんはにっこり笑って自分の席へ歩いていった。
僕はバターロールを食べた。スーパーで売っているようなありふれたものだった。どのバターロールも、見た目ばかりで中がスカスカ、といった不備はなかった。
ビニールの袋は触れただけで音を立てる。細工は非常に難しいように思えた。
僕は空になったビニール袋をたたみながら、昼休みの残り時間、家須さんの行動について考えていた。
椅子だけ動かしたり、机の向きを変えたりして、気の合う人たちが集まって昼ごはんを食べるのだ。
一方僕は、誰とも距離を近づけることなく今日もひとりで弁当を食べることになる。
すでに四月も半ばをすぎていた。『実践的な高校生活の送り方』という冊子をどこかの機関が用意してくれたら、僕みたいな生徒が出なくて良いのではないか。そんなことを考えながらカバンに手を入れた。
一瞬、嫌な感じがした。
学校指定のカバンの口を大きく開いて、くまなく探したけれども弁当箱は見つからなかった。そして今朝、母の用意した弁当箱に触れた記憶がどこにもないことに、向き合わなければならなかった。いまもリビングのテーブルに残っている弁当箱がありありとイメージできた。
ついでにいえば、財布も忘れていた。
いまのところ、学校に一円も持っていなくてもそれほど困らなかったので、そちらへの意識がルーズになっていたこともある。いま考えれば、それは弁当を忘れたときの保険にもなっていた。物事は、ひとつの面からだけ見てはいけないのだ。
僕は机に突っ伏した。
もはや無駄なカロリーは1キロカロリーもない。
このまま眠ってしまいたかった。しかし空腹により眠気は遠く、ちょっとした刺激に敏感になっていた。たとえば、どこからともなくただよってくる香りをキャッチしやすくなり、ついつい魅力的な料理を思い浮かべてしまう。
鼻をおおうように制服の袖を押しつける。
すると今度は聴覚だ。
豊かな人脈を持つ人たちの会話が聞こえてくる。
中には、弁当を忘れたという人もいた。すると、一品なら、と提供する声があがった。やがてその声は続く人を呼び寄せ、気づけば一人前程度の即席弁当ができあがってしまった、と笑っている。
どうだろう。
彼らに不幸を与えたいとは思わない。かわりにすこし、僕の人生を豊かにする、なにか、をくれないだろうか。一日一回、僕と目があった女の子が微笑みかけてくれるとか。その先の発展を望むわけじゃない。だからどうだろう。
誰に言えばいいのかわからないけれども、よろしくお願いしたい。
腹が鳴った。
たったひとりで腹が鳴るというのは、さみしいことなのだと思い知った。
いっそ、水道の水をがぶ飲みするのはどうか。いや、水で空腹を満たせず、トイレにも行きたくなる、と事態の悪化を招いてしまうだろう。
すでに腹は何度も鳴っていた。
腹に力を入れても、体をすこしねじっても、腹が鳴る。
どうしたらいいのか。
そのとき、肩をたたかれた。
顔をあげる。
ぼさぼさ髪の女子が微笑みながら僕を見ていた。
家須さんだ。
彼女も、僕のように教室という風景にまぎれて生きているタイプだ。しかし、満たされた表情で読書を楽しんでいたり、音楽を聞いていたりしているので、環境を受け入れざるを得ないというより、あえてそうしているようにも見えた。
家須さんは、持っていた透明なビニール袋を僕の前に置いた。
中にはバターロールが一個入っている。
「どうぞ」
家須さんはにこにこしながら言った。
そうしている間にも、僕の腹は鳴った。
「くれるの?」
僕が言うと、家須さんはうなずいた。
「どうぞ」
「あ、どうも」
女子からのプレゼントなど初めてのことである。今後は、女子からプレゼントをもらったことがある男、として生きていってもいいのだ。
「ひとつで足りる?」
家須さんは言った。
「え、ああ、ええと、まあ」
正直にいえばすくないが、注文をつけられるような立場ではない。
そんな僕を見て、家須さんがビニール袋に手をのばす。
手を引っこめる。
バターロールが二つになっていた。
「え?」
なっていた、というのはおかしいだろう。
二つだったというべき。でも、二つだっただろうか?
「もうひとつ?」
家須さんは言って、手をかざす。
三つになった。
「足りる?」
家須さんは言った。
「はい」
僕がうなずくと、家須さんはにっこり笑って自分の席へ歩いていった。
僕はバターロールを食べた。スーパーで売っているようなありふれたものだった。どのバターロールも、見た目ばかりで中がスカスカ、といった不備はなかった。
ビニールの袋は触れただけで音を立てる。細工は非常に難しいように思えた。
僕は空になったビニール袋をたたみながら、昼休みの残り時間、家須さんの行動について考えていた。