03 家須さんと買い物

文字数 2,648文字

 帰宅すると、また僕の机で姉が僕のパソコンを使っていた。レポートをやっているようだ。

「あ、おかえり!」
「おかえりじゃないんだけど」
「いってらっしゃい?」
「もういい」
「怒んないでよー」

 僕は部屋を出ようとして、立ち止まった。
「あの、ちょっと役に立ってほしいんだけど」
「なに? お金なら500円までしか貸さないよ」
「学校で女子に話しかけるときって、どういうタイミングがいいとか、ある?」

 姉が動きを止めた。
 くるりとこっちを見た姉の顔を見て、僕は後悔した。

「やっぱりいいや」
「なになになになに」
 部屋を出ようとしたけれど一歩遅く、姉がまわりこんできてドアを閉めた。

「彼女? ねえ彼女?」
「彼女だったら話しかけるのに困らないから」
「そっか。じゃあこれからだ、へへへへ」
「気持ちわる」
 僕は姉を押しのけて部屋を出た。

「ごめんごめん。ねえ、どういう子?」
「別に」
「しゃべる? しゃべったことないとか?」
「別に」
「ねえー。ごめんってー」
「きかなきゃよかった」
「いつも部屋借りてるんから、力になるってー」
 僕は外に出た。

 スーパーの駐輪場に自転車をとめた。
 明日の朝は寄る時間がないかもしれない。
 いろいろな売り場を無視して、僕はパン売り場に直行した。

 バターロールが売っている区画に到着すると、いろいろな商品が目に入る。レーズンが入ったもの、クルミが入ったもの、黒糖が練り込まれたもの、と白いもの、小麦の種類がちがうもの、といろいろある。僕は売り場に来ていて目の前にあっても、ろくに見ていないのだと気づかされた。

 僕は学校での家須さんを思い返した。
 あれだけ喜んでくれると、こっちもうれしくなる。僕が他人をあんなに喜ばせることができることすら、うれしかった。
 きっかけとしてパンを持っていく以外には、いまのところ手段がない。
 明日持っていく分に関しては、指の傷を治してもらったお礼、としよう。

 昼ごはんに誘ったらどう思われるだろう。

「家須さんは嫌がるかな」
「はい?」
 横に立っていた人が言った。

 口に出ていたらしい。軽く頭を下げ、いったん立ち去ろうとしたとき相手の顔が見えた。
 家須さんだった。

「あ、え?」
「こんにちは」
「こ、こんにちは」

 家須さんはまだ制服のままだった。でも、学校で見るのとはすこしちがって見えた。

「岩本くんも、パンを買いに来たの?」
「家須さんも?」
「うん。岩本くんが、知らないの持ってきてくれたから。いろいろあるね」

 家須さんはならんでいるバターロールをじっくりと観察していた。どういったところが判断基準になるのだろうか。僕が買うとしたら、レーズンロールだろうか。

「これ買ってみる」
 家須さんはレーズンロールを手に取った。
「あ、うん、いいかもね」
「うん」
 家須さんが僕に笑いかける。僕はどんな表情を返しているだろうか。

「でも」
 僕は声をひそめた。

「家須さんは、パンを増やせるんじゃないの? わざわざ買わなくてもいいんじゃ」
「そこにあるものを増やせるだけなの」
「あ、そうなんだ」
 増やせるということは否定しない。夢でも幻でもないのだ。

「ひとつだけ残せばいいんだね」
「パンって、賞味期限があるでしょ」
「うん。ああ」
 同じようなものを増えるわけではなく、同じものを増えるのか。
 ということは、いくら増やしても賞味期限切れはやってくる。

「ええっと」
 家須さんはポケットから小銭入れを出した。手の上でひっくり返すと、百円玉が一枚、五円玉が一枚出た。

「ひとつしか買えないね」
「うん?」
 家須さんが買おうとしているパンは、税抜きで100円だった。税込みでプラス8円。3円足りない。


「お金、貸そうか?」
「え?」
 家須さんが意外そうに僕を見た。なにを言っているのだろう、と考えているようにも見えた。言わなければよかったと思ったがもう遅い。

「僕がすこし、お金を出して、その分、昼休みに、一緒に食べつつ、パンをわけてもらうとか」
 言葉がつっかえつっかえになる。
「うん、いいね」
 家須さんが目を大きく開いた。

「え、いいの?」
「うん。いろいろ食べられるから」
「ええと、昼ごはんを一緒に食べるっていう部分も?」
 決心して言うと、家須さんはあっさりうなずく。
「一緒に食べるのも楽しそうだね」

 姉さん、事件です。
 
「それじゃ、明日ね」
「うん」
 家須さんは袋を持って、レジへと歩いていった。
 僕は立ちつくしていた。

 これは現実なのだろうか。
 僕は、どこかで倒れて頭から血を流し、脳細胞がたまたまありえない形で結合し、見ている夢ではないだろうか。こうしている間にも、いきなり人生が終わるのではないか。

「ん?」
 家須さん、結局105円だけ持ってレジに行ってしまっているのでは。
 
 僕は急いで、家須さんが買ったのとは別のバターロールを持って追いかけた。
 すでにレジでは家須さんのバターロールのバーコードはスキャンが終わっていて、家須さんがお金を払うところだった。
「お願いします」
 家須さんがレジの女性に百円玉と五円玉をわたす。

「家須さん」
 僕が呼びかけたときだった。
「1円のお返しです」
 レジの女性は言った。
「え?」

 レジからレシートが発行され、レジの女性は一円玉とレシートを家須さんに手わたした。
「ありがとうございました」
 家須さんが僕に気づいて手を振る。
「また明日」
「あ、じゃあ」

 僕の持ってきたバターロールも100円だったので、百円玉と五円玉を出したら、レジの女性が困ったように僕を見た。レジに表示されていた金額の数字は108円だった。


 帰る前に、売り場で価格を確認したら、まちがいなく税抜き100円、税込み108円だった。

 どういうことかと考えながら帰宅すると、姉はリビングに行ったのか僕の部屋はあいていた。
 残っていたレポート用紙に、メモされていたキリストに関する項目が目に入った。
 その中に、イエスは神殿に入る税金が半分ですんだ、というものがあった。
 半分。

「そうか」
 家須さんは、レジで消費税が半分になっていたということだ。だから8円の消費税が4円になったんだ。

 家須さんは、税金は全部半分になるんだろうか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

岩本孝宏(いわもと たかひろ)

高校に入学してからクラスになじめていない。

家須さんとの関係性をきっかけに、非日常的なことにふれていく。

家須(いえす)さん

のんびりしている。岩本と同じクラスの女子。

パンを増やしたり、常識では説明できないことを起こす。

岩本(いわもと)りっこ

孝宏の姉。大学生。

整理整頓が苦手。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み