04 家須さんと食欲
文字数 2,106文字
昼休みのチャイムが鳴るとクラスメイトたちが動き出す。
椅子だけ動かしたり机の向きを変えたりして、仲良し同士が集まって楽しい楽しい昼ごはんタイムだ。
僕はそっと立ち上がる。
昨日はパンをあげるだけだった。
今日は家須さんの前にとどまり、食事をとる予定だ。
クラスメイトの反応はどのようなものだろうか。いつもはひっそりと生活している僕らにどのような視線が向けられるのか。想像するだけで頭がねじれそうだった。
そのときだ。
家須さんが席を立ち、僕の方へやってくる。
来てくれるとは思わなかった。
僕は急いで弁当とバターロールを出した。
家須さんは僕の席の前で止まり、一礼した。
「ごめんなさい」
「え?」
「全部食べちゃって」
なにを言っているのかわからなかった。
「食べた、とは」
「昨日買ったパンを」
「え、パンを? 全部?」
「うん」
「ああ、そう」
「ごめんなさい」
「いやいいんだけど、全部食べたら、もう増やせない?」
「あの、おいしかったから」
「途中で増やそうとは思わなかった?」
「増やしたけど食べる方が早くて」
それは家須さんのコントロールしだいだろう。
「なるほど。じゃあ……、良かったね?」
「良かった」
家須さんが、にこーっ、と笑った。
こんな顔を見られたら、僕が一方的に得をしたといってもいい。
「じゃあ、これ」
僕は昨日買ったバターロールを家須さんにすすめた。白いバターロールだ。
「え?」
「僕は弁当があるから。もし良かったら、だけど」
「ありがとう!」
家須さんは言って、バターロールの袋を開けて、バターロールを口にした。
やはり吸い込むようにもぐもぐと食べていく。
昨日から食事をしていなかったのかと思うほど、二個、三個とどんどん食べていった。
「あ」
家須さんは最後の一個を困ったように見ていた。
「どうかした?」
「これ」
ビニール袋に残ったパンは、やや欠けていた。他のパンを取り出すときにすこしむしってしまったのか、バターロールの側面が破れている。
「傷があると増やせない?」
家須さんはうなずいた。
「しょうがないので食べます」
家須さんは残ったバターロールをすいすい食べた。
それから僕を見た。
「ひとりで食べて、ごめんなさい」
「喜んでもらえてなによりだよ」
「ありがとう」
家須さんは席にもどっていった。
僕はひとりで弁当を食べた。
帰宅して部屋に入ると姉はいなかった。いい心がけだったが、机の上は昨日までと同じようにテキストなどが散らかり、パソコンはつけっぱなしだった。
「おかえりー」
と思ったら姉が部屋に入ってきた。当たり前のように僕の椅子に座って作業を再開させる。
「ちょっとトイレ行ってた」
姉はマウスを動かす。
「まだキリスト?」
「キリストレポートは一番優先度低いから、だらだらやってんの」
自分の部屋でやってくれれば、好きにやってくれていいのだけれども。
僕は家須さんを思い出した。
「そういえば、キリストって、食べるの好きなのかな」
「有名なのは、むしろ断食よ断食」
「断食?」
姉がメモをくれる。
四十日間の断食をしたという話があった。
「食べない人なんだ」
「ふだんは食べるだろうけど、そういう修行もしてるらしいよ」
「でも四十日食べなかったら、生命維持的にまずいんじゃないの?」
それとも、四十日食べないと言いつつ、やや食べてるのだろうか。水を飲むのはありだとか。いや水だけじゃ限界があるか。
「だって神じゃん」
姉は言った。
「あ、そっか」
イエスは神。
神なら食べなくても死なないと言われれば、なるほどと思える。
でもそもそも、神が断食をする意味はあるんだろうか。
もしかして、神が神という自覚がないのかもしれない。だからいろいろな場所でいろいろ修行をしたり、ためになる話をしたりしたのかも。それでいざ死んでみてやっと、俺は神だったのか、と気づいた可能性もある。
もしくは、神だから死なないけれども、食べない人間の苦しみは味わうのか。だとすると、人間より長期間苦しみを味わえてしまう。相当の苦行だ。
あるいは、ストイックな姿勢を見せることで弟子たちに訴えるというか、背中で語る流儀の人だったのかもしれない。そう考えると、最後にはりつけにされて死ぬのも、なんとなく納得できる。直接言うばかりではなく、命がけで訴えかけて、見ている人がなにか受け取ってくれ、というやり方だ。
「まあ、イエスがパン好きな可能性はあるけどさー、わざわざ、イエスはたくさんパン食べました、って記録残してもしょうがなくない?」
「ふーむ」
食欲が強い神、というのもなんだかありがたみがなくなる気がする。食べ物の神ならそれでもいいけれども、たしかキリストはオンリーワンの神だ。
「なに? レポート手伝ってくれるの?」
「冗談でしょ」
僕は部屋を出た。
わからないことは置いておいて、別のバターロールを入手して明日に備えることにした。
椅子だけ動かしたり机の向きを変えたりして、仲良し同士が集まって楽しい楽しい昼ごはんタイムだ。
僕はそっと立ち上がる。
昨日はパンをあげるだけだった。
今日は家須さんの前にとどまり、食事をとる予定だ。
クラスメイトの反応はどのようなものだろうか。いつもはひっそりと生活している僕らにどのような視線が向けられるのか。想像するだけで頭がねじれそうだった。
そのときだ。
家須さんが席を立ち、僕の方へやってくる。
来てくれるとは思わなかった。
僕は急いで弁当とバターロールを出した。
家須さんは僕の席の前で止まり、一礼した。
「ごめんなさい」
「え?」
「全部食べちゃって」
なにを言っているのかわからなかった。
「食べた、とは」
「昨日買ったパンを」
「え、パンを? 全部?」
「うん」
「ああ、そう」
「ごめんなさい」
「いやいいんだけど、全部食べたら、もう増やせない?」
「あの、おいしかったから」
「途中で増やそうとは思わなかった?」
「増やしたけど食べる方が早くて」
それは家須さんのコントロールしだいだろう。
「なるほど。じゃあ……、良かったね?」
「良かった」
家須さんが、にこーっ、と笑った。
こんな顔を見られたら、僕が一方的に得をしたといってもいい。
「じゃあ、これ」
僕は昨日買ったバターロールを家須さんにすすめた。白いバターロールだ。
「え?」
「僕は弁当があるから。もし良かったら、だけど」
「ありがとう!」
家須さんは言って、バターロールの袋を開けて、バターロールを口にした。
やはり吸い込むようにもぐもぐと食べていく。
昨日から食事をしていなかったのかと思うほど、二個、三個とどんどん食べていった。
「あ」
家須さんは最後の一個を困ったように見ていた。
「どうかした?」
「これ」
ビニール袋に残ったパンは、やや欠けていた。他のパンを取り出すときにすこしむしってしまったのか、バターロールの側面が破れている。
「傷があると増やせない?」
家須さんはうなずいた。
「しょうがないので食べます」
家須さんは残ったバターロールをすいすい食べた。
それから僕を見た。
「ひとりで食べて、ごめんなさい」
「喜んでもらえてなによりだよ」
「ありがとう」
家須さんは席にもどっていった。
僕はひとりで弁当を食べた。
帰宅して部屋に入ると姉はいなかった。いい心がけだったが、机の上は昨日までと同じようにテキストなどが散らかり、パソコンはつけっぱなしだった。
「おかえりー」
と思ったら姉が部屋に入ってきた。当たり前のように僕の椅子に座って作業を再開させる。
「ちょっとトイレ行ってた」
姉はマウスを動かす。
「まだキリスト?」
「キリストレポートは一番優先度低いから、だらだらやってんの」
自分の部屋でやってくれれば、好きにやってくれていいのだけれども。
僕は家須さんを思い出した。
「そういえば、キリストって、食べるの好きなのかな」
「有名なのは、むしろ断食よ断食」
「断食?」
姉がメモをくれる。
四十日間の断食をしたという話があった。
「食べない人なんだ」
「ふだんは食べるだろうけど、そういう修行もしてるらしいよ」
「でも四十日食べなかったら、生命維持的にまずいんじゃないの?」
それとも、四十日食べないと言いつつ、やや食べてるのだろうか。水を飲むのはありだとか。いや水だけじゃ限界があるか。
「だって神じゃん」
姉は言った。
「あ、そっか」
イエスは神。
神なら食べなくても死なないと言われれば、なるほどと思える。
でもそもそも、神が断食をする意味はあるんだろうか。
もしかして、神が神という自覚がないのかもしれない。だからいろいろな場所でいろいろ修行をしたり、ためになる話をしたりしたのかも。それでいざ死んでみてやっと、俺は神だったのか、と気づいた可能性もある。
もしくは、神だから死なないけれども、食べない人間の苦しみは味わうのか。だとすると、人間より長期間苦しみを味わえてしまう。相当の苦行だ。
あるいは、ストイックな姿勢を見せることで弟子たちに訴えるというか、背中で語る流儀の人だったのかもしれない。そう考えると、最後にはりつけにされて死ぬのも、なんとなく納得できる。直接言うばかりではなく、命がけで訴えかけて、見ている人がなにか受け取ってくれ、というやり方だ。
「まあ、イエスがパン好きな可能性はあるけどさー、わざわざ、イエスはたくさんパン食べました、って記録残してもしょうがなくない?」
「ふーむ」
食欲が強い神、というのもなんだかありがたみがなくなる気がする。食べ物の神ならそれでもいいけれども、たしかキリストはオンリーワンの神だ。
「なに? レポート手伝ってくれるの?」
「冗談でしょ」
僕は部屋を出た。
わからないことは置いておいて、別のバターロールを入手して明日に備えることにした。