四、手をつないで

文字数 1,323文字

「タカくん! 遅刻しちゃうんじゃないの?」
「うわ、もうこんな時間か! 行ってきますっ!」
 ジャムパンをくわえると、カバンを持って急いで立ち上がる。
 和音が生き返ってから一か月とちょっと。夏休みを終えた俺は、実家から高校へ通うことにした。あれだけひどかった潔癖症だが、死体の和音にキスをするという荒療治のおかげで、どうやら治ったらしい。さすがに通勤電車にはまだ慣れないけど、『普通』レベルにはなれたと思う。
 和音を連れて家に帰ったとき、両親は腰を抜かした。和音が生き返ったことにびっくりし、落ち着くまで自分の部屋に匿っていたという、半分嘘のような話をしてなんとか納得させたが、母さんはほとんど聞いていなかったみたいだ。娘が帰ってきた喜びが大きかったのだろう。こちらとしては、色々突っ込まれるよりマシでありがたかった。
 病院で検査も受けさせたが、問題はなかった。もともと死んだのは俺のほうだったらしいし、異常があったわけじゃない。ま、ひとまずは安心した。
 一緒に玄関を出ると、和音はこちらを向いた。
「タカくん。髪型、おかしくないかな?」
「あっ、そのヘアピン……」
「うんっ! タカくんからもらったやつだよん♪」
 少しだけ伸びた髪に、音符型のピン。どうやら和音は、俺が月蜜さんの巨乳に見とれていたことにヤキモチを妬いたらしく、「これから髪を伸ばして、ロングにするんだから!」と言い切った。だから俺は「やれるもんならやってみろ!」と返した……が、それは本音じゃない。なんていうか、かわいいじゃないか。俺のために努力してくれるっていうのが。
 最初から和音が色々頑張ってくれていたことは知っている。でも、この間までただの兄妹だったから、いきなりカップルみたいに……ってわけにもいかない。
 恥ずかしがった俺が、なんとか頑張って和音にしてあげられたのが、このヘアピンをプレゼントしたことだ。些細なことだったが、和音はかなり喜んでくれた。
「落とさないようにしなくちゃね!」
「落としたら別の、買ってやるよ」
「『私』はこれがいいんだよ! タカくんもわかってたでしょ? 私の本当のお願い」
 和音の本当の願い。それは……。
「わっ!」
 和音が俺の腕に自分の胸を当てる。くそ、わざとだな? 和音は「くふふっ」と小さく笑っている。
「あーっ、真っ赤になった! どうしたのかな? タカくん」
「わかってやってるだろ。ほら、あんまり密着するのもなんだから、手」
「えっ……」
「早くしろっ!」
「うんっ!」
 俺が差し出した手を、和音がぎゅっとつかむ。今までできなかったことが、今はできる。もうこの手は離さない。これから先、俺はずっと和音を守っていく。和音が俺を命がけで
助けてくれたように、俺も。
「駅まで走れるか?」
「ふふっ、私のほうが足は速いよ!」
「じゃあ――行くぞっ!」
 青空の下、俺と和音は駅に向かって走り出す。真っ白だったのに、少しだけ日に焼けて赤くなった肌は、未来へ一歩進めた証。和音の本当の願いを俺は知っている。日記に書いてあったこいつの願い。それは――ゾンビの妹は、兄とキスしたかったってことだ――。

                                      【了】
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