二、心残り

文字数 5,058文字

「ごめん、父さん。俺の責任だ。……うん、わかってる」
 着信を切ると、ビニールの上で眠っていたゾンビが起き出す。
「お兄ちゃん、おはよー」
「ゾンビのくせに寝るのもびっくりしたけど、昼に起きても平気なんだな」
 一晩徹夜した俺のほうが、よっぽどゾンビに近い顔をしてるんじゃないかとまで思ってしまう。昨日帰ってから、風呂にも入っていない。いつもだったら速攻で汗を流し、一日着て、汚れた服を洗濯機に入れるというのに。夏なのに長袖だから、ただでさえ暑苦しい。だが、半袖だと皮膚に汚染物質がつく可能性があるからな。
「あらぁ、ゾンビは夜しか動かないなんて、人間が作った妄想よ?」
「月蜜さんは黙ってください」
 彼女は昨日からずっと俺の部屋に居座っている。俺はそれを無視して、ずっと考え事をしていた。
考え事……カズがいなくなった理由についてだ。カズがゾンビになって、今家にいるなんて言えない。だけど、両親には説明しなくてはならない。死体が忽然と消えたのだから。
外から帰って来た両親は、当然のごとく大慌て。母は倒れ、父は俺に何度も連絡。最初はどう言えばいいか考えが浮かばなくて、胃薬と頭痛薬を飲みながら悩み込んでいたが、月蜜さんが代わりに言い訳を考えてくれた。
『死体が勝手に動き出して、倒れた』。
 そして、その事実を受け止めることができず、冷静になるため俺は家に帰ったことにした……と。
「私のおかげで、何とか言い訳はついたじゃない?」
「つきましたけど、根本的な解決にはなってないじゃないですか」
この死神が余計なことをするから、妹は心残りを果たすため、ゾンビになってしまったんだ。
ゾンビになってまで生きるくらいなら、俺だったら亡霊になったほうがマシだと思ってしまう。自分の身体が匂い、蠅がたかり、腐敗していく様を感じなくちゃいけないなんて……。想像するだけでも卒倒しそうだ。
「根本的な解決ってー?」
「……お前の心残りについてだよ。ってか、張本人なのに、昨日はよく眠ってたみたいだけど」
「だってお兄ちゃんが、『動くな!』とか『しゃべるな!』っていうんだもん。寝るしかないじゃん」
「お前……ほっとくとずっとぺらぺらしゃべってただろ。それにうろつかれると、床が汚れる」
「うわ、サイテー。生き返った妹だよ? 『床が汚れる』って」
「生き返っても、ゾンビだということは変わらん」
「うふふ、タカくんは本当に潔癖なのねぇ」
「月蜜さん、あんたがゾンビにしたんでしょうが。ゾンビじゃなくて、生身で生き返らせてくれれば、まだマシだったのに」
「しょうがないじゃない。私にもできることとできないことがあるんだからぁ」
「はぁ」
 俺はめまいがした。これから三日間、だっけ。ゾンビと共同生活か。それも勘弁してほしい話だが、さらにカズの心残りをどうにかしろって。
「で? お前は本当に思い当たらないのか? 心残りについて」
「小さなことだったら、新発売のジュース飲んでないこととか?」
「その『小さいこと』を、全部解消していってあげるしかなさそうねぇ」
 ホホホ、と少しババくさい声を上げる月蜜さん。
こうなったら俺も、覚悟を決めて解決していってやるしかない。三日間もゾンビと一緒にいてたまるか。早く心残りをどうにかして、成仏してもらう!
 俺はボックスの中から新しいマスクを取り出すと、先ほどまでつけていたものと交換する。いつも外出時は六時間で交換しているが、今回は家の中でもゾンビがいるからな。マスクは取れない。
 その様子を見ていたカズは、むっと頬を膨らませた。
「なんだよぅ、人を花粉みたいに!」
「花粉じゃない。雑菌かバイ菌だ」
「ひっど!」
 文句を続けようとするカズを無視し、裏が白いチラシと、もう使わなくなったシャーペンをテーブルの上に置く。
「これにお前の心残りを全部書け。それを解決していくぞ」
「え? 全部ってことは、ボクのお願い、お兄ちゃんが叶えてくれるの? やったあ!」
「勘違いするな。何か欲しいものがあるとか、そういうのはナシ。考えてなかったことまで書くなよ」
「……ま、いっか。ボクがやり残したことなんて、たかが知れてるもん」
「ずいぶんあっさりしてるのねぇ?」
 カズの横を漂っていた月蜜さんが、くすっと笑う。
「ボクのやり残したことは、これくらいかな」
 カズは紙に大きな文字を書く。そこに書いてあったのは――。
「『お兄ちゃんと一緒に過ごす』?」
「うん! ほら、高校に進学してから、お兄ちゃんひとり暮らしだったでしょ? だから、昔みたいに勉強教えてもらったり、お料理習ったりしたかったんだ!」
「……それだけ?」
「まぁね。十五年なんて短いかもしれないけど、ボクなりに精一杯過ごしたんだよ。最期の心残りはこのくらいかなーって」
 意外とあっさりした願い事で、俺は驚いた。もっととんでもないことを言い出すんじゃないかと思っていたから。
例えば、ワールドカップに出場している女子サッカー選手のサインが欲しい! とか、プロ野球の始球式で投げてみたい! とか、そういう無茶なことを言い出すんだと思い込んでいた。
だってそうだろ? 死んで、もう何もできないんだ。自分の将来に思いをはせることもできない。恋もできないし、友人にも二度と会えない。なのに、俺と一緒に過ごしたいだなんて。本当にいいのか? こいつは。
「と、いうわけで! 三日間じーっくりお兄ちゃんとの時間、堪能させてもらうよ!」
 前言撤回! 三日間だと? それなら欲しい物を買ってやって、一、二時間で成仏してもらったほうがよかった。ゾンビと三日間一緒だなんて、勘弁してほしい。
 だが、カズは嬉しそうに目を輝かせている。他の願いにしろなんて言えない空気だ。
「マジか……」
「マジよ。じゃあタカくん、さっそく和音につきあってあげてねぇ~」
 にこにこしながら月蜜さんが他人事のように言う。彼女にはもう少し責任感を持っていただきたいところだ。
「じゃあ、まずどうしたい?」
 ため息をつきながらカズにたずねると、きらきらと目を輝かせた。
「一緒にお菓子作ろうよ! お兄ちゃん、ボクが死んでからずっと、何も食べてないでしょ?」
「まぁ……」
「ではでは、スーパーにしゅっぱーつ!」
「あ、おいっ!」
 カズはさっさと立ち上がり、玄関で靴を履くと、家を出る。
さすがにゾンビをひとりで歩かせるわけにはいかない。ここはついていくしかないのか。俺はマスクをもう一枚持つと、カズの触れたドアノブを除菌シートで拭き、家の鍵を閉め
た。

「カズ! 待てって」
「なーにー?」
 振り向いたカズに、マスクを付けさせる。
 いくら動いていても、死体であることは変わらない。生きているときみたいに、表情がくるくる動いたとしても、その顔色はやっぱり普通の人間とは違う。カズは劣化した蝋人形みたいな、黄土色をしている。
 マスクをつければ、だいぶ変わるだろう。カズは顔が小さいからほとんど隠れる。真夏にマスク。違和感だらけだが、大丈夫。俺もマスクだ。怪しまれることには慣れている。ゾンビだとバレるよりはマシだろう。
「お兄ちゃん、苦しい」
「我慢しろ。あと、上着。それTシャツだろ? さすがに半袖はまずい」
「わあい! お兄ちゃんの服だ~!」
 喜んでいるのを見て、罪悪感を持つ。そのパーカーは、鳥のフンがついて、捨てる予定だったやつだ。洗ったら洗面所や洗濯機が汚くなるし、鳥のフンなんて、洗ったところでどんな雑菌が残っているかわからない。
 それでも嬉しそうに飛び回るカズを見て、胸が痛くなった。
 ――こいつが生きていたらな。もっと優しくしてやれたのに。俺はひどい人間だ。
「ひどいってわかってるなら、人間として接してあげたらぁ?」
「げ、月蜜さん! 心まで読めるんですか!」
「まあね。私は会話というより、魂と語り合ってるから」
 ただでさえ怪しい死神が、より胡散臭くなった。こっちの気持ちがダダ漏れっていうのは、面倒くさいな。今までカズに思っていた、兄らしくない気持ちまでわかってしまうってことだ。
死んだ妹に対して、『気持ち悪い』とか『触りたくない』とか。バレたとしても、カズはいいやつだから、むくれるだけかもしれない。でも、それに甘えて傷つけたりするのは不本意だ。ある程度、俺の潔癖症に理解があるのはありがたい。だけど……。
 スーパーに入ると、クーラーがガンガンに効いていて、涼しかった。カズがカートとカゴを持ってくると、俺はたずねた。
「お菓子って、何を作りたいんだ?」
「そうだなぁ、クッキーなんてどう? お兄ちゃんのチョコチップクッキー、おいしかったから」
「だったら、小麦粉と卵は家にある。チョコチップとバターだな」
「あと、ベーキングパウダーっている?」
 カズと一緒に材料をカゴに入れていく。
「仲良しさんじゃない」
ふわふわ俺たちの周りを漂っていた月蜜さんが、のほほんと言った。仲良し、か……。昔はそうだったな。俺は小さい頃のことを思い出した。
当時はまだ小学六年生。潔癖症でもなかったけど、細かい性格はよくかんがえたらあの頃からだったな。
 俺にとってお菓子作りは、正確な分量計算と熱する時間を完璧にした、科学実験みたいなものだった。できあがったお菓子にそれほど興味はなかったが、カズが代わりにうまそうに食べてくれてたっけ。
またこんな日が来るとは。隣にいるカズが嬉しそうに笑うと、こちらまでつられて笑顔になる。それに気づいたカズが、俺を見つめてつぶやいた。
「お兄ちゃん、やっと笑った。ボクが死んでからずっと、泣いてるか怒ってるか、疲れた顔だったからさ」
「あ……悪い」
「謝ることでもないけどね! ボクが死んで、悲しんでくれるだけで嬉しいよ!」
 にしし、と笑うカズの表情は、生きているときと変わらない。死体だけど、まだカズはここにいる。それなのに俺は。
 レジを通すと、小さい袋を俺が持とうとした。その前に、するりと袋の片側をカズが持つ。
「ね、小さいときみたいに一緒に持とうよ! これならお兄ちゃんでも平気でしょ?」
「仕方ないな」
 カズのやつ、気をつかってるんだな。今すぐ潔癖症を治すのは無理だけど、できるだけ妹に優しく接してやろう。
「それがいいわよ、タカくん」
「だ、だから心を読まないでください!」
「なになに?」
「なんでもないっ!」
真っ赤になる俺を見て、不思議そうな顔をするカズ。俺たちは暑い日差しを避けながら、日陰を歩いた。

「……バターは十グラムだな」
「このくらい?」
「ちゃんと計れっ!」
 家に帰った俺たちは、さっそくキッチンに立つ。本当だったら死体に調理器具を持たせるなんて、とんでもないことだ。卒倒しそうになりながらも、『あとから煮沸消毒すれば大丈夫』と念じ、一緒にクッキーを作る。
 クッキー生地を練って、クッキングシートを敷いたまな板の上に乗せ、伸ばすと、型を抜く。
「えへへ、ハート型!」
 楽しそうにいくつもハートの形のクッキーを作っていくカズを見て、俺はつい聞いた。
「お前、いつもだったら星型にしてたのに、今日はハートなのか?」
「まあね! 心臓の形、なーんてね」
「や、やめろ、そんな悪趣味なジョーク! 保健の教科書に載ってた、リアルな心臓の写真を思い出した……」
「嘘だよ。たまには女の子らしい感じにしてみたいなぁって思っただけ。お兄ちゃんったら、もう少し強くならないとダメだよ?」
 カズは笑いながら、俺は何度も吐き気を我慢しながら型抜きを終えると、あとはオーブンで焼くだけだ。
「早く焼けないかなぁ~♪」
 鼻歌を歌いながらオーブンの前でクッキーが焼ける様子を眺めるカズを見て、俺はそっとため息をつく。その横で、月蜜さんは俺にささやいた。
「楽しそうじゃない、和音」
「本当にこんなことで、あいつは成仏できるんですか?」
「なあに? もっとそばにいてあげたくなった?」
「いや、死体は勘弁ですけど……」
 ゾンビはやっぱり嫌だ。死体だし、腐っていくのは確実。だったら月蜜さんの力で、カズを生き返らせてくれはしないのだろうか。死神だったらそれができるんじゃ……。
「無理なことをお願いされても困るわ。タカくんはタカくんにできることをしてくれなきゃ」
「そうですよね。無茶な話だってことはわかってます」
 そのときちょうど、オーブンが鳴った。クッキーの完成だ。
「お兄ちゃん! 焼けたよ!」
「今取り出す……」
 オーブンミトンを手に立ち上がったところで、テーブルに置いていたスマホが震えた。着信は父さんだ。
「え、今から? ……わかった」
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