一、妹はゾンビになりました

文字数 5,398文字

 セレモニーホールの一室。そこは、死んだ人間と家族が最後の夜をともにするための部屋だ。
 父と母、俺の三人は、妹の亡骸を真ん中に、悲しみに暮れていた。
「まだ十五歳よ? なのに、なんで……」
「母さん、辛いのはわかる。だけど今は、俺たちにも休みが必要だ。何か買ってこよう。カズが死んでから、何も食べてないんだろう?」
「でも、和音がひとりになっちゃうわ……」
 ずっと泣きっぱなしの母さんが、物言わない妹を気にする。
「俺がそばにいるから、父さんと母さんは外の空気を吸って来たほうがいいよ」
「ありがとな、貴文」
 父さんは、動こうとしなかった母さんを半ば強引に連れ出す。俺は和音とふたりきりになった。
「カズ……」
 妹と俺は、血がつながっていない。俺が三歳、和音が一歳のときに、両親が再婚したのだ。俺は父の連れ子で、和音は母の連れ子。それでもお互い小さかったおかげで、自然に兄妹になることができた。
 ショートカットで活発。俺とは違い、スポーツが大好きだったカズは、俺の妹というよりも、弟だった。見た目もそうだが、自分のことを『ボク』と言っていたし、服装だってボーイッシュ。制服はさすがにスカートだったが、それ以外はTシャツ、ジーパン姿。
「ははっ、結局彼氏もできずに死んじまったな」
 俺は触れられないけど、きっと肌は冷たいんだろうな。蝋人形みたいな色だ。
「胸もなかったし、女の要素ゼロ。彼氏なんてできるわけないよ」
 涙をにじませながら、俺は続ける。
「悔しかったら言い返してみたらどうだ? 目を覚まして言ってみろよ。『お兄ちゃんのバカ』って」
 ……言えるわけないよな。だってもう、カズは……。
「……黙って聞いてりゃ好き勝手言って! お兄ちゃんのバカ!」
「え……?」
 耳を疑った。今、確かに聞こえた。カズの声が。
 はは、さすがに疲れてるのかな。死んだ妹の声が聞こえたなんて。父さんたちが帰って来たら、俺もコンビニかどこかへ行って……。
「ちょっと! 無視すんなっ! あーっ、もう、なにこの格好! まるでお化けじゃん!」
「う、嘘だろ?」
 目の前の布団がもそもそ動く。眠っていたはずの妹が起き上がり、俺と目が合う。
「おはよ、お兄ちゃん。なんかすっごくよく眠ったよ~……」
「お、お、お……」
「なによ。顔真っ青にさせて」
「お化けぇっ!」
 カズから少しでも離れようと後ずさりすると、カズ……の死体は、俺の制服のネクタイを引っ張った。
「ちょっと! 妹を見て、お化けはないでしょ!」
「だ、だって、お前! 死んだんじゃ……」
「誰が?」
「お前が」
「うーん?」
 カズは自分の身体をペタペタ触り、俺同様顔を青くした。
「し、心臓が……止まってる!」
「ぎゃああっ! やっぱりお化けだ!」
「ま、待ってよ! ボク、動いてるじゃん! 心臓や脈は止まってるけど」
 どういうことだ。カズはつまり、死んだ身体のままで動き回ってるってことか? だとしたら……。
「ゾンビってことか?」
「やめてよ。モンスターでもないって。でもこれからボク、どうしよう?」
 にこにこしたままカズは隣に座り、俺にたずねた。笑っている場合じゃない。カズは死んでいる。死んでいるってことは、これから葬式を上げて、そのあと死体を燃やし、骨を埋葬するってことだよな。
「お前、このままだと火葬されて埋められるぞ」
「えぇっ! 生きてるのに!」
「生きてはいない。だけど、母さんに今のお前を見せても気絶するだけだし、父さんだって……。最悪『ゾンビが存在した!』ってニュースになるかも」
「それは困るよ! 助けて、お兄ちゃん!」
 困るのは俺のほうだ。明らかに死んでいる妹をどうすればいいのかなんてわからない。カズをどこかに隠したら、犯罪にならないか? 死体遺棄とか。でも、手立てはない。
「とりあえず逃げるしかなさそうだな」
「うんっ! あっ……」
 カズは立ち上がろうとしたが、バランスを崩して俺の上に倒れそうになる。
「あぶねっ!」
 俺が、カズの下敷きになるのを回避すると、べしゃっと畳の上に盛大にコケた。
「お兄ちゃん! なんで支えてくれなかったのさ! 普通は庇うでしょ!」
「お前、知ってるだろ? 俺が潔癖症だってこと。いくら妹の死体だからって……怖くて触れるか!」
「あ、そうだったっけ?」
 カズは紫色の舌を出して笑う。こっちからしてみたら、笑えないんだけどな。それほど俺の潔癖症は深刻なものだから。
 つけていたゴム手袋に、何かあったときのために持っていたスペアをかぶせ、二重にする。死体、しかも相手は妹とはいえゾンビだ。何か感染症にかかるかもしれない。できることならマスクも欲しいところだが、しょうがない。
 持ってきた荷物の中から、カズの私服を取り出す。あとで棺桶に入れる予定だったものだが、これから移動するにあたって、さすがに白装束じゃまずい。
「これに着替えたら、とりあえず俺の部屋に行くことにしよう」
「お兄ちゃんの部屋? 引っ越しを手伝って以来だから、一年振りかぁ。エロ本はあるのかなぁ~?」
 カズの着替えを見ないように、俺は襖を閉めて、隣の部屋へ移った。
 そして頭の中を整理する。冷静に対処しているが、手は震えていた。だって、死んだと思っていた妹が生き返ったんだぞ! ……いや、生き返ってはいないか。死んだまま動き回っている。気絶しなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
 だけど、なんでだ? なぜ、カズは動けるようになったんだ? ひとつ考えられるのは、心臓だけ止まっていただけ、とか。脳が生きている状態で……違うな。やっぱりそれはない。医者も警察も死体を確認している。だとしたら、未知のウイルスか何かがカズの体内に入って、死体を動かしているとしか……。
「うえぇぇっ!」
「だいじょぶ? お兄ちゃん」
 口元を押さえて、嘔吐しそうなのをギリギリ我慢する。未知のウイルスだなんて、気持ち悪すぎる。カズとこうして再び話すことができるようになったのは、正直嬉しい。けど、俺の身体が持つかどうかだ。
 これから死体と一緒に行動するなんて、やっぱり吐き気を我慢できそうもない。持っていたビニールに、胃液を吐き出す。ありがたいことに食事はしてなかったから、出たのは透明な液体と水分だけ。それを目にしただけで、もう一度吐いた。つくづく俺は、『汚いもの』がダメらしい。吐瀉物は特に。
「背中さすってあげようか?」
「いいっ! 余計に吐きたくなるっ!」
「ひっどーい。ボクは親切で言ってあげたのに!」
「死体じゃなければ親切だったかもな」
「死体とか、生身とか、関係なくない?」
「ある! 大ありだっ! ともかく着替えたなら、さっさと移動するぞ!」
「はぁい」
 こうしてゾンビな妹と俺は、両親が大パニックになることを覚悟して、その場を去ることにした。

 都内の高校に進学した俺は、一年の頃からひとり暮らしをしていた。実家から高校までは約一時間ちょっと。それなのになぜ、わざわざひとりで住んでいるのか。それはやっぱり潔癖症が関係していた。
 朝、実家から都内の高校に行くまで、この日本で一番混雑するという『彩西線』を必ず利用しなくてはならない。混雑した車内。他人と密着。誰が触ったかわからないつり革・手すり。密室の中で人の吐いた息を吸うなんて、想像しただけで数回は吐いた。さすがに満員電車に乗るなんて、自殺行為すぎる。それだけの理由で、俺は学校から徒歩十分のアパートを借りることになった。
 まず、除菌シートで念入りにドアノブを拭く。
 六畳一間の部屋の鍵を開けると、中からむわっとした熱気が出てきた。夏だから仕方がないが、すぐ部屋に入るとクーラーをつけた。もちろん除菌モードだ。
「すぐ涼しくなると思うから……って、うえっ!」
「あー、ごめん、お兄ちゃん。なんか汗かなぁ? やけに身体から水分が出てきちゃって……」
 後ろを振り向いて、カズの姿を確認した途端、俺はトイレに駆け込んだ。動けると言っても、死体だ。もしかしたら、身体の中に残っていた水分――腹水とか言ったっけ――が動いたせいで出たのかもしれない。
「うわああっ! か、カズ、ともかく風呂場にいけ! 床が濡れてもいいように、ビニール敷くからっ!」
「わかったよー、もう」
 口を尖らせながら、カズは風呂場へ行く。その足の裏にも水分がついていて、足跡のようになっている。死体から出る水分なんてっ! 俺は何度もトイレで嘔吐しながら、なんとかビニールシートを敷いた。
「……はぁ、まったくなんでこんなことになったんだよ」
「ボクは嬉しいけどね。お兄ちゃんとまた話ができるなんて」
「そういう問題じゃないだろ。なんでゾンビみたいにうろうろできるようになったんだよ」
「ボクだってわからないよ!」
 ふたりの間に沈黙が流れる。これからどうしたらいいんだ。スマホには何度も両親から電話がかかってきているみたいだし、こうやって自分の部屋にカズを連れてきたのも、すぐにバレてしまうだろう。
 冷や汗が流れたそのとき。インターフォンが鳴った。
「もしかして、お母さんたちかな? どーしよ、ボクが死んでないってバレちゃったら!」
「わからん。とりあえず、のぞき穴から確認してみるけど」
 忍び足でドアの前まで行き、穴をのぞく。すると、ぽよんとした感覚が俺の頬を包んだ。
 これは……? 手で触って、何度も確認する。
「ちょっとぉ、あんまり胸、揉まないでくれるかなぁ?」
「胸……? うわあっ!」
 壁から乳……いや、巨乳の女性がにゅっと出てくる。胸元が強調された露出の高い服に、レースのスカートからはむちむちの脚が透けている。そして、黒くて長いストレートの髪。そこだけ見るとナイスバディの美女の幽霊か? 幽霊だと理解できた自分もおかしいが、すでに目の前にはゾンビの妹がいる。床を汚さないのなら、幽霊くらいは許容範囲。それに、彼女の持っていた大きな鎌で正体を察した。
「し、死神……か?」
「あらぁ、わかる? ぴんぽん♪ 私は死神の月蜜。そこのボーイッシュな彼女の担当を
してるの」
「死神……」
 カズよりも、俺のほうが月蜜と名乗った死神の言葉に反応した。
「死神だったらわかるだろ! なんでカズは死んでるのに動いてるんだ!」
「それは、身体から魂が抜けてないからなのよ」
「どーいうこと?」
 ビニールシートにひざを抱いて座っているカズが、不思議そうな顔をする。月蜜さんはカズを見ると、肌に触れた。
「簡単に説明すると、和音は現世で思い残したことがあるのよ。それをどうにか解決してあげないと、きちんと魂を回収できない。だからゾンビ状態になっちゃってるってわけ」
「ボクに思い残したこと? あったかなぁー?」
 カズはあごに手を当てて考え込む。
「それを解決できない限り、カズはその……ゾンビのままなのか?」
「ううん、猶予は三日だけ。その間に解決できなかった場合、魂の回収はできないということで、和音の魂は永久にこの世を漂い続けることになる」
「成仏できないってことか?」
「ええ。だけど三日間は、このゾンビ状態をなんとか維持できる。あなた、お兄ちゃんのタカくんよね?」
 月蜜さんの質問に、俺はこくんと首を縦に振る。
「今、あなたしか和音を助けられる人間はいないわ。だからどうにかして、彼女の心残り――願いを叶えてあげること」
 俺はつい、無茶ブリをする死神をにらみつけてしまった。黒髪ストレートの巨乳なんて、普段だったらめちゃくちゃ好みのタイプだ。カズと正反対っていうと、こいつは怒るんだろうけど。それでも今はのんきなことを言っている場合じゃない。月蜜さんは、のんびりと宙に浮いたままこちらに迫って来る。
「私だって困ってるんだから。最近魂の回収率が下がっちゃって、上から怒られてるところなのよ。だからお願い。和音を助けてあげて?」
 自分の好みの女性に、瞳をうるうるさせてお願いされると嫌とは言えない。しかも目の前にはでかい乳。
「……わかったよ」
 俺がぼそっとつぶやくと、月蜜さんは飛びついてきた。
「ありがとう、タカくん! きちんと和音を成仏させてあげてね!」
「あ、ああ」
「なにさ、鼻の下伸ばしちゃって!」
 カズはご機嫌斜めで、つんとそっぽを向いている。
「ボクと全然態度が違う! ボクが倒れそうだった時は避けたくせに、わけわからない死神に抱きつかれるのはいいんだ?」
「死神は空気みたいなもんだろ。触られてる感覚もないし。死体はその……『物体』だから。重いし、においだってしそうだし、湿ってたりするし……」
「ひっどい! ボクがまるで生ゴミみたいじゃん!」
「……生ゴミに近い。ゾンビだろ?」
「兄ちゃん、そんなこというと……」
「お、おお、や、やるのか?」
 ふらりと立ち上がるカズ。もしかして殴られる? 俺が手袋をはめた手でガードしようとすると、ガシッと抱きつかれた。
「う、うおおおおっ……洗面器、トイレ、流し……」
「ふふん、このままちゅーしてもいいんだからね?」
「し、死体とキスだと! 妹と、ってだけでもどうかと思うのに、勘弁してくれ!」
「生ゴミ扱いしたこと、謝る?」
「謝る! 謝るからっ!」
「なら、よし」
 カズから解放された瞬間、俺はダッシュでトイレに入った。また何度か吐いたあと、さらに『死体からキスされる』という絶望的なシチュエーションを想像し、再度胃液さえ出なくなるまで吐いた。

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