第2話

文字数 1,683文字

 年齢が年齢でしたので、いざというときの連絡先や、菩提寺へのお願い等の準備は、ある程度出来ていました。ですが、それ以外にも、しなければならないことが山ほどあります。

 人が一人亡くなるというのは、簡単なことではありません。

 お葬式を出すためには、医師の死亡診断書(もしくは、警察による死体検案書)が必要になります。祖母の場合は、死亡確認をして頂いた主治医の先生にお願いしましたので、後ほど医院まで取りに伺うことになっています。

 そして、それを持参して、区役所の戸籍・住民登録窓口で、死亡届と住民票の抹消届を提出し、死体火葬許可証を頂かなければなりません。

 まず、この一連の作業は、弟の担当としました。第三者でも手続きは可能ですが、こうしたご時世ですから、身分確認だ何だと、手続きがややこしくなることがあり、その点、続き柄が孫なら、比較的簡単です。




 今すぐではないものの、明確にしておかなければならない事項も多々あります。

 祖母は、年金受給者でしたから、その停止手続きと、要介護で、介護サービスも受けていましたので、そちらの停止手続きも必要です。

 弟が区役所へ行くついでに手続きをすれば、一度で済むのですが、母に聞いても、肝心の書類関係がどこにあるのか、分からないと言うのです。

 他にも、祖母名義の土地建物や資産、銀行口座などの確認作業をしなければならないので、先ずは通帳やら、登記簿やら、証券やらの所在を、突き止める必要があります。




 祖母なら、どこにしまっていたか? 皆であれこれ推理しながら、お仏壇の引き出し、押し入れの手箱の中、茶箪笥など、思い当たる場所を見て回ったのですが、それらしきものは見当たらず。

 通常、そうしたものの管理は、同居する家族の誰かがしているものですが、ずっと祖母がしっかりしていたものですから、父も母も聞かされていないというのです。


「誰か、何か聞いてないの?」

「私は何も。お姉ちゃんなら、おばあちゃんと仲が良かったから、聞いてるんじゃない?」


 妹にそう言われ、ふと、以前に聞いていた祖母の言葉を思い出し、もう一度、茶箪笥の引き出しを確認してみました。

 さっきは見落としていましたが、そこには他のものと比べ、明らかに違和感のある、一冊のノートが仕舞われていました。

 一年ほど前、まだ祖母の頭がはっきりしていた頃、電話で話していたのです。


「もし私が死んだら、茶箪笥の真ん中の引き出しの、お帳面を見てね」


 その時は、何のこっちゃ? と思っていたのですが、それは間違いなく、『エンディングノート』でした。

 ざっくりとではありますが、指輪から不動産まで、自分名義の資産のリストや、重要な書類・印鑑等の保管場所、担当者の名前、今しがた探していた年金関係等のことなども、一目瞭然に記載してあり、その場所を探すと、すべて記載通りの場所に保管されていました。

 何より驚いたのは、祖父の眠るお墓がある菩提寺の住所や電話番号があり、そこには、すでに自分の戒名や、法要の段取り等に関しても、ご住職様とお話済みの記載がされていたのです。




 四半世紀前、我が家では、祖父が他界した際に、パニック状態になった経緯がありました。当時、私は中学生でしたので、今でもその時のことは、よく覚えています。

 それを教訓に、95歳(当時)の祖母は、自身の死後、私たちが慌てないように、必要なことを、きちんとしたためてくれていたのでしょうか。

 世間の流行や情報に敏感で、新しいものが大好きで、チャレンジ精神旺盛だった祖母。90代で、テレビ番組の予約録画や、電話の短縮ダイヤル登録も難なくこなしたスーパーばーちゃんは、最後の最後まで、時代の流れに乗りまくりでした。




 祖母が生まれたのは、明治の終盤。日本が第一次世界大戦で戦勝国となり、国内外で、急激な経済成長を遂げた時代に、幼少期を過ごしました。

 好景気に湧く時代背景で、思春期以降は、大正ロマンといわれる文化を強く受け、西洋の文化や新しいものをこよなく愛する、モダンガール(モガ)と呼ばれる女性に成長したのです。



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