第1話
文字数 1,868文字
いつもと同じように、その日も、お庭で朝の水遣りをしていたときのことでした。突然、すぐ横のバラの枝が、バサッと音を立てて、倒れ込みました。
どうやら、フェンスに括り付けていた麻紐が切れたらしく、長く伸ばしたつるバラの枝が、自力では支えきれずに、力なく地面にしなだれています。
散水していたホースの水を止め、ほどけた個所を結わえ直そうとしましたが、見ると、紐の真ん中から、ぷっつりと切断していました。
劣化していたのでしょうか、これでは結び直すのは無理と判断し、新しい紐を持ちだして、再びフェンスに括り付けた時でした。
ふと、視線を感じて、辺りを見回したのですが、周囲には人も鳥獣もおらず、気のせいと思い、地面から切れた麻紐を拾い上げたとき、電話の着信がありました。
「はい、もしもし。…え? おばあちゃんが…?」
母からの電話は、祖母の死を告げるものでした。
私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。
ほんの一週間ほど前、突然、母から連絡があり、このところ、祖母があまり元気がないので、もし時間があれば、顔を見せに来るように、とのことで、その週末、久しぶりに、夫と二人で私の実家へ行きました。
母の話では、ここ数日はあまり食欲がなく、水分は飲むものの、食べ物はわずかしか口にしていないといいます。
そこで、実家へ向かう途中にある、美味しいと評判のスイーツ店で、以前にもお土産に持参して好評だった、祖母の大好物のプリンを買って行くことにしたのです。
私たちの顔を見た祖母は、それは嬉しそうな笑顔を見せ、側にいた父に、
「おばあちゃん、この人、誰だか分かる?」
と訊かれると、はっきりとした口調で、
「こうちゃん」
と、子供の頃からの呼び方で、私の名前を答えました。
御歳96歳。半年ほど前から、徐々に認知症らしい症状も出始め、歩くのも介助が必要になっていました。
ここ一か月ほどは、人の認識も怪しくなって来ており、常に一緒にいる父母は分かるものの、頻繁に会っていた弟妹や、可愛がっていた曾孫たちですら怪しくなっていたので、数か月ぶりに会う私を認識出来たのは、父も私たちも意外でした。
「おばあちゃん、食欲がないって聞いたから、プリン買ってきたの。食べる?」
「こうちゃんが作ってくれたの?」
「ううん、前に、おばあちゃんが『美味しい』って言ってたお店で、買ってきたの。ほら、おばあちゃんの好きなカスタードプリンだから」
箱を開けると、濃厚な香りが広がり、それだけでも食欲を掻き立てられます。
一口スプーンにすくって、祖母の口に運ぶと、美味しそうに味わい、お代りを要求し、あっという間に、一つを食べきってしまいました。
「美味しいわねぇ~。これは、こうちゃんが作ってくれたの?」
また同じことを問う祖母。
「違うよ。これは買ってきたの」
「銀座のお店で?」
「それも、ちょっと違うかな」
「じゃあ、やっぱりこうちゃんが作ってくれたのね」
祖母がそう思っているのなら、それでも良いか、と思い、『今度来るときは、作ってくるから、楽しみにしていてね』と伝え、その日は帰宅したのでした。
夜になり、用事で出かけて不在だった母から電話がありました。
私たちが帰ってから、『今日は、こうちゃんとお婿さんが遊びに来て、プリンを食べた』と、嬉しそうに、何度も何度も繰り返し、父や母に話していたのだそうです。
そして、あれほど食欲がなかったというのに、『こうちゃんのプリンがあったと思うんだけど』と催促し、2個を完食。本人は最後まで、私が作ったのだと思い込んでいたようでした。
あの時は、あんなに元気そうにしていたのに、今朝になって、突然、呼吸が苦しそうになり、急いで主治医の先生に往診をお願いしたのですが、先生の到着を待たず、息を引き取りました。
加齢による年相応の衰えはありましたが、特に病気もなく、死の間際も、苦しそうな呼吸が数分続き、それが治まったと思ったら、そのまま眠るように逝ったのだそうです。
あまりにも突然で、あまりにもあっけない旅立ちでしたから、私たち姉弟の誰も、臨終に立ち会うことは出来ず、それもまた、さばさばした祖母の性格を表しているようにも感じられます。
まだ亡くなったという実感すら湧かないない中、急いで実家に戻った私の目に飛び込んだのは、穏やかな表情で横たわる祖母の姿。
とても90代には見えない肌の張りや艶は、呼びかければ、今にも起き上がりそうで、生気に満ち溢れているように見えました。
どうやら、フェンスに括り付けていた麻紐が切れたらしく、長く伸ばしたつるバラの枝が、自力では支えきれずに、力なく地面にしなだれています。
散水していたホースの水を止め、ほどけた個所を結わえ直そうとしましたが、見ると、紐の真ん中から、ぷっつりと切断していました。
劣化していたのでしょうか、これでは結び直すのは無理と判断し、新しい紐を持ちだして、再びフェンスに括り付けた時でした。
ふと、視線を感じて、辺りを見回したのですが、周囲には人も鳥獣もおらず、気のせいと思い、地面から切れた麻紐を拾い上げたとき、電話の着信がありました。
「はい、もしもし。…え? おばあちゃんが…?」
母からの電話は、祖母の死を告げるものでした。
私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。
ほんの一週間ほど前、突然、母から連絡があり、このところ、祖母があまり元気がないので、もし時間があれば、顔を見せに来るように、とのことで、その週末、久しぶりに、夫と二人で私の実家へ行きました。
母の話では、ここ数日はあまり食欲がなく、水分は飲むものの、食べ物はわずかしか口にしていないといいます。
そこで、実家へ向かう途中にある、美味しいと評判のスイーツ店で、以前にもお土産に持参して好評だった、祖母の大好物のプリンを買って行くことにしたのです。
私たちの顔を見た祖母は、それは嬉しそうな笑顔を見せ、側にいた父に、
「おばあちゃん、この人、誰だか分かる?」
と訊かれると、はっきりとした口調で、
「こうちゃん」
と、子供の頃からの呼び方で、私の名前を答えました。
御歳96歳。半年ほど前から、徐々に認知症らしい症状も出始め、歩くのも介助が必要になっていました。
ここ一か月ほどは、人の認識も怪しくなって来ており、常に一緒にいる父母は分かるものの、頻繁に会っていた弟妹や、可愛がっていた曾孫たちですら怪しくなっていたので、数か月ぶりに会う私を認識出来たのは、父も私たちも意外でした。
「おばあちゃん、食欲がないって聞いたから、プリン買ってきたの。食べる?」
「こうちゃんが作ってくれたの?」
「ううん、前に、おばあちゃんが『美味しい』って言ってたお店で、買ってきたの。ほら、おばあちゃんの好きなカスタードプリンだから」
箱を開けると、濃厚な香りが広がり、それだけでも食欲を掻き立てられます。
一口スプーンにすくって、祖母の口に運ぶと、美味しそうに味わい、お代りを要求し、あっという間に、一つを食べきってしまいました。
「美味しいわねぇ~。これは、こうちゃんが作ってくれたの?」
また同じことを問う祖母。
「違うよ。これは買ってきたの」
「銀座のお店で?」
「それも、ちょっと違うかな」
「じゃあ、やっぱりこうちゃんが作ってくれたのね」
祖母がそう思っているのなら、それでも良いか、と思い、『今度来るときは、作ってくるから、楽しみにしていてね』と伝え、その日は帰宅したのでした。
夜になり、用事で出かけて不在だった母から電話がありました。
私たちが帰ってから、『今日は、こうちゃんとお婿さんが遊びに来て、プリンを食べた』と、嬉しそうに、何度も何度も繰り返し、父や母に話していたのだそうです。
そして、あれほど食欲がなかったというのに、『こうちゃんのプリンがあったと思うんだけど』と催促し、2個を完食。本人は最後まで、私が作ったのだと思い込んでいたようでした。
あの時は、あんなに元気そうにしていたのに、今朝になって、突然、呼吸が苦しそうになり、急いで主治医の先生に往診をお願いしたのですが、先生の到着を待たず、息を引き取りました。
加齢による年相応の衰えはありましたが、特に病気もなく、死の間際も、苦しそうな呼吸が数分続き、それが治まったと思ったら、そのまま眠るように逝ったのだそうです。
あまりにも突然で、あまりにもあっけない旅立ちでしたから、私たち姉弟の誰も、臨終に立ち会うことは出来ず、それもまた、さばさばした祖母の性格を表しているようにも感じられます。
まだ亡くなったという実感すら湧かないない中、急いで実家に戻った私の目に飛び込んだのは、穏やかな表情で横たわる祖母の姿。
とても90代には見えない肌の張りや艶は、呼びかければ、今にも起き上がりそうで、生気に満ち溢れているように見えました。