第4話

文字数 1,951文字

 祖母の実家は、街外れの、やや鬱蒼とした木々が両脇に続く坂道を上り、その突き当りに開けた、広い敷地にありました。

 代々続く旧家で、家族は、両親と、3歳上の兄と、5歳下の妹の五人。祖父母は、物心付くか付かないか頃に、亡くなっていました。

 大きなお屋敷には、専属の庭師が設える、見事な庭園が広がり、母屋の脇には、何棟かの蔵が並びます。何しろ、古い蔵ですので、家人でさえ、所蔵されている中身の全ては把握し切れていなかったそうです。

 私自身、祖母実家には、子供の頃から何度も行っていましたが、老朽化して危険な個所もあり、一人では傍へ行かないように、きつく言われておりました。

 ですが、好奇心旺盛な子供のこと。祖母や、まだ健在だった曾祖母の目を盗んでは、こっそり探検に行ったその場所で、一人のお友達と出会うのですが、それはまた、別のお話。




 当時、祖母実家には、大きなワンコのポチと、年をとって寝てばかりの三毛猫、ミーちゃんがおり、動物好きな私には、とても魅力的な場所。

 何より、一番の特徴は、大きな鳩小屋があったことです。時間帯によって、小屋から放たれる鳩たちが、一斉に上空に舞い上がり、大きな円を描いて、空に羽ばたいて行く様は、子供心にも圧巻でした。

 まだ幼かった私には、知り得ないことですが、その鳩はかつて、軍用の伝書鳩として用いられていたものでした。というのも、祖母の父も兄も海軍の軍人で、二代続けての職業軍人だったのです。

 まだ、当時は情報伝達手段が少なく、伝書鳩は重要な通信手段の一つ。電話や電報なども、電気自体の供給が不安定だったりしたため、早急に、安定して一度に大量の情報をやり取りするのに、重宝されていました。

 少女だった頃の祖母のお仕事は、鳩たちの食餌のお世話と、小屋のお掃除、そして、鳩たちの足に着けられた『通信管』という小さな筒の中に入っている紙などを回収すること。

 小さな文字がびっしり書かれた紙は、一枚もない日もあれば、大量に届く日もありました。回収した紙は、纏めて鍵のかかる箱に入れ、父親(私の曽祖父)の書斎の、さらに鍵のかかる引き出しにしまうのです。

 お屋敷には、使用人と呼ばれる人たちがいたのですが、祖母以外の人間は、鳩や鳩小屋に近づくことすら許されず、鳩たちの排泄物のお掃除まで、屋敷のお嬢様である祖母がしていたのは、それほど重要な情報だった、ということでしょう。

 なぜ祖母だったのかは、身内(娘)であることと、まだ幼い女の子なら、中身を見られたところで、書かれている内容までは理解出来ないだろうという目算もあったかもしれません。

 その任務は、祖母が結婚して家を出るまで続き、後継は、兄の長女となりました。




 そうした厳格な家庭に生まれ育った祖母が、なぜモガになったかといいますと、女学校へ進学したことからでした。

 尋常小学校を卒業し、12歳から五年間、祖母が通学していた藍玉高等女学校は、創立して10年程の新しい学校でしたが、厳格な女子教育で定評があり、まだ女子の学校が少なかったことも手伝い、良家の子女たちが多く在籍していました。




 当時の女の子たちの間では、大正ロマンに代表される竹下夢二が大ブームで、祖母も、彼の描く挿絵に魅了された一人でした。

 見慣れた周囲の女性たちが身に付ける和装とは違い、見たこともないような西洋の衣装に身を包み、しなやかなポーズで、魅惑的な笑みを浮かべる女性の絵。

 先生に見つからないように、休憩時間にこっそりと回し見る挿絵集に、少女たちの心は、どんなにかときめいたことでしょう。

 女学校の生徒ですから、お裁縫はお手のもの。挿絵を頼りに、洋服を自作する者まで現れ、また、それを親に見つからないように、こっそり着用して、鏡に写った自身の姿に悦に入るのです。




 当然、祖母も自宅でそのような格好が許されるはずもなく、こっそりコスプレを楽しむのが精一杯でしたが、それも祖父との結婚で一変します。

 当時の女性には『三従の道』といって、『生家では父親に従い、結婚したら夫に従い、夫亡き後は息子に従え』という教えを守らなければなりませんでした。

 親が決めた結婚相手はモボ、親から離れれば、次に従うべきは夫。つまり祖母からすれば、夫の希望に従っているのですから、正々堂々、自分の趣味にまい進出来るということです。

 ただ、日常生活すべてで実践するには、世間の目や、多少の抵抗もあり、大都会へのお出掛け限定ではありましたが、その非日常と、自分たちの希望が重なり、余計に楽しい時間だったと思います。

 今ほど、何もかもが自由ではなく、沢山の制限がある中で、自分たちなりに自由を満喫した祖父母にとって、それは生涯の中でも、とても幸せだった時期の一つでした。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み