第2話
文字数 1,391文字
わたしは今、豊かで艶のある髪の毛の一房を細い白いリボンで結ばれ、長くのばしたリボンの片端は自転車置き場のフェンスに繋がれていた。
わたしは誰のものか分からぬ錆びた自転車の荷台に置かれており、そんな儚いくびきで縛られているのである。
どれほども待たないうちに、男は戻ってきてわたしに笑顔を向ける。
どう、待った、ごめんねと、いっぱしの彼氏気取りで男は言い、太い不器用な指で、フェンスにつないだリボンをほどくのだった。
わたしを抱き上げてぶよぶよとした胸に顔を押し付けさせ、男はのそのそと歩き出す。
夜の学生街はいよいよ明るく、飲食店はかきいれどきを迎えているのだった。
しかし男はどこにも寄ることはなく、わたしを汗と脂で匂い胸に抱きながら、すれ違う人の目をことごとく避けるようにして下宿に急ぐ。
そして男は到着する。水回りが古いために、日常的に臭気が漂う古いアパートに。
木造のアパートの二階に、男の住居はある。
男はそそくさと階段を上がり、位蛍光灯の明かりの下で玄関のカギを開く。重たい音を立てて扉は開き、こもった湿っぽい匂いが鼻をついた。
男の部屋は汚れている――。
男は大事そうにわたしをかかえ、部屋の中に入ると明かりをつけた。
壁中に貼ってあるのは、少女向けアニメーションのポスター。中には大人向けのものもあり、下着が見えた姿で頬を染めた、幼げな少女の絵姿もあった。
無数の少女の絵姿の中で彼は湿った酒臭い布団の上にわたしを置き、うっとりと眺める。
分厚い唇はよだれを垂らさんばかりとなり、こらえきれない欲情を極限まで耐え、あるラインを越えたところで「こと」を済ますのが、彼の毎晩の日課だった。
必ず彼は言う。許せない、愛おしい、許せない、と。
抗いきれない官能の渦に身をもだえさせ、コンビニの食品の空き箱やレトルトの袋が散らばる床の上に転がりながら、恨めしそうにわたしを見つめる。
「どうしてだ。どうして君には……」
からだ、がないのだ。
「君にからだがないせいで、僕はこれほど苦しまねばならない。どうして君にはからだがないのだ、にもかかわらずそんな美しい顔をして」
許せない。僕はどうしても、君を許すことがきない。
**
わたしは美しい、首だけの女。
体は冥途に忘れてきてしまった。この世にいつから生を受けたのかも分からない。
もうどれほどの男を旅してきたのかも――。
誰も、からだのないわたしを「抱く」ことは叶わない。ただ顔を見つめ、欲望を沸き立たせ、せいぜいで唇を奪うだけ。
その接吻も、男の口臭を嫌うわたしが歯を立てて終了する。だから、男の唇は常に赤がにじんでいる。
何度か、ぶあつく図々しい舌が絡んできたことがあったが、千切れよとばかりに噛んでやったものだ。
男はわたし放り出すようにして離し、慟哭しながら汚い部屋中を転げまわったのである。
ちかちかとする蛍光灯の下で――。
毎夜、繰り広げられる妖しい絵よ。
日々、蓄積されてゆく汚れの上を男は転げまわり、一人芝居をしながら己自身の手で果てる。
わたしは布団の上でそれを眺める。
冷酷な目だ、その目が溜まらない、と男は言う。溜まらなく愛おしい、そして、許せない、憎い、と。
無数の、永遠の笑顔を刻んだ少女の絵の中で。
わたしは誰のものか分からぬ錆びた自転車の荷台に置かれており、そんな儚いくびきで縛られているのである。
どれほども待たないうちに、男は戻ってきてわたしに笑顔を向ける。
どう、待った、ごめんねと、いっぱしの彼氏気取りで男は言い、太い不器用な指で、フェンスにつないだリボンをほどくのだった。
わたしを抱き上げてぶよぶよとした胸に顔を押し付けさせ、男はのそのそと歩き出す。
夜の学生街はいよいよ明るく、飲食店はかきいれどきを迎えているのだった。
しかし男はどこにも寄ることはなく、わたしを汗と脂で匂い胸に抱きながら、すれ違う人の目をことごとく避けるようにして下宿に急ぐ。
そして男は到着する。水回りが古いために、日常的に臭気が漂う古いアパートに。
木造のアパートの二階に、男の住居はある。
男はそそくさと階段を上がり、位蛍光灯の明かりの下で玄関のカギを開く。重たい音を立てて扉は開き、こもった湿っぽい匂いが鼻をついた。
男の部屋は汚れている――。
男は大事そうにわたしをかかえ、部屋の中に入ると明かりをつけた。
壁中に貼ってあるのは、少女向けアニメーションのポスター。中には大人向けのものもあり、下着が見えた姿で頬を染めた、幼げな少女の絵姿もあった。
無数の少女の絵姿の中で彼は湿った酒臭い布団の上にわたしを置き、うっとりと眺める。
分厚い唇はよだれを垂らさんばかりとなり、こらえきれない欲情を極限まで耐え、あるラインを越えたところで「こと」を済ますのが、彼の毎晩の日課だった。
必ず彼は言う。許せない、愛おしい、許せない、と。
抗いきれない官能の渦に身をもだえさせ、コンビニの食品の空き箱やレトルトの袋が散らばる床の上に転がりながら、恨めしそうにわたしを見つめる。
「どうしてだ。どうして君には……」
からだ、がないのだ。
「君にからだがないせいで、僕はこれほど苦しまねばならない。どうして君にはからだがないのだ、にもかかわらずそんな美しい顔をして」
許せない。僕はどうしても、君を許すことがきない。
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わたしは美しい、首だけの女。
体は冥途に忘れてきてしまった。この世にいつから生を受けたのかも分からない。
もうどれほどの男を旅してきたのかも――。
誰も、からだのないわたしを「抱く」ことは叶わない。ただ顔を見つめ、欲望を沸き立たせ、せいぜいで唇を奪うだけ。
その接吻も、男の口臭を嫌うわたしが歯を立てて終了する。だから、男の唇は常に赤がにじんでいる。
何度か、ぶあつく図々しい舌が絡んできたことがあったが、千切れよとばかりに噛んでやったものだ。
男はわたし放り出すようにして離し、慟哭しながら汚い部屋中を転げまわったのである。
ちかちかとする蛍光灯の下で――。
毎夜、繰り広げられる妖しい絵よ。
日々、蓄積されてゆく汚れの上を男は転げまわり、一人芝居をしながら己自身の手で果てる。
わたしは布団の上でそれを眺める。
冷酷な目だ、その目が溜まらない、と男は言う。溜まらなく愛おしい、そして、許せない、憎い、と。
無数の、永遠の笑顔を刻んだ少女の絵の中で。