第10話 図工vsクー
文字数 3,379文字
トラックの窓ガラスを修理してから一か月くらい経っただろうか。
毎日一日中乗り回してようやく、調子が戻ったみたいだ。
これでも実は、戻りは早い方で、他のトラックだと一年から一年半はかかってしまう。
ひとえに、金次郎の乗り方が上手いのだろう。
あまり消耗させない乗り方。
まさに技術。
そしてその技術が、俺を奮い立たせてくれる。
喜ばせてくれる。
癒してくれる。
最高の女性が俺の前に現れない限り、技術だけが俺にとっての愛となる。
これでいいのか?と自問自答するような日々は、若い頃に済ませてある。
そんな考えを持ったままだと、最高の女性が訪れるどころか、毎日の技術すらも純粋に感じられなくなる。
人生が恐ろしく軽くなってしまうのだ。
だから今は、純粋に金次郎が築き上げた技術を感じている。
丁寧に、慎重に消耗させたエンジンを体全体で感じている。
そうすることによって、消耗したものを取り戻す。
俺の不思議な力。
消耗品を消耗前に戻す能力。
ただ、消耗した以上に使い込まなくてはいけないから、時間はかかってしまうし、体力をかなり削られてしまう。
だがそれでも、消耗前に戻せるのは素晴らしいことだと思っている。
修理ではなく、戻せるのだから。
この能力は、限られた一部分の人間しか知らない。
だから、俺に仕事を頼む人々の大半は修理と勘違いしてやって来る。
消耗で緩んだ部分を締めたり、消耗で痛んだ部分を埋めたり、新しい部品に交換したりしていると、勘違いしている。
これに関しても、これでいいのか?と自問自答する日々は終わらせている。
むしろ、この町で『図工』として生きるには十分すぎるほどだ。
今はこれでいい。
モノが治りさえすれば、それでいいのだ。
大型トラックに乗っていると巨人になった気になれる。
視点が高い状態のまま、移動ができるからだ。
普段歩いていると見えないところも、大型トラックに乗れば見ることができるのだ。
いつもならば、例え面白そうなものを見つけたとしても、トラックを停めず真っ直ぐ帰るのだが、今日はそうはいかなかった。
縦も横も大きな男が、見覚えのある女性を左肩に担ぎ、森へと伸びている畦道を歩いていたからだ。
俺は急いでトラックを広い場所に停め、運転席の後ろから刀が入っている鞘袋を持って、キャビンから飛び降りた。
あの畦道は何度も通ったことがあるから、すぐに男を見つけることができた。
しかし、山道で足音を消すのは至難の技だ。だから当然、
「誰だ」と男に気付かれてしまったのだ。
一応『道徳』と『音楽』にはメールで連絡したのだが、気付かれるのが早すぎたみたいだ。
俺は鞘袋から取り出した刀を抜き、鞘を地面に置いて、両手で柄を握った。
「素人なのか下手くそなのか、どちらにせよそんな奴が持っていい代物じゃない」
男は顔色一つ変えず、俺にそう言い放った。
「決めつけは良くないな」
すると男は気だるそうに後頭部を掻いた。
「持ち方は正しいけど、それ新品だろ?今日買って初めて握って、初めて何かを斬るのか?前の刀は使い方を間違えて壊したのか?それとも『校長』を攫っている俺を見て、急いで武器が欲しくて、たまたま目の前にあったのが刀だったから買ったのか?どちらにせよ、素振りとか試し切りとかして、手に馴染ませた方がいいぞ」
そう言って男は、校長を優しく地面に下ろした。
「攫っていると聞いてしまっては引き下がれない」
「俺の体は達人でも斬れないぞ」
男の踏み込みと同時に俺は、刀を水平に振った。
刀が途中で止まる。
男が右手で刃を握っていたのだ。
「腕は良いん」
俺は男が話している途中で刀を引き抜いた。
大量の鮮血が、男の右握り拳から流れ始めた。
「手に馴染まないのが難点だが、俺の刀はよく切れるよ」
男は目を見開き、真っ赤に染まった自身の右手の平をじっと眺めていた。
「まさか俺が斬られるとは」
「両腕を切り落とせば、もう校長は攫えないか?」
なんつってね。
実は、手の平から腕を伝ってそのまま胴体まで斬ろうとしたのだが、あまりにも硬すぎて手の平しか斬れなかったのだ。
腕を斬り落とすなんて、とてもとても。
斬る場所を選ぶ必要がある。
それか、あれを使うか。
でもあれは、生き物には使うなと校長に釘を刺されているしな…。
でもでも校長は今、意識がないからな…。
「そしてこの俺を斬って刃こぼれ無しか」
男は構えながら、俺の刀を見て言った。
「そういう能力だと思ってくれたら良い。刀は消耗品だ。俺が振っているうちは切れ味が落ちることはない」
「成程、ずっと新品の状態を維持できるというわけか」
斬られた恐怖からか、男は中々間合いに入ってこない。
「ま、この状態までに持っていくのが大変だったがな」
「なに?」
俺は刀を左右に大きく振りながら、さりげなく鞘を拾った。
刀に合わせて動く男の瞳に、俺は少しだけ笑いそうになる。
「実はこれ、土に埋まっていた錆びた刀だったんだぜ?」
「え?」
男は再び目を見開き、さらに刀を凝視した。
「新品の刀は高くて買えないから、その辺の土を掘り起こして探したよ。見つけたときは嬉しくてね。そこから毎日、この刀を振り続けた。苦行だったが、振れば振るほど錆が取れて、鋭さが戻っていくんだ。完全に戻ったときは幸せだったな」
俺は刀を鞘に納め、鍔を回転させた。
「一体何をしている」
男は訝しげに刀を見ていた。
「校長先生が作ったのは『この町』だけじゃない。『この町』の裏の世界『あの町』も作られた」
「裏の世界?危険なものを売買している危険な世界のことか?」
男は嘲笑しながら、そう言った。
「比喩じゃない。この町の空間の裏側に、本当に存在する世界だ」
「傑作だな」
男はそう言いながらも、回転する鍔から目を離さなかった。
「ま、信じるも信じないもあんたの勝手だが、校長を攫うということはそういうことだ」
俺はそう言って鍔の回転を止め、再び刀を抜いた。
男の眉間に、皺が寄り始める。
「刃がテカテカしているな」
「そうだ。実はこれ、仕込み刀なんだ。この柄の中に『ヌルヌルした液体』が入っていて、鞘に入れた状態で鍔を回転させると液体が刃に染み渡っていくんだ」
「何の為に?」
「単純さ、摩擦が小さければ切れ味が増すだろ?」
「成程な…。んで、校長を攫うということはつまりどういうことなんだ?」
俺は刀を左腰に置き、居合の姿勢を取った。
「『この町』と『あの町』両方を敵に回すことになる」
「それは面白い」
「お前の為を思って言ったんだが」
「何?」
「『あの町』は『この町』より恐ろしいぞ?一度死んで化けた者が行く場所だからな。分かるか?一度死んでいるんだ。加減を知らない怖いもの知らずが集まっているということだぞ」
「言葉だけじゃ俺は納得しない」
「分かっている。だからこの刀で、今からお前を斬る」
「ほぉ」
「この刀に仕込まれている液体は『あの町』の副長が作ったものだ。ほんのわずかな量だが『あの町』の恐ろしさは十分知れる」
男は何も言わず、戦闘態勢を取った。
「闘うことを選択するんだな?」と、俺が訊くと男は、
「据え膳食わぬは男の恥」と言った。
その次の瞬間、俺と男は同時に踏み込んだのだった。
勝負は一瞬だった。
俺は居合切りで、男は大振りの右ストレート。
初めは男の首を狙っていたのだが、仮に首を斬り落とせたとしても、あの右ストレートが飛んでくる可能性があった。
俺は瞬時に腕を斬り落とす選択に切り替えた。
さらに踏み込みは同時。
リーチが長い俺の刀が、先に男の右腕に到達するだろう。
「生き物の骨程度なら、関節に刃を入れずとも簡単に真っ二つ」
『あの町』の副長の言葉が脳裏をよぎったが、男の硬さを覚えていた俺は咄嗟に、男の右肩関節に焦点を絞った。
やはり俺の刀が先に、男の脇辺りに触れた。
しかし、想像以上に男の体は硬く、刃が右肩関節のつなぎ目の途中で止まってしまったのだ。
刀が俺の手から離れていく。
そして次の瞬間には、とてつもなく大きな衝撃が、俺の左頬を貫いていった。
地面に崩れ落ち、遠のいていく意識を俺はただただ見守っていた。
次は止めを刺されるかも。
ならせめて、意識が完全になくなってからでお願いします。
だからもう少しだけ待って欲しい。
俺…遠のく意識を…急かすんで…。
毎日一日中乗り回してようやく、調子が戻ったみたいだ。
これでも実は、戻りは早い方で、他のトラックだと一年から一年半はかかってしまう。
ひとえに、金次郎の乗り方が上手いのだろう。
あまり消耗させない乗り方。
まさに技術。
そしてその技術が、俺を奮い立たせてくれる。
喜ばせてくれる。
癒してくれる。
最高の女性が俺の前に現れない限り、技術だけが俺にとっての愛となる。
これでいいのか?と自問自答するような日々は、若い頃に済ませてある。
そんな考えを持ったままだと、最高の女性が訪れるどころか、毎日の技術すらも純粋に感じられなくなる。
人生が恐ろしく軽くなってしまうのだ。
だから今は、純粋に金次郎が築き上げた技術を感じている。
丁寧に、慎重に消耗させたエンジンを体全体で感じている。
そうすることによって、消耗したものを取り戻す。
俺の不思議な力。
消耗品を消耗前に戻す能力。
ただ、消耗した以上に使い込まなくてはいけないから、時間はかかってしまうし、体力をかなり削られてしまう。
だがそれでも、消耗前に戻せるのは素晴らしいことだと思っている。
修理ではなく、戻せるのだから。
この能力は、限られた一部分の人間しか知らない。
だから、俺に仕事を頼む人々の大半は修理と勘違いしてやって来る。
消耗で緩んだ部分を締めたり、消耗で痛んだ部分を埋めたり、新しい部品に交換したりしていると、勘違いしている。
これに関しても、これでいいのか?と自問自答する日々は終わらせている。
むしろ、この町で『図工』として生きるには十分すぎるほどだ。
今はこれでいい。
モノが治りさえすれば、それでいいのだ。
大型トラックに乗っていると巨人になった気になれる。
視点が高い状態のまま、移動ができるからだ。
普段歩いていると見えないところも、大型トラックに乗れば見ることができるのだ。
いつもならば、例え面白そうなものを見つけたとしても、トラックを停めず真っ直ぐ帰るのだが、今日はそうはいかなかった。
縦も横も大きな男が、見覚えのある女性を左肩に担ぎ、森へと伸びている畦道を歩いていたからだ。
俺は急いでトラックを広い場所に停め、運転席の後ろから刀が入っている鞘袋を持って、キャビンから飛び降りた。
あの畦道は何度も通ったことがあるから、すぐに男を見つけることができた。
しかし、山道で足音を消すのは至難の技だ。だから当然、
「誰だ」と男に気付かれてしまったのだ。
一応『道徳』と『音楽』にはメールで連絡したのだが、気付かれるのが早すぎたみたいだ。
俺は鞘袋から取り出した刀を抜き、鞘を地面に置いて、両手で柄を握った。
「素人なのか下手くそなのか、どちらにせよそんな奴が持っていい代物じゃない」
男は顔色一つ変えず、俺にそう言い放った。
「決めつけは良くないな」
すると男は気だるそうに後頭部を掻いた。
「持ち方は正しいけど、それ新品だろ?今日買って初めて握って、初めて何かを斬るのか?前の刀は使い方を間違えて壊したのか?それとも『校長』を攫っている俺を見て、急いで武器が欲しくて、たまたま目の前にあったのが刀だったから買ったのか?どちらにせよ、素振りとか試し切りとかして、手に馴染ませた方がいいぞ」
そう言って男は、校長を優しく地面に下ろした。
「攫っていると聞いてしまっては引き下がれない」
「俺の体は達人でも斬れないぞ」
男の踏み込みと同時に俺は、刀を水平に振った。
刀が途中で止まる。
男が右手で刃を握っていたのだ。
「腕は良いん」
俺は男が話している途中で刀を引き抜いた。
大量の鮮血が、男の右握り拳から流れ始めた。
「手に馴染まないのが難点だが、俺の刀はよく切れるよ」
男は目を見開き、真っ赤に染まった自身の右手の平をじっと眺めていた。
「まさか俺が斬られるとは」
「両腕を切り落とせば、もう校長は攫えないか?」
なんつってね。
実は、手の平から腕を伝ってそのまま胴体まで斬ろうとしたのだが、あまりにも硬すぎて手の平しか斬れなかったのだ。
腕を斬り落とすなんて、とてもとても。
斬る場所を選ぶ必要がある。
それか、あれを使うか。
でもあれは、生き物には使うなと校長に釘を刺されているしな…。
でもでも校長は今、意識がないからな…。
「そしてこの俺を斬って刃こぼれ無しか」
男は構えながら、俺の刀を見て言った。
「そういう能力だと思ってくれたら良い。刀は消耗品だ。俺が振っているうちは切れ味が落ちることはない」
「成程、ずっと新品の状態を維持できるというわけか」
斬られた恐怖からか、男は中々間合いに入ってこない。
「ま、この状態までに持っていくのが大変だったがな」
「なに?」
俺は刀を左右に大きく振りながら、さりげなく鞘を拾った。
刀に合わせて動く男の瞳に、俺は少しだけ笑いそうになる。
「実はこれ、土に埋まっていた錆びた刀だったんだぜ?」
「え?」
男は再び目を見開き、さらに刀を凝視した。
「新品の刀は高くて買えないから、その辺の土を掘り起こして探したよ。見つけたときは嬉しくてね。そこから毎日、この刀を振り続けた。苦行だったが、振れば振るほど錆が取れて、鋭さが戻っていくんだ。完全に戻ったときは幸せだったな」
俺は刀を鞘に納め、鍔を回転させた。
「一体何をしている」
男は訝しげに刀を見ていた。
「校長先生が作ったのは『この町』だけじゃない。『この町』の裏の世界『あの町』も作られた」
「裏の世界?危険なものを売買している危険な世界のことか?」
男は嘲笑しながら、そう言った。
「比喩じゃない。この町の空間の裏側に、本当に存在する世界だ」
「傑作だな」
男はそう言いながらも、回転する鍔から目を離さなかった。
「ま、信じるも信じないもあんたの勝手だが、校長を攫うということはそういうことだ」
俺はそう言って鍔の回転を止め、再び刀を抜いた。
男の眉間に、皺が寄り始める。
「刃がテカテカしているな」
「そうだ。実はこれ、仕込み刀なんだ。この柄の中に『ヌルヌルした液体』が入っていて、鞘に入れた状態で鍔を回転させると液体が刃に染み渡っていくんだ」
「何の為に?」
「単純さ、摩擦が小さければ切れ味が増すだろ?」
「成程な…。んで、校長を攫うということはつまりどういうことなんだ?」
俺は刀を左腰に置き、居合の姿勢を取った。
「『この町』と『あの町』両方を敵に回すことになる」
「それは面白い」
「お前の為を思って言ったんだが」
「何?」
「『あの町』は『この町』より恐ろしいぞ?一度死んで化けた者が行く場所だからな。分かるか?一度死んでいるんだ。加減を知らない怖いもの知らずが集まっているということだぞ」
「言葉だけじゃ俺は納得しない」
「分かっている。だからこの刀で、今からお前を斬る」
「ほぉ」
「この刀に仕込まれている液体は『あの町』の副長が作ったものだ。ほんのわずかな量だが『あの町』の恐ろしさは十分知れる」
男は何も言わず、戦闘態勢を取った。
「闘うことを選択するんだな?」と、俺が訊くと男は、
「据え膳食わぬは男の恥」と言った。
その次の瞬間、俺と男は同時に踏み込んだのだった。
勝負は一瞬だった。
俺は居合切りで、男は大振りの右ストレート。
初めは男の首を狙っていたのだが、仮に首を斬り落とせたとしても、あの右ストレートが飛んでくる可能性があった。
俺は瞬時に腕を斬り落とす選択に切り替えた。
さらに踏み込みは同時。
リーチが長い俺の刀が、先に男の右腕に到達するだろう。
「生き物の骨程度なら、関節に刃を入れずとも簡単に真っ二つ」
『あの町』の副長の言葉が脳裏をよぎったが、男の硬さを覚えていた俺は咄嗟に、男の右肩関節に焦点を絞った。
やはり俺の刀が先に、男の脇辺りに触れた。
しかし、想像以上に男の体は硬く、刃が右肩関節のつなぎ目の途中で止まってしまったのだ。
刀が俺の手から離れていく。
そして次の瞬間には、とてつもなく大きな衝撃が、俺の左頬を貫いていった。
地面に崩れ落ち、遠のいていく意識を俺はただただ見守っていた。
次は止めを刺されるかも。
ならせめて、意識が完全になくなってからでお願いします。
だからもう少しだけ待って欲しい。
俺…遠のく意識を…急かすんで…。