三・茄子(1)

文字数 2,164文字

 とりあえず「おもちゃ」たちを車のトランクに入れた俺は、行きつけの喫茶店に行くことにした。そこは特別お洒落でもなければ、上手いコーヒーを煎れる店でもなかったが、行くべき理由があった。その喫茶店では、茄子が働いているのだ。

 茄子は、喫茶店でバイトをしている女子高生だ。同じ名前だからか、『進ぬ!電波少年』の懸賞品生活で有名になった「なすび」の見た目をしている。

「あ、いらっしゃい」

 茄子は髭の向こうから黄色い歯を見せて、いつもの可愛らしい笑顔で迎えてくれた。事あるごとに話しかけたお陰で、俺たちはもう、ただの店員の常連客以上の親密な関係になっている。

「いつものコーヒーお願い」
「コロンビアコーヒーですね。かしこまりました!」

 俺は厨房へと小走りで向かう茄子の後ろ姿を見ていた。エプロンの余った紐が尻尾の様に揺れる。

 「この娘を近い内に自分のものにして見せる」と思っている。しかし俺たちはまだ恋仲になっているわけではなかった。時々バイト終わりの彼女を車に乗せて家まで送る程度で、そのドライブ中寄り道をすることはなく、車中では他愛のない会話をして過ごした。俺にはまだ、恋愛に関する踏み込んだことは中々勇気が出なくてできていない。

  俺がここまで茄子に焦心しているのも、鷹によってタガが外れた為だ。バレなければ浮気ではないし、多少のストレス発散が夫婦生活を円満にする秘訣だと俺は考えて罪悪感を解消していた。最近では寧ろ、富士山に対して「お前の為に浮気をしているのだ」とさえ思っていた。「俺のこの欲求をお前にぶつければ、お前にとって大きな負担になるから、他の誰かに担ってもらっているのだ」と富士山への愛情を浮気の理由にしていた。

 俺が浮気を鷹だけで満足できなかったのは、鷹を恋愛対象として捉えられないことに原因があると思う。妻もセックスフレンドもいるのにまだ満足していないことを自覚した時、自分にまだ足りていないタイプの女性がいるのだとしたら、それは恋人であると気が付いたのだ。

 そう考え始めると、久しく誰かに恋い焦がれるという体験をしていないことに気が付き、無性に彼女が欲しくなった。

 そんな時期に俺は喫茶店に立ち寄った。鷹の時とは反対に当時の俺は相手を探しに様々な場所に足を運んでいた。しかしこれという相手は見つからなかった。ある程度成熟してしまっている女性は、どうしても性的な眼で見てしまう。性的な眼で見ると、鷹とのプレイに集中できない。そうゆう危険性がある女性は恋人候補にならなかった。

 そして俺は茄子に出逢ったのだった。数か月前、恋人候補を探し疲れた俺はこの喫茶店で休憩しながら、「純朴そうな娘はどこにいるのだろうか」と頭を悩ませていた。そのような思索を皿の割れる鋭い音が中断させた。そして反射的に視線を向けた先で、俺の視点は動かなくなった。そこに茄子がいたからだ。

 その庇護欲をそそる見た目に俺は惹かれた。手入れをされていない髭、黄色い歯、そして痩せぎすの体・・・。そのような娘が、客に対してほとんど泣きそうな表情で頭を下げているのが、また俺の庇護欲を増大させた。さらに垢抜けていない田舎娘のような、しかし磨けば光るダイアの原石のようなビジュアルの良さも合わさって、俺は「この娘を守り、そして育てたい」と茄子に夢中になった。

 何度か通って話を聞くと、俺の先見は概ね予想通りだったが、茄子の身の上話は予想以上に庇護欲をそそるものだった。彼女は地方から出て来たばかりの公立高校に通う一年生で、地元に残してきた両親、合わせて六人の弟たちと妹たちの家計を支える為、この喫茶店でバイトをし、少しでも貯金ができると実家に仕送りをしているとのことだった。

 俺はその話を聞いた時涙を禁じ得なかった。そして茄子を支えたいと思った。それ以来彼女を送る度に、富士山には内緒にしているが、別れ際に決まって数万円のこずかいをあげている。

 茄子がお盆を持って近付いて来る。こぼさないようにと、口元を尖らせながらコーヒーの水面に意識を集中している様が愛おしい。

「お待たせしました、コロンビアコーヒーです。お熱いのでお気をつけて」
「ありがとう」

 茄子がこちらに向けてくれたカップの取手に指を引っ掛け、コーヒーを口に運ぶ。横目で茄子の様子を見ていると、用事が済んだのにも関わらず、その場に残っている。

「どうしたの?」

 その訳は知っていたが、俺は一応聞いた。

「あの、今日も送って行ってくれますか?」

 不安そうにお盆を抱えながら茄子は言った。「勿論」と言うと、

「やった!ありがとうございます!」

 茄子は太陽のような笑顔で、内股でジャンプした。他の店員や客に俺たちの関係を訝しまれるかも知れない、という客観視をする余裕もない程、嬉しいらしい。ジャンプした時に見えた青々とした顎鬚が俺には堪らなかった。

 何度も礼を言った後、店長に呼ばれて茄子は厨房に小走りで戻った。途中一度クルリとこちらを振り返り、手を振った。本当に小動物のようだ。頼まれる度に、毎回律儀に言わなくてもいいのに。と思うが、あの無邪気なリアクションをまた見たいので、そのことを茄子に言うつもりはない。
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