1章 ①
文字数 4,635文字
業務はここを抜ける以前の仕事内容と何も変わらなかった。
異界在中組から日々の報告や連絡を受け、それを第2魔女に報告する。場合によっては僕一人が現地に向かうこともあれば、第2魔女が同行することもある。そして、ある程度の段階で活動報告をまとめる。
変わったとしたなら、僕の他に3人の従者がいたことだろうか。
第二魔女が担当する異界は5つ。3つをその3人でわけ、残り二つを僕が担当している。新参の僕がどうして2つなのかと問われたら、それは2年前とはいえ第2魔女の下で5つの異界を全て僕一人で管理していたという実績があるからに他ならない。それで他の従者たちが納得してくれたかはわからないが。
そして、僕の仕事がもう一つある。それは第2魔女を自宅まで起こしに行くという大変名誉で重たい責任を担った仕事である。そう思いたいものだ。
今、彼女の家の前にいる。都内にあるマンションの五階に住んでいる彼女。3L DKだそうだ。僕のボロアパートとはまるで違う、マンションの内壁に思わずため息をつきそうになった。
一応、インターフォンを鳴らしてみる。しばらく待ってみるが、やはり出ない。合鍵をもらっているので、それで鍵を開けた。
中に入ると、そこはゴミが散乱していた。片付けが嫌いだと聞いていたが、ここまでとは思わなかった。おそらく惣菜が入っていたであろうプラスチックの箱が無数に散乱していた。見慣れた光景ではあったが、昨日訪れた時に少し掃除をしたはずなのに、なぜか昨日よりも増えていた。
入ってすぐ右手の部屋に彼女がいる。扉を開けると、彼女が部屋の大半を占めるキングベッドの上で布団を被りながら、丸まっていた。
「起きてください」と言ってみるが、彼女は答えない。
仕方なく、ベッドに上がり、彼女を踏まないように横切り、奥にあるカーテンを開けた。
光が差し込むと、彼女は嫌そうに顔を窓から背けた。
「起きてください」
「閉めて」
「起きてください」
「起きますから、閉めて」
「起きてください」
「起きますから」と心底嫌そうな声を上げた。
正直、こういうところは、シエルに似ているな、と思った。あいつも朝は嫌いだった。種族的に仕方がないことだが、それでも毎朝、機嫌の悪い彼女を起こすのには随分と苦労した。ものを投げられたこともあったくらいだ。それに比べればまだマシな方だ。
腕時計で時間を確認したが、もう時間がない。彼女から無理やり布団を剥ぎ取った。
嫌そうに目をゆっくりを開いて僕を睨みつけた。
「ひどいと思いませんか?」
「思いませんね。僕の仕事ですから」
「今日は、何か重要な要件はありましたか?」
「ありませんよ」
「なら、どうして起こしにきたんですか?」
「仕事ですから」
「なら、命令します。もう、起こしに来なくても結構です」
「別にいいですけど」
「帰ってください」
「そういえば、一つ大事な用を忘れてました」
「手短に」
「あなたが昨日の夜に言っていたでしょう? 大事な要件があるから、朝に話すと」
「ああ」
「ということで、いきましょうか?」
「どこに?」
「仕事場へ」
「そんなことする必要はありませんよ」
すぐに彼女は僕の手から布団をひったくり、それを僕と 彼女を覆うように広げた。布団の中に入った彼女と僕は顔を見合わせる。彼女の顔が近い。吐息が鼻に当たる。彼女の匂いがする。
「昨日はちゃんとお風呂に入りましたか?」
「一昨日入ったから大丈夫ですよ」
彼女はいつもそうだ。自分や他人に無頓着であり、距離感が近い。
「この中で会議をやってしまえばいいんですよ」
「わざわざ布団を被る意味はありました?」
「重要な会議でしょう? 周りに話を聞かれてはいけませんから」彼女は優しく笑う。
どこまで本気で、どこまで冗談で、どこまで計算なのかがわからない。良くも悪くもつかみどころがない。
「夜久君は他国の情勢をどこまで把握していますか?」
「正直、あまり」
ここ2年の間にあった出来事はニュースを通じてしか入ってきていない。
「でしょうね」
その少し馬鹿にしたような言い方はどこか引っかかる。
「そう思ったので、今、魔術師が抱えている問題を少しお話しする必要があると思いまして」
「わざわざ魔女が講義をしてくれるんですね」
「私以外に暇な人材がいないもので」
「平和でいいですね」
「この国は、と付け加えるべきでしょうね」
「まあ、はい」
あまり知らないとは言ったものの、ニュースで流れてくる情報だけはそれなりに知っているが、魔術師たちが持つ情報はさらに多く深い。
「夜人の国の話くらいは知っていますよね」
「反体制派と現体制派との内紛が始まったという話ですか?」
「ええ、現段階では前線で数十人の死者が出た程度ですが、まだ、本格的な抗争には発展していませんね」
「魔術師はどっちにつくつもりですか?」
「どちらにも肩入れいないという方針のようです。どちらがトップに立とうと、あまり問題ではありませんから」
「ひどい話だ」
魔術師の国と夜人の国は、エルフの国を挟んで西側に位置する国である。そもそも、魔術師の国は海に囲まれた国であるため、隣国のさらに遠くにある国については、あまり危機感を持って接していないのが現状である。それは夜人の国もそうである。現体制派と反体制派は共に魔術師の国というものを重要視していない。そこに対する言及は一切ない。それは、どちらにしても資源の関係上、魔術師の国に対する依存をやめられないからだ。
彼らが最も気にしているのは、隣国のエルフの国と国の在り方についてだ。まず、エルフの国と友好的に接するべきかどうか。そして、夜人の国の人間は、皆、特異な目の色を持っている。かつては、瞳の色により、階級が存在していた。そして、反体制派は、この瞳の色による階級制度の復活を目論んでいる。いうまでもないが、反体制派の瞳の色は、ほとんどのものが最も上位に位置する赤色をしていた。
「そういえば、現体制派トップが妹の目を探しているらしいですよ」と突如として、話を変えてきた。僕の反応が見たかったからだろう。
「……僕は持っていませんよ」
現体制派のトップの妹は、シエル・クラシカ。つまりは、元第2魔女だ。僕が殺した女性。
「知ってますよ」と彼女は言った。そして、また、話を変えた。「そして、獣人とドワーフの緊張状態と獣人内部の奴隷制に関する問題です」
「いつまでも解決しない問題ですね」
ドワーフは魔術師と違い、魔蓄石による動力確保ではなく、独自の技術により確立した火力、水力による電力を生活基盤のエネルギー源としている。それはすでに生活魔術による利便性よりも優れており、魔術師の中にも、電力という得体の知れない技術をこの国に持ち込もうと考えるものもいるほどだ。
しかし、それらの考え方は官僚や政治家のみならず、国民にも大きくは支持されていない。それは獣人の国という先例を見てきたからだ。
大戦が起こる何十年も前の話。ドワーフがその技術力を持って隣国の獣人へと攻め込んだことに始まる。結果は、見るまでもなくドワーフの圧勝。獣人の国は彼らの属国として存続することとなるとともに、獣人の動力源は電力へと傾いた。(元々、ドワーフ依存ではあったが)そして、魔術師、夜人連合とドワーフ、獣人連合の間で大戦が勃発。辛くも魔術師、夜人連合の勝利に終わった。その代償として、ドワーフは獣人国の独立させよ、という魔術師側の要求を飲まざる終えなくなった。結果、獣人は大戦後に再び国として世界中に認められるようになった。しかし、大戦後もあらゆる面(動力源や建築技術、武器・装備等)ドワーフ依存はやめられず今日まで変わっていない。今でも属国に近い関係性にある。(若年層は反ドワーフを訴え、老人がドワーフ依存の現状を支持しているという内部の対立が存在している)
何よりも獣人国は内部に大きな問題が残っている。それが、草食型獣人の奴隷問題である。
獣人はドワーフに敗北する前から、肉食型獣人と草食型獣人の間でカーストが存在していた。肉食型獣人は草食型獣人に何をしても問題にはならず、逆に草食型獣人が逆らった場合は、些細な出来事でも死刑になる可能性があった。それがドワーフとの大戦後、ドワーフがカースト制度を嫌ったおかげでそういった制度はいつの間にか消えていった。しかし、大戦後、独立国家となった獣人の国にはカースト制度にかわる、一種の奴隷制に近い制度が設けられた。
カースト制度解体後でも肉食型が富を持ち、草食型が貧困という構図は変わることなく、それは肉食型が雇い主となり、草食型が労働者となる形に多少姿を変えただけに過ぎなかった。そして、中肉食型の誰かが合理的と考えられたのが、労働者の囲い込みであった。雇い主は労働者に衣食住と金銭を提供する代わりに労働者を確保する。一見、労働者―草食型の人権を慮ったかのように思たが、そこに慈悲などなく、劣悪な環境での労働や低賃金での労働が強いられた。
そして、大戦後、そのような奴隷制も廃止されたとされているが、実情は制度がなくなっただけであり、結局、草食型の人権は幾分かマシになったとはいえ、踏み躙られている。
そういった問題を獣人の国は抱えている。
そんな中、ドワーフ国と獣人国の国境付近でドワーフが何者かに銃撃される事態が起こった。いまだに犯人は不明である。
「あれは誰がやったんでしょうかね」
「知ってるんですか?」と僕が聞いた。
「いえ、ただ、誰がやっていてもおかしくないということですよ、ドワーフだろうが、獣人だろうが、もしくは魔術師の可能性だってありますからね」
「あるんですか?」
「もちろん」と彼女は笑う。「だって、その二カ国が争って徳をするのは我々ですから」
「ですよね」
「あとは、獣人の問題でしょうか」
「何かありましたか?」
「あそこは今に始まった話ではありませんけど、肉食型と草食型の対立問題くらいですね」
「昔からですからね。でも、最近は草食型の大統領が生まれたって……」
「それが火種になっているそうですよ」
「へえ」と正直、具体的な話が一つもなかったので、すでに興味はなかった。おそらく第2魔女も僕が持っている以上の情報を持っていないのだろう。
「と、今日、話したかった話はこれだけです」
「これだけなんですか?」もっと長い話をされるのかと思っていた。
「今、この国以外は案外、緊張状態にあるということを言いたかっただけです」
「なら、昨日の帰り際でも言って貰えればよかったのに」
「そうすればよかったですかね」と彼女は突然、糸が切れたかのように倒れた。「寝ます」
「仕事は?」
「休みます」
「わかりました」とたちあがろうとすると、彼女に腕を掴まれた。
「守くんも休みましょうよ」
「そんなわけには……」いきませんよ、という前に、思いっきり引っ張られ、そのまま、倒された。起きあがろうとすると、足を絡めて抱き寄せられた。
胸に顔が当たる。体温が伝わってくる。
「一緒に寝ましょう?」
「嫌だといえば、どいてくれますか?」
「退きませんよ」
「なら、質問しないでください」
他人の体温と触れ合うことはどうしてこうも落ち着くのだろうか。安心する。心地がいい。そのまま眠ってしまいそうになる。誰かと眠るのはいつぶりだろう。
微睡の中、シエルの言葉を思い出した。
『私の浮気のラインは肌と肌が触れ合った時』
これは浮気か、と一瞬考えたが、もう彼女がいないことに数秒経って気がついた。
異界在中組から日々の報告や連絡を受け、それを第2魔女に報告する。場合によっては僕一人が現地に向かうこともあれば、第2魔女が同行することもある。そして、ある程度の段階で活動報告をまとめる。
変わったとしたなら、僕の他に3人の従者がいたことだろうか。
第二魔女が担当する異界は5つ。3つをその3人でわけ、残り二つを僕が担当している。新参の僕がどうして2つなのかと問われたら、それは2年前とはいえ第2魔女の下で5つの異界を全て僕一人で管理していたという実績があるからに他ならない。それで他の従者たちが納得してくれたかはわからないが。
そして、僕の仕事がもう一つある。それは第2魔女を自宅まで起こしに行くという大変名誉で重たい責任を担った仕事である。そう思いたいものだ。
今、彼女の家の前にいる。都内にあるマンションの五階に住んでいる彼女。3L DKだそうだ。僕のボロアパートとはまるで違う、マンションの内壁に思わずため息をつきそうになった。
一応、インターフォンを鳴らしてみる。しばらく待ってみるが、やはり出ない。合鍵をもらっているので、それで鍵を開けた。
中に入ると、そこはゴミが散乱していた。片付けが嫌いだと聞いていたが、ここまでとは思わなかった。おそらく惣菜が入っていたであろうプラスチックの箱が無数に散乱していた。見慣れた光景ではあったが、昨日訪れた時に少し掃除をしたはずなのに、なぜか昨日よりも増えていた。
入ってすぐ右手の部屋に彼女がいる。扉を開けると、彼女が部屋の大半を占めるキングベッドの上で布団を被りながら、丸まっていた。
「起きてください」と言ってみるが、彼女は答えない。
仕方なく、ベッドに上がり、彼女を踏まないように横切り、奥にあるカーテンを開けた。
光が差し込むと、彼女は嫌そうに顔を窓から背けた。
「起きてください」
「閉めて」
「起きてください」
「起きますから、閉めて」
「起きてください」
「起きますから」と心底嫌そうな声を上げた。
正直、こういうところは、シエルに似ているな、と思った。あいつも朝は嫌いだった。種族的に仕方がないことだが、それでも毎朝、機嫌の悪い彼女を起こすのには随分と苦労した。ものを投げられたこともあったくらいだ。それに比べればまだマシな方だ。
腕時計で時間を確認したが、もう時間がない。彼女から無理やり布団を剥ぎ取った。
嫌そうに目をゆっくりを開いて僕を睨みつけた。
「ひどいと思いませんか?」
「思いませんね。僕の仕事ですから」
「今日は、何か重要な要件はありましたか?」
「ありませんよ」
「なら、どうして起こしにきたんですか?」
「仕事ですから」
「なら、命令します。もう、起こしに来なくても結構です」
「別にいいですけど」
「帰ってください」
「そういえば、一つ大事な用を忘れてました」
「手短に」
「あなたが昨日の夜に言っていたでしょう? 大事な要件があるから、朝に話すと」
「ああ」
「ということで、いきましょうか?」
「どこに?」
「仕事場へ」
「そんなことする必要はありませんよ」
すぐに彼女は僕の手から布団をひったくり、それを僕と 彼女を覆うように広げた。布団の中に入った彼女と僕は顔を見合わせる。彼女の顔が近い。吐息が鼻に当たる。彼女の匂いがする。
「昨日はちゃんとお風呂に入りましたか?」
「一昨日入ったから大丈夫ですよ」
彼女はいつもそうだ。自分や他人に無頓着であり、距離感が近い。
「この中で会議をやってしまえばいいんですよ」
「わざわざ布団を被る意味はありました?」
「重要な会議でしょう? 周りに話を聞かれてはいけませんから」彼女は優しく笑う。
どこまで本気で、どこまで冗談で、どこまで計算なのかがわからない。良くも悪くもつかみどころがない。
「夜久君は他国の情勢をどこまで把握していますか?」
「正直、あまり」
ここ2年の間にあった出来事はニュースを通じてしか入ってきていない。
「でしょうね」
その少し馬鹿にしたような言い方はどこか引っかかる。
「そう思ったので、今、魔術師が抱えている問題を少しお話しする必要があると思いまして」
「わざわざ魔女が講義をしてくれるんですね」
「私以外に暇な人材がいないもので」
「平和でいいですね」
「この国は、と付け加えるべきでしょうね」
「まあ、はい」
あまり知らないとは言ったものの、ニュースで流れてくる情報だけはそれなりに知っているが、魔術師たちが持つ情報はさらに多く深い。
「夜人の国の話くらいは知っていますよね」
「反体制派と現体制派との内紛が始まったという話ですか?」
「ええ、現段階では前線で数十人の死者が出た程度ですが、まだ、本格的な抗争には発展していませんね」
「魔術師はどっちにつくつもりですか?」
「どちらにも肩入れいないという方針のようです。どちらがトップに立とうと、あまり問題ではありませんから」
「ひどい話だ」
魔術師の国と夜人の国は、エルフの国を挟んで西側に位置する国である。そもそも、魔術師の国は海に囲まれた国であるため、隣国のさらに遠くにある国については、あまり危機感を持って接していないのが現状である。それは夜人の国もそうである。現体制派と反体制派は共に魔術師の国というものを重要視していない。そこに対する言及は一切ない。それは、どちらにしても資源の関係上、魔術師の国に対する依存をやめられないからだ。
彼らが最も気にしているのは、隣国のエルフの国と国の在り方についてだ。まず、エルフの国と友好的に接するべきかどうか。そして、夜人の国の人間は、皆、特異な目の色を持っている。かつては、瞳の色により、階級が存在していた。そして、反体制派は、この瞳の色による階級制度の復活を目論んでいる。いうまでもないが、反体制派の瞳の色は、ほとんどのものが最も上位に位置する赤色をしていた。
「そういえば、現体制派トップが妹の目を探しているらしいですよ」と突如として、話を変えてきた。僕の反応が見たかったからだろう。
「……僕は持っていませんよ」
現体制派のトップの妹は、シエル・クラシカ。つまりは、元第2魔女だ。僕が殺した女性。
「知ってますよ」と彼女は言った。そして、また、話を変えた。「そして、獣人とドワーフの緊張状態と獣人内部の奴隷制に関する問題です」
「いつまでも解決しない問題ですね」
ドワーフは魔術師と違い、魔蓄石による動力確保ではなく、独自の技術により確立した火力、水力による電力を生活基盤のエネルギー源としている。それはすでに生活魔術による利便性よりも優れており、魔術師の中にも、電力という得体の知れない技術をこの国に持ち込もうと考えるものもいるほどだ。
しかし、それらの考え方は官僚や政治家のみならず、国民にも大きくは支持されていない。それは獣人の国という先例を見てきたからだ。
大戦が起こる何十年も前の話。ドワーフがその技術力を持って隣国の獣人へと攻め込んだことに始まる。結果は、見るまでもなくドワーフの圧勝。獣人の国は彼らの属国として存続することとなるとともに、獣人の動力源は電力へと傾いた。(元々、ドワーフ依存ではあったが)そして、魔術師、夜人連合とドワーフ、獣人連合の間で大戦が勃発。辛くも魔術師、夜人連合の勝利に終わった。その代償として、ドワーフは獣人国の独立させよ、という魔術師側の要求を飲まざる終えなくなった。結果、獣人は大戦後に再び国として世界中に認められるようになった。しかし、大戦後もあらゆる面(動力源や建築技術、武器・装備等)ドワーフ依存はやめられず今日まで変わっていない。今でも属国に近い関係性にある。(若年層は反ドワーフを訴え、老人がドワーフ依存の現状を支持しているという内部の対立が存在している)
何よりも獣人国は内部に大きな問題が残っている。それが、草食型獣人の奴隷問題である。
獣人はドワーフに敗北する前から、肉食型獣人と草食型獣人の間でカーストが存在していた。肉食型獣人は草食型獣人に何をしても問題にはならず、逆に草食型獣人が逆らった場合は、些細な出来事でも死刑になる可能性があった。それがドワーフとの大戦後、ドワーフがカースト制度を嫌ったおかげでそういった制度はいつの間にか消えていった。しかし、大戦後、独立国家となった獣人の国にはカースト制度にかわる、一種の奴隷制に近い制度が設けられた。
カースト制度解体後でも肉食型が富を持ち、草食型が貧困という構図は変わることなく、それは肉食型が雇い主となり、草食型が労働者となる形に多少姿を変えただけに過ぎなかった。そして、中肉食型の誰かが合理的と考えられたのが、労働者の囲い込みであった。雇い主は労働者に衣食住と金銭を提供する代わりに労働者を確保する。一見、労働者―草食型の人権を慮ったかのように思たが、そこに慈悲などなく、劣悪な環境での労働や低賃金での労働が強いられた。
そして、大戦後、そのような奴隷制も廃止されたとされているが、実情は制度がなくなっただけであり、結局、草食型の人権は幾分かマシになったとはいえ、踏み躙られている。
そういった問題を獣人の国は抱えている。
そんな中、ドワーフ国と獣人国の国境付近でドワーフが何者かに銃撃される事態が起こった。いまだに犯人は不明である。
「あれは誰がやったんでしょうかね」
「知ってるんですか?」と僕が聞いた。
「いえ、ただ、誰がやっていてもおかしくないということですよ、ドワーフだろうが、獣人だろうが、もしくは魔術師の可能性だってありますからね」
「あるんですか?」
「もちろん」と彼女は笑う。「だって、その二カ国が争って徳をするのは我々ですから」
「ですよね」
「あとは、獣人の問題でしょうか」
「何かありましたか?」
「あそこは今に始まった話ではありませんけど、肉食型と草食型の対立問題くらいですね」
「昔からですからね。でも、最近は草食型の大統領が生まれたって……」
「それが火種になっているそうですよ」
「へえ」と正直、具体的な話が一つもなかったので、すでに興味はなかった。おそらく第2魔女も僕が持っている以上の情報を持っていないのだろう。
「と、今日、話したかった話はこれだけです」
「これだけなんですか?」もっと長い話をされるのかと思っていた。
「今、この国以外は案外、緊張状態にあるということを言いたかっただけです」
「なら、昨日の帰り際でも言って貰えればよかったのに」
「そうすればよかったですかね」と彼女は突然、糸が切れたかのように倒れた。「寝ます」
「仕事は?」
「休みます」
「わかりました」とたちあがろうとすると、彼女に腕を掴まれた。
「守くんも休みましょうよ」
「そんなわけには……」いきませんよ、という前に、思いっきり引っ張られ、そのまま、倒された。起きあがろうとすると、足を絡めて抱き寄せられた。
胸に顔が当たる。体温が伝わってくる。
「一緒に寝ましょう?」
「嫌だといえば、どいてくれますか?」
「退きませんよ」
「なら、質問しないでください」
他人の体温と触れ合うことはどうしてこうも落ち着くのだろうか。安心する。心地がいい。そのまま眠ってしまいそうになる。誰かと眠るのはいつぶりだろう。
微睡の中、シエルの言葉を思い出した。
『私の浮気のラインは肌と肌が触れ合った時』
これは浮気か、と一瞬考えたが、もう彼女がいないことに数秒経って気がついた。