第3話

文字数 2,842文字

 ロケット打ち上げ当日。第二次アレクストン有人探査計画にとっては重要な一日になる。

 ジマルは合衆国宇宙軍の発射管制センターの一室を与えられ、そこで兄星アレクスラールでの最後の夜を過ごした。夕食はトビス、ビヤンも含めた探査計画の主要メンバーと共に食べ、仲間との最後の食事の時間を過ごした。

 ジマルは寝付きが悪いほうだが、打ち上げに備えてアルコールを摂取しなかったにもかかわらず、自分でも驚いたが良く寝れた。おかげで朝から体調は万全である。

 帰還できるはずのトビスが眠そうな顔をしているのが気にはなった。

 朝食のあと、仲間たちと敷地内をジョギングした。打ち上げ当日だが、軽く運動はしておきたかった。あいにく雲が厚く垂れ込めていて、冷たい風に吹かれたが、雨や雪の心配はなく、打ち上げに支障のない天候のようだ。
 昼前には打ち上げの予定だ。

 ジョギングを終え、シャワーを浴びてさっぱりしたあとも、少し一人で散歩をした。発射管制センターは小高い丘の上に位置していて、海がすぐ近くにあるので紺碧の海原が見渡せた。もっと海での魚釣りなども楽しんでおけばよかったかもしれない。山登りだってしてもよかったかも。あと数時間でこの星を離れるというときになって、そんな思いに囚われていた。

 しかし後悔はない。

 ジマルはこの日のために自分は生まれてきたと誇らしく思った。

 海の上に大きな弟星が見えた。昼間でもはっきりと大きく見える。あちらにも青い海がある。魚釣りだってできるかもしれない。
 ジマルは地面を靴でとんとんと踏みしめた。

「じゃあな。アレクスラール」

 自分が生まれ育った星に別れを告げた。

 感傷に浸ってから飛行士の控室に戻ったときに、難しい顔をしたトビスの顔を見るのは気持ちが良いものではないと思った。しかし、トビスが見ているテレビニュースの内容に耳を傾けると、ジマルも難しい顔になった。

 ニュースは湾岸諸国の一つに連邦国がミサイル発射基地を建設した疑いを報じていた。そこからは合衆国本土への攻撃が容易になるので、軍事的にも政治的にも由々しき事態だという。

「こんなときに地上ではまた小競り合いか」

 ジマルが吐き捨てた。

 そのとき、ブーンという音が聞こえてきて建屋が細かく震えた。ロケットのテスト起動シーケンスがはじまったようだ。

 頭が禿げ上がった発射管制リーダーの男が控室に入ってきたので、ジマルは管制リーダーに声をかけた。ニュースを流しているテレビに手を向けながら。

「さっさと打ち上げてくれ。お偉方の気が変わらないうちに」

 管制リーダーもテレビに移された湾岸諸国の様子を見て難しい顔になった。

「もう今日はどんな命令も俺の耳に届く前に破り捨てるだろう。どんなことをしても打ち上げる」

 ジマルは頼もしい言葉を聞けてにっこり笑った。

 無言で管制リーダーに近づき、手を回してハグをしつつ、背中をバンバンと叩きあった。

「ジマル。お前と仕事ができて光栄だよ」

「俺もさ。だがな、今日これからが勝負の本番だ。頼むぜ」

「ああ」

 ニュースはかなり深刻な感じだ。大統領が難しい顔をして遊説先から急遽、首都に戻って閣僚たちと協議をはじめたことを報じている。

「首都からの回線は切っておいたほうがいい」

 ジマルはテレビを見ながら小声で呟いた。

「ここのことをおせっかいにも思い出す奴が出てくる前に」

 ビヤンも部屋に入ってきてテレビニュースの内容に驚いて見入っている。

 ジマルは真剣な顔で管制リーダーに声をかけた。

「どうだ?このままテストシーケンスの火を落とさずに打ち上げてしまうのは?」

 管制リーダーは口をきつく結んで考え込んだが、やがて言った。

「天候悪化の予報が聞こえてきた気がする。お前たちさえ良ければやってもいいぞ」

 そんな天気予報はないのだが、いろいろな場所からの予報の一つにそれに近いデータを見つければ後からなんとでも言えるとジマルも思った。

「トビス、ビヤン。どうだ?二時間ほど早めて出発してもいいか?」

 ジマルが二人にそう声をかけると、ビヤンは振り返ってゆっくり頷いた。

 ジマルとビヤンに見つめられたトビスは……。

 少し戸惑った顔を見せたが、小さく震えるように頷いた。

「よーし。では、はじめよう」

 ジマルは気合の入った声で言った。

 管制リーダーは管制室に戻って行った。

 ジマルたち三人は宇宙服を取り出してきて、協力しながら着用をはじめた。

 ジマルは十年ほど前になるが、ニ度ほど兄星の周回軌道で宇宙飛行をしたことがあった。そのときの宇宙服と比べるとだいぶ改良されていて軽くなり、動きやすくなっている。

 三人は一度宇宙服の頭部も着用して気密性に問題がないかチェックを行った。打ち上げ時は宇宙服内を加圧して、減圧事故が起きても大丈夫なように対策をするからだ。三人とも問題ないことを確認できたので頭部は一旦外した。

 トビスは重い宇宙服を着ながらベンチに腰掛け、ジマルのほうを向いた。

「ジマル……」

 彼はなぜか言いにくそうに言葉を切った。

 ジマルはトビスを見つめた。いつもなら言いたいことがあるなら早く言えと毒づくところだが、ジマルは静かに待った。

「ユーレは生きていると思いますか?」

 打ち上げ前の特殊な状況でなければ、トビスもこの質問はしなかっただろうとジマルには思われた。ジマルは下を向いた。

「あいつは……」

 トビスが続ける。

「生意気で自信満々で、それでいていつも何かに怒っていて。突拍子もない奴だったけど俺はあいつを気に入っていた」
「俺もだ。みんなそうだ」

 ジマルは上を向いた。そうすればユーレのいる星が見えるかもしれないというように。

「なんであんな若いやつが選ばれたんだってあのときは思ったけど」

「ユーレは抜群だったよ」

「そうですね……」

 ロケットは打ち上げ時が一番危険だ。それを目前にして、トビスは感傷的になったようだ。

「でも今回はあんたがユーレに近いくらい……抜群になったって思う」

 ジマルは少し驚いてトビスを見た。

「ユーレは生きている」

 ジマルは言った。

「そう思うから私は志願したんだ」

 トビスはそれを聞いて頷いた。予期していた答えだったのかも知れない。

「ユーレに会ったらなんて言うつもりなんですか?」

 トビスにそう聞かれてジマルは困った。それを考えたことはなかった。

「そうだなあ……」

 ジマルはなかなか答えられなかった。

「あっちの軌道につくまで、一緒に考えていいっすか?」

 トビスがそう言ったのでジマルは破顔した。

「いいよ。うん。いいとも。もちろん」

「強く言ってやったほうがいいかもしれない」

「そうだな」

 ジマルはそれをトビスと一緒に考えるのは楽しいかも知れないと思って笑った。

「よし。そろそろ行くか」

 ジマルは立ち上がり、宇宙服の頭部を片手で持った。かなり重い。

 ビヤンは二人が少し関係を良くしたのを後ろから見ていた。

 私もユーレには言いたいことがいくつもあるわ、と彼女は考えながらロケットのほうへ歩き出した。
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