第2話

文字数 2,898文字

 ジマルが自宅の天体望遠鏡で覗いていた弟星の観測地点も、友人でもあったビ・ユーレが着陸予定としていた地点付近だ。何か見落としがあったのではないか……? 今でもそんな思いがする。こんなもやもやした思いを抱いたまま、この先ずっとあの星を眺めることになるのだろうか。

 そんなのいやだ。

 『第一次』と探査計画にプレフィックスが付いたのには理由があった。第一次探査計画隊がどうなったのか確認する目的も含めての、二回目の探査計画の推進のため、ジマルも随分と骨を折ったものだ。政治家や経済の有力者との会合も、あまり好きではないが愛想良くこなしてきた。連邦国とのいざこざが世界のあちこちで発生していて、宇宙開発に回せる予算が厳しい中、ジマルや仲間たちの献身的な努力が実って、遂に第二次アレクストン有人探査計画は承認された。それが四ヶ月前のことだ。

 その頃には次の乗組員として、一次のときのビ・ユーレに代わって、第二次探索のリーダーの立場になるのはシ・ジマルだろうとの暗黙の了解ができていた。
 予算が降りたとき、ジマルは自問した。本当に片道切符であの弟星に行くのか? と。

 彼には年老いた老母がいたが金は多く残してやれそうなのであまり問題なかった。十年も前に別れた妻がいたがこれも問題なし。子供はいなかった。

 周りを見渡してみても、子がいなく、孤独に近い境遇の自分が最も行きやすい立場なのは分かっていた。ビ・ユーレ隊があんな結果になって、リスクが大きいと判断されていることも大きい。

 ジマルは決意した。

 第二次探査計画のリーダーにとんとん拍子で決まると、その後は厳しい訓練をこなしてきた。少なくともビ・ユーレができたことはできるようになる必要があった。そうでないといけないという、ジマルの矜持が許さなくもあった。

 十歳以上も違う年齢を考えれば、肉体的な強さはビ・ユーレには劣るだろう。しかし、知識、経験でいえばビ・ユーレ以上に仕上がったとジマルは自負できるところまできた。

 二日後には探査ロケットの打ち上げである。
 おそらく七日後にはあの弟星の大地に立てることだろう。
 今夜がこうして自宅でゆっくりとあの星を見れる最後の夜だった。

「ユーレ。もうすぐ会いに行くぞ」

 ジマルは大きな弟星を見上げながら呟いた。


 暗闇の狭い部屋の中でク・トビスは探査船のシミュレーション操作を行っていた。突発的な事象が発生する。ランダムで起きるこのような事象に適切な対応を行わなければならない。操作マニュアルにはシンプルな対応ケースが記載されていたが、シミュレーションではわざと何らかの事象が複数組み合わさって発生させられた。そうすると対応手順は複雑化する。これの前にはこれをしてはならない。これをやる前にこっちの手順をやっておいてからさらにデータバックアップしつつこの手順を実行、忘れずにデータリストアしてから次の手順に進む、という具合だ。

 ク・トビスは今日もそれらの対応をやり遂げた。

 隣のシミュレーターではシ・ジマルとル・ビヤンが乗り込んで着陸機で同じような突発対応シミュレーションを行っていた。

 まあせいぜいがんばってくれよ。

 ク・トビスは心の中で応援した。

 あの二人に比べれば帰還できる俺は何倍もましな任務だ。

 ク・トビスは三十代半ばの壮年の男で空軍出身のジマルとは違い、海軍出身だった。それもあって反りが合わないとお互いに思っていた。ク・トビスは探査機の技士として計画に参加する予定だ。ジマルとル・ビヤンが着陸機で弟星に降下したあと、探査機の母船を兄星に戻す役目がある。結果的に彼は帰還が可能というわけだ。

 ク・トビスは短く刈った茶色い髪をしていて鋭い目つきにがっちりとした顎を持っていた。彼は自分がやり遂げたシミュレーターを降りて、仲間の二人が懸命に突発対応訓練をしているシミュレーターの動きを見守った。

 シミュレーターの周りには今どのような動きになっているのかを確認できるモニターが数台あって、ク・トビスはそこに映し出される図や数値を熱心に眺めた。

 そうじゃない、このやり方はあとあと響いて来るぞ。

 そんな風に思ったりもしたが、着陸機は専門ではないので、その操作をしたル・ビヤンのほうがもしかしたら正しかったのかもしれない。対応はうまくいき、無事に着陸できたようだ。仮想訓練での話ではあるが……。

 訓練を終えて探査隊のリーダーであるジマルともう一人の技士ル・ビヤンがシミュレーターから降りてきた。

 ジマルはどうでもいい。おっさんを見る趣味は俺にはないんでな。

 トビスはタラップを軽快な足取りで降りるル・ビヤンの姿を見つめた。ぴったりとした訓練用のスーツが、彼女のスラリとしたスタイルを際立たせていた。脚が驚くほど長い。あの脚にじっくりと触れられたらと想像すると、トビスはぞくぞくとした気持ちになった。ル・ビヤンは長い黒髪に赤混じりの差毛(さしげ)があり、艶々としたそれをポニーテールの髪型にしていた。生意気そうな細面の顔はまつ毛が長く、アイラインを強調した目はきりりとしていて、少し厚ぼったい唇にはリップで赤みがついていた。

 二十九歳のビヤンは兄星で最高の女かもしれないなとトビスは思った。そんな女ともあと五日ほどでお別れである。彼女はジマルと二人で着陸船に乗り、弟星に降下するのだ。そして兄星に帰還できる可能性は……残念ながらない。

 トビスはそんな別れの前にビヤンと何かいいことができないかなと夢想したこともあった。しかし、今もビヤンが冷たい視線をトビスに向けてくるように、彼女にそのようなことを言える雰囲気は微塵もなかった。

 この計画に参加するくらいだから、ビヤンは結婚もしていないし、子供もいない。あの歳で宇宙軍の機材には誰よりも精通しているくらい仕事にのめり込んできてただろうから、男の味を知っているのかも微妙だなとトビスは思った。

 ああ、もったいない、もったいない。

「ビヤン。うまく対応できたみたいだな」

 トビスは話しかけた。ビヤンが冷たい視線をトビスに向けてくる。

 やっぱり嫌われているのかな、俺。

「はい。うまくいってよかったです」

 ビヤンは抑揚のない声で答え、女性用の控室のほうへ足早に去っていった。

 ジマルはシミュレーターの傍らにある端末の席に座って、訓練のリピート映像とデータを確認しはじめた。

「ジマルがうらやましいですよ。もしかしたらですけど、あんないい女とずっと二人きりって可能性もあるんだから」

 トビスはそう軽口を叩いた。反りが合わない分、言いたいことは言い合ってしまう仲だった。

「そうだな……。そう考えると、今回の旅も悪くはない…か」

 ジマルはトビスの顔をちらりと見て言った。

「あの尻と弟星はジマルのものですぜ」

 軽口を続けるトビスに、ジマルはうるさく思ったのか手を振ってあっちへ行けと意思表示した。

 まあいい。この人が送ってくる通信内容によっちゃ、帰還できれば俺も英雄だ。ビヤンの尻がなくても、俺には兄星の全女性と事をいたせる可能性がある。

 トビスは、ビヤンへ声をかける勇気のない自分をそうやって慰めた。
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