2.慣れ
文字数 2,185文字
2.慣れ
「そういえば新倉さんって、昼間何してるんですか?」
使用済みの食器を洗っている最中、何気ない爆弾を投げてきたのは、バイトに入って1カ月経ったばかりの田畑くんだ。
「あー・・・・・・」
手の泡を持て余していると、不自然な間が生まれる。
正直に答えるという選択肢は、わたしにはない。「作家を目指してるの」と言うには、わたしの志 や、ひいては生活態度はあまりにも怠慢だ。
「んー・・・・・・資格の勉強、とか?」
何で自分のことなのに疑問形なんだと思いつつ、わたしは用意していた精一杯の回答をひねりだす。幸い、大学生になったばかりという純真無垢であろう田畑くんは、疑念を抱いた様子はない。というか、そうであってほしい。
ぼろが出ないうちに、わたしはあえて話題を逸らす。
「田畑くんは大学どう? 楽しい?」
「まあまあっすね。うち、総合学科なんで、1年のうちは興味ない分野の講義も全部必修になってて、正直めんどーっす」
薄い茶髪で細面の横顔に、耳元の金のピアスがのぞいている。ああ、若いなあなんて、落ち込みトリガーにしかならないことを思ってしまう。
ちょうどいいことに、来店を知らせるチャイム音が鳴った。
「あ、オレ行きます」という田畑くんに対応を任せて、わたしは窮地を脱したため息をついた。
わたしが今いるのは、「Do More」という、コンセプトが全く分からない店名の、ネットカフェだ。ここでバイトを始めて、そろそろ3年目になる。
時給は深夜帯のシフト中心で、1300円。
週に最低でも4日、多くて6日バイトを入れていて、それがわたしの主な収入源になっている。
今日の店内は、わりと静かだ。
たいていの日は、カウンターにまで聞こえてくるいびきや(それに対するクレームは、わたしたちに来る)、カップルシートでの不埒(ふらち)な行為、客同士のもめ事など、トラブルも多い。まあ、恐ろしくなるほど汚く変貌を遂げた使用後の部屋があるのはいつものことなので、もはやまったく気にならない。
今夜の客数は、3分の2程度。多種多様な客層がブースに落ち着いているわけだけど、たまにこんな静かな夜が訪れることがある。
そんな日は、こんな油にまみれた食器とぼろぼろのスポンジなどシンクに放って、わたしもブースで執筆していたい。
ああ、それで時給がもらえればなぁと、都合のいいことを考えている。
作家を目指して活動、といっても、わたしがしていることはごく小規模だ。
複数あるオンライン小説投稿サイトに作品を掲載して、SNSで宣伝してはいるが、文学フリマや公募などの踏み込んだ活動には、まったく手をつけていない。
初めて小説を投稿したのは、高校時代だった。
「暗闇明音 」などという、無理やり投げた変化球のようなペンネームをそのまま使用しているせいか、作品がどれも自分から見てもぱっとしないせいか、はたまたその両方か。10年以上ちまちまと投稿しているのに、いっこうに評価数が伸びない作品群を、今もわたしは生み出している。
最新の連載、『芽キャベツ島子の絵馬集め』は、もはや自分で制御が効かない方向に迷走に迷走を重ね、沈没を繰り返した幽霊漁船のようになっている。
もともとユーモアのセンスもないし発想力もないのは、自覚している。だからファンタジー系は無理。でも最近ファンタジー系強いよね、でも自分が好きなのは文芸系で・・・・・・。
そうやってどっちつかずのことを延々と放置していたら、すごいことになってしまった。もはや、何を書いていたのか自分でも分からない。物語があまりにも散らかりすぎていて、わたしの狭くて汚い部屋で、さらに散弾銃を連射したみたいな混沌とした状態になっている。だいたいなんだ、芽キャベツって。なんで絵馬なんだ。
しかもプロットノートをなくしてしまったので、そもそも何を目指してこの物語を書き始めたのか、作者であるわたしすら思い出せない。
状況がここまでくると、書いているわたしにしてみればホラー以外の何物でもなく、書き手がそんなことになっているのだから、当然そんな作品は見向きもされない。
最初からこうだったわけじゃなくて、ほんのひとときだけれど、読者がついた作品もあった。数話で完結させたその話は、書いているときも余裕があって、アイデアはぐんぐん出て、何よりキャラクターがいきいきと輝いていたと思う。そしてたぶん、その波長が読み手に伝わっていたのだと思う。
『思い入れのある作品が、このようなかたちで完結して感動しました』。
そんな感想をもらうこともあった。
今、わたしは何をしているんだろう。
あのころ無限を信じるように物語を紡いでいたわたしの手は、今は手が荒れる安い洗剤にまみれ、帰って目が覚めて陽を浴びても、悠然とキーを叩くことはない。
勇作 に言わせれば、わたしは『正面から逃げている』だけなのだそうだ。分からない。あの真正面バカの言うことをそのまま受け取るのは癪 だし、本当は気づいていたことに気づいてしまうといった流れだと、もっと悲惨だ。
開けたブースには大量の吸い殻が積み上げられていて、どんな人が使ったのか、すえたような酸っぱい匂いがした。ソファーには、ご丁寧にカップ麺の中身がぶちまけられている。いったいどんな使い方をしたら、こんなことになるのだろう。
まあ、慣れだ。慣れは大切だよ、うん。
わたしはひとつため息をつくと、ゴム手袋をはめ直した。
「そういえば新倉さんって、昼間何してるんですか?」
使用済みの食器を洗っている最中、何気ない爆弾を投げてきたのは、バイトに入って1カ月経ったばかりの田畑くんだ。
「あー・・・・・・」
手の泡を持て余していると、不自然な間が生まれる。
正直に答えるという選択肢は、わたしにはない。「作家を目指してるの」と言うには、わたしの
「んー・・・・・・資格の勉強、とか?」
何で自分のことなのに疑問形なんだと思いつつ、わたしは用意していた精一杯の回答をひねりだす。幸い、大学生になったばかりという純真無垢であろう田畑くんは、疑念を抱いた様子はない。というか、そうであってほしい。
ぼろが出ないうちに、わたしはあえて話題を逸らす。
「田畑くんは大学どう? 楽しい?」
「まあまあっすね。うち、総合学科なんで、1年のうちは興味ない分野の講義も全部必修になってて、正直めんどーっす」
薄い茶髪で細面の横顔に、耳元の金のピアスがのぞいている。ああ、若いなあなんて、落ち込みトリガーにしかならないことを思ってしまう。
ちょうどいいことに、来店を知らせるチャイム音が鳴った。
「あ、オレ行きます」という田畑くんに対応を任せて、わたしは窮地を脱したため息をついた。
わたしが今いるのは、「Do More」という、コンセプトが全く分からない店名の、ネットカフェだ。ここでバイトを始めて、そろそろ3年目になる。
時給は深夜帯のシフト中心で、1300円。
週に最低でも4日、多くて6日バイトを入れていて、それがわたしの主な収入源になっている。
今日の店内は、わりと静かだ。
たいていの日は、カウンターにまで聞こえてくるいびきや(それに対するクレームは、わたしたちに来る)、カップルシートでの不埒(ふらち)な行為、客同士のもめ事など、トラブルも多い。まあ、恐ろしくなるほど汚く変貌を遂げた使用後の部屋があるのはいつものことなので、もはやまったく気にならない。
今夜の客数は、3分の2程度。多種多様な客層がブースに落ち着いているわけだけど、たまにこんな静かな夜が訪れることがある。
そんな日は、こんな油にまみれた食器とぼろぼろのスポンジなどシンクに放って、わたしもブースで執筆していたい。
ああ、それで時給がもらえればなぁと、都合のいいことを考えている。
作家を目指して活動、といっても、わたしがしていることはごく小規模だ。
複数あるオンライン小説投稿サイトに作品を掲載して、SNSで宣伝してはいるが、文学フリマや公募などの踏み込んだ活動には、まったく手をつけていない。
初めて小説を投稿したのは、高校時代だった。
「
最新の連載、『芽キャベツ島子の絵馬集め』は、もはや自分で制御が効かない方向に迷走に迷走を重ね、沈没を繰り返した幽霊漁船のようになっている。
もともとユーモアのセンスもないし発想力もないのは、自覚している。だからファンタジー系は無理。でも最近ファンタジー系強いよね、でも自分が好きなのは文芸系で・・・・・・。
そうやってどっちつかずのことを延々と放置していたら、すごいことになってしまった。もはや、何を書いていたのか自分でも分からない。物語があまりにも散らかりすぎていて、わたしの狭くて汚い部屋で、さらに散弾銃を連射したみたいな混沌とした状態になっている。だいたいなんだ、芽キャベツって。なんで絵馬なんだ。
しかもプロットノートをなくしてしまったので、そもそも何を目指してこの物語を書き始めたのか、作者であるわたしすら思い出せない。
状況がここまでくると、書いているわたしにしてみればホラー以外の何物でもなく、書き手がそんなことになっているのだから、当然そんな作品は見向きもされない。
最初からこうだったわけじゃなくて、ほんのひとときだけれど、読者がついた作品もあった。数話で完結させたその話は、書いているときも余裕があって、アイデアはぐんぐん出て、何よりキャラクターがいきいきと輝いていたと思う。そしてたぶん、その波長が読み手に伝わっていたのだと思う。
『思い入れのある作品が、このようなかたちで完結して感動しました』。
そんな感想をもらうこともあった。
今、わたしは何をしているんだろう。
あのころ無限を信じるように物語を紡いでいたわたしの手は、今は手が荒れる安い洗剤にまみれ、帰って目が覚めて陽を浴びても、悠然とキーを叩くことはない。
開けたブースには大量の吸い殻が積み上げられていて、どんな人が使ったのか、すえたような酸っぱい匂いがした。ソファーには、ご丁寧にカップ麺の中身がぶちまけられている。いったいどんな使い方をしたら、こんなことになるのだろう。
まあ、慣れだ。慣れは大切だよ、うん。
わたしはひとつため息をつくと、ゴム手袋をはめ直した。