3.優秀

文字数 3,376文字

「おやっさん、こんちわー」

「おう、志保ちゃんか! 元気にやってるか!」

「それ、先週も訊かれたよ」

「そうか、ガハハ! 元気なんはいいこった!」

青々とした大きなキャベツがいっぱいに入った段ボールを運びながら、「おやっさん」こと『源さん』が豪快に笑う。地声がでかいので、店先を超えて向かいのスーパーにまで届いているんじゃないかと思う。お客さん、振り返ってるし。

ここは『南青果』。川沿いから少し外れた国道沿いにある、地元の八百屋さんだ。
ちなみに『南』は方角ではなく、おやっさんの苗字だ。

隣の空き店舗に放置(設置?)された傘つきのテーブルとイスがあるので、いつも通り勝手に腰を下ろす。勝手にというか、おやっさん公認のこの席から、おやっさんの仕事を眺めるのが、遅起きしたわたしの気まぐれルートのひとつだ。

「源さん、このみかん甘いの?」

「ああ、今日のはいまひとつだな。やめといたほうがいいよ」

日に焼けた、豆腐のような真四角の顔。つまり焼き豆腐のような顔で、おやっさんはお客さんにそんなことを言っている。じゃあ売るなよ・・・・・・。

というか、そういうことは黙ってりゃいいものを。

たまに率直すぎるものいいにカチンとくることはあるけれど、わたしはおやっさんのこういう、 壮言大語(そうげんたいご)というか、嘘のない、スケールの大きい人柄が好きだ。170㎝ないかもしれない少し小柄の、ごつい体躯。でんと張り出たビールっ腹も、愛嬌のうち。

「おやっさーん、差し入れあるよー。休憩んときどうぞー」

ポシェットから冷えた微糖コーヒーの缶を出して渡しに行くと、おやっさんはまた顔をほころばせる。

「おお、気が利くね志保ちゃん! さすがは我が娘だ!」

ちょくちょく顔を出すうちに、いつのまにか私は、おやっさんの「娘」扱いされている。知らない人が聞いたら、確実に勘違いする。けれどここのお客さんはほとんど地元の主婦の人なので、そのいきさつはとっくの昔に知れ渡っている。

「あらーあなたたち、今日も親子仲良しね」

そう茶化してくるのは、常連の田中(たなか)さんだ。50代の、ちょっと上品な雰囲気のおばちゃんだ。今日のエコバッグからは、2束のニラと大根がのぞいている。今夜はニラ玉か、ニラレバだろうか。ああ、卵はともかく、レバーなんて、久しく食べてない。処理が面倒で。

合わせて軽口を叩こうとしてにへらとしていると、店の奥からドスの利いた声がした。

「田中さん、勘弁してくださいよ。こんな妹がいたら、この店終わりますって」

ざるに入れたトマトを両手に持って出てきたのは、幼馴染の勇作(ゆうさく)である。
こちらも日に焼けた、けれど父親には似らずの細面の顔で、学生時代は生意気なことに、一部の女子の間でイケメンじゃないかと騒がれていたこともある。そしてその細い眉は今、憎々し気に歪んでいる。

「はあっ? わたしだって、願い下げなんですけど!?」

「そりゃよかった。俺の未来の不幸が、ひとつ減ったよ」

軽口を通り越して、ほぼ悪口だ。そんなわたしたちを、おやっさんは「しょうがねえな」という顔で苦笑いしてみている。

「おめえらは何でえ、身体に磁石でも入ってんのか? くっつくならまだしも、顔合わせるたんびにこう、うるさくって仕方ねえやい」

お小言の合間の聞き捨てならないワードに、期せず二人して同時に噛みつく。

「くっつく!? 誰がこんな朴念仁(ぼくねんじん)と!」

「誰が、この干物作家もどきっ!」

なおも噛みつき合うわたしたちを、おやっさんはネギを振って黙らせる。

「ああ、うるせえうるせえ! お客が逃げちまうだろーが! ちっとは大人しくなりやがれお前ら」

そういうおやっさんの声も、たいがいだと思うけど。
とはいえスーパーからだけでなく、道端のバス停からまで視線を浴びては、こちらとしても争う気勢がそがれる。

「それに勇作、お前より志保ちゃんのほうがなんぼかマシだ。っとに、このバカ息子は・・・・・・」

いつもの説教が始まる気配を察して、勇作は手早くトマトを並べて奥に行ってしまった。おやっさんが、盛大にため息をつく。

自治体の公務員、つまりはお役所仕事を勇作が自主退職したのは、2年前。
あまりに突然のことで、すわ、何かあったのかとわたしも含め周囲は騒然としたが、本人は飄々と、「やりたいことができたから辞めてきた」の一言しか発さない。

頭で湯を沸かせる勢いで掴みかかるおやっさんを制し、康子(やすこ)さん、つまり勇作のお母さんが話を聞いてみると、誰も予想していなかった事実が明らかになった。
勇作は、おやっさんの、父の店を継ぎたいがため、公務員の職を辞したというのだ。

褒めたくはないが、勇作は優秀だった。
ただ黙々と動いて、それに見合う実績を積み上げてきた。わたしと勇作とは、小学校低学年からの付き合いがある。常に上位の座にいながら、自慢するでも誇るでもなく、父親とは真反対に淡々と生きるその人柄を、子どもながらに「かわいくない」と思いながら見ていた。

わたしが名もない地元の大学を出て、勇作が公立大学を経て地方公務員になったという知らせを母から聞いたに浮かんだのは、「やっぱりね」。
だって、絵に描いたようなエリートコースじゃん。
わたしが知っているのは中学までで、大学の成績までは知らないけど、地方どころか国家公務員だって、その気になれば目指せたんじゃないかと思う。

幼馴染だから仲がいい、ということは、ぜんぜんなかった。
わたしはずぼらで、勇作は手を抜かない。勇作は優秀で、わたしは凡人中の凡人。
子どもの頃はともかく、成長するにつれ境目は広がっていき、会えば少しは口をきくけれど、わたしのほうはせいぜい、成績上位者の表で勇作の名を確認するくらいの機会しか、接点はなかった。

次にまともに会話したのは、成人式の帰り道と、それこそ勇作が退職して実家に戻ったころだ。
今も隣にある自販機。店を閉めたその横で、夕方の光が照り返す道路を眺めて、二人で並んだ。4月の、まだ肌寒い夜だった。

「何あんた、なんかあったの?」

「別に、そういうんじゃねぇ」

それっきり黙り込んでしまったので、いつも通りわたしがけん玉をやっていると、何回目か、こんと皿から玉が落ちたとき、勇作がボソッと言った。

「ああいう仕事も大事だ。だけど俺は、別の人との関わり方がしてぇ」

「別の?」と訊いてみて、「ああ、おやっさんたちのこと?」と訊くと、それっきり勇作は何も言おうとしなかった。愛想なしめ。仮にも女子を前にしてなんだその態度は。

けれどどこかで、深く納得している自分がいた。
「ああ、そういうことね」と。なんだろう、パズルのピースがかっちりはまったような・・・・・・。
ああ、こういう語彙の少なさ。言葉が足りない歯がゆさ。これもまた、読者がつかない原因なのかな・・・・・・。

とはいえ、おやっさんは大層ご立腹で、それは今も半分は変わっていない。
息子に堅実な将来を歩んでほしいというのは、けして自分では語らない、おやっさんの苦労からの思いなのだろう。それをとうの本人が、それも一度は自分で選んだうえで放棄したのだ。おやっさんが激怒するのも、無理はない。

冷戦状態は半年続いた。その間、勇作は日雇いの作業をして家にお金を入れ、店の裏方作業を康子さんの指示のもと、続けていた。
慣れない生活がたたったのか、勇作が体調を崩したのは、その頃だった。

そして勇作が回復したとき、勇作の粘りを見たのと、康子さんに説得されたおやっさんが譲歩の動きを見せた。

・辞めてしまったものは仕方がない
・店の手伝いをするというなら、引き続き居残らせてやる
・ただし、それは次の就職先が決まるまでで、店を継がせる気はない
・店番以外の業務には、一切立ち入れない

わたしはこれを、おやっさん公認のモラトリアムだと思っている。
が、勇作はどうなのか。勇作がスーツを着て出かけている場面など、わたしは見たことがない。それにほとんどの曜日を、勇作は「南青果」の店頭で、日を浴びて過ごしている。

ようは、おやっさんの意地というか、消化期間なのだ。
さすがは勇作だ。こんなところでも、結果を出してしまう。
しかも、あのおやっさんを相手に粘り勝ちとは。

同じようでいて、通称「干物作家もどき」のわたしとは、やっぱり違う。
おやっさんからもらった傷物のりんごをかじりながら、わたしは胸の内で「あーあ」とつぶやいてみたりした。
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