1.日常

文字数 2,038文字

ムダに時間を使っているという自覚はある。

ここ数日を振り返っても、生産性のある何かをした記憶はない。シンクには放置した食器が溜まってきてるし、ペットボトルや缶のゴミ捨ては月に1度しかないのに、出し忘れてしまった。ついでに言えば「燃えないゴミ」も同様のありさまなので、ごみ袋の並んだベランダを視界に入れたくない。
ここ数日で唯一覚えているのは、酔っぱらって発泡酒の空缶をゴミ箱にシュートしたらじつは中身が入っていて、しかもシンクのふちにあたって爆発し、キッチンが大惨事になったことくらいだ。しかも、次の日はシフトが休みだったので、その日はそのまま寝てしまった。

次の日、部屋中が酒臭くて目を覚ました。元凶を発見し(まあ、元凶の元凶はあたし自身なのだが)、痛む頭がさらに痛くなった。換気程度では歯がたたず、芳香剤をまいてみたら微妙な二日酔いのせいか、カビキラーを間違えてあちこち噴射してしまい、やっと覚醒した頭は「もう自分をやめさせてくれ!」と、セルフストライキのような悲鳴をあげた。その日隣に人がいたなら、薄い壁越しに「うがぁっ!!」と吠える野人の声を聞いたことだろう。不幸中の幸いだったのは、原稿用紙が奇跡的に無事だったことくらいだ。

縁起をかついで神奈川県の近代博物館から取り寄せた、夏目漱石特注の原稿用紙(再現)は、中途半端に書き直した箇所や、とっさに思いついたメモ書き、二重線で消したまま修正されない文章、寝ぼけて書いた落書きなどで、幼稚園児にクレヨンと渡した画用紙のような様相を呈し始めている。これではさぞ、夏目先生もお怒りだろう。
いや、怒りを通り越して呆れているか、今どきの若い娘はと嘆いているかもしれない。気持ちのうえではとても大事に思っているので、かの大先生には、お許しを願うばかりだ。

そんなわたしは、基本的には深夜帯に勤務するフリーターだ。なので、昼間から21時までは、わりと自由時間だ。出費が重なったときは、臨時で昼間から夜までティッシュ配りのバイトを入れたりすることもあるが、基本、朝の6時には寝て、昼に起き、夜まで執筆したり、けん玉をしたり、動画を見たり、本を読んだり、知り合いのところに顔を出したりして過ごしている。毎日は等しく過ぎていく。
こらえ性のないわたしの性格も、気楽だけど不安定なこの生活も、名実まったく実を結ぶ気配もないこの原稿用紙も、いないいないばあのように閉じては開く、ワードの画面も、変わらないまま。

起きかけの頭と視界がはっきりしてくると同時に、セミの大合唱が耳に直撃して、ああ、今日も殺人的な暑さなんだなと肩が落ちる。6畳の部屋を閉め切って冷房をかけているから部屋の中はそこまで熱くないけれど、今日は買い出しに行こうと思っていたのだ。カーテンをめくると、待ってましたとばかりに陽の光が目に飛び込んできた。
不必要にキラキラ眩しいコンクリートの地面を眺めて、思わずため息が出る。
やめだ。避けられるなら、こんな日差しの中でわざわざ出かけることもない。あのオンボロ自転車のタイヤには、そろそろ空気も入れなくてはいけないし、この暑さの中でなら、外にいる時間はできるだけ短縮したい。夕方か、それに近い時間にしよう。

とりあえず顔でも洗おうかと思ったけれど、面倒くさくて座ったまま、なかなか足が動かない。とにかく寝起きが悪くて、覚醒するまでに時間がかかってしまうのだ。
ああ、こんなときはあれだあれだ・・・・・・。

ちょうど枕元に落ちていたそれを、わたしは拾い上げた。十字の木に、赤い玉と細糸が繋がっている、けん玉。
これを持つと、ふらふらの頭と身体が少しずつ張りつめてくる。

けん玉では、身体の姿勢が重要だ。
けん玉をする際の身体の構えには、2つのかたちがある。ひとつは、「けん」と呼ばれる持ち手部分を構え、玉を垂直に垂らした「まっすぐの構え」。たぶん一番メジャーな構えではないだろうか。けん玉の左右下、3つの皿部分にそれぞれ玉をほい、ほいと乗せる技、「大皿」「小皿」「中皿」の際にも、この構えが必要になる。けん玉といえば、3つの皿に、玉の穴をけん先で串刺しのように受け止める「とめけん」という技もある。基本的に、「けん玉」と聞いてぱっと思い浮かぶ遊び方は、この4通りだろう。

ちなみに他には、地面に対して「けん」を手前に引いて、45度くらいの角度で球を引っ張る「ななめの構え」があるが、これは「飛行機」などの応用技の際に使用される。わたしのような「とめけん」どころか「中皿」も満足にできない人間には、縁のない話である。

姿勢のほかにけん玉に求められるのは、集中力だ。
けんに力を込めて玉の行く末を見据えるあの瞬間は、暗い熱を持った地面に水を打ったような清涼感がある。だから、自然と目が覚める。
今日一番の「大皿」に向けて、わたしは腕に力を込める。

わたしの名前は、新倉志保(にいくらしほ)
職業、ネットカフェ店員。趣味、読書。特技、けん玉。運転免許なし。
作家を夢見て日々邁進する、27歳だ。

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