14

文字数 2,131文字

「どう? 都内のお嬢さん学校は」
「何それ、嫌味?」
「違えよ」
「まあ、楽しいよ。不良いないし街もお洒落だし」
「何だよそれ、嫌味かよ」
「違えよ」
「真似すんなよ。髪型変だよ」
「うるさいっ」
 鞄で思いっきり尻を叩かれた。
 春。
 高木優子は中学時代よりもちょっとだけ短いスカートを穿いて、髪型もちょっとだけお洒落になった。
「どこで切ったの? パリジェンヌ?」
「うるさいっ。どこだっていいでしょ、それより早くっ。遅刻しちゃうよ」
 駅ビルの中を走り抜け、改札をくぐり、エスカレーターを駆け上がって、朝のラッシュにごった返すホームに滑り込む。息を切らす高木優子から、シャンプーの匂いがして来て、俺は密かに鼻呼吸する。
「やった。間に合った」
 小さくて色白の手をぎゅっと握り込んで、高木優子がガッツポーズ。
「流石、元陸上部」
 形の良い貝殻みたいな耳が、俺の声を聞いて、振り返る。
「まあね」
 能面を貼付けたような通勤客達の中で、俺には彼女だけが眩しく見える。
〈列車が来ます。列車が来ます。列車が来ます。〉
 千葉都民を鮨詰めにした上り電車がのっそりとやって来て、面倒臭そうに扉を開いた。

 あの夏の終わり。
 花火大会の後、みんなより一週間長い夏休みを病院で過ごす事になった俺は、お袋に頼んで持って来て貰った殆ど新品みたいな教科書を開いた。そう、受験勉強ってやつをやってみる為に。お袋からは、頭もどうにかなっちゃったんじゃないの、なんて心配されたけど、俺は本気だった。CTスキャンっていうやつをやったけど、輪切りにされて映った脳味噌には、全然異常無かったし。
 十五年間の人生で一番濃い、肉も魚も何でもありのちゃんこ鍋みたいな夏が終わって、俺は考えた。何を? 人生に付いてだよ。看護婦はおばさんだらけ、患者は年寄りだらけの病院は、何もする事が無かったから。結果? 将来何になりたいかなんて、結局まるで分からなかったけど、取り敢えず高校には行こうと思った。黒澤みたいな奴にだけは、死んでもなりたくなかったし。
 で、受験勉強。自分でも前から薄々感付いてはいたけど、高木優子の言っていた通り、俺は馬鹿じゃなかった。冬服に衣替えする頃には、担任にしつこくカンニングを疑われるくらいに成績が上がっていた。

「じゃあな。痴漢されんなよ」
「じゃあね。痴漢すんなよ」
「しねえよ」
 扉が閉まり、ドアガラスに貼り付いた高木優子が、小さく手を振る。走り出した電車は、すぐに小ちゃくなって、くすんだ緑色の鉄橋を渡って行った。

 高木優子は、水の飲めない川を何本か超えて、毎朝都内の女子高に通っている。共学じゃ無くて本当に良かった。もしお洒落で賢いお坊ちゃんだらけの高校に行かれたら、今頃気が気じゃ無かった。つまり俺はまだ彼女に、告白出来ないでいる。そろそろ頑張って次の行動を起こさないと。毎朝偶然を装って通り道で待つのも、客観的に見てかなり不気味だ。
 水田と佐藤は同じ私立に合格した。水田は入学早々に喧嘩で停学を食らったりして、相変わらずだ。佐藤は男前に磨きが掛かって、たまにストリート系ファッション誌の読者モデルをやっている。
 ケーホーは公立の工業高校で運悪く錦戸と同級生になり、あの時金属バットで黒澤の頭を叩いたのが実は自分だって事がバレやしないかと毎日ヒヤヒヤしながら、スリリングな高校生活を送っている。でも多分、それはバレないだろう。ケーホーは半年で、十五センチも背が伸びたからだ。何と最近、可愛い彼女も出来たらしい。しかも! 奴は最早〈ケーホー〉では無い。成長とともに剥けたのだ。先を越された俺は、ちょっと悔しい。
 黒澤は目出度く、恐喝と窃盗でパクられて年少に行った。これで暫くは、安心だ。尤も、もしまた俺の前に現れても、絶対に一円もやらないけどね。女も当然、紹介しないし。
 豊田と本田はこの春から五所ノ関部屋に住み込み、黙々と稽古してどんどん強くなっているらしい。大銀杏を結った二人をNHKで観る日も、きっとそう遠くないだろう。モテモテになる日ももうすぐだ。
 そう言えば、あの夏、地元の男を攻めていた明日香と愛は、夏休み最後の締めに豊田と本田を選んだ。体の割に意外と小ちゃくてたいした事なかった、なんて陰で言われている事は、二人には内緒にしておこう。ただ舐めるのは何故か滅茶苦茶上手かった、とも言ってたけどね。これは今度会った時に言っておこう。

 杉花粉をたっぷり含んだ東風が、ホームを吹き抜けて行く。
 遅く散った桜の花びらが一枚、くるくる回りながら飛んで来て、足元に落ちた。
 高木優子を乗せて行った電車と入れ替わりに、下り電車が入って来る。
 俺は、この春から二流の県立高校に通い始めた。三流じゃないよ。二流だよ。しかも普通科。
 下り電車に乗る俺はまだまだ落ちこぼれだけど、これからさ。後悔は決して先に立たない。努力は偶に、報われる。

 久し振りに、空が晴れている。
 俺は大きく息を吸って、吐いた。
「シューッ」

 ちゃんと教科書の入った鞄を持って、電車に乗り込む。
 見慣れた街が動き出し、電車は少しずつ加速して行く。

 何だか分からない物が、俺を待っている。
 何だか分からないけど、頑張れ、俺。

 はっきょいっ。
(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み