第2話
文字数 1,597文字
その瞬間、ハサミが光ったように見えた。すると、恩田の意思とは関係なく勝手に動いていく。
「……うそだ。そんなはずない!」手を止めようとしてもカットは止まらず、マネキンはものすごい勢いで髪が整っていく。
しかも、アイロンをあてていないにも関わらず、サイドはブロー、バックは内側へカールしていく。気が付けば見事な聖子ちゃんカットに仕上がり、ハサミを持つ手も自由に動かせるようになった。
「これが完全剪刀の実力じゃ。お主の腕に関係なく、自ずと思い通りの髪型になる。まさに魔法のハサミじゃな。さすがに髪を伸ばすことは出来んが、それでも充分じゃろう?」
確かにこれは素晴らしい。腕に関係なくの部分が引っかからない訳でもないが、この仕上がりは恩田の目から見ても完璧だった。それに通常であればヘアアイロンを使っても一時間以上かかる作業を、僅か十分足らずで完了させたのだ。これはとんでもないお宝である。
「これはいくらですか?」
反射的に声が出てしまう。だが、さっきハサミを買ったばかりなので財布には小銭しか入っていない。ハサミどころか、帰りのバス賃だけで精いっぱいだ。
「二十万! と言いたいところだが特別に十万円にしておこう。お主も金欠なのじゃろうしな」
完全に見透かされている。醸し出す貧乏のオーラをこの老人は察しているのだろうか。しかし十万でも辛い。買ったばかりのハサミを返品したところで焼け石に水。とても工面できる金額では無かった。
諦めて店を去ろうとした途端、老人は思わぬ提案を示してきた。
「ワシも鬼ではない。このハサミをしばらく貸してやるから、お金が出来た時に持ってくれればええ。出世払いというやつじゃな」
老人に抱き着いてキスをしたくなる衝動をぐっとこらえ、恩田は「ありがとうございます」と大声で感謝の弁を述べた。
「ただし、お主以外の者に使わせるんじゃない。恐ろしいことになってしまうぞ」
「恐ろしいこと? 一体何ですか」
「ふぉっふぉっふぉ」不敵な笑いを残したまま、老人は静かに奥へと消えていった。
彼の後ろ姿に深々とお辞儀をすると、恩田は松極堂と書かれたガラス戸を引く。外はまだ雨が降り続いていた。だが、雨に濡れるのもいとわずに、スキップをしながら意気揚々とバス停へと向かった。
店に帰った恩田は、さっそく頭髪サンプルを準備する。
最新のヘアカタログをめくり、敢えて難しめのデザインを選び、入手したばかりの完全剪刀という名のカットシザーを手にした。
一瞬だけ光を放ち、先ほどと同様、まるでハサミに意思があるがごとく動き始める。
五分もしないまま流行であるウルフウェーブが仕上がった。しかも染めてもいないのにカタログ通りのブラウンカラーになっている。
ハサミひとつでここまでできるとは――恩田は改めて感心した。
さっそく恩田は店のドアに、『どんな髪型でも、十分で完璧に仕上げます』と手書きで作成したチラシを貼った。
二か月後。
恩田理髪店には長い行列が出来ていた。若者を中心としたファッション雑誌片手の客にてんてこ舞いの忙しさ。以前の閑散とした雰囲気とは違い、『恩田理髪店』は、今や予約が取れない店としてテレビに紹介されるまでとなった。レディース&メンに取られた客を完全に奪い返した格好だ。
懸念していたハサミが光る現象に関心を寄せる客はこれまで一人もいなかった。きっと使用する本人にしか見えないのだろう。
しかし、いくら繁盛してアルバイトを募集しようにも、おいそれと雇う訳にはいかなかった。老人の告げた<恐ろしいこと>の正体は何であるかは、まだ判明していない。それだけに危険を冒すわけにはいかなかった。
秘密を守るため、完全剪刀を恩田以外の者に使わせるわけにはいかない。したがってシャンプー以外は全部一人でこなさなくてはならないのだ。
忙しいのに従業員を増やせない。ジレンマに陥る恩田だった。
「……うそだ。そんなはずない!」手を止めようとしてもカットは止まらず、マネキンはものすごい勢いで髪が整っていく。
しかも、アイロンをあてていないにも関わらず、サイドはブロー、バックは内側へカールしていく。気が付けば見事な聖子ちゃんカットに仕上がり、ハサミを持つ手も自由に動かせるようになった。
「これが完全剪刀の実力じゃ。お主の腕に関係なく、自ずと思い通りの髪型になる。まさに魔法のハサミじゃな。さすがに髪を伸ばすことは出来んが、それでも充分じゃろう?」
確かにこれは素晴らしい。腕に関係なくの部分が引っかからない訳でもないが、この仕上がりは恩田の目から見ても完璧だった。それに通常であればヘアアイロンを使っても一時間以上かかる作業を、僅か十分足らずで完了させたのだ。これはとんでもないお宝である。
「これはいくらですか?」
反射的に声が出てしまう。だが、さっきハサミを買ったばかりなので財布には小銭しか入っていない。ハサミどころか、帰りのバス賃だけで精いっぱいだ。
「二十万! と言いたいところだが特別に十万円にしておこう。お主も金欠なのじゃろうしな」
完全に見透かされている。醸し出す貧乏のオーラをこの老人は察しているのだろうか。しかし十万でも辛い。買ったばかりのハサミを返品したところで焼け石に水。とても工面できる金額では無かった。
諦めて店を去ろうとした途端、老人は思わぬ提案を示してきた。
「ワシも鬼ではない。このハサミをしばらく貸してやるから、お金が出来た時に持ってくれればええ。出世払いというやつじゃな」
老人に抱き着いてキスをしたくなる衝動をぐっとこらえ、恩田は「ありがとうございます」と大声で感謝の弁を述べた。
「ただし、お主以外の者に使わせるんじゃない。恐ろしいことになってしまうぞ」
「恐ろしいこと? 一体何ですか」
「ふぉっふぉっふぉ」不敵な笑いを残したまま、老人は静かに奥へと消えていった。
彼の後ろ姿に深々とお辞儀をすると、恩田は松極堂と書かれたガラス戸を引く。外はまだ雨が降り続いていた。だが、雨に濡れるのもいとわずに、スキップをしながら意気揚々とバス停へと向かった。
店に帰った恩田は、さっそく頭髪サンプルを準備する。
最新のヘアカタログをめくり、敢えて難しめのデザインを選び、入手したばかりの完全剪刀という名のカットシザーを手にした。
一瞬だけ光を放ち、先ほどと同様、まるでハサミに意思があるがごとく動き始める。
五分もしないまま流行であるウルフウェーブが仕上がった。しかも染めてもいないのにカタログ通りのブラウンカラーになっている。
ハサミひとつでここまでできるとは――恩田は改めて感心した。
さっそく恩田は店のドアに、『どんな髪型でも、十分で完璧に仕上げます』と手書きで作成したチラシを貼った。
二か月後。
恩田理髪店には長い行列が出来ていた。若者を中心としたファッション雑誌片手の客にてんてこ舞いの忙しさ。以前の閑散とした雰囲気とは違い、『恩田理髪店』は、今や予約が取れない店としてテレビに紹介されるまでとなった。レディース&メンに取られた客を完全に奪い返した格好だ。
懸念していたハサミが光る現象に関心を寄せる客はこれまで一人もいなかった。きっと使用する本人にしか見えないのだろう。
しかし、いくら繁盛してアルバイトを募集しようにも、おいそれと雇う訳にはいかなかった。老人の告げた<恐ろしいこと>の正体は何であるかは、まだ判明していない。それだけに危険を冒すわけにはいかなかった。
秘密を守るため、完全剪刀を恩田以外の者に使わせるわけにはいかない。したがってシャンプー以外は全部一人でこなさなくてはならないのだ。
忙しいのに従業員を増やせない。ジレンマに陥る恩田だった。