実験その一「親友の裏切り」

文字数 7,713文字

 さて、最初の実験は、親友からの裏切りです。

 こちらの写真をご覧ください。被験者の親友役として起用した青年です。少しぽっちゃりとして、見るからに温厚そうな若者です。身長は百六十三センチメートルですので、被験者よりも十センチ以上小さい。これは自分よりも背が低い者への警戒心が、高い者へのものより小さくなる、という人間の心理を利用しています。

 今でこそ、小さい=弱いというイメージは大分覆されてきてはいますが、まだまだそのような偏見は根強く残っています。動物本来の性質と言っても良いものかもしれません。実際に被験者は何の疑いもなく、彼を受け入れました。

 彼の名前は権藤剛と言いますが、もっと優しく、良いイメージになるよう、成島優一と名乗らせました。

 さて、被験者がこの成島優一と出会ったのは、大学に入学した初日のこと。この大学は、一年生の時に名前の順でクラス分けがされるという、一風変わった伝統があります。そのクラスは一年限定で、イントロダクションから始まり、頻度は少ないですが、担当になった教員によるレクリエーションのような授業が行われることもあります。初年度は全て共通科目の履修で、専攻に分かれるのは二年生からです。そのため、最初のクラスで出会った友人とは、少なくとも一年間は深く付き合う傾向があります。

 二人は無事、同じクラスになりました。西風館と成島ですから、よほどのことがなければ分かれることはないでしょう。もし不運にも別のクラスになった時には少々面倒な手段を使わねばならなかったので、余計な手間がかからずにすみました。さらに幸いなことに、二人の間に入る者は誰もおらず、彼らは前後の席となりました。その日のうちに友人となり、他の数名も合わせて、男性ばかりの四、五人のグループを作ったようです。

 授業には必修科目と自由科目がありますが、成島には被験者と八割程度同じものを選択させました。全て同じでは不自然ですし、会わない時間があったほうが、会った時の楽しみが増えるものです。一緒の授業になった時には必ず隣に座り、午前の最後の授業であれば昼食を共にし、午後の最後であれば夕食を共にさせます。ただし、平日の昼夜十食のうち、平均五食に調整しました。それでも半分を一緒に食べていることになります。もう少し後になると土日も会って遊ぶようになりましたので、さらに共有する時間は増えていきます。

 もちろん、被験者には別の友人もいましたし、そのことについては特に干渉はしないこととしました。成島との関係を演出する、丁度良いアクセントになりますし、邪魔なようならいくらでも引き離すことが可能です。

 ただ、サークル活動だけは、楽しくなる前に辞めるように仕向けました。被験者が選択したのは、メンバーが三十名を超える大きなテニスサークルでしたので、人間関係のコントロールがしにくい。せいぜい十名程度であれば、成島も参加させることで認めるつもりでしたが、仕方がありません。

 辞めさせると言っても、メンバーを操作したりというような乱暴な方法は使ってはいません。活動がある日に別の予定を入れておいたり、急用を作ったりして、満足に参加できない状況にしたのです。入学したばかりの学生にとって、サークル活動はそれほど優先順位が高いわけでもありませんので、この方法で充分にコントロールすることが可能なのです。

 その反面、サークルメンバーの人間関係は他に比べて濃密で、その変化も急速なものとなります。序盤から休みがちな被験者がたまに参加したとしても、既に出来上がってしまっているコミュニティの中で浮いてしまうのです。そうなると、他の楽しいことや、アルバイトなどに時間を割いたほうが良いと思うようになる。狙い通り、被験者は二か月でそのサークルを辞めました。

 話を成島優一に戻します。被験者は自宅通学でしたが、成島には大学近くのアパートで一人暮らしをさせていました。六月には、頻繁に泊まりに行くようになっていました。その逆も二度あり、成島は我々と食事をし、我が家に宿泊しました。実際に会って話してみると、本当に良い青年を演じてくれていました。彼が役者を志せば、きっと大成するでしょう。

 もちろん、我々のことはわからないようになっています。成島に直接接触しているのは別の人物であり、その他何重にもプロテクトを施してありますので、彼が真相に辿り着くことは不可能です。

 このようにして、被験者と成島は親交を深めていきました。被験者に大学でのことを訊けば、九割は成島の話です。親友という関係は定義が難しい所がありますが、今回は間違いありません。何故なら、被験者自らが我々に彼の話をする際に、そう表現していたからです。

 成島には、もう一つ重要な役割を与えました。被験者にアルバイトをさせることです。その職場で、被験者は恋人となる女性に出会うこととなります。そして、彼女にも裏切られ、仕事でも理不尽な扱いを受け、連鎖的に精神攻撃が続くこととなるのです。彼はここでも、素晴らしい働きをしてくれました。

 被験者の労働意欲を刺激するため、成島自らもアルバイトをするというのはシナリオのうちでしたが、彼はなんと、その職場で彼女を作ってしまったのです。我々にとっては想定外でしたので、勝手な行動は慎むよう指示をしたのですが、彼は逆に「絶対にうまくいくから少し様子を見ていてくれ」と言ってきたのです。

 彼女ができてからは、当然被験者と会う頻度は減ります。ですが、それ以外は変わらずに被験者と接するし、家にも泊める。そこで被験者は気付くわけです。成島に女性の影があると。

 前に少し述べましたが、自分より背の低い成島のことを、被験者は甘く見ていた部分がありました。気が付いてみれば、成島は一人暮らしで身の回りのことを全て自分でやっているし、アルバイトをして学費と生活費を稼いでいる。あまつさえ恋人までできてしまった。被験者の自尊心は大きく揺さぶられたことでしょう。遅れをとってしまっていることに、焦りを感じたのだと思います。

 それからすぐのことです。我々に一人暮らしがしたいと申し出てきたのは。しかし、自宅から学校までは車で十分の距離です。被験者自身も自転車やバスで通っていました。もちろん認めるわけにはいきません。すると彼は言いました「せめて、アルバイトをすることは認めてくれ」と。成島の目論見は見事に成功し、我々の計画より四十日も早く、被験者はアルバイトを始めたのです。

 まさに、順風満帆でした。大学生活は親友の存在によって楽しく、アルバイト先で出会った彼女はとても素敵な女性で、働いてお金を稼ぐ楽しさも感じることができた。疑いようもない、充実した毎日。ですがそれは、崩壊への道を一歩一歩進んでいるようなもの。我々にとっては、実験開始へのカウントダウンだったのです。

 そして、時は満ちました。成島による攻撃の始まりです。

 さて、ここまで聴いてきて、諸君はこの成島という男にどのような印象をお持ちでしょうか。先ほどの写真をもう一度見ていただきましょう。とても温和な青年に見える方がほとんどだと思います。こんな優しそうな人間に、人を傷つけるとこができるはずがない、と言った方もいました。しかし、次の写真はどうでしょう。

 いかがですか? 大きく見開かれた瞳は、相手の内面まで見透かそうとしている。強張った無表情は、相手に対する敵意の現れです。何かあればすぐに対応できるように準備をしている。さらに次の写真では。完全に攻撃性をむき出しにし、相手を睨み付けています。これが彼の本性です。

 成島優一こと権藤剛は、山梨県の一般家庭に生まれました。両親共に学校の教師で、生活にも不自由はしませんでしたし、健康で活発な子どもで、友達もたくさんいました。何の問題もなく、彼は成長していきました。

 しかし、中学生に上がって思春期を迎えると、彼は自分がとても醜いことに気が付いてしまいました。両親は美しくはないとはいえ、特段醜悪というわけでもありません。ですが、彼の顔は、両親の悪いところだけを集めたようなものだったのです。そして彼には、一つ上に両親の良い所だけを集めたような、美形の兄がいました。

 もちろん両親は分け隔てなく兄弟を育てたつもりですが、やはり日常の些細なことは、確実に蓄積していきました。それは冗談の上での言葉かもしれないし、彼の受け止め方が悪かっただけかもしれません。それでも彼の心は傷ついていったのです。

 学校では美形の兄と比較され、揶揄され、蹂躙され続けました。それでも彼の心は折れず、自ら道化を演じることで、立ち位置を保っていました。これは彼に備わった素晴らしい能力です。この話を聞いた時、私は真に崩壊させるべきなのはこの男の精神かもしれないと考えました。機会があればぜひ挑戦してみたい。そのために、今回の実験で有意な結論を得なければ、と改めて認識したほどです。

 さて、彼はそのような辛い状況の中でも、道化としての人気を集めていきました。しかし、彼が欲しかったのはそんなものではありません。彼は兄のように生まれたかった。自分がこんなにも努力しなければ得られない人気を、彼は何もせずに手にすることができる。圧倒的な不公平感。それでも彼は、兄のことが大好きでした。兄も、自分のことを弟として本当に可愛がってくれる。

 しかし、不幸なことに、彼らは思春期でした。かつては「人間の最も不安定な時期」と言われていましたね。現在では常時不安定な人間が増えてきたため、あまり取沙汰されませんが、特別な時期であることに変わりはありません。子どもから大人へと変化する時期。そして、恋をする時期でもあります。

 そう、権藤剛は恋をしました。身の程を知る人間は、高値の花に手を伸ばそうとは考えもしません。そのように、自然と矯正されてしまうのです。彼が好きになったのは、クラス委員を務める、真面目で大人しい、平凡な少女でした。

 この時期の恋は単純なものです。普段は注意ばかりする、堅物と扱われていた彼女でしたが、彼のおどける姿を見て楽しそうに笑っていた。それだけで、彼は恋をしました。さらに、彼女だけは決して彼を馬鹿にせず、他の皆と同様に扱ってくれた。彼にとっては、それも大きなポイントでした。二人は少しずつ、本当に少しずつ、会話をするようになっていきました。

 そして中学三年生の終わり。彼女と同じ高校に合格することができなかった彼は、せめて気持ちを伝えようと、彼女を呼び出します。しかし、告白をすることさえ叶いませんでした。彼の気持ちを察していた彼女が先手を打って、兄のことが好きだと言ったのです。そのために、兄と同じ高校に入ったと。彼からの告白を受けてしまえば、断ったとしても、兄と付き合いにくくなる。だから、彼女は告白をさせなかった。

 彼はそのことと、そして、自分を馬鹿にしなかったのも兄のためだったのだと、彼女の後姿を見送りながら悟りました。

 そして、高校生になって間もなく訪れた夏のある日、兄と彼女が付き合っていることを知りました。

 彼は兄が大好きでした。だから、殺そうとは思いませんでした。ただ、少し酷い目にあったらいい、そう思ったのです。

 彼は兄の自転車のブレーキに細工をしました。彼の家は坂の上にあり、兄は高校に通うために、毎朝その坂を下ります。緩やかで、車もほとんど通りません。だから死ぬことはないと思ったのでしょう。実際、兄は坂の終わりでガードレールに引っかかった形で投げ出され、およそ六メートル下の草地に落下しただけで、命に別状はありませんでした。ただ、彼の両足は二度と動かなくなってしまいました。

 それでも、例の彼女は兄を愛しました。病院で久しぶりに見た彼女は、急激に大人っぽく、魅力的になっていました。その姿を見て、罪悪感が消えていくのを感じたと彼は言っています。同時に、自分が同じ状態になっていたらと想像し、その先の未来に絶望したそうです。

 この世界は、生まれた時の容姿によって人生が大きく左右されます。美しい者の人生は多少の不幸があってもなお輝きを失わない。しかし醜い者は、稀に手にする細やかな幸福で、その目を覆うことしかできないのです。

 さて、もう一度、彼の姿をご確認ください。勘の良い方ならもうわかりますね。彼は整形手術をしています。それが、彼がこの実験に協力することへの見返りでした。

 これまでの自分をリセットしたい。ごく平均的な容姿に生まれ変わって、新しい人生を生きたい。彼はそう願ったのです。我々は、折角ならば兄のようにと薦めたのですが、固辞されました。明確な理由は答えず、ただ「普通でいいんだ」とだけ言っていたそうです。

 おそらく、兄を羨む反面、兄のようにはなりたくない、という気持ちがあったのでしょう。偶然美しく生まれただけにもかかわらず、さしたる努力もせずに幸福を貪るような人間は、彼が最も憎むべき対象だったのですから。

 手術の関係で記録された彼の元の顔は、彼の名誉のために、この世界から全て削除しました。実家の子どもの頃の写真なども、自分で処分したと言っています。彼は大学進学を機に、別人として生きていく覚悟を決めていました。我々が名付けた成島優一という名前も、とても気に入ってくれたようです。

 この写真は実験が始まった当初のもので、現在は痩せてすっきりとした爽やかな青年になりました。もちろんまだ大学にも通っていて、実験を見事にやり遂げた後は、平凡な大学生活を満喫しています。

 先ほどお見せした、二枚目の写真を覚えていますか? そう、この顔です。これは彼が被験者に対して向けたものですが、この表情をするのがこれで最後になることを、我々は祈っています。まあ、まず無理でしょうが。

 顔を変えたくらいで、人間の過去を消すことはできません。そして実は、未来もそれほど変わらないのではないかと思います。ただ、物事の価値が人によって違うだけ。彼が良いならそれで良いのです。

 さて、大学一年の冬のことです。いよいよ、彼が自分を解放する時がやってきました。彼の方から実行を進言してきました。思いもよらず彼女ができたことで、自分の氷ついた心が溶け始めていることを感じていたのです。そのあたりの自己分析も実に冷静でした。しかし、我々には、彼が早く本来の自分を解放し、また、早く実験を終わらせて、呪われた人生から解放されたいだけのようにも見えました。

 彼がもう長くは持たないと判断した我々はその申し出を了承し、彼と共に作りあげたシナリオに沿って、被験者への攻撃を開始しました。

 まず手始めに、小さな頼みごとを被験者に持ち掛けます。講義での偽装出席、所謂代返と呼ばれるものです。出席していない人間の代わりに返事をして、出席扱いにするという、小賢しい行為です。実行する人間も人間なら、気づかない人間もたかが知れています。

 被験者は、初めの数回は「仕方ないな」とにこやかに引き受けていました。ちなみに、ここで一度だけ、成島はせめてもの礼にと、被験者に無理矢理五百円を渡しています。

 しかし、次第に頻度は増し、成島もやってくれて当然のような態度をとるようになっていくと、当然被験者は断るようになります。講師によっては防止策を講じる者もおりますし、そもそも代返自体が不可能な授業もありますからね。

 ここで、成島は例の表情で冷ややかに被験者を見つめ、無言で立ち去ります。しかし次の日には、また同じように頼みに行く。断りきれなくなった被験者は、何らかの方法で実行しようとしますが、既に講師陣の間では悪質な学生として警戒されています。そしてついに、指導課へ呼び出されることになりました。

 そこには、成島も呼ばれていました。被験者はほっとします。親友である成島はきっと本当のことを言って、自分を庇ってくれるはずだと。しかし、その期待は見事に打ち砕かれる。成島は職員の質問にこう答えました。「頼んだのは最初の一回だけで、その時に五百円を取られました。それからは度々代返をさせろと脅され、講義に出させてもらえませんでした。もちろん、その度に金銭を要求されました。僕は講義に出たいので、何とかしてください」と。

 被験者は抗議しましたが、実際に代返をしている事実がありますので、状況は圧倒的に不利でした。結局、彼の処分は保留となり、成島は御咎めなし。その上、補習を受けることで出席を取り戻せることになったのです。

 大学の正門で待ち伏せしていた成島は被験者に謝り、自分が指導室に頼んで重い処分にならないようにすると約束します。もちろんそんなことをするつもりはありませんが、被験者はまた彼を信じてしまいます。

 一週間後、被験者は半年間の停学という重い処分を言い渡されました。さらには、構内の至る所に貼られた号外新聞を模したチラシには、彼の一連の行動が極悪非道な行為として書かれていました。もちろん作成したのは我々です。そしてそこには、成島の家で撮られたものだとすぐにわかる写真を使いました。

 被験者は混乱しながらも、何か理由があるはずだと、覚束ない足取りで成島の家を目指します。しかし出迎えた成島は、彼が置いていた荷物を次々に投げつけ、例の表情を浮かべながら「二度と来るな」と言い放ったのです。扉を叩き、理由を訊ねる被験者でしたが、すぐに成島が呼んだ警察が駆け付け、連行されてしまいます。

 以上が実験その一。親友、成島優一による裏切りの顛末です。

 警察から連絡を受けて迎えに行った我々は、成島の仕事が完璧だったことを悟りました。それくらい、被験者は憔悴しきっていたのです。まさに茫然自失といった面持ちで、我々と目を合わせようともせず、また何も語ろうともしません。見るからに、彼の心は深手を負っていました。

 家に戻ってからも、しばらく部屋から出ようとしませんでした。中の様子は監視カメラによって常に観察していましたが、何もせず、じっと何かを考え続けているようでした。

 その点だけを見れば、人間を無力化することに成功していると思われがちですが、そうではありません。次の日の午後にはアルバイトに行きましたし、彼女と連絡も取っています。意気消沈してはいるものの、まだ「崩壊」に至ってはいません。実験はまだ始まったばかりです。これから連続して襲い来る悲劇に、彼の心はどこまで持つでしょうか。

 さて、このようにして幕を開けた一連の精神攻撃ですが、時期的に独立しているのはこの成島の例のみとなります。その他の実験は同時進行で行われており、本来なら時系列でお伝えするへきなのかもしれません。

 ですが、我々は協力してくれた人物の背景や、被験者との関係性をより強く皆様にお伝えしたいと思い、あえてテーマごとの構成としています。資料には時系列表を掲載しましたので、そちらを参考にしていただければと思います。それでは、次の実験へと移りましょう。
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