一.カリフォルニア(ディーン)
文字数 3,271文字
サマータイムのカリフォルニアは午後五時で、太陽はまだ明るい。大学で一番広いテラスにも西日が降りそそいで、皮膚が焼けつくようだ。太陽め!そう舌打ちしたくなったが仕方ない。もうエントランスに着いてしまった。
「ディーン」
呼びかけられてうしろをふり向くとご機嫌な様子のマシューが立っていた。僕は彼に眉毛を少しだけあげて挨拶をする。
「不思議だな、ディーン。いつもはダウンタウンのクラブで挨拶するのにな」
「ホントだな。明るいキャンバスで出会うなんてさ。でもまぁたまにはいいさ」
マシューとは遊びのタイプが似ていてね。別に約束はしていないけれども、よく真夜中のクラブで出会うことが多い。
なんていうか、ちょっといい子がいると必ず奴はこっちに来て「どうだ、あの子」って聞いてくる。僕も目は悪い方じゃないけど、マシューには負ける。奴は野鳥みたいに、かわいい子は手あたりしだいチェックしている。
いつだったか、クラブに行くと目立つ子がいてさ。ブロードウェイでダンサーだって言ってた。身体がしなやかでぴったりとした黒のドレスが似合って素敵だった。
僕がカウンターに行く前からチラチラこっちを見ていたから、待たせるのも悪いと思ってね、すぐに声をかけてみたよ。
ハイから始まって十分もしないうちに、長年の親友みたいな顔して僕によりかかってきた。ココは今夜初めてっていってたけど、本当かな。あとからマシューも合流して僕らは彼女にビールを奢ろうとした。でも彼女はアルコールは苦手なんだって。以前どこかのバーで猛烈に気分が悪くして、トイレで吐いちゃったなんて言うんだ。
僕らはドライブに行こうって提案した。そうしたら彼女、嬉しそうに口をゆがめて中指の爪を噛み始めた。
「夜風が好きなのよ。カリフォルニアの風って最高。妙にハイになれるの」
僕とマシューはそれを聞いてニヤリとした。その後はもうお手のモノさ。黒いドレスは残念ながら僕たちの手ですっかり脱がせることになっちゃったわけだけど、本当ならもうちょっとあのドレスを眺めていたかった。彼女はベッドの前でダンスまで披露してくれたのにさ、本当にあっという間だった。
そんなワケでマシューとコンビを組むと、ほとんどの場合楽しい夜を過ごすことができた。少しだけ文句をいわせてもらえるなら、最後にたどりつく場所ってのは僕のアパートメントなんだ。
だからってワケじゃないけど、マシューにはアパートから追い出す方法を思いつくのがどれほど大変かってことはわかってほしいよな。
「しかしお前が婚約するってのは意外だったよ。おめでとう」
「ああ、それ」
「クリスティーンか、有名な女性誌にも出てるモデルらしいな。ダウンタウンで一度だけ見かけたよ。すごい美人だ、ちくしょう」
「あっちから声をかけてきたんだぜ。ハイいい天気ね。私のことおぼえてるかしら」
しなをつくってそう言ってやったら奴はちょっと顔色を変えた。そして、いきなり壁にこぶしをぶつけてヘラヘラ笑いやがった。ちょっとしたジェラシーを感じたのかもしれないな。
マシューってのはえらくハンサムな奴なんだけど、興奮しすぎるとこんな風になっちゃうのさ。じつは彼が大学で切れるのを数回目撃したことがあって、まあなんていうかスマートじゃなかった。だからいつも会話に気をつけてはいるんだ。今日はちょっと饒舌だけど。
「昨日、一緒に暮らす予定のアパートメントを見てきたんだ」
「へえ、いつもの場所じゃないのかよ」
いつもの場所っていうのはクラブで女の子をひっかけた後に使う、ダウンタウンのアパートメントのことだ。
「ぜんぜん違うよ。そうだな、もっと小高い丘の上だな」
「ふん、まったくいい身分だよな。上質なアパートメント、そして上質な香りのするシャンパンか」
「これでも知らない苦労ってあるんだぜ。わからないだろうけど。もし俺たちがのお楽しみを一夜だけでもバラしてみろ。お前の首をひねってやるからな」
「そうだろうなぁ」
マシューはもうよそうぜというように腕を振り上げると、人ごみに行ってしまった。
ちょっと頭に血がのぼりやすいところはあるんだ。けど、クラブでの出来事は一切口にしない。本当に口が堅い奴なんだ。だからこうやって気持ちよくき合っていられるんだよ。まぁ、奴も自分のガールフレンドには知られたくないってのもあるんだろう。美しい友情ってわけだ。
ところで今いるこの大学のパーティーって奴は最悪だ。軽いスナックしか出さないチープな会で、奴とダラダラ話していても退屈なのは埋まりそうもない。正直いつ帰ろうかって悩むところだ。
遠くから女の子たちの視線も感じてはいたけれど、だ。なにしろ大学ってのは遊びの場じゃないからね。ときおり勘違いする連中もいるのは知ってるさ。でも遊びは別の場所でする方がいいよ。そりゃ、僕も多少は間違いはするけど。
「ディーン、なにか飲む?」急に話しかけられて振り向いたら、なんとマシューの彼女だった。
「いや、もう僕はこれで失礼するよ」
「残念ね、今度またゆっくり。ああ聞いたわよ、婚約おめでとう」
もうその話が彼女に伝わってるのか。思わず舌打ちをしたくなったけれど、彼女に軽く握手をしてエントランスに向かうことにしたよ。
その時、向こうから足ばやにこっちに向かってくる学生と肩がぶつかっちゃってさ。ちっとも痛くはなかったけど、ものすごく痛そうな顔をしてやった。
「大丈夫ですか。失礼しました」
えらく丁寧な英語で吹き出すところだった。でも彼が留学生だってことにその時気がついて顔を見た。驚いたね。だって濡れたような黒髪とキラキラした瞳が僕をまっすぐ見つめていたのだから。
黙ったままの僕を彼は不思議そうにみていたな。正直自分でも混乱していたんだ。
「えっと、今日はいい天気だね」
何か言わなきゃと思って、ついこんな事をいっちまったんだぜ。この僕が!
「本当に。僕がいた国は天気があまりよくなかったので……。カリフォルニアに来てから気分がいいんですよ」
「君、どこの国の人?ええと」
「あ、日本です。日本人です。」
そうニッコリ返事をされたけれど、僕はまた言葉につまっちゃってね。でも、彼は近くにいた教授から「ケイスケ!」と呼ばれて手まねきされたんで、僕に軽く会釈をしてすぐに教授のところに行ってしまった。
「ケイスケ……」
彼はペコペコ頭を下げて話をしていた。ああ、本当だ。日本人かもしれない。なんだか帰る気が失せて、そのまましばらくエントランスの壁ぎわで彼を見つめた。彼は他の生徒よりも少し背が高い。僕よりも。ずっと微笑みを絶やさないし、身のこなしに気品があった。
しばらく見とれていると、マシューとガールフレンドが不思議そうにこっちにやって来た。
「ディーン、まだいるのか」
「ちょっと忘れ物をしてね。ねえ今日って歓迎会かなにか?」
「今さら? そうよ。新入生の歓迎会だけど留学生が多いかな」
「専攻は?」
「てんでバラバラよ、もし気になる子がいるなら呼んでみる?」
「えーと、さっき肩をぶつけちゃった留学生がいてね。悪いからあやまろうかなって」
「あやまる?お前が」そうマシューがきり返してきたけど、僕はしれっと無視をした。
「どこにいる子? あ、慶介ね。彼は先月アメリカに来たばかりの日本人よ、紹介してあげる」
教授のそばにいる彼にむかって彼女が手をふると、あっという間にケイスケが反応してこっちにやってきた。
その軽やかな足どりに、僕はもう胸の高まりが抑えきれない。思わず近くにあるグラスを手すると、ジンジャーエールを飲み干してしまった。
これはキューピットのしわざに決まってる、まるで恋の矢を放たれたアポロンのように。そうでなければ、僕の胸がこんなに高鳴るはずがない。どうやら僕の心はこれから忙しくなりそうだ。神よ、ようやくクリスティーンを手に入れたばかりだっていうのに。この日本人について何もかも知りたくなるなんて、まったくどうかしている。
「ディーン」
呼びかけられてうしろをふり向くとご機嫌な様子のマシューが立っていた。僕は彼に眉毛を少しだけあげて挨拶をする。
「不思議だな、ディーン。いつもはダウンタウンのクラブで挨拶するのにな」
「ホントだな。明るいキャンバスで出会うなんてさ。でもまぁたまにはいいさ」
マシューとは遊びのタイプが似ていてね。別に約束はしていないけれども、よく真夜中のクラブで出会うことが多い。
なんていうか、ちょっといい子がいると必ず奴はこっちに来て「どうだ、あの子」って聞いてくる。僕も目は悪い方じゃないけど、マシューには負ける。奴は野鳥みたいに、かわいい子は手あたりしだいチェックしている。
いつだったか、クラブに行くと目立つ子がいてさ。ブロードウェイでダンサーだって言ってた。身体がしなやかでぴったりとした黒のドレスが似合って素敵だった。
僕がカウンターに行く前からチラチラこっちを見ていたから、待たせるのも悪いと思ってね、すぐに声をかけてみたよ。
ハイから始まって十分もしないうちに、長年の親友みたいな顔して僕によりかかってきた。ココは今夜初めてっていってたけど、本当かな。あとからマシューも合流して僕らは彼女にビールを奢ろうとした。でも彼女はアルコールは苦手なんだって。以前どこかのバーで猛烈に気分が悪くして、トイレで吐いちゃったなんて言うんだ。
僕らはドライブに行こうって提案した。そうしたら彼女、嬉しそうに口をゆがめて中指の爪を噛み始めた。
「夜風が好きなのよ。カリフォルニアの風って最高。妙にハイになれるの」
僕とマシューはそれを聞いてニヤリとした。その後はもうお手のモノさ。黒いドレスは残念ながら僕たちの手ですっかり脱がせることになっちゃったわけだけど、本当ならもうちょっとあのドレスを眺めていたかった。彼女はベッドの前でダンスまで披露してくれたのにさ、本当にあっという間だった。
そんなワケでマシューとコンビを組むと、ほとんどの場合楽しい夜を過ごすことができた。少しだけ文句をいわせてもらえるなら、最後にたどりつく場所ってのは僕のアパートメントなんだ。
だからってワケじゃないけど、マシューにはアパートから追い出す方法を思いつくのがどれほど大変かってことはわかってほしいよな。
「しかしお前が婚約するってのは意外だったよ。おめでとう」
「ああ、それ」
「クリスティーンか、有名な女性誌にも出てるモデルらしいな。ダウンタウンで一度だけ見かけたよ。すごい美人だ、ちくしょう」
「あっちから声をかけてきたんだぜ。ハイいい天気ね。私のことおぼえてるかしら」
しなをつくってそう言ってやったら奴はちょっと顔色を変えた。そして、いきなり壁にこぶしをぶつけてヘラヘラ笑いやがった。ちょっとしたジェラシーを感じたのかもしれないな。
マシューってのはえらくハンサムな奴なんだけど、興奮しすぎるとこんな風になっちゃうのさ。じつは彼が大学で切れるのを数回目撃したことがあって、まあなんていうかスマートじゃなかった。だからいつも会話に気をつけてはいるんだ。今日はちょっと饒舌だけど。
「昨日、一緒に暮らす予定のアパートメントを見てきたんだ」
「へえ、いつもの場所じゃないのかよ」
いつもの場所っていうのはクラブで女の子をひっかけた後に使う、ダウンタウンのアパートメントのことだ。
「ぜんぜん違うよ。そうだな、もっと小高い丘の上だな」
「ふん、まったくいい身分だよな。上質なアパートメント、そして上質な香りのするシャンパンか」
「これでも知らない苦労ってあるんだぜ。わからないだろうけど。もし俺たちがのお楽しみを一夜だけでもバラしてみろ。お前の首をひねってやるからな」
「そうだろうなぁ」
マシューはもうよそうぜというように腕を振り上げると、人ごみに行ってしまった。
ちょっと頭に血がのぼりやすいところはあるんだ。けど、クラブでの出来事は一切口にしない。本当に口が堅い奴なんだ。だからこうやって気持ちよくき合っていられるんだよ。まぁ、奴も自分のガールフレンドには知られたくないってのもあるんだろう。美しい友情ってわけだ。
ところで今いるこの大学のパーティーって奴は最悪だ。軽いスナックしか出さないチープな会で、奴とダラダラ話していても退屈なのは埋まりそうもない。正直いつ帰ろうかって悩むところだ。
遠くから女の子たちの視線も感じてはいたけれど、だ。なにしろ大学ってのは遊びの場じゃないからね。ときおり勘違いする連中もいるのは知ってるさ。でも遊びは別の場所でする方がいいよ。そりゃ、僕も多少は間違いはするけど。
「ディーン、なにか飲む?」急に話しかけられて振り向いたら、なんとマシューの彼女だった。
「いや、もう僕はこれで失礼するよ」
「残念ね、今度またゆっくり。ああ聞いたわよ、婚約おめでとう」
もうその話が彼女に伝わってるのか。思わず舌打ちをしたくなったけれど、彼女に軽く握手をしてエントランスに向かうことにしたよ。
その時、向こうから足ばやにこっちに向かってくる学生と肩がぶつかっちゃってさ。ちっとも痛くはなかったけど、ものすごく痛そうな顔をしてやった。
「大丈夫ですか。失礼しました」
えらく丁寧な英語で吹き出すところだった。でも彼が留学生だってことにその時気がついて顔を見た。驚いたね。だって濡れたような黒髪とキラキラした瞳が僕をまっすぐ見つめていたのだから。
黙ったままの僕を彼は不思議そうにみていたな。正直自分でも混乱していたんだ。
「えっと、今日はいい天気だね」
何か言わなきゃと思って、ついこんな事をいっちまったんだぜ。この僕が!
「本当に。僕がいた国は天気があまりよくなかったので……。カリフォルニアに来てから気分がいいんですよ」
「君、どこの国の人?ええと」
「あ、日本です。日本人です。」
そうニッコリ返事をされたけれど、僕はまた言葉につまっちゃってね。でも、彼は近くにいた教授から「ケイスケ!」と呼ばれて手まねきされたんで、僕に軽く会釈をしてすぐに教授のところに行ってしまった。
「ケイスケ……」
彼はペコペコ頭を下げて話をしていた。ああ、本当だ。日本人かもしれない。なんだか帰る気が失せて、そのまましばらくエントランスの壁ぎわで彼を見つめた。彼は他の生徒よりも少し背が高い。僕よりも。ずっと微笑みを絶やさないし、身のこなしに気品があった。
しばらく見とれていると、マシューとガールフレンドが不思議そうにこっちにやって来た。
「ディーン、まだいるのか」
「ちょっと忘れ物をしてね。ねえ今日って歓迎会かなにか?」
「今さら? そうよ。新入生の歓迎会だけど留学生が多いかな」
「専攻は?」
「てんでバラバラよ、もし気になる子がいるなら呼んでみる?」
「えーと、さっき肩をぶつけちゃった留学生がいてね。悪いからあやまろうかなって」
「あやまる?お前が」そうマシューがきり返してきたけど、僕はしれっと無視をした。
「どこにいる子? あ、慶介ね。彼は先月アメリカに来たばかりの日本人よ、紹介してあげる」
教授のそばにいる彼にむかって彼女が手をふると、あっという間にケイスケが反応してこっちにやってきた。
その軽やかな足どりに、僕はもう胸の高まりが抑えきれない。思わず近くにあるグラスを手すると、ジンジャーエールを飲み干してしまった。
これはキューピットのしわざに決まってる、まるで恋の矢を放たれたアポロンのように。そうでなければ、僕の胸がこんなに高鳴るはずがない。どうやら僕の心はこれから忙しくなりそうだ。神よ、ようやくクリスティーンを手に入れたばかりだっていうのに。この日本人について何もかも知りたくなるなんて、まったくどうかしている。