二. 東京(ユウター1)

文字数 2,975文字

 ちょっとだけ予感はしていたよ。で、案の定この暑さがふっとぶような事件が勃発した。

 きっかけはもちろんオレ。もうすぐ夏休みだってのに「卒業したら、大学院へいこうかと思っている」ってカナにしれっといっちゃったのが発端だ。しかも、降りるはずの駅まであとひとつって時にだ。

 「ユウタってリッチだね。大学院にいく余裕があるなんて」

 「いや。大学院進学も悪くないなって思っただけですよ。そう思わない? 」

 極めてていねいにいったつもりだ。でもカナはそれっきりなにもいわなくなったから、コイツは困ったことがおきそうだなと身がまえた。カナに会う前のオレときたら、マルクス主義だのハイデガーだの、哲学系の内容を頭につめこんでいたせいか寝不足でさ。じっさいカナの様子をイチイチ気遣う余裕はなかった。

 「まだ検討段階だし、くわしい話はまた」

 なんてごまかしてヘッドフォンで音楽を聴いてやりすごそうとした。でも、電車のアナウンスが「まもなく吉祥寺です」と告げるや否や、カナは無言で電車を降りてしまった。

 「え、どこへいくの」

 オレはあわてたけど、彼女は足ばやにホームの階段をかけ降りていく。こうなると、長期戦の覚悟が必要になる。電車にとり残されたオレは、彼女のうしろ姿が小さくなるのを、ただ電車のなかで見守るしかなかった。

 翌朝オレのスマホは一度も鳴らなかったばかりか、連絡がきたのはバイト先の店長だけという。でもこのケンカがきっかけでオレの人生が左右される出来事がおこるなんて、夢にも思わなかったな。

* * *

 吉祥寺でオレを残して彼女が電車を降りてから三週間が過ぎた。いまオレは飛行機に乗っていてサンフランシスコ国際空港に向かっているところ。成田空港から飛んで、ちょうど七時間くらいかな。

 イキナリだって思うだろ? こうなった理由っていうのが奴のメールなんだ。驚いたなんてもんじゃなかったね。だって慶介はアメリカに留学してから一度も連絡なんかしてこなかったから。

 それもさ、たった一言「ひさしぶり、元気?」って。

 慶介とは三年間同じクラスでサッカー部も一緒。つまり、かなり長い時間を一緒にすごしていたから、ちょっと他の友人とは違うんだ。急に奴がアメリカに留学するっていいだしたのも驚いたし、卒業前の態度があまりにもそっけなかったからさ。当時はけっこうショックだった。

 でもメールを見たら、そんなわだかまりなんて一蹴されちゃってさ。すぐ「慶介! お前生きていたのかよ」って返信をしたよ。

 「元気だよ、そっちはどう」

 すぐに着信があって、オレは無性に慶介に会いたくなった。

 そこで、大学院の準備資金のために用意した金でアメリカへいってみることに決めた。エアチケットのサイトなんて初めて見たからさ。いざ(購入)のボタンを押すのはドキドキした。

 この行動のはやさには慶介はもちろん、他の連中も驚いていた。つまり、自分の国もろくに旅行したこともないオレがいきなりカリフォルニアに行くなんて想像もしなかったんだろう。でも一番驚いているのは自分自身なんだよね。

 で、いよいよ成田に飛び立つ前夜はなかなか眠れなかった。布団でぼんやり天井を見ていると、いろんなことがグルグル頭の中を駆け巡ってきた。横にいるはずのカナがいない空間に慣れてきたことにも気づいちゃってね。

 「もうすぐ二年かあ……」

 カナといた時間をつぶやきそっと目を閉じると、次に戻ってくる頃にはなんだか別世界が待っている気がした。明日、東京を去るのがちょっぴり不安だ。 

 急な旅行計画だったけど、無事飛行機に乗る。はずかしい話。出発の日の搭乗手つづきにはかなり時間がかかった。最近はセキュリティチェックって厳しいのかな。いや、過去もまったく知らないけど。で、いざ飛行機に乗ってみると、意外に自分は空の上が好きなんだろうなってすぐにわかった。

 「コーヒーはいかがですか」

 「日本茶があれば」

 「はい、後ろの係が運んできますから、少しおまちください」

 キャビン・アテンダントはそそくさと去っていった。きっと面倒な注文だったんだろうな。

 残念なことに、あとから日本茶を運んでくる気配はまったくなくてさ。しかたなくオレは映画をぼんやり見つづけ、エコノミークラスの窮屈な座席が気になってきた。こういった経験もしてみないとわからないよね。

 やけに時間があるから、これから会うヤツの状況について想像してみたよ。金髪のガールフレンドができて上手くやっているのだろうか。それとも単位を落として苦しんでいるのかな、なんてね。

 念が通じたのか、ちょうどいいタイミングで慶介からメールが届いた。

 「フライトは順調そう?」

 「バッチリ、時間通りには到着するよ」

 すぐに返事をする。仮にこの飛行機に不具合がおきたところで、どうすることもできないからね。

 緊張しながらも空の旅を終え、飛行機はサンフランシスコ国際空港に到着した。オレが入国ゲートを通過したのはそれから一時間以上もかかった。自慢じゃないけど高校時代までの英語の成績は「三」。つまり海外じゃぜんぜん通用しないレベルだってこと。でもすぐに入国できたのは、きっとパスポートに履歴がなくて真っ白だったからなんじゃないかな。

 ともあれ、とりあえず出口へ向かい、サンフランシスコの市内に入るためBARTに乗りかえる。

 BART(バート)とは、ベイ・エリア高速鉄道のことで、空港からサンフランシスコ市街を結んでいる。しばらく電車に揺られているとやがて地上が見え、フリーウェイと並行して走る。電車なんて乗りなれているはずなのに、少し緊張しながら窓の風景を楽しんだよ。で、到着したユニオン・スクエアでは街の活気に少しホッとするところがあった。

 慶介とはユニオン・スクエアのすぐ近くにある三ツ星ホテルのロビーで待ちあわせしていたけど、駅の目と鼻の先にあったからすぐにわかった。ホテルの回転扉をくぐりぬけ、エントランスにある大きな時計の下に立ってみる。まるで自分が映画の主人公のようだ。すると、遠くから誰か手をあげてやってくる。

 「ユウタ、本当かよ。ひさしぶりだなぁ」

 慶介だというのは一瞬でわかったけど「おお!」と小さく叫ぶと、オレは何もいえなくてさ。奴は高校時代の雰囲気が一蹴されて、かなり変わっていたっていうのもひとつだね。もちろん、イイ意味で。

 キラキラした瞳でしばらくの間オレを見ていたけど「やばい。髪を切るヒマがなくてさ」といって髪をかき上げる。すると、すぐ近くにいたブロンドの女性スタッフがチラッと見てほほ笑んだ。

 「元気そうだね、よかった」

 「おお、元気そうじゃん」

 お互い同じタイミングで言葉がかぶってさ。でもそれがきっかけとなって、長い間音信不通だったわだかまりが少しだけ解消できそうな気がした。
 
 慶介はオレの荷物を持ちあげた。

 「どうするんだ」

 「ホテルはキャンセルしたら。一週間じゃ帰らないだろ」そう奴はいいながら歩きだす。

 オレは奴のあとについていった。そうしたら道路のパーキングには日本のセダンがある。

 「これ、お前のか」

 そう言うと奴はうなずきながらスーツケースをトランクに押しこむ。

 「とにかく、細かい話はあとにしよう」慶介はそういってオレに助手席に乗るよううながした。
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