第1話

文字数 1,547文字

 その難民キャンプは内戦状態に陥った隣国との国境地帯に設けられ、日々、流れ込んで
くる難民たちのための衣食住を賄っていた。
 いくつか掘られている井戸と自家発電設備で最低限の水と電気は得られるものの、必要
とされる物のほとんどは外部から運び込んでくるしかない、貧しい辺境の難民キャンプで
あった。
 そんなキャンプの中心にある、かつては教会として使われていた医院に木藤コオが派遣
医として赴いたのは一年近く前、彼が二九歳になったばかりのことである。彼は勤務する
医療法人が協賛している国際的な人道支援団体に協力するためにやって来たのであった。
 コオは若く有意で、且つ前途有望な医師という評価が下されている。派遣医として選ば
れたのもその評価が大きく作用した結果であったが、その一方、彼は多額の借金を抱えて
もいた。
 彼は医学生になったばかりの頃、両親を事故で亡くし、以降、頼りにするのはたった一
人の姉ナツの援助だけという環境で勉学に励んできた経歴の持ち主であった。
 ナツは、コオに学業を続けさせるために自らの犠牲を厭わず、子供の頃から弱かった身
体が壊れる寸前と言われるまで働き、四年前にコオが今の医院に職を得るまで援助を続け
てくれた。
 コオのナツへの感謝の気持ちは今も尽きない。しかし、もちろんナツの援助だけでは学
業を修めるに資金不足であったのは事実である。奨学金とアルバイト、時には表沙汰にす
るのを憚られることまでやって学費に充ててきたコオであった。
 しかし、医者の端くれと名乗れるまでになったコオにとって最悪だったのは、ナツの苦
労に多少なりとも報いようと非合法のギャンブルに手を出してしまったことである。その
結果、借金は逆に、彼の手に余る額にまで達してしまった。
 まともに稼いでいては元本の返済だけで十数年は掛かろうという額であったが、コオに
はそのことを姉に明かすつもりはなかった。
 ようやく手が離れた弟に安心したナツは、三年程前に求められて結婚し、子供には恵ま
れていないながらも、今は幸せに暮らしている。そんな姉夫婦に今さら、金銭的な援助を
求めるわけにはいかない。何より、コオがこの地に赴く前、姉夫婦が子供はもう諦めてい
るようなことを言っていたことが可哀想で、とても借金のことなど言い出すことはできな
かったのだ。

 その結果、コオが採らざるを得なかったのはまたも非合法な手段であった。
 コオは先のギャンブルの席で知り合った、武器や薬物など、非合法な取引を専らにする
闇取引のブローカー、ジュリアン安居を仲介にして、難民キャンプに派遣されている間、
食料と水、医薬品を隣国で地方軍閥として一定の勢力を保つゲリラ達に横流しするという
仕事を請け負ったのである。
 本来の人道活動とは一八〇度目的の異なる秘密の仕事を請け負い、屈託を抱えてキャン
プに赴任したコオを迎えたのは、事務と通訳を兼任する看護師のアリス・ミューダーであ
った。難民キャンプでの医療経験がまったくないコオに経験豊富なアリスをつけるのは当
然の人員配置であったが、コオにしてみれば彼女の目を盗んで、支援物資の横流しを行う
のは不可能と言っていい。
 身分を隠し、連絡係としてコオに接触してきたタメット・ガラという武装ゲリラの一員
は、最初からアリスに不審の目を向けられることとなった。救援物資を乞いに近隣の集落
から来たという割に、タメットは清潔で健康、裕福そうで知的な鋭敏さをも備えている。
 タメットが自ら警告したとおり、彼と接触を頻繁に繰り返すことは身の破滅につながり
かねないと感じたコオは、焦りながらも疑われることなくタメットと接触できる機会が来
るのを待ったのだった。
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