人生の方程式
文字数 1,317文字
人生を数字に例えるならば、俺の人生はマイナスからスタートした。
俺の父は、俺がまだ母親のお腹にいる時に他界した。母は、そんな中で精いっぱいの愛情をかけて、俺を育ててくれた。昼も夜も働いて、俺は母の帰りを待つ日々が続いたが、やさしい母の笑顔に元気づけられ、マイナスから脱却していった。
ところが中学生の頃、俺は気づいた、母に男がいることに。頭では理解するべきだとわかっていた。母だって淋しいのだ、何かにすがりたいのだと。でも、思春期の感情はそれを許さなかった。また俺の数字はマイナスへと向かった。
でも、俺のことを一番に考えている母は、俺のためにその男のことは一切言わなかったし、もちろん家へも連れてはこなかった。俺はただ、母の男の陰に嫉妬しながらも、変わらぬ母の愛に包まれ、難しい時期をことなく過ごすことができた。
そして、就職を機に俺は家を出た。もちろん、母を自由にするためだ。これまで苦労して育ててくれた母に報いるため、俺が今できることはこれくらいだった。やがて、母は例の男と再婚した。
ここからが俺の0からの再スタートだ。
三十歳になった頃、俺はひとりの女と出会い、恋をし、結ばれた。そして、かわいい娘も授かった。人生最大のプラス、になるはずだった。
ところが、産後まもなく妻は天に召された。いとおしい娘を抱くことができたのがせめてもの慰めと思い、俺は涙をこらえて妻を見送った。その時、俺はこの娘のためにはどんなことでもすると誓った。とはいえ、男手ひとつで育てるのは並大抵のことではない。学校に上がるまでは、母にずいぶんと助けられた。
娘が小学生になる頃には、父子家庭もすっかり板についてきた。そして愛娘が中学生になった頃、俺はひとりの女性と出会った。娘との生活も落ち着いてきたところで、俺は今まで押さえつけてきた男としての思いが抑えられなくなった。俺は、絶対に娘には気づかれないように最大限の注意を払った。娘を俺の二の舞にすることだけは避けなければならなかったからだ。
ところが、ある日の夕食時、ふたりで食事の支度をして、席に着くなり娘が言った。
「お父さん、お母さんとは呼べないけれど、お父さんの大事な人なら、私は構わないよ」
俺は唖然とした。中学生とは言えいつのまにか一人前の女に成長していた娘に驚いた。そして、その女としての嗅覚と、度量の大きさに脱帽せざるを得なかった。
そして、さらに娘が言うには、俺の母から、俺の子ども時代のことを聞いていたという。そして、そのうち俺にもきっとそういう人ができるだろうから、驚くことのないように、と言われていたのだった。母はすべてお見通しなのだ。
娘が高校生になり、俺は再婚した。
新しい妻と娘は、母子とはいかないまでも、それなりにうまくやってくれている。俺はその様子を見て、今さらながら昔の自分の心の狭さに気づかされた。そして時おり、母の所を訪ねては、義理の父と酒を酌み交わすようになった。
親子二代続いた、幼子を残して配偶者に先立たれるという因果を、こうして乗り越えた俺たち家族は、幸せの方程式を解けたのかもしれない、そう俺は思っている。
俺の父は、俺がまだ母親のお腹にいる時に他界した。母は、そんな中で精いっぱいの愛情をかけて、俺を育ててくれた。昼も夜も働いて、俺は母の帰りを待つ日々が続いたが、やさしい母の笑顔に元気づけられ、マイナスから脱却していった。
ところが中学生の頃、俺は気づいた、母に男がいることに。頭では理解するべきだとわかっていた。母だって淋しいのだ、何かにすがりたいのだと。でも、思春期の感情はそれを許さなかった。また俺の数字はマイナスへと向かった。
でも、俺のことを一番に考えている母は、俺のためにその男のことは一切言わなかったし、もちろん家へも連れてはこなかった。俺はただ、母の男の陰に嫉妬しながらも、変わらぬ母の愛に包まれ、難しい時期をことなく過ごすことができた。
そして、就職を機に俺は家を出た。もちろん、母を自由にするためだ。これまで苦労して育ててくれた母に報いるため、俺が今できることはこれくらいだった。やがて、母は例の男と再婚した。
ここからが俺の0からの再スタートだ。
三十歳になった頃、俺はひとりの女と出会い、恋をし、結ばれた。そして、かわいい娘も授かった。人生最大のプラス、になるはずだった。
ところが、産後まもなく妻は天に召された。いとおしい娘を抱くことができたのがせめてもの慰めと思い、俺は涙をこらえて妻を見送った。その時、俺はこの娘のためにはどんなことでもすると誓った。とはいえ、男手ひとつで育てるのは並大抵のことではない。学校に上がるまでは、母にずいぶんと助けられた。
娘が小学生になる頃には、父子家庭もすっかり板についてきた。そして愛娘が中学生になった頃、俺はひとりの女性と出会った。娘との生活も落ち着いてきたところで、俺は今まで押さえつけてきた男としての思いが抑えられなくなった。俺は、絶対に娘には気づかれないように最大限の注意を払った。娘を俺の二の舞にすることだけは避けなければならなかったからだ。
ところが、ある日の夕食時、ふたりで食事の支度をして、席に着くなり娘が言った。
「お父さん、お母さんとは呼べないけれど、お父さんの大事な人なら、私は構わないよ」
俺は唖然とした。中学生とは言えいつのまにか一人前の女に成長していた娘に驚いた。そして、その女としての嗅覚と、度量の大きさに脱帽せざるを得なかった。
そして、さらに娘が言うには、俺の母から、俺の子ども時代のことを聞いていたという。そして、そのうち俺にもきっとそういう人ができるだろうから、驚くことのないように、と言われていたのだった。母はすべてお見通しなのだ。
娘が高校生になり、俺は再婚した。
新しい妻と娘は、母子とはいかないまでも、それなりにうまくやってくれている。俺はその様子を見て、今さらながら昔の自分の心の狭さに気づかされた。そして時おり、母の所を訪ねては、義理の父と酒を酌み交わすようになった。
親子二代続いた、幼子を残して配偶者に先立たれるという因果を、こうして乗り越えた俺たち家族は、幸せの方程式を解けたのかもしれない、そう俺は思っている。