第7話

文字数 3,697文字


          *

 メインホール後方にあるPAブース横の扉から通路にでた。通路には大勢の参列者がいて、行列をつくっていた。大勢の体温によるものなのか、空気が湿っぽくてあたたかい。
 行列の先頭に目を向けると、制服姿の警官数名による所持品検査が行われていた。
「小嶺さん、チケットブースの先にあるラウンジまでお願いします」
 声をかけてきたのは鳥飼だ。おれは首肯して応じ、歩調を早めた鳥飼のあとに続いた。
 横目に検査の様子を窺ってみると、簡易で形式的なことしか行なっていないように見えた。警官が用意したと思しきノートへなにかを書き込んだ参列者のひとりが――おそらく氏名と連絡先を書かされたのだろう――正面玄関の扉へ向かって歩きはじめる。
 建物から解放されているようだ。
 事件に巻き込まれた参列者たちは、順々に。
「こちらです、小嶺さん」
 ラウンジの左奥にある個室の扉が開かれた。おれは無言で頷いて、個室の中へ足を踏み入れた。黄ばんだ壁紙で覆われた縦長の空間に、折りたたみテーブルとパイプ椅子が並べられている。埃っぽい臭いが鼻腔をくすぐった。普段はあまり使われていない部屋のようだ。個室の奥には制服姿の警官が二名と、例の三流探偵が立っていた。
 ここにいたのか。
 おれを犯人呼ばわりした三流探偵。
 顔も見たくなかった腹立たしい相手ではあるが、この場へおれを連れてきて、顔合わせをおこなった鳥飼の目的が垣間見えたので、感情を抑え込む。
「どうぞ。おかけください」と鳥飼。
「いいですよ、立ったままで」
 ほんの少し顎をもちあげて、三流探偵を正面からまっすぐ見据えた。
 反応は皆無。
 探偵は沈黙を守って、口を開こうとする様子さえみせない。
 ……なんだ?
 どういうつもりなんだ?
 サービスヤードでの非礼を詫びるためにこの場が用意されたのかと思ったが、謝罪どころか挨拶もなしか。
 せめて目礼くらいしてみせたらどうなんだ?
「小嶺さん、実は――」
「あなたは、なにかの役にたったのですか?」おれは鳥飼の言葉を遮るようにして、三流探偵へ問いかけた。視線を外さずに。探偵のほうもおれから視線を外さなかった。「とても優秀な探偵だと聞きましたが、まさかずっとこの個室に閉じこもっていたわけじゃありませんよね?」
「こもってたよ」
「は?」
「こもっていたよ。ここに」
「……あ。あぁあ、そう。そうですか」
 なに開き直って、偉そうな口調でいってんだ、この三流探偵は。
「そんなあなたに再度お訊きしますが――」
「すみません、小嶺さん、実は」
「待ってください」腕に触れてきた鳥飼の呼びかけに、圧するような声音で応じつつ、顔には作りものの笑みを貼りつける。「知りたいんです。訊きたいんですよ。とても優秀な探偵さんとやらに。どうなんです? あなたは、なにかの役にたったんですか。おそらくまだご存知ではないでしょうから親切にお教えしますけれども、わかったんですよ。判明したんです。誰が能條次郎を毒殺したのか。どのようにして毒物を摂取させたのか」
 そう。
 そうなのだ。
 毒殺犯は、判明したのだ。
 犯人の特定につながったのは、能條のポケットの中からでてきた歪なかたちをした金属の欠片だった。あの金属がなんであるかを探りあてたのは、ほかでもない——この〝おれ〟である。
 無意識に顎の位置があがる。
 自然と間合いを詰めてしまう。
 三流探偵は同じ姿勢を保ったまま、おれをまっすぐ見つめ続けている。
「毒物は現場で混入されたのではなく、はじめから〝そこ〟にあったんですよ。能條の中に。〝能條の口の中〟に」——そうだ。そうなんだよ。よく聞けよ、三流探偵。おれの話を。おれが突きとめた、毒殺事件の真相を。「能條は、会がはじまる前に歯の治療を受けていましてね。左の奥歯に銀色の〝被せもの〟をつけてもらっていたようです。ところがその〝被せもの〟が、会の途中でが外れてしまったらしく――ファンの若い男性が撮影していた動画に、そのときの様子が映っていました」
 三流ながらもそれなりの想像力は兼ね備えているようで、三流探偵はおれがいわんとしていることを早速理解したようだ。表情が変わった。
「わかったようですね。えぇ、そうです。〝被せもの〟の中に。能條の歯の中に、シアンライプ化合物は仕込まれていたんですよ。口内に違和感を覚えた時点で吐きだせばよかったものの、適当な場所やモノを見つけられなかったからか、それとも人目を気にしたせいなのかはわかりませんが、能條はグラスの酒を呷って喉に流し込みましてね。おそらくは、処置で使用された消毒剤だろうという思い込みが、違和感に対する警戒を解いたのでしょう。鑑識官から聞いた話によると、口を濯いでグラスに吐きだしたぶんもあったようですが、十分ではなかったために中毒死してしまったというわけです」
 真犯人は能條の歯を治療した歯科医。
 歯科医は、歯の中に毒物を仕込んでおいたのだ。
 動機に関しては歯科医の供述をまたなくてはならないが、トラブルメイカーだった能條のことだから、よほどのことをやって怒りを買ったに違いない。

 ——さあ、
 さて。
 そろそろ告げてやろうか。
 教えてやろうか?
 この真相に誰よりも早く到達し、
 捜査にもっとも貢献した人物というのが、
「おれですよ。おれが事件の謎を解いたんです。過去にどれほどの功績をあげたのかは知りませんが、一般市民を指差して突然犯人扱いするような〝とても優秀な探偵さん〟ではなくて、このおれが。おれが、謎を、解いたんですよ」
 どうだ。
 なあ、どうだ?
 なんとかいってみろ。
 なんとかいってみろよ、三流探偵。

「……すぐくる」

「は?」

「もうすぐ、くるだろう」
 くる? 「くるって……」なにが?
 なにをいってるんだ? 急にどうした。もうすぐくる? なにがくるって……よくわからない。まるで理解できない。推理でおれに負かされたことで、気が動転しているのだろうか。もしかすると自分でもなにをいってるのかわかってないんじゃないのか? まあ、気持ちはわからなくもないが……なにしろ〝とても優秀な探偵〟らしいからな。警官のひとりは『対象をひとめ見ただけで犯人かどうかをいいあてる』なんていっていたくらいだし、過去にはそれなりの実績もあるのだろう。
 だけれどもこれで終わりだ。
 探偵はお役御免。容疑の晴れた参列者は解放。長らく建物に閉じ込められていたおれもようやく解放してもらえる。
 鳥飼が用意したこの場所――この個室は、三流探偵からの謝罪のために用意されたのであろうが、本人にその意思はない様子なので退出してしまっても構わないだろう。
 鳥飼へ目を向ける。
 出入り口の扉を塞ぐようにして立っている鳥飼は、腕時計の文字盤を撫でながら不機嫌そうに唇を尖らせていた。
「もう退出してもいいですよね。おれもいい加減――」

 コココン、と、
 ノックの音。

 急かすような大きな音だったので条件反射的に喉が閉じ、身体が固まってしまった。
 鳥飼が応じるよりも早く出入り口の扉が開かれて、左手にスマホを握りしめた若い警察官が姿を現す。
「と、と、鳥飼さん。鳥飼さん、いま連絡が入りまして」
 唾を飛ばしながら入室してきた警察官は、頬を紅潮させてスマホをかかげてみせた。
 なんだ?
 なんなのだ。騒々しい。
「遺体です。遺体で発見されたそうです!」
「おい、落ち着け、吉田」
 そうだ、落ち着け。
 警察官のくせに、みっともない。
「遺体がなんだって?」
「遺体で見つかったんですよ。連絡が取れなかった能條次郎の妹の部屋を訪ねてみたところ、他殺体で発見されました。遺体には死亡時刻を偽装する工作がなされており、どうやら殺害した何者かは、あとから部屋へ戻って、偽装に用いた品を回収するつもりでいたようです」
 個室の奥にいた二名の警察官が同時に動いて、おれとの距離を詰めた。直後に鳥飼が後ろ手で扉を閉めて、吉田という警察官と並んで立った。
 三流探偵からの視線を感じて、顔を向ける。
 目があう。笑っていやがる。
 最悪だ。手足が震えはじめ、いやな汗がふきでてきた。
「顔色が悪いですよ、小嶺先生?」

 あぁあ、くそッ!

 違っていた。
 読みを誤っていた。
 だからか。だからおれはこんな場所に――逃げ道のない個室に呼びだされたのか。
 にわかに信じられないけれども〝あの警官〟がいっていたことは、嘘偽りない真実だったということか?

「……小嶺先生?」

 目眩がする。
 手足が震える。
 息が上手く吸えないし、吐きだせない。

「小嶺、先生?」

 くそッ!

 上手くいくはずだったのに、
 上手くやれる自信があったのに、

 おれ、
 おれは、
 おれは上手く、みな、
 みな跡形なく処分するつもりでいたのに——アリバイ偽装には最適であるように思えた、
 お別れの会を終えて。

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