第4話

文字数 3,124文字


          *

 梅崎警部はおれの話に耳を傾けてくれたが、容疑者としてあげた者たちの聴取はすぐに行われなかった。能條が死亡した時刻にメインホール――それもDJブース付近――で動画撮影していた参列者が見つかり、映像の確認が優先されたからだ。被写体の確認要員として、確認の場におれも同席させてもらえたのは幸運といえる。
 撮影していたのは瀬戸健太という若い男性で、〈デッサンゼブラ〉の熱狂的なファンらしかった。
「ショックですよ、めちゃめちゃショックですよ!」と瀬戸。
 落ち着いた態度で対応してる梅崎警部との対比が極端すぎるので傍目にはなんとも奇妙な光景だったが、口は挟まずに、与えられた役割をこなす。
「これから〈デッサンゼブラ〉は、どうなっちゃうんですかッ。〝ブレイン〟はバンドの顔だったんですよ?」
「ブレイン? あぁあ、能條さんのことですか」
「もちろん、〝ナイト〟もバンドになくてはならない存在でしたけど」
「内藤さんね。それよりも撮った映像を見せてもらえますか?」
〈デッサンゼブラ〉のメンバーは本名を非公開とし、ニックネームを用いて活動していた。能條はブレイン。内藤はナイトという風に。そういった決まりを設けたのは能條だったらしく、それぞれのニックネームを決めたのも能條であったようだ。おれは能條と内藤のふたりとしか親しくなかったが、残りふたりのメンバーと一度だけ酒の席をともにしたことがある。ドラム担当の平賀正臣と、ベース担当の毛留(もうる)宮久。平賀は下ネタ好きの明るい性格で、毛留は口数が少なくやや陰気な印象だった。
「真ん中に映っているのが能條さんのようですね?」映像を見ながら梅崎警部が尋ねたので、画面に顔を近づけて確認する。能條だ。能條が中央に映っていた。撮影した瀬戸は、メインホールからDJブースへカメラを向けて、能條をメインに撮影していた。すぐ隣にいたおれもはっきり映っていて、その横にいたドラマーの平賀と、見切れて毛留も。
 能條の手にはまだグラスは握られていない。グラスが置かれていたテーブルは画面上でいうと左の奥――残念ながら死角になっているので、毒物が混入される場面は映ってなさそうだ。ただし、このまま画面上からおれが消えることがなければ、グラスに毒を入れたのがおれじゃないことの証明になるだろう。
 いいぞ。
 願ってもない展開だ。
「能條さんのうしろを、かなりの人が行き来していますね」と梅崎警部。
 その場にいたときは気づいていなかったが、なるほどたしかに。〝かなりの人〟というのは過剰な表現に思えなくもないけれども、おれと能條の背後を関係者が行き来していた。その中には、疑いの目を向けている人物――
「一ノ瀬由里がいます。さっき話した、能條の元カノですよ」
「え? 元カノ? 元カノって、あれ? ひょっとして……」瀬戸が声をあげたので、慌てて梅崎警部の腕を引き、声の届かない場所まで移動する。
「どの人物ですか。スーツ姿の、ショートヘアの女性でしょうか」
「えぇ。一ノ瀬は〈デッサンゼブラ〉の所属するレコード会社の社員だったと思います。能條とは秋のはじめくらいまで関係が続いていたはずですよ。死人に鞭打つようですが、能條は異性とのトラブルがたえない男で――」洒落にならないくらい恨みを買っていた。殺人の動機としては充分すぎる内容だろう。
 おれが重要容疑者として目をつけていた人物はほかにもふたりいて、名前は二葉真夏と、三上ひなこ。ふたりとも能條の元カノ――というか、きちんと交際していたのかどうか怪しいところではあるが、両者とも、能條からひどい扱いを受けて、捨てられたも同然だったと聞いている。二葉は〈デッサンゼブラ〉と同じ事務所に所属するガールズバンドのメンバーで、三上はライブの際にパーカッションかなにかでサポートとして入ったミュージシャンだったはずだ。一ノ瀬、二葉、三上――偶然にも、一、二、三と、名前に数字が含まれているこの三人は、瀬戸の撮影した映像の中に姿を捉えられていた。
 三人ともDJブースへ出入り可能だったうえに、最近は能條と疎遠になっていただろうから、今日開かれた内藤のお別れ会が久々の再会の場であったに違いない。
 動機は恋愛による怨恨。
 毒物を混入する機会は三人ともにあった。
 さあ。ミステリー小説ならば、役者は揃ったといったところか。
 一ノ瀬由里。
 二葉真夏。
 三上ひなこ。
 この三人の中の誰かが、能條のグラスに毒物を入れたのだ。
 使用されたシアンライプ化合物の経口致死量は200ミリグラム程度なので、手の中に隠してもち運ぶことが可能だし、当然グラスの中に入れるのは容易であったろう。
「早速、この三人を捕まえて、話を聞き、所持品検査をすべきですよ」おれはいった。
 さすれば事件解決。参列者は即解放されて自由の身となるはずだ。時計を見て時間を確認する。本来の会の終了時刻よりもまだぜんぜん早い。あんなにも早く時間は進んでいたのに、いまはじれったいほどゆっくり感じられる。
「梅崎課長」
 音もなく近づいてきていた鑑識官らしき男性が呼びかけて、頭をさげた。男性はかけていた眼鏡のつるを意味ありげに指で撫でると、現時点でお伝えしておいたほうがいいであろう事実が判明しまして――そう前置きしてから奇妙な数値を告げる。
 1グラム。
 もしくは、それ以上摂取。
「……は?」思わず反応してしまった。「ちょっと待ってくださいよ。え、え? 1グラムか、それ以上って、それ――その数値って、能條が摂取していたシアンライプ化合物の量ですか?」1グラムとなれば経口致死量の五倍。それほどの濃度の液体を口に入れれば違和感を覚えて、吐きだすのが当然だ。吐きださなければおかしい。嚥下するなんてことはありえない。
「えぇ、そうです。1グラム。もしくはそれ以上のシアンライプ化合物を被害者は摂取しています」
「や、いや、あり得ない。あり得ませんって、それは――」絶対にあり得ない。一気に飲ませることは絶対に不可能だ。
 1グラム。もしくはそれ以上だと?
 なぜ犯人は致死量をはるかにこえるシアンライプ化合物を使用したんだ?
 少しずつ何度かにわけて飲ませることは可能かもしれないが……中毒症状が早くあらわれる毒物だから時間的猶予はさほどない。気づかない程度の濃さの毒入り飲料を何杯も、しかも短時間で飲ませることは可能だろうか?
 どうだ? どうだろう。能條はたてつづけに飲みものを口にしていたか? どうだ? どうだった? 能條はあのとき……もがき苦しむその寸前に……駄目だ。常に能條へ注意を払っていたわけではないから正直よく憶えていない。
 たとえ飲んでいたとしても、犯人はその都度毎回グラスに毒物を混入させていたというわけだから……だめだ。無理がある。いろいろと無理がありすぎる。

 くそッ。
 誰だ。
 誰が毒殺したんだ?
 どのようにして能條に摂取させたんだ?

 一ノ瀬か。二葉か。それとも三上か。〝三人〟が協力しあって能條の毒殺を図ったとの考えも否定できないぞ。もしかすると〝三人〟で力をあわせれば毒物を飲ませるなにかしらの上手い方法が――
 あぁあああッ、くそッ!
 馬鹿げてる。馬鹿げた考えだ。なにをどうしようとも、本人に気づかれることなく致死量の五倍以上もの量を摂取させることは絶対に不可能だ。不可能じゃないか。
 グラスじゃない。グラスの中じゃなかったんだ。じゃあ誰が一体、どのような方法で、能條に1グラム以上ものシアンライプ化合物を摂取させたんだ?

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