8 抒情詩の歴史

文字数 2,426文字

8 抒情詩の歴史
 詩は叙事詩と抒情詩に大きく二分できる。両者の違いは視点の位置による。前者は世界の外部ないし境界に詩人が立ち、出来事や事件を鳥瞰的=客観的に語る。一方、後者は世界の内部に詩人が位置して、出来事や事件に関する内在的・主観的に心情を吐露する。叙事詩が近代に入り散文に吸収され、事実上、詩は抒情詩を指す。ただし、視点が世界の内部にあるという抒情詩の特徴は演劇など舞台芸術も共有している。なお、人形浄瑠璃は視点の位置において叙事詩に属する。

 古代ギリシアでは、抒情詩は竪琴の伴奏に合わせて歌われたり、朗唱されたりしており、エレジーやオードが古典時代の抒情詩として人気のある形式である。「『抒情詩』というのは、実は様々な型の短詩の総称である。古代には、通常、それぞれの詩形の名で呼ばれていたが、総称される場合にはmelos(メロディーの語源)と呼ばれた。これらの抒情詩は竪琴やアウロスといった楽器の伴奏で歌われた。要するに、当時の抒情詩は『歌』であった」(笠原潔『西洋音楽の歴史』)。

 古典ギリシア語は、現在のインド=ヨーロッパ語の多くと違い、ストレス・アクセントではなく、ピッチ・アクセントであるため。発話に母音の長短によるリズムを持ち、高低の変化がある。この特性上、作詞は作曲と同一になる。中世においても、抒情詩は吟遊詩人たちによって歌われる文学形式を指していたが、ルネサンスの開始までに、抒情詩は、歌われない韻文にも適用されるようになっている。

 抒情が「魂の叫び」からほど遠いことは、ルネサンス期の抒情詩の形式──ソネットやバラード、ヴィラネル、セスティーナ──を見れば、明白である。ストレス・アクセントがヨーロッパにおいて主流になり、エリザベス朝期、ダブリン生まれのリューシ奏者で作曲家ジョン・ダウランドは『流れゆく涙』を制作し、芸術的歌曲の創始者となっている。タブローは中世の教会建築において生まれている。ルネサンス以前の絵画は鑑賞以外の機能を所有していたけれども、絵画が鑑賞作品としての自立性を獲得した近代のタブローになる。近代歌曲も同様の方向に向かう。近代の抒情詩は、そうした音楽や絵画の傾向に伴い、タブロー化していく。

 近代以降の流れに対して、現代の抒情詩は古代ギリシア以来の伝統を再認識している。その特徴に関しては、一九八〇年代以降のポップ・ミュージックが明瞭に示している。MTVによる映像化とラップに見られる言葉のリズムへの音楽の従属化は抒情詩の再発見と言える。

 同時代的な抒情詩と呼んでいいラップ自身は、一九七〇年代後半にダンス音楽の副産物として出現している。DJは複数のレコードを同時に操作し、音楽の断片をパッチワークしながら、スクラッチ・ノイズをリズミカルに発生させ、ラッパーは略語を用いた歌詞を喋る。コンサートやレコーディングにおいても、バックのミュージシャンやコーラスを追放し、BGMとしてレコード、シンセサイザーやドラム・マシーンといった電子機器、既存の音のデジタル・サンプリングで構成される。コーラスはともかく、多くの楽器を追い出したのは、むしろ、西洋古典への回帰である。

 近代以前の東アジアでは音楽は器楽曲を意味し、歌曲は低く見られていたのに対し、古代ギリシアから始まる音楽の正統は声楽曲であり、中世の教会の中で器楽曲を演奏するなど言語道断である。教会と言えば、かつて文化放送で『キャスター』という番組が放送されていたが、寺山修司だけではなく、手塚治虫や岡本太郎などレギュラーがすべて故人となってしまっている事情から、その社屋がもともとは教会だったためのたたりだと噂するものもいないわけではない。

 ラップにおいて音の素材としては街路のノイズや伝統的な音楽、話し言葉などが幅広く利用され、強力なビートを持つ柔軟な音楽形式にまとめられる。初期の人気ラップ・チームはランDMCとビースティ・ボーイズであろう。特に、前者は白人のロック・バンドであるエアロスミスの『ウォーク・ディス・ウェイ』をカバーし、ヒップホップのハイブリッド化に成功している。人気を集めたのはMCハマー(現ハマー)やバニラ・アイス、アレステッド・ディベロップメントといったソフトで穏健なアーティストであるけれども、ギャングやドラッグ、犯罪などをテーマにするラップ・アーティストは少なくない。2ライブ・クルーは猥褻容疑で逮捕歴があり、ギャングスター・ラップの開拓者であるNWAやアイス・T、アイス・キューブらはワシントンDC・女性に対する暴力の賛美、涜神、過激思想の扇動によって批判されている。

 商業主義に異議を申し立てたパブリックエナミーは強い政治的主張を繰り返し、ア・トライブ・コールド・クウェストはジャズをサンプリングの素材に導入している。また、ラッパーの多くは男性だったが、女優でもあるクイーン・ラティファのような女性ラッパーも登場している。九〇年代後半に入ると、ギャングスター・ラップのトゥパックやノトーリアスB.I.G.らが相次いで殺害される一方で、フージーズ、パフ・ダディ、エミネムといったポップなラップが人気を得ている。一九八〇年代後半以降人気がニューヨーク以外にも広がり、九〇年代にはアメリカのポピュラー音楽のメインストリームの一つに躍り出る。さらに、その影響は世界各地に及び、アフリカ、中南米、アジア、中東、ヨーロッパにも同じような音楽やファッションが定着している。これは音楽の普遍性ではなく、いかなる言語にも言葉遊びがあるように、言葉のリズムというものの汎用性を意味している。

 言わば、ラップは現代の民謡である。そのため、ラッパーは、ピジンやクレオール、ハイブリッドな言語をお用いることも少なくない。アルジェリアのラップ・グループのアンテティク(Intik)はアルジェリア・アンミーヤのアラビア語にフランス語をミックスしている。
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