13 地平線お思想と愉快

文字数 4,645文字

13 地平線の思想と首吊人愉快
 寺山修司の中でこれまで見逃されながら、最も重要なのは「地平線」の思想である。寺山修司は「地平線」を目指す。それは「連想のリズム」の帰結である。神の死が決定不能になり、内部と外部の区別も同様の事態に陥る。「地平線」はそうした内部と外部が決定不能な場所である。

 寺山修司は、『地平線のパロール』において、「まだだれ一人として、地平線まで行った者はいなかった」と同時に「世界中のだれもが地平線の上に立っている」と言っている。地平線は「どこにもなくて、どこにも在るもの」である。そこは中心ではないが、周辺でもない。「辺境部」である。「世界で一ばん遠い場所」であり、内部と外部を分ける境界も意味をなさない。文化は越境の力学によって生まれるのではなく、言語的な表現であれば、「遠近感を言語化することである」。『地平線のパロール』において、旧約聖書の登場人物の中で、自ら進んでソドムに住み、「卑怯で臆病で、偽善的な」ロトを選び、現代のサラリーマン社会における「父親」と絡めて論じているのもこの「地平線」の思考の表われである。「その倫理観とエゴチズムとは、そのまま私たちの同時代の『お父さん』たちにあてはまる」。

Have you ever dreamed of a place far away from it all?
Where the air you breathe is soft and clean,
And children play in fields of green,
And the sound of guns
Doesn't pound in your ears.

Have you ever dreamed of a place far away from it all?
Where the winter winds will never blow,
And living things have room to grow,
And the sound of guns
Doesn't pound in your ears, anymore.

Many miles from yesterday,
Before you reach tomorrow,
Where the time is always just today,

There's a Lost Horizon,
Waiting to be found.
There's a Lost Horizon
Where the sound of guns
Doesn't pound in your ears, anymore.
(Burt Bacharach & Hal David “Lost Horizon”)

 そういった「地平線」はガルゲンフモールによって認識される。『さかさま博物誌青蛾館』の中で「首吊人愉快」を論じている。「首吊人愉快」は「首吊り人のユーモア」、すなわちガルゲンフモールのことであり、現代において、最も重要な姿勢である。

 「私は、今でもやっぱり笑わない男である」し、「万が一、一度でもクスリと笑いを洩らしたら、私はあなたとは二度と口を利くことはないと思っていただきたい。では、さようなら」と書く時、寺山修司は、喜劇を演じながら、決して笑顔を見せなかった「グレート・ストーンフェイス(The Great Stone Face)」ことバスター・キートンのように、ガルゲンフモールを描いている。バスター・キートンはサイレント映画を代表するコメディアンであり、ポーカーフェイスと絶妙な間合い、アクロバッティックな身のこなしと機知にとんだギャグで知られる。寺山修司は「笑い」を徹底的に批判し、「マジメ」と「怒り」を賞賛する。しかし、それこそがバスター・キートンばりの彼のガルゲンフモールにほかならない。

 ロシアで、ガルゲンフモールを秘めたジョークを「アネクドート」と呼ぶが、帝政時代から伝わるこんなものが知られている。「大隊長は三度笑う。最初はみんなが笑う時である。二度目は彼がわかった時である。三度目は彼がすぐにはわからなかったことに対してである。中隊長は二度笑う。最初はみんなが笑う時である。二度目はそれがわかった時である。大隊附き医師ラヴィノヴィチは一般に笑わない。すべてのアネクドートがわかっているからである」。

 寺山修司は、『さかさま世界史怪物伝』において、グリゴーリ・イェフィモヴィチ・ラスプーチンから始まりチャールズ・ダーウィンまで古今東西の二三人の「怪物」をガルゲンフモールによって批評している。寺山修司は、今日的な問題を諷刺しつつ、無尽蔵なユーモアによって怪物を扱う。

 「人間は人間のままで、類人猿とはまったくべつに神によって創造されたと考える『旧約聖書』の説得にも、興味はもつが全面的に同意してしまう自信がない」けれども、大気汚染のために伸びる都会に住む人々の鼻毛は「進化」なのかとダーウィンに問いかける。これを進化論に関する曲解もしくは誤解だと非難するべきではない。「過去の一切は比喩であり、虚構であり、作り変えが可能である。空想と科学は、簡単に切りはなしてしまったら、味もソッケもなくなってしまうだろう」。

 ただし、「空想を、現実の中で具現しようとすることは、いかなる時代においても、犯罪的であると、私は考える」。怪物は、マルキ・ド・サド侯爵にしろ、アドルフ・ヒットラーにしろ、ネロことルキウス・ドミティウス・アエノバルブスにしろ、暗く重い沈黙を歴史に残している。だからと言って、短絡的な善と悪の二項対立の図式に基づき、思いつくだけの罵詈雑言を並べればすむというものでもない。むしろ、社会的で反権威的なユーモアによって彼らを浪費するのが最も効果的である。

 寺山修司によれば、「ハイル・ヒットラー」と言うことがヒットラーへの決定的な批判とさえなり得るのだ。「いまでは、人はだれでもヒトラーと呼ぶ。だが、私はヒットラー、『ヒ』と『ト』の間でツバをとばすような呼び方の方が好きである。その方が、はるかにヒットラーにふさわしいと思うからである。いかがですか? ハイル・ヒットラー……」。

 「愛したことのない人は明日は愛するように、愛したことのある人も明日愛することを (cras amet qui nunquam amavit quique amavit cras ame)」(作者不詳『ウェヌスの宵宮(Pervigilium Veneris)』)。

きみは
荒れはてた土地にでも
種子をまくことができるか?

きみは
花の咲かない故郷の渚にでも
種子をまくことができるか?

きみは
流れる水のなかにでも
種子をまくことができるか?

たとえ
世界の終りが明日だとしても
種子をまくことができるか?

恋人よ
種子はわが愛
(寺山修司『種子』)

寺山修司であそぼ。
〈了〉
参照文献
寺山修司書籍
『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』、角川文庫、1973年
『さかさま世界史怪物伝』、角川文庫、1974年
『歴史の上のサーカス』、文春文庫、1976年
『青森県のせむし男―戯曲』、角川文庫、1976年
『毛皮のマリー―戯曲』、角川文庫、1976年
『さかさま文学史黒髪篇』、角川文庫、1978年
『競馬への望郷』、角川文庫、1979年
『青蛾館―さかさま博物誌』、角川文庫、1980年
『地球をしばらく止めてくれぼくはゆっくり映画を観たい―さかさま映画論』、角川文庫、1981年
『青女論―さかさま恋愛講座』、角川文庫、1981年
『ぼくが狼だった頃―さかさま童話史』、文春文庫、1982年
『寺山修司青春作品集』全8巻、新書館、1983~86年
『かさま世界史 英雄伝』、角川文庫、1984年
『新版・遊びの百科全書〈5〉遊戯装置』、河出文庫、1988年
『花嫁化鳥』、角川文庫、1992年
『スポーツ版裏町人生』、角川文庫、1992年
『臓器交換序説』、ファラオ企画、1992年
『馬敗れて草原あり』、角川文庫、1992年
『地平線のパロール』、河出文庫、1993年
『絵本・千一夜物語』、河出文庫、1993年
『アメリカ地獄めぐり』、河出文庫、1993年
『黄金時代』、河出文庫、1993年
『ドキュメンタリー家出』、河出文庫、1993年
『月蝕機関説』、河出文庫、1993年
『迷路と死海―わが演劇』、白水社、1993年
『畸形のシンボリズム』、白水社、1993年
『藁の天皇―犯罪と政治のドラマツルギー』、情況出版、1993年
『死者の書』、河出文庫、1994年
『浪漫時代―寺山修司対談集』、河出文庫、1994年
『青少年のための自殺学入門』、河出文庫。1994年
『勇者の故郷―長編競馬バラード』、ハルキ文庫、2000年
『寺山修司詩集』、ハルキ文庫、2003年
『書を捨てよ、町へ出よう』角川文庫、2004年
『幸福論』、角川文庫、2005年
『寺山修司青春歌集』、角川文庫、2005年
『家出のすすめ』、角川文庫、2005年
『寺山修司少女詩集』、角川文庫、2005年
『ポケットに名言を』、角川文庫)、2005年
『青女論―さかさま恋愛講座』、角川文庫、2005年
『不思議図書館』、角川文庫、2005年
『新・書を捨てよ、町へ出よう』、河出文庫、2006年
『幻想図書館』、河出文庫、2006年
『あゝ、荒野』、角川文庫、2009年
『戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている』、角川文庫、2009年
『寺山修司全歌集』、講談社学術文庫、2011年

その他
合原一幸 、『カオス学入門』、放送大学教育振興会、2001年
小栗康平、『映画を見る眼』、NHK出版、2005年
おともだち編集部編、『歌のおねえさんグラフィティ―NHKテレビ「おかあさんといっしょ」放送40周年記念出版』、講談社、1999年
柄谷行人、『思考のパラドックス』、第三文明社、1984年
スポーツグラフィック・ナンバー、『豪球列伝―プロ野球不滅のヒーローたち』、文春文庫ビジュアル版、1986年
谷川俊太郎、『手紙』、集英社、1984年
同、『空の青さをみつめていると 谷川俊太郎詩集1』、角川文庫、1985年
同、『朝のかたち 谷川俊太郎詩集2』、角川文庫、1985年月
玉木正之、『プロ野球の友』、新潮文庫、1988年
平田オリザ、『演劇入門』、講談社現代新書、1998年
三浦雅士、『寺山修司―鏡のなかの言葉』、新書館、1992年
森毅、『世紀末のながめ』、毎日新聞社、1994年
同、『あたまをオシャレに』、ちくま文庫、1994年
同、『ゆきあたりばったり文学談義』、ハルキ文庫、1997年
渡邊守章他、『文化と表象芸術』、放送大学教育振興会、2002年
エドウィン・A.アボット、『多次元★平面国─ペチャンコ世界の住人たち』、石崎阿砂子穂ぁ訳、東京図書、1992年
フリードリヒ・ニーチェ、『ニーチェ全集〈4〉』、小倉志祥訳、ちくま学芸文庫、1993年
ミシェル シュネデール、『グレン・グールド 孤独のアリア』、千葉文夫訳、ちくま学芸文庫、1995年
ノースロップ・フライ、『批評の解剖〈新装版〉』、海老根宏他訳、法政大学出版局、2013年
全日本手をつなぐ育成会、「私たちにも言わせて もっと2 元気のでる本」、『手をつなぐ』号外、1996年3月
DVD『Encarta総合大百科2002』、マイクロソフト社、2002年
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