9 寺山修司と谷川俊太郎

文字数 3,380文字

9 寺山修司と谷川俊太郎
 ところが、谷川俊太郎は、『朝のかたち』の「あとがき」において、詩作について次のように述べている。

 ただひとつの書きかたを、年を重ねるにつれて辛抱強く成長、変化させてゆく、そういう書きかたに憧れながら、自分にはそれができないと自覚するようになったのは、この詩集に収められた作品を書くようになってからである。詩史、文学史というようなものに無関心で書き始めた私は、自分の書くものの縦のつらなりよりも、むしろ横のひろがりのほうに関心がある。
 後世をまつという気持ちは私にはなく、私はもっぱら同時代に受けたい一心で書いて きた。それも詩人仲間だけでなく、赤んぼうから年よりまで、日本語を母語とする人々すべてにおもしろがってもらえるような詩を書こうとしてきた。私にあるのは、ひどく性急な野心の如きものだろうか。だが、その野心を支えたのは、私自身ではない。私をはるかに超えた日本語の深さ、豊かさなのだ。

 これは排他的・閉鎖的な言語所有主義である。谷川俊太郎の作品には自己嫌悪と自己憐憫に溢れ、「愛するものを憎み、憎んでいるものを愛する」(ボリス・パステルナーク)。谷川は、その活動範囲といい、父との対立といい、北原白秋に似ている。谷川を理解するには北原白秋を経由することが効果的である。谷川は北原白秋の系譜上にある。

 「詩において、私が本当に問題にしているのは、必ずしも詩ではないのだという一見奇妙な確信を、私はずっと持ち続けてきた。私にとって本当に問題なのは、生と言葉との関係なのだ。(略)私も、自分自身を生きのびさせるために、言葉を探す。私には、その言葉は、詩でなくともいい。それが呪文であれ、散文であれ、罵詈雑言であれ、掛声であれ、時には沈黙であってもいい。もし遂に言葉に絶望せざるを得ないなら、私はデッサンの勉強を始めるだろう。念のためにいうが、私は決してけちな自己表現のために、言葉を探すのではない。人々との唯一のつながりの途として言葉を探すのである」(谷川俊太郎『私にとって必要な逸脱』)。

 しかし、この主張は詩に具現化していない。「人々との唯一のつながりの途として言葉を探す」と言いながらも、谷川が他者を信じていないことは次のような作品から明らかだろう。

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計に悲しくなってしまった

 これは谷川俊太郎の初期の代表的な詩『かなしみ』である。谷川は「悲しくなってしまった」と書いてしまっている。『かなしみ』というタイトルをつけておきながら、字句としてそれを記している。氷山の一角だけを書き、残りはイメージさせるようにするのが詩だろう。書かれなかった言葉のイメージが作者と読者の共通理解として成立する。それがが「人々との唯一のつながりの途として」の言葉である。その「つながり」は信頼から小実。読者を信じていない詩人の言葉は「つながり」にならない。

 こうした本質的な欠陥は別にこの作品に限ったものではなく、谷川の作品に一貫して見られる。谷川は『沈黙』という詩で「黙ったまま」とか「黙っていれば」と、このような言葉を書かぬことが何よりも沈黙をイメージさせるにもかかわらず、書いてしまう。谷川は詩人と言うよりも、コピーライターであろう。コピーライターは商品名を無視することができない。彼にはふさわしいジャンルだ。

 この世で一番みじかい愛の詩は

   愛

 と一字書くだけです
 この世で一番ながい愛の詩は
 同じ字を百万回書くことです
 書き終らないうちに年老いてしまったとしても
 それは詩のせいじゃありません

 人生はいつでも
 詩より少しみじかい
 のですから
(寺山修司『みじかい恋の長い唄』)

 谷川俊太郎に対して、寺山修司は、同じタイトルの『かなしみ』を次のように書いている。

私の書く詩のなかには
いつも家がある

だが私は
ほんとは家なき子

私の書く詩のなかには
いつも女がいる

だが私は
ほんとはひとりぼっち

私の書く詩のなかには
小鳥が数羽

だが私は
ほんとは思い出がきらいなのだ

一篇の詩の
内と外にしめ出されて

私は
だまって海を見ている
(『かなしみ』)

 寺山修司の『かなしみ』のほうが、谷川の『かなしみ』と比べて、はるかにそれをイメージさせる。『かなしみ』だけでなく、寺山修司の他の詩においても、こうしたタイトルと表現の関係が維持されている。寺山修司は、「一篇の詩」において、「かなしみ」を直接的に表現することがない。「詩」と「ほんと」の間、「一篇の詩の内と外にしめ出され」ていることが「かなしみ」をイメージさせる。

 寺山修司は、この「詩」の「内と外」からも、追放され、決定不能性に置かれている。彼にはただ「だまって海を見ている」ほかない。彼の「書く詩のなかには」、「だまって海を見ている」とあるが、「ほんとは」どうなのかはわからない。寺山修司の居場所はこの「一篇の詩の内と外」にすらもない。「かなしみ」はこの「詩」によっても完全に癒されることはない。この「詩」を通じて、ただ「かなしみ」というものだけが浮かびあがる。

なみだばかり見ていて
彼の目を見落としてしまう ように
彼の目ばかり見ていて
彼の全身を見落としてしまう ように

彼の全身ばかり見ていて
彼の祖国を見落としてしまう ように
彼の祖国ばかり見ていて
彼の世界を見落としてしまう ように

彼の世界ばかり見ていて
彼の一日を見落としてしまう ように
彼の一日ばかり見ていて
彼の悲しみを見落としてしまう ように

彼の悲しみばかり見ていて
なみだを見落としてしまうのだ
それを詩に書きとどめようとする間にも
歴史が老い急ぐのはなぜか?
(寺山修司『全身』)

 寺山修司は、『幸福論-裏町人生版-』において、『走れメロス』を例にとって太宰治の作品を「饒舌の文学」と次のように考察しているが、「太宰」を「谷川」、「シラー」を「寺山」、「幸福」を「かなしみ」に入れ替えるとそのまま谷川俊太郎批判になる。

 シラーの書いたもっとも美しい「友情論」の叙事詩「走れ、メロス(原文ママ)」が、太宰治の手にかかって、たちまち書斎型の心情につくりかえられてしまった。死刑囚のメロスが、遠い故郷から、自分の死刑執行に間にあうように全力で野を越え、山を越えて走ってくる。それは自分の死刑のためではなく、身替りに牢に入っている石工のセリヌンティウスの信頼のためである。
 メロスは、セリヌンティウスの命をかけた友情に応えようとして、力のかぎり刑場へかけこみ、あわや身替りの断頭台にのせられようとしているセリヌンティウスの、死刑執行の前に帰ってくることができる。
 そこでシラーの叙事詩では、二人は顔を見あわせて、微笑しあって終っている。「微笑」のうちにかみしめられる、幸福といったものは、とても文字になるものではないし、言葉にしたとたんに、情念の「解説」に堕してしまうことが、シラーにはわかっていたのである。
 ところが太宰治は、それに「弁解」を書きこむ。セリヌンティウスは
 「メロス、俺を殴ってくれ。俺はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれてはじめて君を疑ったのだ。
 もしかして、帰ってこないつもりだったのではないか、と。
 だから、君が俺を殴ってくれなければ、俺は君を抱擁できない」
 すると、メロスもあやまる。
 「やはり、この三日の間、たった一度だけセリヌンティウスを疑ったのだ」と。
 それから二人は、お互いを殴りあってから泣いて抱擁する。--この饒舌は、幸福を情緒的に解消してしまっている。それは一個の生きた太古の生物のように存在していた二人の共有の「沈黙」をお互いが取りのぞいて、幸福の思想化をさまたげてしまっている光景である。

 谷川俊太郎にしろ、太宰治にしろ、「弁解」の文学が受容されているのに、不当な扱いを受けているが、寺山修司は、日本近代文学史上、最高の抒情詩人の一人である。
 
 水になにを書きのこすことが
 できるだろうか
 たぶんなにを書いても
 すぐ消えてしまうことだろう

 だが
 私は水に書く詩人である
 私は水に愛を書く

 たとえ
 水にかいた詩が消えてしまっても
 海に来るたびに
 愛を思い出せるように
(寺山修司『海が好きだったら』)

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