ヨハンナ・シュピリ『ハイジ』①

文字数 4,757文字

 作家ヨハンナ・シュピリによって書かれた児童小説『ハイジ』(1880年 - 1881年)は、スイスアルプスで父方の祖父のもとに預けられた五歳の少女の成長を描いた物語で、スイス文学の中で最も有名な作品のひとつである。

 日本において『ハイジ』を初めて翻訳したのは、夏目漱石の門下生である野上彌生子だ。最初は英訳からの重訳だったが、1920年から現在までに百種を超える翻訳本が刊行され、1974年にはズイヨー映像制作のテレビアニメまで放送された。
 アニメ『アルプスの少女ハイジ』は、のちにスタジオジブリを設立する高畑勲や宮崎駿が制作に携わったことで知られ、何度も再放送されたため、アルムの山小屋やヤギたち、ハイジやペーターやクララのイメージを日本の子供たちの心に刻み込んだ。しかし、アニメの作中には日本の制作者の書き下ろしと言えるエピソードがかなり多く含まれており、物語の結末を大きく変えてしまっているという事実は以前から指摘されている。
 今回、アニメでは省かれてしまった原作のエピソードに着目しながら、作者ヨハンナ・シュピリが読者に伝えようとしたメッセージを読み解いていきたい。


 1880年に『ハイジの修行時代と遍歴時代』が匿名で出版され、すぐに大成功を収めた。このとき、作者ヨハンナは五十三歳。
 1881年には続編である『ハイジは習ったことを役立てることができる』がヨハンナ自身の名前で出版された。今日ではこの本編と続編が一冊の本にまとめられている。

『ハイジの修行時代と遍歴時代』というタイトルは、ゲーテの二大長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』と『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』をリスペクトしたものだ。
 ヨハンナは夫のベルンハルトとともに、ゲーテとシラーの墓を詣でにワイマールを訪れたほど、このドイツの大文豪と大詩人の作品を愛読していたという。
 ヴィルヘルム・マイスターの立場をハイジに置き換えると、アルムの山小屋でのおじいさんとのふたり暮らしが「ハイジの修行時代」であり、「修業時代」を終えた彼女が故郷を旅立ち、フランクフルトでさまざまな人々と出会い、内面的成長を遂げる過程が「ハイジの遍歴時代」と言える。


 ハイジという愛称で呼ばれる主人公アーデルハイトは、わずか一歳のときに両親を亡くしていた。大工であった父トビアスが仕事中の事故で急死し、母アーデルハイトは悲しみのあまり、夫の死から数週間後に亡くなったのだ。
 遺されたハイジは、母方の祖母と叔母(母の妹)であるデーテのもとに引き取られた。その祖母が亡くなり、叔母デーテもフランクフルトへ奉公に出ることを決め、五歳になったハイジは物語の冒頭で父方の祖父のもとにあずけられることになる。

 ハイジの父方の祖父は「アルムのおじさん」と呼ばれていて、山の上でひとりきりで暮らしていた。「アルムのおじさん」は、若い頃に酒と賭け事で全財産を費やし家屋敷を失ったすえに、傭兵としてナポリ軍に入隊したものの脱走兵となったという悪い噂がある人物で、村人たちから怖がられていた。息子と嫁をいっぺんに亡くす不幸の後、彼はますます人を寄せつけなくなり、アルムの山小屋に移り住んでからは誰とも関わらず、村の教会にも行かなくなっていた。

 祖父に引き取られたハイジは、ゆたかな自然の中でのびのびと育ち、ヤギの世話も一人前にできるようになったが、八歳になっても学校には行っていなかった。ハイジが学校に入学すべき年齢をとっくに過ぎているため、学校の校長は祖父に二度も手紙を送っていたが、祖父はハイジを「学校へやる気はない」と手紙を無視していた。(※1)
 頑なに孫を学校へ行かせまいとする祖父の態度をみかねて、村の牧師がアルムの山小屋までたずねに来るエピソードがある。老齢の牧師は、祖父がまだふもとの村に住んでいた頃からの知り合いだった。

 孫を学校へ行かせない理由を牧師から訊ねられて、祖父は「あの子は山羊や小鳥といっしょにすくすく育っている。山羊たちのところにいれば、それで幸せなんだ」と答える。それに対して牧師は「あの子は山羊でも小鳥でもない。人の子だよ」と言って、ハイジを学校へ行かせるよう説得する。
 ハイジを学校へ行かせるためには、祖父は山を下りて、再びふもとの村で暮らさなければならない。牧師は「山を下りて、下の集落でみんなといっしょに暮らしましょう」と提案し、「神さまと人とも仲直りする」よう教え諭した。しかし祖父は「下の連中はおれを馬鹿にしている」と言って、「あの子は学校へやらんし、おれも山は下りん」と説得を受け入れなかった。
 祖父がハイジを学校に行かせない本当の理由は、山を下りてふもとの村で暮らしたくないからであり、「みんなが自分を馬鹿にしている」と思いこんでいたからだった。
 このように保護者が自分の都合で子供を学校へ行かせないことは、現代の言葉で言えば、教育ネグレクトという虐待に当たる。


 祖父による教育ネグレクトのせいで野生児のごとく育ったハイジに、本を読むこと祈ることの大切さを教えたのは、クララの祖母であるゼーゼマン家の「おばあさま」だった。
 フランクフルトのゼーゼマン家に迎えられてから、ハイジはクララの家庭教師の授業を受けていたが、どうしても文字を覚えられなかった。山羊番のペーターが学校に行っているのに「読み書きなんて、難しすぎてできない」と話していたのを鵜呑みにして、ハイジは自分も「できっこない」「駄目なものは駄目」と思いこんでいたためだ。(※2)
 ゼーゼマン老婦人は美しい牧場の風景が描かれた挿絵をハイジに見せて、「字が読めるようになったら、この本をすぐにあげましょう」と言った。故郷の山を思い出させる絵を見て、ハイジは思わず涙を流し、「今すぐ読めたらいいのに」と思うようになる。
 学ぶ意欲がわいたおかげで、それから一週間ほどでハイジは文字を覚え、クララに本を読み聞かせるまでに急成長した。

 ゼーゼマン老婦人からもらった本は、ハイジにとって「宝物」になった。その本の中でハイジが一番好きなのは、緑の野原でヒツジやヤギの群れに囲まれている牧人(まきびと)の挿絵が描かれた物語だった。
 牧人が父親の家を飛び出し、見知らぬ土地で苦労を重ね、やせこけてぼろぼろにすりきれた姿で家に帰ってくると、年老いた父親が両腕を広げて息子を迎えに駆け寄るという物語を、ハイジはとても気に入り、何度も繰り返し読んでいた。
 ハイジの「宝物」となった「きれいな絵がついている大きな本」とは、新約聖書を子供向けにまとめた聖書物語であると言える。その聖書物語の中でハイジに故郷を思い出させた物語というのは、「放蕩息子の帰還」として知られる、もともとは『ルカによる福音書』に記されている非常に有名なたとえ話だ。(※3)
 イエスが人々に語り聞かせた「放蕩息子のたとえ」を読みながら、ハイジは父親の家を飛び出した牧人と自分とを重ね合わせて、いつか必ず祖父のもとに帰り、「おじいちゃん」が両腕を広げて自分を迎え入れてくれることを夢見ていたのだろう。

 故郷を思い出しては、誰にも聞こえないよう声を押し殺して泣いていたハイジの苦しみを察して、ゼーゼマン老婦人は「悲しいことがあって、それを誰にもいえないときには、神さまに打ち明けて、助けてくださいってお願いする」ことを教える。
 それまで一度もお祈りをしたことがなかったハイジは、自分の部屋で両手を合わせ、「悲しいことを、なにもかも神さまに話し」て、「おじいちゃんのところへ帰らせてください」と一生懸命お願いした。
 その後、あいかわらずふさいだ顔をしているハイジを案じて、ゼーゼマン老婦人はもう一度彼女を呼びだし、「毎日神さまにお祈り」しているかとたずねた。
 ハイジは「お祈りしても、神さまは何も聞いてくださらない」から、「お祈りをやめてしまった」と答えた。毎晩、何週間も同じお祈りをしたが「神さまは、何もしてくださらなかった」と言うハイジに対して、ゼーゼマン老婦人は次のように教え諭す。

 今あなたが神さまにお願いしていることは、たぶん今はまだ、あなたのためにならないことなんですよ。神さまはあなたのお祈りをちゃんと聞いてくださっています。神さまは、わたしたちみんなのお祈りをいっぺんに聞くことも、目を配ることもおできになります。だからこそ神さまなんですよ。(※4)

 ハイジは心から信頼をする「おばあさま」の言葉を聞き入れ、「今すぐ神さまに、許してくださいってお願いする。もう絶対に神さまのことを忘れない」と約束した。

 ゼーゼマン家に迎えられてすぐの頃、ハイジはお屋敷から逃げ出そうとして咎められ、ロッテンマイヤー女史から「信じられないほどの恩知らず」ときびしく叱られるエピソードがある。
 その家庭環境ゆえか、物語の冒頭からハイジは五歳という年齢にはそぐわないほど「しっかり者」で、「なんにでも気を配ることができる」子供として登場する。ハイジは持ち前の利発さから、ロッテンマイヤー女史から言われたように、自分がゼーゼマン家で「身に余る扱い」を受けていることをよく理解していたのだ。
 立派なお屋敷に住み、おいしいものを食べ、身の回りのお世話係がいて、家庭教師の授業を受けるという恵まれた待遇であっても、ハイジの「うちへ帰りたい」という気持ちはますます強くなるばかりで、だんだんと食欲がなくなり、ついには夢遊病を発症してしまう。
「うちへ帰りたい」というたったひと言を誰にも言えず、ハイジがこころの苦しみを「神さま」にしか打ち明けられなかったのは、ゼーゼマン氏やおばあさまやクララから「恩知らずな子」だと思われたくなかったからだった。

 ハイジがストレスからこころの病気になったことを見抜いたゼーゼマン氏は、ただちに医者と相談し、ハイジを家へ帰すことに決める。
 祖父の山小屋へ向かってアルムの山を登っていく途中、夕日に照り映えて赤く光っている遠くの山々の雪原が見え、そこにバラ色の雲がかかり、まわりの岩も草も金色に輝いている光景に心打たれ、ハイジは生まれて初めて神への感謝をささげる。
 
 この荘厳な風景の中に立っているうちに、感極まって涙が頬をつたった。ハイジは両手を合わせ、天を仰ぎ見、「ここへ帰してくださってありがとうございます」と声をあげて神さまに感謝した。そして何もかもまだきれいなまま、それどころか覚えていた以上にきれいで、それをこれから先ずっと堪能できることに感謝した。素晴らしい景色に包まれ、幸せで胸が一杯になり、神さまに感謝してもしたりないくらいだった。(※5)

 作者ヨハンナ・シュピリは、ハイジが信仰を獲得する過程を、子供の目線に立って、こまやかに描き出したと言える。
 ゼーゼマン老婦人が最初に蒔いた信仰の種は、こうしてハイジの中でたしかに芽生え、時に萎れることもあったが、決して枯れることなくしっかりと育ったのである。




※1 作者ヨハンナは六歳から村の国民学校で初等教育を受けている。

※2 ペーターは学校嫌いで、読み書きなんかできっこないと年下のハイジに信じ込ませたり、アルムを訪れた医者に嫌がらせをしたり、クララの車いすを谷から突き落としてわざと壊すなどの悪質ないじめをする。作者ヨハンナはペーターを問題のある子供として設定しているが、アニメではそうしたエピソードが省かれ、善良でやさしい性格となっている。

※3 アニメではクララの祖母が与えた本はグリム童話になっており、祈ることをハイジに教えるエピソードが省かれている。

※4 ヨハンナ・シュピリ『アルプスの少女ハイジ』遠山明子訳、光文社古典新訳文庫、第11章。
※5 同上、第13章。
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