因果人(一/三)

文字数 2,787文字

 店内は白熱灯の明かりでほの暗く、絶えず耳なじみのないピアノ曲が流れている。私が住んでいる村にはこんな小洒落た喫茶店などなかったから、どうにも居心地が悪かった。
 それでも、ここが待ち合わせ相手の指定する店なのだから仕方がない。私は落ち着かない心持ちで周囲を見回した。
 壁には一幅の絵がかかっている。若い女性が描かれた写実的な絵だ。後ろ姿なので顔は見えない。それでも途端に嫌な気持ちになって、私はすぐさま目を逸らす。
 そうして、ぼんやりと窓の外をながめているうちに、ふいに扉が開く音がした。
「遅れてしまって、申し訳ありません」
 入って来て早々こちらに歩み寄った女性は、そう言って私に頭を下げた。息を弾ませているのは、早足でここまで歩いて来たからだろうか。
「いいえ。かまいませんよ。人身事故だとか。むしろ、巻き込まれて大変でしたね」
 遅れたといっても、約束の時間からそれほど時間は経っていない。あらかじめ連絡はあったのだから、謝られるほどのことではないだろう。
 彼女は向かいの席につくと、注文を取りに来た店員にアイスコーヒーを所望した。落ち着いてから、話を切り出したのは彼女の方だ。
「事件のことを調べていらっしゃる、とか」
 私が無言でうなずくと、相手は険しい表情を浮かべて黙り込んだ。



 始まりは三年前のこと。
 私が住んでいるのは山間(やまあい)の小さな村で、娯楽など何もないような僻地だ。しかし、近頃はそうした田舎の方がむしろ趣があっていいと移住する人もぽつぽつといて、あるとき新進気鋭の画家と称される女性がひとり、村外れの一軒家に引っ越してきた。
 こんな田舎では、若い女性のひとり暮らしなど珍しい。当初こそ彼女のことを敬遠する者もいたようだが、人当たりのよさからか、若者たちにはすぐに受け入れられていた。
 大きな桜の樹がある家に住む若き画家は、村の娘たちにとっては憧れの存在だったらしい。そうした信奉者の中には私の妹もいて、彼女の元に集った村の娘たちは、絵のモデルになったり、あるいは絵の描き方を教わったりなどしていたそうだ。
 しかし、そうした和やかな日々も長くは続かなかった。
 あるとき、画家の元に通っていた娘がひとり、行方不明になったのが始まりだ。数日後、その娘は山中で惨殺屍体となって発見される。
 何もない長閑な村でのこと。殺人事件など縁があるはずもなく、ましてやそれが猟奇殺人などということになれば、村人たちはさわぐどころの話ではなかった。山に不審な男が潜んでいるだの、都会から逃げてきた殺人鬼が犯人だの、根拠のないうわさ話が飛び交う中、二人目の犠牲者が出たことで、村人たちの間にひとつの疑念が生まれることになる。
 犯人として疑われたのは、例の女流画家だった。
 確たる証拠はない。しかし、犠牲者がどちらも彼女の絵のモデルであったこと。なおかつ、見つかった屍体からは内臓が抉り出されていて、それが――あたかも何かを主張するかのように――周囲の木々に飾られていた、という異様さが、彼女の画家という特殊な職業と結びついたことは、それほど突飛でもないだろう。そう考えるのは、私がその画家にあまりいい印象を抱いていないからかもしれないが。
 それでも私の妹は、先生がそんなことをするはずがない、と信じて疑わなかった。私は妹に、あの女を庇うのはよせ、と忠告したのだが、気の強い妹がそれを聞き入れるはずもない。他の娘たちが画家を避けるようになる中、私の妹だけは彼女の味方をして、むしろ今まで以上に足しげくその家に通っていた。
 しかし、そうした日々も終わりは突然にやって来る。妹の死という形で。
 私の妹が無惨な屍体となって発見されたことで、画家の女はいよいよ孤立し追い詰められたのだろう。あるとき、首をくくって死んでいたところを発見された。
 そうして、この事件は一旦幕を閉じることになる。
 とはいえ、画家の女が犯人だという証拠はなかったようだ。それでも彼女の死後、凶行がぴたりと止んだこともあって、やはりあの画家による犯行だったのだろう、と村人たちの間ではまことしやかに語られるようになっていた。
 怒りの矛先を失ってしまった私は、それ以来鬱々とした日々を過ごすことになる。しかし、事件が終わったことに安堵した村人の多くは、このできごとを忌むべき過去として忘れ去ろうとしていた。
 ところが――
 それから一年ほど経ったある日のこと。今は住む者がいなくなった村外れの一軒家の、庭にある桜の樹に奇妙なできごとが起こる。
 季節は秋。周囲の山々が紅葉で赤く燃える中、その桜の樹は一夜にして満開の花を咲かせたのだ。
 それは、美しいと思うよりも、ぞっとするほどに異様な光景だった。加えて、狂い咲いた桜に不吉なものを感じた村人たちは、急ぎ向かった樹の根元で、とんでもないものを見つけてしまう。
 それは、手だった。肘の部分を下にして、まるで地面から生えているかのように突き立っている、血の気のないすらりとした一本の手。
 それを初めて目にしたとき、私は桜の樹の下に屍体が埋まっているのかと思った――が、掘り起こしてみても、そこに肘から先の部分はなかった。
 切断された手。それでも屍体には違いない。途端に大さわぎとなり、周辺を捜索したところ、山中から切断された残りの部位が次々に見つかった。
 村人の中に行方不明の者はおらず、犠牲者は遠くの街に住む若い女性だったことがわかる。それでも、村人たちの中には、これは亡くなった画家の祟りだ、と怯える者もいた。その樹は、画家の女が首を吊るした樹でもあったからだ。
 奇妙なできごとも相まって、この事件はセンセーショナルに報道された。警察による捜査が行われているが、犯人はいまだに見つかっていない。
 そうしているうちにも、その桜は二度も狂い咲いている。その度に、山中からはバラバラにされた屍体が見つかっていた。犠牲者はいずれも村の住人ではない。
 異様な状況に、村人たちは家に籠ったまま門戸を固く閉ざし、表を歩いているのは警察かマスコミばかり。その上、山の方で化けものを見たという者まで出る始末。もはやあの不吉な桜に近づくような物好きもいなかったが、それでもそれが四度目に狂い咲いたとき、私はひとり、その樹の下へと赴いた。
 たとえ真夏に咲いたとしても、桜は桜に違いない。とはいえ、こう何度も満開の花を咲かせていては、散りゆく花を惜しむ気持ちにもなれなかった。
 桜の樹の下には屍体が埋まっている――などと言い出したのは誰だっただろうか。あるいは、この樹は本当に、他者の命を得ることでこの花を咲かせているのだろうか。
 妹に死をもたらした事件は終わったものだと思っていた。しかし、度重なるおかしなできごとに、私はこの件をあらためて調べることを決意する。
 そうして私は、とある人物に連絡を取った。
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