6-1-2 読心者

文字数 7,415文字

(あの子、なんだか怖い)
(気味悪いよな。なんでもわかってますって顔して)
(あいつの母親、総督様のお妾さんなんだろう?)
(あの子のこと苛めてた男の子、一家揃って捕まっちゃったらしいよ)
(綺麗だけどさあ、なんか色々と近寄りがたいよな)
 邪推、冷笑、畏怖、その他諸々の負の感情――その中には明らかに事実とは異なる、面白半分の噂も混じっていたが――に晒され続けて、ウールディが進学したばかりの中等院への通学を拒むようになっても、母は責めなかった。
(みんな、どうしてあんな酷いこと考えるの? 私は普通にしているだけなのに)
 彼女の心の叫びに対して、母は悲しそうに頷きながら答えた。
(心を読めない人たちは、私たちみたいな読心者のことを、得てして遠巻きにしてしまうものなのよ)
(だって、村の人たちはみんな、そんなことなかったよ)
 ウールディが生まれ育ったのは銀河連邦トゥーラン自治領構成国のひとつ、惑星ジャランデールの中でもとりわけ奥深い、自然に包み込まれた山村である。
 母は若い頃から村一番の美しさを謳われ、また読心者としても一流であった。ウールディはそんな母の血を外面から内面まで色濃く継いでいる。長ずれば母以上の美貌の読心者になるだろう、そう言い聞かされて彼女は育ってきた。
 村の人々はウールディ母子が読心者であることを、全く気にもかけなかった。ここは元来読心者の多い一族が安住の地を求めて、外縁星系(コースト)のジャランデールまで流れ着いた末に出来た村なのだ。彼女たち母子のような存在は珍しくない。
 それにウールディと分け隔てがなく接するのは、村人たちだけではなかった。
 生まれたときから共にいる愛犬のレイハネは、彼女にとって一番の友人であり、理解者である。同年代の子供のいない村の中で、ウールディは常にレイハネと一緒に過ごしてきた。
 そして月に一度ほど顔を見せる“兄”のラセンやルスランも、彼女に接する態度はごく自然だった。たまにコミュニケーションが噛み合わないことはあるけれど、それだっていつも笑い話で済ませられたものだ。
 だがウールディが中等院へ進学する歳になって、母やレイハネと共にジャランデールの中心街区へ移り住んでから、そんな状況は一変してしまった。
 風景が横長から縦長に変わったとか、空気の匂いが違うとか、食べ物や水の味が違うとか、ストレスが堪る要因は色々とあった。転居先として用意されたのは、都会といってもやや郊外の、十分な敷地が確保された広大な屋敷だったが、それまで暮らしてきたこぢんまりとした家屋との違いに戸惑ったのもある。
 しかしそれ以上にウールディの心を苛んだのは、都市の住人たちの読心者に対する態度であった。
 転居したばかりの頃、村では同年代に恵まれなかったウールディは、中等院で同い年の友人に出会えることを楽しみにしていた。そんな彼女に対して母は、読心者であることを極力悟られないよう、何度も言い聞かせたものだった。
(都会にはたくさんの人がいるけれど、読心者はとても少ないの。読心者という存在を知らない人も多い。そんな人たちがいきなり心を読まれたらびっくりしてしまうわ。くれぐれも読心者であることは隠し通すようにしなさい)
 ウールディは、ただでさえ際立った容姿の持ち主だった。
 溌剌とした生命力が匂い立つような張りのある褐色の肌。彫りの深い整った顔立ちには、大きな黒い瞳が黒曜石の如き輝きを放つ。そして瞳同様に美しく長い黒髪を頭の後ろでひとつに束ねて、すらりとした小鹿のような肢体で院内を闊歩する彼女は、入学当初から人目を引く存在だった。彼女の一挙手一投足が注目されやすく、それだけに彼女が読心者であることが露呈する可能性が高いことを、母はわかっていたのだろう。
 ウールディとて母の言いつけを忘れたわけではない。中等院に入学して最初の一ヶ月は、彼女なりに注意して振る舞っていた。村とは異なる同級生や導師たちの、目に見える言動と内心の乖離に戸惑いつつも、やがて友人と言える存在も出来たのだ。
 だがウールディが読心者であることに最初に気がついたのも、その友人であった。
 ウールディはよく気遣いの出来る子であった。というよりも出来過ぎた。
 友人が忘れ物をすれば真っ先に貸し出したし、友人の喉が渇けば絶妙のタイミングでドリンクを用意した。帰り道に寄り道する先は、いつも友人の希望する場所だった。
 友人が勝手気ままにウールディを振り回していたわけではない。友人が口にするよりも先に、全てウールディが先回りしてしまうのである。
 初めて同年代の友人が出来たことに、彼女が浮かれてしまったのは無理からぬことだったかもしれない。だがそのせいで友人の思念の奥底に疑いが生じつつあることを、つい見逃してしまっていた。
「あなた、私の心が読めるの?」
 そう尋ねる友人の思念に疑心と、それと同じぐらいの恐怖が浮かんでいることにウールディが気づいたときには、もう遅かった。
 ウールディが読心者であることが暴かれた途端、彼女の周囲から友人たちの姿は消えた。やがて遠巻きから向けられる思念が悪意や怖れに満ちたものになるまで、それほどの時間はかからなかった。
 いつしか中等院への足が遠のくようになったウールディは今、屋敷の中でレイハネと戯れるばかりの日々を過ごしている。そんな彼女にとって数少ない楽しみが、月に一回ほどの“兄”たちの訪問であった。
「ねえ、ルスラン。ラセンとヴァネットは、もしかして来れないのかなあ」
 円卓の上に浮かび上がった立方体のホログラム映像を前にして、そう尋ねるウールディの顔はいかにも不満げであった。
 穏やかに降り注ぐ午後の日差しが、丁寧に刈り揃えられた芝生の緑を引き立てる。広大な敷地をとり囲む白い壁に隔てられて、外界の喧噪から切り離された屋敷の中庭に面したテラスで、ウールディはルスランと立方棋(クビカ)の対局中であった。
「心配しなくていい。ふたりとも、ちょっと遅れているだけだよ」
 格子体(ブロック)に区切られた立方体の中に布陣する赤と青の駒の群れを覗き込んで、ルスランは水色の瞳を細めながらそう答えた。
 ややウェーブのかかった金髪に、白磁のような瓜実顔。中背ながら均整の取れた体格。ウールディとは似ても似つかないルスランは、間違いなく彼女が幼少の頃から慣れ親しんできた“兄”である。
 同じ家で暮らしたことこそないが、村にいた頃も、そして都会に移り住んだ今もこうして、定期的にウールディを訪ねてくれる大事な家族だ。成人してからの彼は、その都度プレゼントの持参も欠かさない。今、ふたりの間に鎮座するホログラム投影盤がセットされた円卓も、今回の訪問でルスランからウールディに贈られたものだった。
「前から欲しがってたよね。せっかくの誕生祝いだから、ちょっと奮発してみたよ」
 彼の言う通り、今日はウールディの十二歳の誕生日であった。だからこそ既に仕事に就いて多忙なはずのルスランが、こうして今日顔を出している。彼がなんとかスケジュールをやりくりして、この日にわざわざ休暇を取ってくれたことは喜ぶべきなのだ。
 だがウールディの顔はどうにも晴れなかった。ラセンの不在に機嫌を損ねているわけではない。むしろ心配という方が正しい。
「タラベルソと連絡が取れないって、どういうこと?」
 ウールディが思わず口にした問いに、ルスランは軽く目を見開いて、すぐに苦笑を浮かべた。自分の脳裏を掠めた思考が、彼女を不安がらせてしまったことに思い至ったのだ。
「しまったな。なるべく考えないようにしていたのに」
「ねえ、ラセンはサカに行くって言ってたよね。サカに行くにはタラベルソを通らなきゃいけないんでしょう。もしかして、タラベルソでなんかあったの?」
 何かあったということは、ウールディには実はわかっている。だがルスランの思考を読み取れるということと、それを理解をするということはまた別であった。ウールディがルスランの思考を理解するには、まだまだ知識も経験も不足している。
「タラベルソとの連絡船通信が途絶えたのは、一ヶ月以上前だ」
 観念したという表情で、ルスランはウールディに事情を説明した。
「連絡船通信以外にも、タラベルソに向かった宇宙船がことごとく帰ってこない。おかしいってことでタラベルソ代表の評議会議員も調査に向かったんだけど、これも行ったきり音沙汰がない。今もって原因不明だ」
「そんな大変なことになってたの? 知らなかった……」
「報道も肝心なところは伏せているからね。僕が知っているのは、父さんの下で働いているからだ。だからウールディも他言無用だよ」
 少しだけ真剣な表情になったルスランが、唇に人差し指を当てる。つられて真剣な顔で頷きながら、ウールディは重大なことに思い当たった。
「じゃあ、やっぱりラセンも!」
「いや、大丈夫。ラセンはなんとか逃げ出せたって。ただ、なんか途中で足止めを食らっているらしい。僕のところに届いた連絡船通信では、絶対に今日までに戻るって息巻いてたけどね」
「足止めって、なんで?」
「それは僕もわからない。珍しく父さん宛の連絡船通信もあったから、もしかしたら父さんは知っているかもしれないが」
 そう言って首を捻りながら、ルスランは立方体に向かっておもむろに人差し指を向けた。彼の指の繊細な動きに合わせて、立方体の中の青い駒が右斜め下に向かって音もなく動き出す。青い駒が動きを止めると、同時に周囲の赤い駒の一群がぱっと消し飛んだ。
「ああ、話の最中に指すなんてひどい!」
 立方体の中の形勢が一気に不利になったのを見て、ウールディが悲鳴を上げる。その顔を見て、ルスランは愉快そうな笑顔を浮かべた。
「読心者の裏を掻くのは痛快だね。ほら、このままだと僕の勝ちだよ」
 口惜しそうにホログラム映像を睨みつけるウールディを見て、ルスランの口元が優しげに綻ぶ。
 鬱屈とした日々を送るという“妹”が、束の間でも表情豊かな顔を見せていることを喜んでいる――立方棋(クビカ)の盤面に目を凝らしながら、同時にルスランの心配が脳裏に流れ込んできて、ウールディは申し訳ないような、情けないような気分だった。
 中等院での出来事は確かにショックだったが、同時に自分がどれほど迂闊であったかも痛感した。心を読むということが、読まれる側にとってどれほどの不安を駆り立てるものか、ウールディはよくわかっていなかった。
 母からも、村の大人たちからも、ラセンやルスランからも重ねて注意されていたことだったが、いざ体感するまでは実感出来なかった。母からの注意はいつも「でもこればかりは、一度体験してみないとわからないことだからねえ」という言葉で締めくくっていたものだ。それは母自身が経た苦い経験に基づく言葉だったのだろう。
 一生村で暮らすのなら、あるいはこれ以上苦しまなくても良いかもしれない。だが彼女の血筋はそれを許さなかった。村を出て、いずれはこの星も出て宇宙に飛び出すべきであると、幼い頃から言い含められている。それは大人たちの事情によるものではあったが、ウールディ自身もまた村の外を見てみたいという、人並みの好奇心は備えている。
 立方棋(クビカ)の駒のひとつひとつを見比べながら、ウールディは傍らにそっと手を伸ばした。彼女が腰掛ける籐椅子の横にはいつの間にか愛犬のレイハネが、どこか主人を心配するように首をもたげながら寄り添っていた。毛むくじゃらの頭を何度も撫でる内に、レイハネが彼女を労る暖かい感情が伝わってくる。
 人間だけではない、動物たちにも様々な感情が存在することを、ウールディは幼い頃から誰よりもよく知っている。
「相変わらず、レイハネはウールディの面倒見がいいな」
 ルスランにそう言われて、レイハネはふさふさの尻尾を小さくぱたぱたと振った。
 ウールディとほとんど変わらないほどの大きな身体(からだ)を横たえるレイハネは、既に齢十五を超える老境にある。彼女が生まれたときから側にいるこの雌の老犬は、彼女にとって誰よりも心を許せる友人だ。
 ――レイハネみたいに、なんて贅沢は言わない。ラセンやルスランみたいに普通に、対等につきあえる友人が、せめてひとりでもいれば――
 その機会を早々にぶち壊してしまったのだと思い返して、ウールディの表情がどんよりと暗くなる。立方棋(クビカ)の前で頭を捻っているふりをしながら、徐々に面を俯かせていたウールディは、だが突然目を大きく見開いて、面を上げた。
「ウールディ?」
 ルスランに驚いた顔で見返されながら、ウールディは籐椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。そのまま呆気にとられるルスランに目もくれず、その場から駆け出して全速力で邸内へと飛び込む。その後を老犬が尻尾を振りながらゆっくりと追いかける。
 居間を横切り、長い廊下を駆け抜けて、玄関ホールにたどり着いたウールディの黒い瞳に、馴染みのある大きな人影が映り込んだ。
「ラセン!」
 その名を叫ぶように口にしながら、ウールディは身を屈めて両手を広げる巨漢に飛びついた。
「よう、ウールディ。遅くなって済まなかったな」
「大遅刻だよ! もう、お母さんのご馳走も全部食べちゃったんだから」
「そいつはしまったな。現像機(プリンター)製の飯ばかりだったから、シャーラの手料理を楽しみにしてたのに」
 太い首に手を回したままのウールディを片手で抱えながら、ラセンが笑顔で応じた。強面のラセンしか見たことのない人には、彼が相好を崩すと思いがけず優しい表情になるということに驚くだろう。
 ふたりがひとしきり再会を喜んだのを見計らうかのように、ラセンの陰からひょいと顔が覗く。ラセンと同年配と覚しき、耳元が隠れるほどの長さの赤茶けたソバージュヘアの女性もまた、ウールディにはここ数年で慣れ親しんだ顔だった。
「ヴァネット、いらっしゃい!」
 満面の笑みで歓迎されて、ヴァネットは小さく手を振りながら笑顔を見せた。
「遅くなっちゃってごめんね、ウールディ。あんたのお兄ちゃんがまたやらかしてくれて、道中大変だったんだ」
「仕方ねえだろう。だいたい、また(・・)ってなんだ」
 口を曲げて反論するラセンを、ヴァネットが心底呆れたという表情で見返す。
「ちょっと勘弁してよ。今まであんたがやらかしたことを全部吐けって言われたら、一晩かけても足りないよ」
「“兄さん”、あんたはどれだけ彼女に助けてもらっているか、もう少し自覚した方がいい。ヴァネットはいつもお守り役で、お疲れ様だ」
 ふたりの会話に割って入ったのは、レイハネと共に玄関ホールに現れたルスランだった。尻尾を振る老犬に巨体を押しつけられながら、ラセンはへっと一息吐き出して厚い唇の端を歪める。
「総督府でデスクに齧りついてるだけのお前には言われたくねえな」
 前髪の奥からラセンが大きな黒い目で睨みつけても、ルスランは涼しい顔を崩さない。
「何はともあれ無事にたどり着けて、良かったじゃないか。父さんにまで泣きついたみたいだから、余程のことがあったんだろう」
「言い方にいちいち棘があるんだよ、お前は」
 そう言ってふたりが視線を正面からぶつけ合っても、傍らのヴァネットには慌てる気配もない。顔を突き合わせる度の定番のやり取りを前にして、小さく肩をすくめるだけだ。彼らの内心を読み切っているウールディに至っては、相変わらずラセンの首にしがみついたまま降りようともしない。
 剣呑に振る舞うふたりをよそに、彼女の関心事は別にあった。ウールディの大きな黒い瞳は、玄関の扉の陰に向けられている。
「ねえ、ラセン。大変だったのってもしかして、あそこにいる“もうひとり(・・・)”と関係あるの?」
 ウールディの質問に、ラセンとヴァネットが顔を見合わせる。
 ヴァネットはウールディの言葉を確かめるように「ひとり(・・・)?」と聞き返し、ラセンが「やっぱりそうだったか」と確信するかのように唸った。ふたりの反応にウールディは戸惑い顔を見せ、ルスランが何かを察したかのようにラセンに尋ねる。
「誰か連れてきているのか、ラセン?」
 するとラセンはその問いに答える代わりに、扉の陰に向かって大きな声で呼び掛けた。

とも、入ってこい!」
 ラセンの大声が響き渡る玄関ホールに、そろりといった(てい)で入ってきたのは、ウールディとほぼ同い年と思われる少年少女のふたりであった。
 黒い髪の毛の長さが違うとか、ニット帽を被っているかいないかの違いはあるが、共に思春期に差し掛かるかかからないほどの年齢の、一見しただけでも双子だということがわかる、姿形のよく似た少女と少年。立派な屋敷に連れてこられて、場違いに思える場所にいることに気が引けているところまでそっくりだ。
「あれ?」
 ようやくラセンの首から手を離して床に降り立ったウールディは、ふたりの姿を見て首を傾げた。
「おかしいな、ひとりだと思ったのに。というよりも……」
 凝らすように目を細めて、ウールディはふたりの顔をまじまじと見つめ直す。何度も目を擦ってからやがて口にした言葉からは、隠しきれない困惑が滲み出していた。
「あなたたちふたりとも、なんか《繋がって》いるみたい。どういうこと?」
 そう言われて、今度は少年少女がそろって顔を見合わせる。その様子を眺めていた大人たちの中で、最初にため息混じりに口を開いたのはルスランだった。
「彼らはいったいなんだ? それに《繋がって》いるって?」
 当然の疑問に対して、ヴァネットがまるで耳打ちするような仕草でそっと答えた。
「あのね、ルスラン。多分なんだけど、このふたりは双生児性精神感応(・・・・・・・・)ってやつだよ」
「双生児性精神感応?」
 聞き慣れない言葉を耳にして、ルスランが呟くように反芻する。
 そしてラセンは依然としておっかなびっくりな少年少女の後ろに回ると、その大きな両手をふたりの頭の上にぽんと置いた。
「ウールディ、こいつらはファナにユタ。俺からの誕生祝いだ。仲良くしてやってくれ」
「よ、よろしく……」
「よろしく、お願い、します」
 ラセンの手にぐいぐいと頭を押し下げられながら、ふたりが慣れない挨拶を絞り出すようにして口にする。対するウールディはぎこちないことこの上ない双子を前にして、誕生祝いと言われても素直に頷くわけにもいかず、一層戸惑うばかりであった。
 それがウールディとファナ、ユタとの、初めての出会いであった。
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