6-2-1 待ち人来たれり

文字数 6,442文字

 銀河連邦の樹立以来、惑星国家テネヴェはおよそ二百七十年という歳月の間、事実上の連邦の本拠地としての地位を堅持してきた。
 連邦の最高決定機関である連邦評議会をはじめとして、連邦常任委員会、その下の航宙・通商・安全保障・財務、そして外縁星系開発の連邦五局という、およそ銀河連邦の中核を成す主要機関は、全てテネヴェに集中している。
「地政学的に見れば、テネヴェは決して銀河系人類社会の中心とは言えないわ。連邦の発足当初の状況を考えれば、むしろローベンダールこそ本拠地に相応しかった」
 語られる言葉の内容の堅さに比べると、その声はやけに艶めかしく、聞く者の耳朶に粘りつくような余韻を残す。
 味気ないスーツの上からもわかるグラマラスな肢体を、自身で抱え込むかのように腕を組みながら、声の主は豊かなプラチナブロンドを翻らせた。
「にも関わらず、テネヴェが連邦の本拠地になり得たのはなぜだと思う?」
 白い肌に覆われた頬骨の高い輪郭に、やや鷲鼻気味の高い鼻、蠱惑的な肉厚の唇、そして心持ち眠たげな瞼の下から覗く青い瞳がある。瞳から放たれる思わせぶりな眼差しによって、仕草のひとつひとつがことさら扇情的な彼女の顔を、ルスランは冷ややかな目で見返した。
「それは君たち《クロージアン》がそう望んだから……そう言わせたいのかな、ファウンドルフ」
 執務卓に着席したルスランの突き放したような物言いに、ファウンドルフと呼ばれた女は唇の端をわずかに吊り上げて頷いた。
「そう、正確にはイェッタ・レンテンベリとタンドラ・シュレス、《クロージアン》の初代と言える彼女たちが、既にこの星に根を張っていたから。ふたりともテネヴェを本拠地とするべく、あらゆる手段を駆使したものよ」
「君たちの精神感応力が銀河連邦にどれだけ影響を及ぼしてきたことか、知れば知るほど背筋が薄ら寒くなるね」
 大袈裟に肩を震わせるルスランに、ファウンドルフがいささか意味深な視線を投げかける。
「……イェッタもタンドラも、進んで精神感応力を得たわけじゃない。そもそもの切欠は、テネヴェが自力で惑星開拓を試みたからよ。惑星クロージアの発見がなければ《クロージアン》も生まれなかったし、おそらく銀河連邦だって存在してなかったでしょう」
「クロージアか。そんな星があること、君たちから聞かされなければ知ることもなかったろうな」
 かつて連邦の成立以前に、テネヴェが惑星開拓の候補地として見出したのが、クロージアと名づけられた惑星である。入植適合率の極めて高い、理想的な開拓地だったはずのその星は今、航宙図にもどこにもその記録は残っていない。
「我々の想像を絶する、精神感応力で結びついた独自の生態系が支配する星だった。そのことを記憶しているのはもう、私たち《クロージアン》だけ」
 そう言って執務卓に片手をついたファウンドルフは、身を乗り出すようにしてルスランの顔を覗き込む。
「二度と誰も足を踏み入れないように、連邦におけるクロージアのデータは徹底的に抹消したわ。でも、宇宙は広い。ほかにも同じような星が無いとは言い切れない」
「……未だサカとの交信が回復しないのは、クロージアに似た何かのせいだと?」
 サカはかつてエルトランザ、バララトと共に、複星系国家三強と並び称された雄国だ。
 三強のひとつバララトは一時、銀河系人類社会の覇者としてその他を圧倒したが、今や近バララト、正統バララト、ディレイラ多面企業群といったいくつかの小規模惑星国家群に分裂してしまった。一方エルトランザはスタージアに次ぐ歴史を誇る大国として、未だ銀河連邦に互する存在感を保ち続けている。
 そしてサカは、銀河連邦とは長年交流のあるの友好国だ。だが数年前の大途絶(グランダウン)と前後した頃から、サカとの連絡はふつりと途絶えていた。
「精神感応的な《繋がり》が大途絶(グランダウン)をもたらした、その可能性を示したのはあなたたちよ、ルスラン・ラハーンディ」
「だがタラベルソは大途絶(グランダウン)から回復した」
「だとしたら、サカは未だ大途絶(グランダウン)の最中にあるのよ」
 スーツの胸元から豊満な乳房が見え隠れするような挑発的な姿勢を取りながら、青い瞳が放つ掬い上げるような視線からは、彼女がルスランの想像以上に事態の深刻さを憂えていることが窺えた。
「サカ領のうち他国と隣接する星系は三つだけど、その三つと接する連邦もエルトランザも正統バララトも、どこも連絡が取れないまま。そしてサカと隣接していたタラベルソが大途絶(グランダウン)に陥った」
「ファウンドルフ、君はもしかしてこう言いたいのか?」
 執務卓の上に両手を組んだまま、ルスランは距離を縮めてくる女に向かって、努めて冷静な口調で尋ね返した。
「未知の精神感応力がサカ領全土を覆い尽くし、さらに恒星間距離を超えて、隣接するタラベルソを襲ったのではないかと」
 ゆっくりと身体(からだ)を起こして、ファウンドルフはルスランに曖昧な笑みを向ける。
「有り得ない話ではないわ。ここ銀河連邦でも、銀河ネットワーク構想研究会が推進委員会に格上げされて既に三年経つ。恒星間通信は今ではもう、現実的な可能性として認知されているのよ」
「精神感応力が単一の惑星のみならず、複星系国家を支配する可能性があるということか……」
 ルスランは眉根を寄せながら、執務席の背凭れに身体(からだ)を預けた。一度疲れたように両目に指を押し当てて、再び見開かれた水色の瞳は、彼を見下ろす《クロージアン》の女の顔に不信感に満ちた視線を向けた。
「つまり銀河ネットワークが成立した暁には、《クロージアン》が銀河連邦全土を《繋げる》可能性もあるということだ。だから自治領は、銀河ネットワーク計画に慎重にならざるを得ない」
「まだそんなことを言っているの?」
 ファウンドルフはくびれたウェストに両手を当てて、嘲笑混じりの呆れ顔を見せた。
「銀河系で最も情報化が進んだここテネヴェの計算資源をもってしても、万単位と《繋がる》のが限界なのよ。銀河連邦全域で百億人の人口と《繋がる》なんて、端から考えてないわ」
「そんなことはわかっている。だが各地に《クロージアン》を分散させることは可能だろう。つまり君たちが直接干渉出来る範囲が、飛躍的に拡大するということだ」
「そういうことは私たちより、むしろ《スタージアン》にこそ釘を刺すべきでしょう」
「当然《スタージアン》にも同様の警戒はしているさ」
 ふたりの青い瞳と水色の瞳が、真っ向からぶつかり合う。しばしの沈黙が流れた後、おもむろにため息をつきながら、先に視線を逸らしたのはファウンドルフだった。
「そもそも銀河ネットワーク構想をぶち上げたのは、エカテ・ランプレーでしょう。私たちはその話に乗っかっただけ」
 提唱直後は眉唾扱いだった銀河ネットワーク構想を、エカテ・ランプレーはこの数年をかけて、確実に実現化に向けて推進してきた。今では銀河ネットワーク推進委員長に就任して、連邦内でも飛ぶ鳥を落とす勢いである。
「銀河ネットワークが実施運用されれば、推進委員会はそのまま常設局に昇格するでしょう。彼女もそのまま局長になる」
「その業績を引っ提げて、ゆくゆくは常任委員長の座を狙うか」
「未だに第一世代の気質を引きずる、昔気質の政治家でもあるわ。外縁星系開発局長としては、気にならないわけはないと思うけど?」
 銀河連邦発足当初からの構成国だった第一世代に対して、連邦発足後に新規開拓された外縁星系(コースト)諸国が叛旗を翻した上に成立したのが、トゥーラン自治領である。ルスランが努める外縁星系開発局長とは、銀河連邦に対してトゥーラン自治領を代表する全権大使に近い。その役職の存在自体が、表面的な対立こそないものの、第一世代と外縁星系人(コースター)の間には依然として溝があることの証左であった。
 ランプレーが外縁星系人(コースター)を潜在的に敵視していることは、多少事情に通じる者なら誰でも知っている、今さら打ち明けられるまでもない事実だ。
 だがファウンドルフがわざわざこのタイミングで注進する、そのこと自体に意味がある。彼女ほどの要職にある人物が、世間話をするためにルスランを尋ねるわけがないのだ。
「……君の言う通りだ。ランプレー議員の動向には“今後”、我々もますます関心を寄せるよう心懸けよう」
「ご理解頂けたようで、嬉しいわ」
 当たり障りのない回答に含まれる微妙なアクセントを聞き逃すことなく、ファウンドルフは肉厚の唇に微笑を浮かべた。
「一介の官僚としては、評議会議員に直接物申すのは気が引けるのよ。あなたが気にかけてくれるのであれば安心ね」
「ヒトの精神に干渉出来る力を持つわりに、随分と殊勝なことを言う」
 ルスランが皮肉めいた口調と共にファウンドルフの顔を見る。彼の白々とした視線を受けて、ファウンドルフは小さく肩をすくめた。
「シャレイドにこっぴどく叱られて、これでもこの百年間は極力控えているのよ」
「そうなのかい? まあその点に限って言えば、自分の体質に感謝だな。お陰で自分の言動が自分自身によるものだと、安心して言い切れる」
「それはお互い様よ。あなたと話していると思念を読み取れない、普通の人間同士の会話を味わえて刺激的だわ」
 額にかかるプラチナブランドを芝居がかった仕草で掻き上げる、ファウンドルフの顔から一抹の本心を窺えた気がして、ルスランは首を傾げた。
「君だって《クロージアン》に《繋がる》前は、普通の人間だったわけだろう。もしかしてもう、思い出せないほど昔のことなのか」
「失礼ね、そこまで年を重ねてるわけじゃないわよ。そうではなくて――」
 眉をひそめて反論するファウンドルフの言葉は、その途中で掻き消えた。ルスランの顔から外れた視線が、一瞬だけ室内の宙を彷徨ってから、再び彼の瞳に舞い戻る。
「つい長話してしまったわね。どうやらあなたの待ち人もテネヴェに着いたみたいだし、そろそろお暇するわ」
 不審げなルスランに向かって、ファウンドルフは踵を返しながらさらに告げた。
「今頃、宇宙港で下船手続きの最中よ」
「ああ! もしかしてラセンたちが着いたのか」
 それまでの緊張感がまるで嘘のように、ルスランの眉が開く。肩越しに彼の笑顔を認めて、ファウンドルフは唇の端を微かに吊り上げた。
「今回はバララト方面を見て回ったんですって? 良かったら後で話を聞かせてちょうだい」
 そう言い残すと彼女――銀河連邦事務局長カーリーン・ファウンドルフは、しなやかな足取りでルスランの執務室を後にした。

 テネヴェが擁する宇宙港は、軌道エレベーターに直結したものから静止衛星軌道上に座するものまで、全部で七つある。これだけの数の宇宙港を備える惑星は、銀河系中にはほかにローベンダールと、エルトランザ領デスタンザしかない。中でもテネヴェ・デキシング宇宙港は建設当初から三百年近くもの間増改築を繰り返し、今では利用客数から貨物取扱量まで銀河系随一を誇る、港湾施設そのものも最大規模の宇宙港である。
「ろくに荷揚げするものもない商船って、デキシング港広しといえどもうちぐらいじゃない?」
 デキシング宇宙港の空港ロビーに降り立ったファナは、人混みの中に足を踏み出して、真っ赤なベストのポケットに両手を突っ込みながら、いかにも不機嫌だった。
 ベストの下に着込んだ、彼女の健康的な肢体を首回りから手首足首の先まで隈無く覆い尽くすタイトなボディスーツは、宇宙船(ふな)乗りの日常的な装いである。下にはショートパンツとブーツを重ねて履くのが、ここのところのファナの定番のスタイルだ。
 肩の上で切り揃えられた黒髪は長さこそ中等院時代と変わらないが、ところどころに覗く鮮やかなエメラルドグリーンのメッシュが目を引く。
「そういうわけでもないと思うよ」
 傍らに自走式のスーツケースを従えながら、ジャンパーに袖を通して並ぶヴァネットが、今では彼女の背を少しばかり上回ってしまったファナを見上げて、苦笑混じりになだめすかした。
「バララト全域があの調子だから。多分私たち以外も、バララト方面でまともな買い付けが出来た商人は少ないんじゃないかなあ」
「まさか、あそこまでしっちゃかめっちゃかになってるとはね」
 港内に当然のようにある1Gの重力に身体(からだ)を馴染ませようと、両手を組んだ腕を頭の上にいっぱいに伸ばしながら、ファナの言葉には少なからぬ困惑が混じっていた。彼女に応じるヴァネットの声もまた同様だ。
「物資の流通が滞って、ディレイラはほとんど開店休業状態。まともに往来出来るのは近バララトぐらい。正統バララトや遠バララトに至っては、大半がサカ同然に音信不通だからね」
「一昨年行ったときは、ディレイラなんかまだ賑やかだったよ」
「あの調子じゃ、バララト方面で仕事をするのは当分厳しいかもね」
 憂鬱な顔を見せるヴァネットの横で、ファナはため息をついた。
「正式な宇宙船(ふな)乗りになって、ようやく慣れてきたってところなのに。世の中の雲行きがどんどん怪しくなって、ついてない」
「こんなこともたまにはあるよ。しばらく我慢すれば、またいいこともあるって」
 ヴァネットがファナの肩をぽんと軽く叩く。それが気休めに過ぎないことはわかっているが、ファナにとって彼女の言葉はどんな精神安定剤にも勝る。
「ヴァネットにそう言われると、なんかそんな気になるよ。ほんと、ヴァネットみたいなお姉さんがいてくれて良かった」
「なに、そんなに褒めても何も出ないよ」
 肩にかかる明るい茶色のソバージュヘアを揺らしながら、ヴァネットが笑う。するとファナは少々真面目くさった表情で、彼女の顔を見返した。
「いやいや、結構本気で言ってるんだよ。だって、ラセンの放任主義と言ったら! ヴァネットがいてくれなかったら、私きっと何していいかなんて全然わかんなかった」
「まあ、ラセンはね。あいつは人にものを教えるってことに、根本的に向いてないわ」
「だよねえ! 昨日だって、なんにも言わないで勝手に地上に降りちゃうし。ドック入りの手続きとか宇宙船のメンテとか、みんな私たちに丸投げして。あそこまで傍若無人だとは思わなかった!」
 この場にいない巨漢の姿を思い浮かべて、ファナの口からは罵詈雑言が止まらない。
 彼らの宇宙船の船長であるはずのラセンは、下船するや否や「後は任せた。セランネ区で落ち合おう」とだけ言い残して、早々に地上行きのシャトルに乗り込んでしまったのである。残されたふたりは宇宙船整備の手配を済ますのにほとんど丸一日をかけて、ようやくテネヴェの地表に降下すべく、シャトル搭乗口に向かっているところであった。
「今さらでしょう。ラセンはほら、先にルスランに会って、色々と報告しなくちゃいけないことがあるから」
「それにしたって、せめて船長らしく指示ぐらいしてけっての。私が乗り込む前からあんなんなの?」
「そうねえ、だいたいあんな感じかなあ。それについてはちょっと甘やかしすぎたかもって、反省してるわ」
 そう言って眉尻を下げるヴァネットを見ていると、ファナは自分ばかりが腹を立てるのが馬鹿馬鹿しく思えて、消化不良な視線を投げかけた。
「ヴァネットはよく何年もラセンのことを面倒見てるよね。途中で嫌になったりなんないの?」
「それはまあ、むしろ嫌になってばっかりよ。でも……」
 苦笑気味に答えながら、ヴァネットの言葉は彼女がふと顔を上げたところで途切れた。その目が向けられた先に映し出されているのは、シャトルの発着時刻が羅列されたホログラム映像の掲示板だ。
「いけない、このままだと乗り遅れる。ファナ、急いで!」
 言うや否や駆け出すヴァネットの後を、ファナもまた慌てて後を追う。空港ロビーを走り出すふたりの背中を、さらに自走式スーツケースがスピードを上げて忠犬よろしく追いかける。
 テネヴェ・デキシング宇宙港を発したシャトルに乗って、ふたりが惑星テネヴェの中心街区のひとつセランネ区にたどり着いたのは、現地時間で間もなく夕刻を迎える頃であった。
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