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文字数 977文字
軽く、ケータイ小説家について語らせてもらおう。
小説を書き上げたケータイ小説家が、まず思う事。
それは
「誰かに小説を読んでもらいたい!」
という思いだ。
そして、どうせパブリックな場に掲載するのなら、より多くの人達に読まれたいと思うのは、ある意味必然の流れである。
しかし、ここ数年の「魔法のiらんど」発のケータイ小説シーンを見ていると、サイト内で築き上げてきた「不良イメージ」から逸脱するモノは、運営側も読者も忌避する傾向にある。
作家性より、王道から得られる安心感。
それが、近年の魔法のiらんどの「ケータイ小説」において求められてきたモノなのだ。
そして、作家側もその空気を読み取っているらしく、より読者に読んでもらう為に、
「ケータイ小説っぽい不良」
を、読者に迎合する形で書いていく。
リアルさなど、下手に作家性を出した結果、読者が離れていけば元も子もないからだ。
実際、筆者はとあるケータイ小説家に「不良」の資料として、関東連合にまつわる著書を紹介してみた事があるのだが、そのケータイ小説家から返ってきた答えはこうであった。
「ケータイ小説の不良ではない」
これは、ケータイ小説家が作家性より、サイト内での読者を優先しているという事を如実に表した言葉であろう。
が、この事をもってケータイ小説家を批判する事は出来ない。
創作とは、見てもらわなければやはり話にならない。
それ故、目の前の読者獲得には誰もが躍起になってしまうモノである。
たとえ、それが一般層から離れた「コアユーザー」であっても、そこに読者がいるのなら、その読者に合わせて書く事で人気を得たい、と思うのはクリエイターとしてのサガでもあろう。
それを捨て「作家性」を優先させる事が出来るのは、よほどの信念か実力を持った人間くらいである。
魔法のiらんどのケータイ小説の低迷の原因の一つが、近年のガラパゴス化した「独自の世界観」に繋がっていても、
「読者を得やすい、テンプレート」
があれば、作家はやはりそれに手を出してしまうのではないだろうか。
もちろん作家性を優先し、テンプレート化した「不良イメージ」を用いず、信念を持って書いている作家は熱烈なファンがついている、という事も付け加えておく。