第7話 兄妹愛に感動されたら、肝心なことが言えなくなる

文字数 3,771文字

01
 とあるテーブルの広いカフェで、大介と雪枝は対面で座っている。
 雪枝が一応おしゃれ女子、アレルギー防止のため、大介はわざとこの机の広い店を選んだ。
「すみません。そんなことは、できません」
 雪枝に小説削除の件を頼んでみたら、大介は失望の返事をもらった。
「大介さんに申し訳ないですけど、あの小説は、お兄ちゃんが私のために書いたものです。私から削除を頼んだら、お兄ちゃんはきっと傷付けます。やはり、大介さん本人からお兄ちゃんを説得したほうが一番いいかと思います」
「……」
(さすが兄妹だ。外見が似ていないけど、断る時の頑固な表情はそっくりだ……)
 大介はなんとなくそううまく行かないと予感した。
「だから、オレが頼んでも断られた。このままだと、お兄さんを訴えなければならない」
「たぶん、お兄ちゃんはまだ気持転換できていないからです」
「気持転換?」
「お兄ちゃんはずっと引きこもりで、クリック数2桁の廃小説をだらだら書くしかやることがないです」
(妹に廃小説だと言われた…どれほど悲惨なものか……)
 不本意だが、大介は思わず悠治に同情した。
「あの留学生小説から、お兄ちゃんの情熱を感じました。いままで、あれだけ続けられる小説はありませんでした」
(その情熱は、オレへの誤解と理不尽な名誉棄損から湧いてくるものだけど……)
「ですから、いきなり『削除して』と言われても、お兄ちゃんはきっと受け入れません」
「せめて、主人公を改名してほしい」
 大介は一歩譲った。
「それも、お兄ちゃんの気持次第だと思います。お兄ちゃんはあの小説への情熱が消えない限り、他人から何を言われても頷いてくれないと思います。ああ見ても、お兄ちゃんはかなりの頑固ものですから」
「そうだな、その頑固さは痛いほど分かる……」
 大介は嘆いて、目の前の三杯目のブラックコーヒーを一口飲んだ。
「要するに、お兄ちゃんのあの小説への情熱が消えるまで待てばいいです。例えば、今の仕事に夢中になって、小説のことはどうでもいいとなれば、きっと大介さんの要望に応じると思います」
「……」
(その「情熱」が消える=オレへの憎しみが消える=生きる意欲を失う=悠子がオレに冤罪を擦り付ける――
 この流れにならなければ、考えなくもないが……)
「すみません、大介さん。私は妹として、お兄ちゃんのやりたいことを応援したいです……」
「いいえ。唐突な頼みで失礼した」
 ジェントルマンの大介だから、雪枝を追い詰めなかった。
(仕事に夢中にさせるか、それもまた難題だ……)
 この数日間の悠治の仕事ぶりを思い出すと、大介はまた頭痛がした。


 02
 憎しみを増やせるために、そして、悠治の状態を監視するために、
 なにより、あの小説を書く時間を削るするために、
 大介は毎日もスタジオに来るようにと悠治に命じた。
 悠治は言われた通りに来ているが、スタジオでゾンビを演じるか、ノートで読めない文字をだらだら書くだけだった。
 雇員どころか、業務妨害レベルにもなるパフォーマンスだった。

 それを我慢できず、ある日、大介は「1万文字を提出するまで帰らせない」と脅かした。
 すると、悠治はサクサク作業しはじめて、2時間で1万文字のプリントを提出した。
 だけど、その内容を見たら、大介は目を洗いたい気持になった。
「このゴミみたい文章はなんだ……?いやがらせか?」
「知ってたらもう聞くな。今日はもういいだろ」
 悠治はソファに置いてあるカバンを拾おうとしたら、大介に手を掴まれた。
「言っただろ、オレがOKを出すまで書き続けてもらう」
 その鷹が獲物を定めた目に睨まれても、悠治はゆっくりとあくびをした。
「じゃ、我慢比べしようか。こっちは引きこもりでゴミ書き歴14年なんだから、負ける気はないぞ」
「まともなものを書いて、実力勝負でオレに勝つ考えはないのか……」

(この人、どれだけ負的な思考回路だ……)
 悠治に出会ってから、大介は一生のため息を使い果てたような気がした。
 だけど、ゴミとは言え、2時間でこれだけを書けるなら、真面目になれば、そこそこの物を書けるはずだ。
 それに、個人の理由を除けば、あの留学生小説のできも悪くないと思う。
 見事に純愛の名の下でドロドロな関係を求める読者層の心理に刺さったからこそ、人間の低い欲望をあおる悪質プロモーションが効き、小説が人気になったんだ。

 憎まれるのが目的だけど、今の悠治の状態じゃ、仕事妨害にしかならない。
 ボスを憎めるが、仕事を憎めないというルートはないかな……
 雪枝の言ったように、仕事に夢中させたら、デタラメ小説への情熱も薄くなるかもしれない……
 そう考えると、大介はもう一度交渉に出た。
「オレは構わないが、妹さんにこんなものを見せるのか?」
「残念ながら、雪枝は俺の実力を知っている。所詮こんなもんだ」
「あのデタラメ小説を書く力さえ出せば、こんなゴミにならないだろ?」
「あれは、邪道プロモーションのおかげで人気になったんだよ。それに、実際に執筆したのは俺じゃなく、悠子様だった」
「?でも、悠子はお前が書いたと言った」
「いえいえ、悠子様が書いた。だから、俺には削除する権利も改ざんする権利もないんだ」
「……」
(なんだか、二つ人格がお互いに責任を押しつけて、オレの名誉回復の要求から逃げようとしている匂いがする。)
(性格や身体能力が違っていても、本質は同じか……)
 大介が悠治と対峙していたら、ドアベルが鳴った。

 03
「お邪魔します!兄はお世話になっております。差し入れを持ってきました!」
 入ってきた人が雪枝だと分かった一瞬、悠治はピンと腰を伸ばした。

 雪枝がスタジオに入って見たのは、悠治が真剣そうにパソコンに集中している姿だ。
「!!」
(お前、誰!?)
 その見たこともないまともな姿に、大介は驚いて、言葉も出なかった。
「あら、お兄ちゃん、張り切ってるのね!」
「雪枝、いつ来たの?」
 悠治は今に気づいたように、眉間を揉みながら腰を上げた。
「お邪魔になった?」
「そんなことはない、雪枝ならいつでも歓迎だ!」
「……」
(お前のスタジオじゃないだろ……)
 大介は主導権を主張したかったが、雪枝を「チアガール」として招いたのは彼自身。いつでも歓迎のことは間違いない。
「この男が作ったものはね、あんまりにもひどいから、修正するには結構神経を使うんだ。雪枝が来てくれたら、心の癒しになるよ!」
「……」
(誰がひどいものを作ったって…!)
「雪枝は北欧神話が好きだろ、ちょうど、それをモチーフに何かを企画しようと思うところだ」
(さっきまでゴミ文字を積み上げていたばかりだろ……)
 ツッコミところがあまりにも多くて、いちいち突っ込んだらきりがないので、大介はとにかく、黙ったまま悠治の演技披露を拝見した。

 04
「ちょっと、なんでお前が雪枝を見送るんだ!兄の俺がやることだろ!」
 大介が帰ろうとする雪枝をビルの外まで送ると言い出したら、悠治に抗議された。
 悠治を治める方法をずっと考えている大介は、やっと反撃のチャンスを掴んだ。
「悠治くんは今日中北欧風企画を10本提出するという目標があるだろ?時間が厳しいから、代わりにオレが雪枝さんを送ってあげるよ」
「そ、そんなのう――」
 悠治が嘘だと言おうとしたら、雪枝は嬉しそうな声を上げた。
「偉い!お兄ちゃん!お仕事に夢中するお兄ちゃんはとってもかっこいい!応援するわ!」
「……」
 自分が掘った穴だから、自分で埋めるしかない。
 悠治は憎々しい目線を雪枝と一緒に外に出る大介に送った。

 憎しみを増やせること以外に、大介が雪枝を送るのは別の目的がある。
 言いにくかったけど、やっぱい聞いておいた方がいいと思うことがある。
「お兄さんの性格のことなんだけど……ちょっと、時々、変化が激しいと思うが、雪枝さんはどう思いますか?」
「えっと、時々、『お姉ちゃん』になることですか?」
「!?」
 大介は慎重に聞いてみるつもりだけど、雪枝がズバリと言った。
「知ってるのか?あの、悠子という人格のこと!?」
「悠子と言うの?別人格ですか?」
 雪枝は小首を傾げる。
「私もよく分かりません。ただ、私たちの小さい頃に、両親が交通事故で他界に……その時、私が8歳で、お兄ちゃんは14歳。お兄ちゃんは自分もまだまだ子供なのに、私の世話をするのに必死でした」
「ある日、私は高熱が出して、泣いてお母さんを呼んでいたら、お母さんの服を着ている女性が介抱してくれました。後ほど、お兄ちゃんが扮したのが分かったの。あれからも、お兄ちゃんは時々女性の姿で料理をしてくれたり、勉強を教えてくれたり……ずっとお姉ちゃんって呼んでいました」
(妹を慰めるとはいえ、普通に、母親に扮する兄はいるか……)
 美しい兄妹愛のいい話なので、大介は疑問を胸の中に閉じ込めた。
「ちょっと変な行動だけど、お兄ちゃんは私のために無理をしているので、もし何かご迷惑をかけましたら、全部私の責任です。どうか、お兄ちゃんを責めないでください」
 雪枝の無垢な瞳を見たら、大介は悠子がやらかしたいろんなことを胸に封じることを決めた。
 兄、いいえ姉か、いいえ、やっぱり兄……とにかく、「あの人」と違い、誠実で思いやりのあるいい子だ。
 いい子過ぎるから……話をこのままで終わらせよう……
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