5 理想の教育者

文字数 4,115文字

5 理想の教育者
 啄木の小説は反近代小説の小説である。彼はぞんざいに書くことで小説を侮辱する。近代小説の文学界におけるヘゲモニーとそこに潜む政治的・経済的・社会的権力を批判するためだ。もちろん、ただ投げやりに書いただけではない。将来のサブカルチャーの姿を直感的に見出し、それをこめている。驕る人久しからずと啄木は近代小説を嘲る。それゆえに、啄木は、プロメテウスのように、さらし者になる。

 この主張が曲解でないことは、啄木が漱石を評価していたことにより明らかである。漱石の作品は、正宗白鳥に始まって小林秀雄に至る文学界の権威者から、長い間、近代小説に背を向けた問題意識の低い民衆用の文学と冷遇されている。漱石が知識人の間で評価されるには江藤淳の登場を待たなければならない。このように啄木は漱石の初期の小説の「文才」に好意的に反応していることから、彼の近代日本や近代小説に対する姿勢が批判的なのは確かであろう。

 ただ、漱石が多様なジャンルを書くことによって小説に抵抗したのに対して、啄木はそれに唾を吐きかける方法を選択している。映像的で、非常にグロテスクな小説を制作することである。メアリー・シェリーはスリラーの原型と呼ばれる『フランケンシュタイン』を制作している。ヴィクトル・フランケンシュタイン博士が「発生と生命の原因を説き明かすことに成功した」が、「人の身であの顔の恐ろしさに耐えうるものはおりますまい」という怪物を創造してしまう。啄木の小説はこのフランケンシュタインである。

 彼の小説は、先に言及した通り、まだこの世に登場していないテレビ・ドラマのシナリオの萌芽がある。大衆がことのほか好きなテレビは、彼の死から半世紀した後に、すなわち昭和元禄に、メディアにおいて活字を相対化している。

 すでに延べた通り、啄木は、小説制作の際に、「活動写真」を意識している。彼は、小説を飛び越え、「活動写真」作成を夢見ている。彼は「活動写真」を物珍しく眺めていたわけではない。あの作品群を、「活動写真」を念頭に、潜在的なテレビ・ドラマとして書いている。

 「二十世紀」は映像の世紀であり、啄木の小説は映像的である。ドナルド・キーンの感ずる啄木への同時代性にはこの映像への感受性もその一つとして含まれる。「活動写真」が渡来したのは1896年である。翌年の2月15日、初のシネマトグラフが大阪で上映される。1903年、浅草の電気館が「活動写真」の常設館となり、1907年から、目黒撮影所で、劇映画制作を開始している。このころは活動弁士が紹介した無声映画で、トーキーが開始されるのは1929年のことである。

 『我等の一団と彼』は1910年の作品だから、啄木は「活動写真」に最も早く反応した部類に属する文学者であろう。当時の「活動写真」はその言葉通りでまだまだ未熟、物語としては啄木の小説程度、民衆の娯楽であっても、芸術ではない。しかし、映画は産業として発達、二十世紀を代表する芸術に成長していく。

 「天才」は、小説の「発生と生命の原因を説き明かすことに成功した」文学界にこの怪物を送り出すことによって、小説の支配を侮蔑している。何しろ、啄木ときたら、ある日、小説を書くからという理由で会社を欠勤したものの、すぐに飽きてしまい、一日中、春本を家で見ていたというから、最高だ。おそらく、啄木は自作がまだ映像になっていないことをとても残念に思ったことだろう。なお、中川信夫監督の『雲は天才である』はタイトルを拝借しただけで、舘岡謙之助によるオリジナル脚本の作品である。

 小林秀雄は、『批評家失格』において、「或るものに対する人々の憑かれた想い」の根源には「風景」があると次のように書いている。 

 或るものに対する人々の憑かれた想いは(単なる先入主でも、嫉妬の情でもいい)、この想いに始った瞬間のある風景に最も密接に繋がれているものだ。だが憑かれた人々は自分のやりきれない想いの対象の源を、ただ自分の心理のうちに探そうと苦労する。そして見附け出すものは、自分の想いの対象そのものに過ぎないので、これが嵌めこまれていた風景は必ず忘れられている。
 だからこの対象そのものが、思い掛けない風景のうちに生きているのに偶々出会う時、憑かれた想いもまた思い掛けなく破れて了う。

 駄菓子屋の地球瓶に胸ときめかせた子供のころ、友だちの家を訪ねて、「遊びましょ」と節をつけて誘うと、「待っててね」と歌って返事をしてくれた「風景」があったものである。小説も忘却されている「風景」を抱えている。だから、それが、抑圧した「思い掛けない風景のうちに生きているのに偶々出会う時」、「また思い掛けなく破れて了う」。啄木はそれに気づいている。彼は、そのため、近代小説と相反するものを小説に挑発的に書きつづる。「くたばれ、小説!」と叫ぶこの書き手は日本近代文学から排除される。

 小説家は日本の文学の世界では、中央集権制・官僚制が確立したころから引き続いて支配者である。もっとも、”novel” は、本来、ラテン語で「新しい」を意味する“novus” から派生した言葉であるが、英語では、あまりいい意味ではない。小説は”The novel is being written.”という構文が可能になってきた時代に登場した文学ジャンルである。日本の文学界における小説の経済的・政治的影響力は大きい。小説家は体制の権力には敏感だが、自分たちの権力には疎い。「知的生産は、物的生産が変化するのに比例して、その性格を変える。各時代の支配的な思想は、つねに支配階級の思想だったのである」(マルクス=エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)。

 ある時代に受けいれられた文学ジャンルは、支配的な経済的・政治的利益に奉仕・迎合するものだ。小説家は、仲よく、支配階級と手と手をとりあっている。この小説家とは、言うまでもなく、国家から文化勲章や文化功労賞などをもらった連中だけを指すものではない。啄木の試みは小説の中では不可能であるが、彼の作品がおりなす世界は小説という失敗を保持していることによって活性化している。

 啄木は、小説の時代の後、もっと小説の支配を侮蔑するために、「活動写真」よりさらに短い日記で試していた広告のコピーのような短歌や現代詩に向かっている。「活動写真」がまだ一般には支配的でなかったから、啄木はそれをとりあげたのであって、もしそうであったら、彼はソッポを向いたことだろう。テレビも同じだ。従って、日本的なものを超えた啄木が小説にはむかうことによって、日本近代文学を冒涜したことの意義を、再考しなければならない。

 結論として、啄木の小説家失格の姿から、日本文学だけでなく、近代日本の傾向というものを見ることができる。啄木の小説を読む意義は、いかにこの「天才」が小説の支配を拒絶していたかということである。

 福島章は、『天才の精神分析』において、「天才」は「われわれ同時代の社会」の根源を顕在化させると次のように述べている。

 天才はわれわれ人間が忘れがちな人間存在全体のありようを示してくれるであろう。また彼らのすぐれた感覚や洞察を把え直すことによって、われわれ同時代の社会の真の姿や病理を見出だすことができるかも知れない。

 古代ギリシアのクセノパネスはすべての天体現象を「雲」に帰した。啄木は、その意味で、「雲」である。「虹の女神と人々の呼んでいるもの、これもまた実際には一つの雲である。紫に、赤に、緑に、目の見えるところの」。確かに、「雲は天才である」。啄木の「天才」は映像に着目したことだ。「活動写真」のような彼の小説はその人生と切り離すことができないのであって、それは日本の世間に馴染めないでいるプロセスそのものである。

 世間とすれ違うものは彼のほかにもいる。しかし、これほど極端に文学作品にそれが表現されたものはいない。先見性を持った啄木の小説家失格は新たな可能性を見出す機会である。

 ボリス・ヴィアンは「墓に唾をかけろ」と言ったが、誰だって、偉そうにふんぞりかえっている権威者の顔にペッと唾を吐きたいものだ。けれども、もしほんとうにそうしてしまったら、相応の仕返しが待っているから、みんなできないでいる。啄木はそれをやって見せる。彼がいるおかげで窒息するのをまぬがれている。

 小説家失格とは日本近代文学において自由人の証しである。啄木は小説の支配への侮辱者だ。

 彼は、日記さえも、公表されるとなったら、「月並みな感想」を書き加えて、小説を挑発する。啄木の反小説の試みに、不条理で非合理な支配者によって、打ち倒されてしまった「革命健児」の不幸を読みとってはならない。「矛盾」の是認をそこに見る。活字に唾をかけた「活動写真」を夢見る啄木ほど小説を侮辱した近代日本の文学者はいない。

 おそらく、それは、日本の作家にとって、最も致命的な方法だ。にもかかわらず、彼は小説を冒涜し、積極的に、さらしものになる。啄木は「矛盾」をわが身に引き受ける「個人」として生きる。「天才」は、小説の支配の中、「飢える自由、高価な過ちを犯す自由、または命がけの危険を冒す自由」を実践する。ここまで徹底しなければ、「個人主義」とは呼べない。啄木自身、『雲は天才である』の中で、「余は余の理想の教育者である」と書いたように、彼は小説の時代にとっての「理想の教育者」にほかならない。
〈了〉
参照文献
『日本の文学』15、中央公論社、1967年
岩城之徳、『石川啄木伝』、筑摩書房、1985年
柄谷行人、『マルクスその可能性の中心』、講談社社学術文庫、1990年
同、『ヒューモアとしての唯物論』、筑摩書房、1993年
小林秀雄、『小林秀雄書記文藝論集』、岩波文庫、1980年
谷川俊太郎、『手紙』、集英社、1984年
玉木正之、『プロ野球大事典』、新潮文庫、1990年
福田清人編、『石川啄木』。清水書院、1966年
ホイチョイプロダクション、『OTV』、ダイヤモンド社、1985年
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

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